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国際貿易について(1)──ミル『経済学原理』を読む(9) [経済学]

 次のテーマは国際貿易である。
 たいていの国は国外からの商品の輸入を認めている。その商品は国内では生産不可能なものであったり、あるいは国外から輸入したほうが安かったりするためである。だが、輸入があれば、とうぜん輸出もなくてはならない。
 一般的にいえば、どの国も、自分たちの優越性がもっとも少ない物品を輸入し、自分たちの優越性が大きい物品に労働と資本を投入し、それを輸出に当てるのが得策だ、とミルはいう。これはリカードの比較優位説を踏襲したものといえよう。
 通商の利益は、世界的にみて生産力がより効率的に発揮される点にある。交易関係をもつふたつの国は、比較優位な商品を生産し、それを交換しあうほうが、国際的にみれば、より生産的である。それによって、両国が必要とする商品は、より潤沢となるだろう。
 ところが、国際貿易の利益を、市場の拡張に求める声は後を絶たない。これは生産者の主張であり、いわば重商主義のなごりだ、とミルは指摘する。
 だが、冷静にみれば、「ある国がその国自身の欲求を越えて輸出用の品物を生産するのは、何らその内在的必然性によるものではなくて、自国のために他のもろもろの物をととのえる最も低廉な方法として、そうするのである」と、ミルはとらえる。
 輸出するのは、輸入するためである。そして、「通商は、実際上、生産物を低廉ならしめる一方法」であって、輸入によって利益を受けるのは消費者にほかならない、とミルはいう。
 さらに、通商には経済的利益のほかに道徳的利益もある。それは諸国民の交流をうながし、世界の平和を保証する手段ともなる、とミルは論じる。
 次にミルが論じるのが、交易商品の国際価値についてである。
 商品の価値は生産費に依存するというのが、ミルのテーゼだった。ところが、輸入品の価値は、遠隔地での生産費に依存するわけではない。つまり、国際価値は、生産費の法則にはしたがわないというのだ。
 ここで、ミルは貿易が物々交換、すなわち一商品の他の商品に対する現物交換だと仮定する。すると、輸入品の価値は、その輸入品への支払いとして輸出される商品の価値にほかならないことがわかる。だとすれば、外国商品の価値は、国際的交換の諸条件に依存するのであって、そこでは需要と供給の法則が作用しているというのである。
 この考え方はひじょうにむずかしい。どう理解すればよいのだろうか。
 試みに、ひとつの例を挙げてみる。
 A国とB国のあいだで、たとえば次のふたつの商品が取引されているとする。

  100万円の車100台⇔100円の石油100万リットル

 この場合、車の生産費(利潤を含む)は80万円で、石油の生産費は80円だ。ミルがいうように、それぞれの商品価値は、生産費に一致しない。輸入品の価値は輸出品の価値によって、はかられる。この場合、国際的交換の条件は、車が100万円で、石油が100円ということになる。
 ところが、ここで需要が増大し、2商品間の貿易関係に変化が生じたとしよう。すると、たとえば、次のような事態が生じる。

  80万円の車150台⇔80円の石油150万リットル

 ふたつの商品の価値は、需要と供給の関係によって変化する。その場合、生産費はたとえば車が70万円、石油が70円となり、需要はそれぞれ50%増大し、貿易額は20%増大することになる。国際的交換の条件も変化している。
 ミルは、おそらく交易商品の国際価値は、両国の需給関係によって決定されると考えたのである。
 さらにミルは、この単純なモデルに、複雑な要素を加えていく。
 たとえば輸送費である。貿易に占める輸送費の割合は無視できない。輸送費が大きいと、貿易の利益は失われてしまう。したがって品質の低い食料品や工業製品は貿易の対象とはなりにくく、比較的高級な、あるいは産出困難な原料や食料品、工業製品だけが国際取引の対象となる。
 さらに、ミルは2国間、2商品という最初のモデルの価値法則を、多国間、多数商品の場合にも拡張している。2商品間で貿易が不均衡な場合も、多数商品のあいだで貿易の均衡を取り戻すことができる。この関係は多国間に拡張することができる。
 こうした国際価値の関係をミルは次のようにいいあらわす。
「ある国の生産物は、その国の輸出の総額がその国の輸入の総額に対し過不足なく支払いをなすのに必要とされるような価値をもって、他の国々の生産物と交換される」
 ここでは輸出と輸入とが、各国間の相互需要によって均衡するととらえられている。
 国際価値は生産費に一致しないとしたミルが次に論じるのは、生産上の改良が国際価値にあたえる影響についてである。
 輸出品にたいする生産上の改良(価格の低廉化)が、外国での需要を増加させることはまちがいないだろう。それは、たいていの場合、輸出国にとってだけではなく、輸入国にとっても利益をもたらす。それによって相互需要が拡大する可能性が強いからである。
 ミルの国際価値論は実際にはもっと複雑な事例で成り立っており、それは数学モデルで展開してしかるべきものだ。だが、数学の苦手なぼくとしては、それを省略し、ここでは、ミルが自由貿易を擁護する立場から、国際価値について論じているということを強調するにとどめよう。
 ここでミルは、特異な輸入商品として、貨幣の問題をとりあげる。貨幣の材料である金や銀などの貴金属は国外から輸入されていた。したがって、ここでいう商品としての貨幣とは貴金属を意味している。
 たとえばブラジルからイギリスに輸入される地金の量は、イギリスの需要に依存し、イギリス産の商品と交換されなければならない。そのさいも「外国における需要が最も大きい輸出品を輸出し、外国産諸商品に対するそれ自身の需要は最も小さい国において、[輸入商品の]価値が最も低い」という法則が成り立つ、とミルはいう。
 すなわち工業生産物のほうが、粗製生産物よりも、概して価値が高くなる傾向があるというわけだ。地金獲得の費用としては輸送費も必要になってくるけれども、いずれにせよ、イギリスが諸外国に比べ物価が高いのは、より小さい費用で貴金属を入手することができ、したがって、貨幣の価値が低いからだ、とミルは論じている。
 さらに、加えて、こうも述べている。

