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西川長夫『パリ五月革命 私論』を読む(2) [われらの時代]

 1968年のパリ「五月革命」は、パリ郊外にあったソルボンヌ大学ナンテール分校の「3月22日運動」からはじまったと書いた。
 きょうは本書に沿って、駆け足で、パリの5月に起きた革命の嵐を追っていくことにしよう。
 5月1日はメーデーで、例年どおり、労働総同盟(CGT)主催の整然たるデモ行進がパリの通りを埋め尽くした。郊外のナンテール分校では、引きつづき抗議集会が開かれていたが、学生運動と労働運動は画然と切り離されていた。
 5月2日。ナンテール分校では「反帝国主義の日」と題する催しが開かれる。しかし、大学側が大ホールの使用を禁止したため、学生たちは階段教室を占拠して、ベトナム戦争に関するドキュメンタリーを上映した。ほかの教室でも混乱があり、大学側はナンテール分校での講義や演習の中止を決定した。
 5月3日。ナンテール分校は閉鎖されていた。学生たちはパリ市内カルチエ・ラタンのソルボンヌ大学本校に行き、抗議集会を開く。大学はこれにたいし、ソルボンヌに機動隊(CRS)導入を要請する。学生たちはバリケードを築き、機動隊の襲撃に対抗するが、コーン=ベンディットをはじめ600人近くの学生が逮捕される。
 5月5日、拘留されていた学生ら7人に禁固と罰金刑が言い渡される。全学連(UNEF)はただちにこれに抗議、教職員組合も同調して、学生との連帯を表明した。もっとも著者によると、フランス全学連は、日本の全学連とちがって、どちらかというともともとは穏健派だという。
 5月6日、ソルボンヌは閉鎖されている。そのなか、教授資格試験(アグレガシオン)がおこなわれる。「3月22日運動」の8人にたいする懲罰委員会は流会となる。だが、大学周辺では、バリケードが築かれ、抗議デモもおこなわれて、警官隊との激しい衝突があった。422人が逮捕され、数百人の学生が負傷した。パリの高校や地方の大学でも、政府当局の強硬な態度に抗議して、ストやデモがはじまった。
 5月7日、全学連(UNEF)の呼びかけた抗議集会に、2万人の学生、労働者、市民が結集し、大通りをデモ行進する。
 5月8日の閣議で、ドゴール大統領は「大学は国家のためにのみ存在する」と述べ、大学内での批判、公道上での暴力行為を認めないと強調した。夕方、全学連(UNEF)などの呼びかけで、パリ大学理学部で集会が開かれる。そのあとのデモで、一部の学生はソルボンヌ突入を叫ぶが、その動きは封じられ、デモは平穏のうちに解散する。
 5月9日。UNEFは「カルチエ・ラタンからの警官の退去」「逮捕された学生の釈放と判決の白紙撤回」、「大学閉鎖の解除」を求めたが、当局はそれにはまったく応えず、ひたすら学生の自粛をうながす。ソルボンヌ広場とサンミッシェル通りでは自然発生的な集会。カルチエ・ラタンの共済会館でも革命的共産主義青年同盟(JCR)主催の集会が開かれ、コーン=ベンディットも発言する。
 5月10日─11日。ナンテール分校の閉鎖が解かれる。しかし、ソルボンヌでは閉鎖がつづいていた。そのためUNEFと「3月22日運動」はナンテール分校占拠によるストを続行する。
 10日夜のデモでは、デモ隊がカルチエ・ラタン占拠を叫び、深夜、いたるところでバリケードが築かれた。当局との交渉は決裂。警察の実力行使に夜明けまで激しい抵抗がつづいた。負傷者367人、逮捕者460人。多くの車に火がつけられ、道路の敷石(パヴェ)がはがされ、機動隊に投げつけられた。
 5月13日。ソルボンヌの封鎖が解かれる。学生は開門と同時にソルボンヌを占拠する。労働総同盟(CGT)などは24時間ストにはいる。パリでは100万人のデモがくり広げられる。
 5月14日。議会では共産党と左翼連合が内閣にたいし不信任案を提出するが、否決される。とはいえ、ポンピドゥー首相は逮捕学生の特赦と大学改革の意図を表明する。ナント郊外の航空機会社では2000人の労働者が工場を占拠する。
 5月15日。美術学校の生徒たちが学校を占拠。1000人の学生がオデオン座(パリでいちばん古い劇場)を占拠する。フランス西部ルーアン郊外にあるルノーの工場でも、労働者が工場を占拠する。
 5月16日。ソルボンヌではさまざまな集会。国営放送のテレビ番組にコーン=ベンディットらが出演する。パリ郊外のルノーでも工場占拠。ストと工場占拠がフランス全土に波及する。
 その後も革命の日々はつづいた。
 5月20日には、電気、ガス、水道を除くほとんどの産業部門がストにはいった。その参加者は700万人。労働総同盟(CGT)は労働者の自主管理を批判。ソルボンヌの集会ではサルトルが学生への共感を表明する。
