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西川長夫『パリ五月革命 私論』を読む(1) [われらの時代]

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 1968年をふり返って思うのは、やはり世界同時性ということである。世界では、不思議なくらい、同時に同じようなことが起きていた。
 あのころ、大学の授業にもでず、毎日のらくらしていたぼくにも、パリの5月のできごとは、おぼろげながら伝わっていた。
 中国では文化大革命がくり広げられ、日本でもベトナム反戦運動が盛んで、そのうち日大闘争や東大闘争が巻き起こる。
 ぼんやりしているぼくの周辺もどことなく騒然としてきた。
 それからは討論とデモの日々がはじまった。
 しかし、68年の根源ともいえるパリ五月革命とは、いったい何であったのか。
 いま、それを問われても、はっきりと答えられない。
 暇にまかせ、本棚から、この本を取りだしてみた。
 著者の西川長夫(1934〜2013)は、フランスの研究者で、五月革命まっただなかのパリにいた。フランス政府の給付留学生として、ソルボンヌ大学などに通っていたのだ。
 本書はその最晩年にあたって、68年の5月革命をふり返った熱い物語である。
 五月革命からもう50年近くたった。それは、もはや歴史の領域に属するといってもよいだろう。
 ぼく自身覚えているのは、本や雑誌などが伝える当時の雰囲気だけで、実際にそれをつぶさに見たわけではない。
 それでも68年は、世界の見方を変えてくれた。
 ぼくは68年を通じて、世界を知った。
 これも読み残しの本である。
 いつか読もうと思いながら5年間も放置したままだった。
 例によって、遅い歩みでついていくことにしよう。
 ベトナム戦争、反戦運動、68年革命は、ほとんどひとつながりだった、と著者は書いている。
 フランスはかつての植民地帝国として、ベトナムやアルジェリアを支配してきた歴史がある。
 池袋あたりの映画館で『アルジェの戦い』を見たことを思いだした。
 そして、ベトナム戦争。ゴダールは『ベトナムから遠く離れて』(1967)という映画づくりに加わる。「自己の内部にベトナムを生み出すこと」をみずから課した。
 この年、ゴダールは『中国女』(1967)も発表する。
 著者によると、この映画は、五月革命を先取りするものになった。
 この映画の下敷きになっているのは、中国の文化大革命だが、それはむしろ背景でしかない。ベトナム反戦運動と、米ソの帝国主義への反撃が大きなテーマだった。
 映画自体は大学生をパリのアパルトマンに閉じこめて、マルクス・レーニン主義ごっこをさせながら、虚構のなかにフランスの現実を浮かび上がらせるという手法をとっているらしい。
 しかし、ぼく自身はこの映画を見ていない。
 著者によると、5月革命発祥の地は、パリのカルチエ・ラタンではなく、郊外のナンテールだった。ソルボンヌ大学のナンテール分校があった(現在はパリ第10大学)。
 ナンテールについて、著者は「貧困と人種差別を抱える新興の郊外都市」だったと記している。アルジェリア人の集落が広がる近辺に、広いキャンパスをもつ大学がつくられていた。劇場も映画館もない荒涼たる場所でおこなわれるマスプロ授業に学生たちはうんざりしていた。
 1967年秋に教育環境の改善を求める学部集会が開かれ、そのあと散発的な事件が生じる。大学当局はこれにたいし、学生の退学命令で応じた。抗議する学生にたいし、大学側は警官隊を導入した。
 このあたりの構図は、日本の大学の場合と驚くほど似ている。
 1968年3月22日、ベトナム反戦デモに参加した学生6人が逮捕される。ナンテールでは学生たちが抗議集会を開き、議決にもとづいて、その夜、大学の事務所のある建物を占拠する。
「3月22日運動」のはじまりである(その代表のひとりが1945年生まれのダニエル・コーン=ベンディット[コーン=バンディ]だ)。
 3月22日運動は、日本でいう全共闘運動である。
 4月1日、社会学科2年の学生が多数決により、小試験のボイコットを決定する。4月2日には政治討論集会が開かれ、運動を継続することが決まった。
 その集会で、コーン=ベンディットは叫ぶ。

〈われわれは、資本家のための、将来の要員たることを拒否する。……われわれは、陰険にして高圧的な、ブルジョアのための科学を、放棄する義務がある。〉

 この主張も、全共闘運動とそっくりではないか。
 著者によれば、この運動の新しさは、個人(党派ではなく)による参加、全員による討議、自発性、にもとづいていたことだという。
 このかん、政府や大学当局の動き、共産党や既成の学生団体の画策などが入り乱れる。だが、運動はそれらを乗り越えて、継続した。
 4月11日、西ベルリンでは、西ドイツの学生運動活動家ルディ・ドゥチュケが狙撃され、重傷を負う事件が発生した。翌日、パリのカルチエ・ラタンでは、西ドイツの学生との連帯を表明するデモがくり広げられた。
 4月14日、パリ市内のソルボンヌ大学では、フランス全国学生連合(全学連=UNEF)の集会が開かれる。だが、極右学生集団「オクシダン」の乱入もあって、決議はなされない。
 4月22日には、共産党系の学生グループが主催するベトナム反戦デモがおこなわれた。これにもオクシダンが乱入。共産党の機関紙『ユマニテ』は、政府は暴力を放置するなと訴えた。
 その後、トゥールーズ大学でも、政治討論集会が開かれたが、それにもオクシダンが乱入する。校内で激しい乱闘となり、トゥールーズ大学当局はその後のすべての集会を禁止した。
 4月27日、傷害容疑でコーン=ベンディットが警察によって連行され、事情聴取を受ける。だが、証拠はみつからず、その日のうちに釈放される。
 4月30日、ナンテール分校大ホールの壁に「反帝国主義運動の日」と書かれた大きなポスターが貼られる。それを撤去しようとした学部長は、大勢の学生に取り囲まれ、目的を果たせない。その日の午後にも、学生集会が開かれた。
 以上が「五月」以前の状況である。
 著者は「特定の代表やリーダーをもたない運動体としての3月22日運動が、ダニエル・コーン=ベンディットという一人のヒーローを生み出したのは、ひとつのパラドクスである」と書いている。
 秋田明大や山本義隆だって、自分がヒーローになろうとしたわけではないだろう。やむなく立ち上がったのである。
 

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