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『21世紀の貨幣論』(フェリックス・マーティン)を読む(1) [本]

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 本書の原題はMoney: The Unauthorised Biography です。「マネーに関する独断的考察」とでもいうべきでしょうか。『21世紀の貨幣論』という日本語版タイトルは、まもなく発売されるというトマ・ピケティの『21世紀の資本論』に便乗しているような気がして、ちょっと首をひねってしまいます。しかし、本書は、著者が現代世界をおおいつくしているマネーについて考えた思索をまとめた、なかなかの好著といってよいでしょう。
 ちなみに著者はオックスフォード大学で古典学と開発経済学を、ジョンズ・ホプキンズ大学で国際関係論を学んだあと、世界銀行で10年間勤務し、現在はロンドンの資産運用会社でエコノミストとして活躍しています。マネーの専門家といってよいでしょう。
 これにたいし、当方はマネーの世界をほとんど知らない素人です。とんちんかんな理解や曲解もあるでしょうが、このさい、ひまにまかせ、あまりご縁のないおカネについて考えてみるのも一興と思う次第です。ゆっくりとしか読めません。途中で挫折してしまったら、ごめんなさいということで、さっそくページをめくってみましょう。
 本書は人と貨幣のかかわりを歴史的にふり返り、貨幣についてのさまざまな学説や思想を紹介しながら、現在の貨幣のあり方について考えてみるという方向をとっています。ここで導きの糸になっているのは、古典派や新古典派ではなく、ケインズの考え方だといってよいでしょう。
 最初に南太平洋にあるヤップ島の石貨の話がでてきます。ヤップ島のマネーシステムが、ある旅行記を通じて世界に広く知られるようになったのは1910年のことです。この島で農業はおこなわれておらず、ほとんどが採集に頼る自給自足の経済です。家畜はブタだけ。しかし市場はあり、そこでは魚、ヤシ、ナマコ、ブタが商品として売られていました。ところが、驚くべきことに、ここには真ん中に穴のあいた巨大な石、すなわちフェイが貨幣として用いられていたのです。この石貨は実際に運搬されることはなく、所有者が変わっても同じ場所に置かれていました。そして、なかには海に沈んだと言い伝えられているフェイもありました。この石貨に通貨の哲学が秘められているとみたのが、ケインズだったといいます。

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[ヤップ島の石貨。写真は「テレグラフ」より]

 物々交換の不便さから貨幣が生まれ、最終的に金と銀が貨幣として選ばれるようになったというのが経済学の常識です。しかし、この学説は完全にまちがっている、と著者はいいます。物々交換だけで成り立っている経済を目撃した人はだれもいないのです。ヤップ島の経済も物々交換ではありませんでした。それではヤップ島の石貨、フェイとはいったい何なのでしょう。それを持ち運んで交換するのはとても無理です。フェイはいったいどのように使われているのでしょう。
 著者はこう書いています。

〈ヤップ島のマネーはフェイではなく、その根底にある、債権と債務を管理しやすくするための信用取引・清算システムだったのだ。フェイは信用取引の帳簿をつけるための代用貨幣(トークン)にすぎなかった〉

 つまり、こういうことです。ヤップ島の住民は魚、ヤシ、ブタ、ナマコを取引します。それは信用売買のかたちで、けっして物々交換ではありません。そこでは債権と債務の関係が生じ、ある期間の終わりには債権と債務が相殺されて決済がなされます。決済後に残された差額は繰り越され、取引の相手が望めばフェイ(石貨)によって支払われるというわけです。
 フェイはもはや金と交換できない現在の紙幣と同じです。あるいはクレジットカードと同じだといってもいいかもしれません。貨幣が金や銀と同じ価値をもつ商品だとかんちがいすれば、貨幣の実態を見誤ることになるというわけです。
 著者はいいます。

〈マネーとは信用の特殊な形態であり、貨幣交換とは信用取引を清算することであり、通貨とは信用関係を基礎にして流通する代用貨幣にすぎない〉

 つまり、貨幣(マネー)とは、商品ではなく信用だというところがポイントです。さらにいえば、マネーとは単なる信用ではなく、譲渡できる信用、あるいは譲渡可能な債務なのです。だから、その素材は何であってもよいということになります。
 マネーとは単に鋳造された金貨や銀貨、あるいは紙幣を指すわけではありません。著者によれば、譲渡可能な信用というかたちで、取引を循環させる社会的な工夫こそがマネーだということになります。
 ちょっとむずかしいですね。
 たとえば、わたしが相手に何かを売って、なにがしかの代金を受け取ったとします。その代金は1枚の千円札でした。わたしがそれを代金として受け取るのは、相手からもらう千円札を信用しているからです。それが見たこともない、あやしいものだったら、たぶん受け取ることはないでしょう。自分もその千円札を使って、何かを買うことができると思うから、それを受け取るわけです。
 千円札はただの印刷物ですから、それ自体、商品ではありません。それは信用のあかしみたいなものです。つまり「譲渡可能な信用」です。でも、信用はいつ崩れるともしれないあやうさの上に成り立っています。いまヤップ島で通用しているのはドル紙幣ですね。
 それはともかくとして、人間社会は「譲渡可能な信用」、つまりおカネによってつながっていることはまちがいありません。そして、このマネーが、おうおうにして人間社会を楽しませたり苦しませたりするもとになることが問題でした。
 本書はそのマネーの歴史を追いながら、現在のマネーを改革する道をさぐろうとしています。

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