 5月21日。銀行、百貨店が無期限の閉店。交通機関がストップする。中央市場もストにはいる。議会では政府にたいする問責動議がだされる。
 5月22日。問責動議は否決される。一時、出国していたコーン=ベンディットの再入国が禁止される。大学では抗議集会。デモが広がる。
 5月23日。パリ右岸に向かう橋を閉鎖した警官隊とデモ隊が激しく衝突する。学生の重傷者100人、警官隊も78人が負傷。
 5月24日。労働総同盟(CGT)は赤旗を掲げて1万5000人が整然とデモ。これにたいし、全学連(UNEF)や教職員組合、「3月22日運動」などの合同デモ隊は約3万人がパリのリヨン駅に結集し、コーン=ベンディットの入国禁止解除、CGTと政府の妥協批判、ドゴール退陣などをかかげて、バスティーユ広場へと向かう。機動隊がそれを阻止すると、学生たちはカルチエ・ラタン一帯にバリケードを築く。「第2のバリケードの夜」が出現する。
 5月25日。軍の工兵隊が出動し、バリケードを撤去する。ポンピドゥー首相は、今後一切の集会とデモを取り締まると明言。政府と労働団体との交渉がはじまる。
 5月27日。政府と労働団体との交渉が妥結。最低賃金の引き上げや労働時間の短縮が決まる。ストライキが解けはじめる。全学連(UNEF)主催で、シャルレッティ・スタジアムで集会が開かれ、3万5000人が集まるが、「3月22日運動」は参加を拒否する。
 5月28日。国民教育相と蔵相が辞任。労使交渉がつづく。左派連合のミッテランが大統領選挙出馬を表明。共産党はこれに強く反発する。夜、入国を禁止されているコーン=ベンディットがとつぜんソルボンヌにあらわれる。森を抜けて、歩いてフランス領にはいったという。
 5月29日。ドゴール大統領はエリゼ宮を離れ、軍の基地で、ひそかにマシュ総司令官らと会談。その後、辞職の意志がないことをポンピドゥー首相に伝える。労働総同盟(CGT)はドゴール退陣を求める50万人デモ。
 5月30日。政府はパリ周辺に機甲部隊を配置。ドゴールはエリゼ宮で、国民に呼びかける演説をおこなう。「フランスは独裁の危機にある。全体主義的共産主義の危機にさらされている」と述べ、国民議会をただちに解散し、6月に総選挙を実施すると発表する。シャンゼリゼ大通りではドゴール支持の大規模なデモがくり広げられる。
 こうして「五月革命」の日々は、次第に終息するのである。
 とはいえ、6月になっても、デモはおこなわれ、ストライキと工場占拠もつづいていた。だが、当局はこれを徹底して取り締まる。ルノーの工場には警官隊が導入され、労働者は排除される。
 その後も警官隊と労働者、学生の衝突はつづく。6月12日、政府は選挙まで、あらゆる抗議デモを禁止すると発表。6月14日、オデオン座に警官隊がはいり、占拠者を排除する。
 6月23日と30日には二回にわたる選挙がおこなわれ、ドゴール派が圧勝、共産党と左派連合は議席を解散前の半数以下に減らした。
「選挙は間抜けどもを引っ掛ける罠だ」と学生たちは叫んだが、それは後の祭りとなった。
「こうして『秩序』は回復され、学生たちの運動は夏休をむかえて『冬の時代』に入る」と著者は書いている。
 日本よりもはるかに大きな動きだったが、あっというまに「革命」は終わった。
 けっきょく「五月革命」とは何だったのか。
「革命ごっこ」にすぎなかった、といわれれば、そのとおりである。
 それは急速に忘れ去られていった。
 1年後、ドゴールは10年間維持してきた大統領職を辞任する。
 1981年には、紆余曲折をへながら、ミッテランの左翼連合政権が誕生する。
 アラン・パディウはのちに「反動の時代の始まりはいつも左翼なのです」と語っているという。ミッテラン政権のもと、80年代には金銭崇拝、自由化、金融の規制緩和、資本のグローバル化が堰を切ったように進んだ。
 そして89年がやってくる。中国では天安門事件が発生し、ベルリンでは壁が崩壊する。日本では昭和天皇が死去する。
 1991年には、ついにソ連邦が解体される。それは革命を否定する革命だった。
 68年を最後の頂点として、革命の幻想はすっかりはがれおちたようにみえる。
 それでも68年は遠いこだまのように、時折よみがえる。それは近代の終わりをつげる花火だったからだ。
 それは一瞬のばかばかしいお芝居だったかもしれない。だが、あのときに国家の終わり、教育システムの終わり、技術主義の終わり、資本の終わり、ほかに気づかぬもろもろの終わりがはじまったのだと考えれば、68年はたしかにまだ見ぬユートピアのための祭りだったのかもしれない。
 そんなふうに思うこともある。

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