〈イギリスの商品に対する需要の増加なるものが、鉱業諸国における需要である必要は決してない。イギリスは、鉱業諸国へ向かって何ものをも輸出しなくても、もしもそれ以外の諸外国においてイギリスの財貨に対する十分に強い需要があり、これが迂回的に鉱業諸国からきた金銀をもって支払われるならば、やはり鉱業諸国から最も低い条件をもって地金を入手する国となるであろう。〉

 ここにも、イギリスの産業にたいする自信のほどが示されている。
 ところで、ミルはここまで外国貿易を、いわば国家間の物々交換として記述してきた。しかし、貿易は現実には物々交換ではありえない。それは業者間の取引としてなされ、そこには貨幣での支払いが発生している。
 たとえば、ミルはイギリスの商人Aが、フランスの商人Bに商品を送り、BがAにお金を支払うという場面を想定している。
 そこでは

  A⇄B

という関係が成り立っている。
 ところが、ここにイギリスの商人Cが、フランスの商人Dから商品を受け取り、今度はCがDにお金を支払わねばならないとしよう。だが、この場合は、CがDに海を越えて、お金を支払う必要はない。
 その場合は

  A→B
  ↑ ↓
  C←D

というかたちで、国内で決済をすませればよいのである。
 つまりBはAからでなくてもCからお金を払ってもらえばよいし、DはCからではなくBからお金を払ってもらえばいい。だが、実際にAとC、あるいはBとDは直接顔をつきあわせるわけではなく、仲介業者に手数料を支払って、それぞれ為替手形にもとづいて支払いを受ければいいのだ。したがって、全体の貿易取引額にたいして、海外に送金される部分は差額部分だけとなる。
 現金による貿易の決済が必要になる場合は、為替手形を買い受けるさいに、プレミアム(追加価格の請求)が発生する。それは貴金属の運賃や保険料、その他の費用がかかるのを負担するためである。
 それぞれの国は独自の通貨をもっているのが通例である。そして、為替手形はそれぞれの通貨で決済されるから、通貨間のあいだで為替レートが生じることになる。為替レートとは「その国の貨幣がもっている、諸外国の貨幣を購買する力を意味する」と、ミルはいう。したがって、為替手形の決済は為替レートにもとづいておこなわれるが、最終的に貿易差額分は貴金属をもって清算されなければならない、とミルは論じるのである。
 現在のような変動為替相場がとられていない19世紀においては、おそらく為替相場の変動はプレミアムと貴金属貨幣の送付によって処理されていたにちがいない。その実態は、残念ながら、ぼくの知識の領域を超えている。
 ミルは支払差額の清算が貨幣によってなされていたことについても触れている。だが、それをみるまえに、交易についてのミルの考え方をもう一度確認しておこう。
 こう述べている。

〈交易というものは、実体および結果においては、すべて物々交換である。商品を貨幣と引き換えに販売し、その貨幣をもって他の財貨を購買する人は、だれでも、実際はこれらの財貨を彼自身の商品をもって購買するのである。〉

 ミルは自由貿易論者であるとともに、重商主義を批判する立場をとっていた。
 いま問題になるのは、交易によって支払差額が生じる場合である。その差額は貨幣(貴金属)によって支払われるから、それは金銀の流出につながり、通貨の量に影響をもたらす。そして通貨量の変動は為替レートや物価に影響し、けっきょくは輸出入の均衡が取り戻されることになる。これがミルの考える貿易収支の均衡プロセスとみてよいだろう。
 新製品の登場や生産方法の改善などによって、輸出入の均衡は常に崩れる傾向をもっている。だが、その都度、通貨量と物価が変動し、それによって貿易に均衡がもたらされるのである。
 貨幣は貴金属からなるひとつの商品であるというのが、(きわめて19世紀的な)ミルのとらえ方である。
 かれ自身はこう考えていた。

〈国際交易においても、通常の国内交易の場合と同じように、貨幣が商業にとってもっている意義は、ただ油が機械にとり、また軌道が運輸にとってもっているところの意義と同じであって、それは摩擦を減ずる方法にすぎないのである。〉

 こうして、流通を媒介する商品である貨幣の原料(貴金属)は、交易を通じて、原産地から各国に配分され、さらに各国間の貿易を決済する手段として再配分され、物価に影響をもたらしていくことになる。
 ちょっと長くなりすぎた。国際貿易論はもう少しつづく。

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