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『バナナの世界史』(ダン・コッペル著)を読みながら [商品世界論ノート]

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 スーパーの食品売り場に行けば、いつでも見かけるバナナですが、これを買うほうは意外とバナナについて知らないものです。
 日本で多いのはフィリピン産、次にエクアドル産、そして台湾産です。台湾産はねっとりして味もよいのですが、値段が高い。だから、ついついわが家ではフィリピン産を買ってしまいます。
 フィリピン産には「チキータ」とか「ドール」などというラベルが貼ってあるものが多い。どんな会社なのでしょう。それもよく知りません。
 もちろんバナナは、日本にかぎらず、それこそ世界じゅうで売られていますから、いわば世界商品です。そこにはさまざまなドラマが隠されているにちがいありません。おおげさにいえば、一本のバナナには、ちいさな世界史がぎゅっと詰まっているといってもよいのではないでしょうか。
 本書は、東南アジアのジャングルで育っていたバナナが、いかにして世界中で商品として食べられるようになったか、そして、熾烈な販売合戦の背後にどのような企業活動や政治的陰謀、生産者への搾取がなされていたかをえがいています。さらに、いま食べているバナナ(キャベンディッシュ種)が絶滅の危機を迎えていると聞けば、バナナのことをもう少し知っておいても損はなさそうです。
 人類がバナナを栽培しはじめたのは7000年以上前からだといわれます。バナナは多年生の草本で、球茎を伸ばして繁殖します。考古学的証拠からみて、その栽培がはじまったのは、いまのところパプアニューギニアということになっていますが、もちろん、さまざまな種のバナナが、中国南部から東南アジア、インドの森で自生していたようです。新石器時代から人びとはこのバナナを栽培し、改良し、食料として利用していたのでしょう。
 ヨーロッパ人がバナナを「発見」するのは近代になってからです。19世紀のはじめ、フランスの博物学者ニコラ・ボーダンが、その球茎を持ち帰り、カリブ海・マルティニーク島の植物園に移植しました。19世紀の終わり、そのバナナはジャマイカをはじめとして中央アメリカ一帯で栽培されるようになっていました。グロスミッチェル種と名づけられたバナナです。
 バナナはそれ以前に太平洋の島々、さらにはインド洋を越えてアフリカにも広がっていました。それは最初から「バナナ」と呼ばれていたわけではありません。バナナという名称はアラビア語で「指」を意味するbananに由来するといわれます。数多くのアラビア商人がバナナの交易や生産にも関与していたのではないでしょうか。その名称をヨーロッパ人がとりいれたわけです。
 ヨーロッパ人はアフリカでもバナナを見つけました。これを西アフリカの植民地での栽培をへて、新大陸アメリカにもちこんだのはイギリス人です。太平洋のイースター島からアメリカに渡ったルートはいまのところ確認されていませんが、ともかく何千年もかけてバナナは世界を一周し、また元のアジアに戻ってきたことになります。
 しかし、腐りやすいバナナを商品化するのは、なかなかむずかしかったようです。1870年、ロレンツォ・ベイカーという船乗りが、ジャマイカのバナナを米国に積み出して、ひともうけしたのが、バナナ・ブームのきっかけとなりました。その後継者アンドルー・プレストンは、冷蔵設備と大量輸送によって、バナナの売り上げを伸ばします。プレストンは、そのころ中央アメリカに広がっていたバナナ・プランテーションを傘下に収め、またみずからも新たな農場を開いて、1899年にユナイテッド・フルーツ社を設立します。その後、社名はいろいろと変わりますが、これが「チキータ」ブランドの発祥といってよいでしょう。
 ユナイテッド・フルーツ社はホンジュラス、パナマ、コロンビア、グアテマラなどに、いわば「バナナ帝国」を築いていきます。現地に鉄道や病院、学校なども建てたのはまちがいありません。しかし、その歴史はどちらかというと血塗られています。商売のじゃまとみれば、ストライキの鎮圧、現地軍隊の出動要請、虐殺などへっちゃらで、時には米軍の侵攻やCIAによる政府転覆も裏で画策したことが、いまではわかっています(ガルシアマルケス『百年の孤独』の舞台です)。
 ところが、そのユナイテッド・フルーツもバナナの病気には勝てませんでした。1920年代から、バナナを立ち枯れにする「パナマ病」と呼ばれる病気が徐々に広がり、さらにこれに「シガトカ病」と呼ばれる新たな病気が加わって、バナナ・プランテーションは危機におちいります。DDTやボルドー液などの農薬がまかれ、農場はまるで死の工場に変わり、農薬を散布する大勢の労働者が食べ物を吐き、亡くなったといいます。
 けっきょくグロスミッチェル種のバナナは、さまざまな工夫をほどこしたにもかかわらず、病害により絶滅の道をたどります。それと入れ替わるように救世主となったのが、中国南部を原産地とするキャベンディッシュ・バナナでした。現在おもに食べられているバナナです。しかし、その間、グロスミッチェルにこだわっていたユナイテッド・フルーツは大きく後退し、規模のちいさかったスタンダード・フルーツ社がのしあがってきます。この会社が「ドール」というブランドをつくるわけですね。
 グロスミッチェル種の発売は1965年が最後になります。そして、このころバナナ会社はかつて入手していた海外の土地を売却し、現地の下請け会社からバナナを購入し世界じゅうに販売するという方式に切り替えていたようです。つまりプランテーションを直接支配するより、現地人に下請けさせたほうが効率がよいし、みずから手を汚さなくてよいと判断していたのではないでしょうか。
 もちろんバナナ会社は依然として現地の政界に大きな影響力をおよぼしていました。土地を広げ、労働者の権利を抑え、ビジネスを有利に運ぶために、あらゆる手を打っていたのです。
 そして問題はまたもグロスミッチェルに取って代わったキャベンディッシュが病原菌に対して盤石ではなかったことです。著者はバナナの品種改良がきわめてむずかしいと指摘しています。病気に強い新種が開発されても、それは酸味が強くて、どこまで消費者のニーズにこたえられるか疑問でした。また遺伝子組み替えによって生まれたバナナ(フランケン・バナナ)には、とうぜんのように安全上の疑念が寄せられています。
 バナナが商品化されてから140年、バナナをめぐる状況は基本的には何も変わっていないようです。
 著者はこう書いています。

〈バナナ王たちは、1世紀前と同じ問題に直面している。彼らは、安全に栽培するのが非常に難しい果物を消費者が購入しやすいほど安価に生産すると同時に、利益をあげようとする。となると、コストをかなり低く抑えなければならない。ヨーロッパ人がバナナを必要とすれば、チキータはバナナをアフリカで栽培したほうが有利だ。日本人が必要とすれば、フィリピンで育てる。もしくはエクアドル、インド、あるいは東南アジアで。
 そこでバナナ競争が復活した。ドール、チキータ、デルモンテ、英国のファイフス、エクアドルのボニータと、世界じゅうに拠点をもつそのほか6つの企業が、ヨーロッパや米国だけでなく、世界のあらゆる国の朝食で好まれる果物になるための競争を繰り広げている〉

 1本のバナナ、おっとりして、のんきそうにみえるバナナの背景にも、激烈な世界史がひそんでいるのですね。それはわれわれ自身も巻きこんでいる商品世界の一部を形成しています。

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マチャ

商品作物をめぐる世界史の話は興味深いですね。
珈琲や紅茶も世界史に影響を与えましたし。
本屋さんで見かけたら、手にとって見たい一冊です(^-^)/
by マチャ (2012-03-04 15:37) 

だいだらぼっち

マチャさん、コメントありがとうございます。コーヒーや紅茶の話もそのうち書いてみたいと思っています。バナナの話は鶴見良行の『バナナと日本人』(岩波新書)がベストではないでしょうか。
by だいだらぼっち (2012-03-06 05:51) 

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