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税制をめぐって──ミル『経済学原理』を読む(13) [経済学]

 ミルの『経済学原理』はいよいよ最終篇(第5篇)の「政府の影響について」にさしかかっている。一度には読みきれないので、何回かに分けて紹介することにしよう。
 最初にミルは、政治は社会のどの分野にまで関与するべきかと書いている。政府はもっと活動領域を広げるべきだという意見もあれば、政府の活動範囲は限定されるべきだという意見もある。そこで、ミルはまず政府の役割を、必須のものと任意のものに分けて考えてみようという。
 どのような政府にも求められる政府の必須の役割とはなんだろうか。
 ひとつは、暴力や不正にたいする保護である。人は暴力や不正から守られなければならない。基本となるのは、身体、生命、財産の保護である。それは法によって定められ、警察や裁判所など(時に軍)によって実施されるだろう。
 さらに政府は社会的な便宜をはかるため、貨幣を鋳造したり、度量衡を規定したり、道路や港湾を整備したり、街の照明をおこなったり、堤防を築いたりしなければならない。これらは社会全体の環境整備にかかわる分野である。
 それ以外の政府の役割、すなわち「普遍的承認を受けている諸機能の境界を越えた」部分について、ミルはそれを政府の任意の(英語でいったほうがわかりやすければオプショナルな)役割と名づけている。それが、はたして干渉にあたるかどうかが問われるわけである。
 ところで、政府が一定の役割をはたすためには、その裏づけとなる収入がなくてはならない。その収入は、一般に課税によってもたらされる。
 そこで、ミルは課税の一般原理について考察する。
 アダム・スミスは(1)収入に比例した納税、(2)税の明瞭性、(3)決まった納入時期、(4)徴収の簡易性の4つを租税の原則とした。これを踏まえて、ミルもまた、公平な課税、公正な負担こそが税制の原理でなければならない、と論じる。
 だが、国家は、10倍の財産をもち、10倍の税を支払う者を、10倍保護しなければならないというわけではない。政府は財産の多寡にかかわらず、国民の平等な保護につとめなければならない、とミルはいう。
 また、政府はそれぞれの収入にたいし、一律に課税する方式をとってはならない。生活に必要な最低限の所得にたいしては非課税を旨とすべきであり、課税にさいしては、その分の控除がなされなければならない。
 富の不平等を緩和する措置として、当時、イギリスでは累進税を導入するべきだという意見が盛んになっていた。だが、これにたいし、ミルはどちらかというと慎重な立場をとっている。極端な累進課税は「勤勉と節約に対して租税を賦課する」ことになりかねない。「競争者たちのすべてを公平にスタートさせるように努力し、彼らと遅い者とのあいだの距離を縮めるなどということがないのが、競争者たちに対する立法の公平性というものであろう」と述べている。ただし、相続に関しては、一定額を超える相続財産にたいしては、その額に応じて、より高い税率を適用すべきだと主張している。
 あらゆる所得にたいして、厳密に一様の取り扱いをするのが、租税の原則である。一時的所得と永続的所得とで、課税方法のちがいがあってはならない。いっぽう、所得のうちから捻出される貯蓄への課税は避けなければならない、とミルはいう。二重課税になるからである。
 さまざまな細かい論議ははぶこう。ミルは、課税の公平という観点からいえば、「人々が所有するところに比例してこれに課税してはならない、費消しうるものに比例して課税すべきである」と論じている。財産にではなく、所得にたいして課税するというのが原則だった。
 例外として、ミルは努力なしに増加する地代には積極的に課税すべきだとしている。また、資本が豊富な国においては、場合によっては、資本にたいする租税も考えられるとしている。
 ミルは課税の原則について述べたあと、租税を直接税と間接税に分け、その両方の内訳と関係について論じている。
 いうまでもなく、直接税とは納税者が直接納める税金であり、間接税とは納税者が(業者を通じて)間接に納める税金をさす。
 そこで、まず直接税についてだが、ミルは直接税の例として、所得税や家屋税(固定資産税)を挙げている。そして、ミルは所得の源泉を地代、利潤、賃金に求め、それぞれを検討するところからはじめている。
 まず、地代にたいする租税は、全額を地主が負担し、国家はその税額を地主から徴収することになる。
 いっぽう、利潤にたいする租税は、利潤を取得する資本家が負担しなければならない。ただし、利潤率が下落し、資本の蓄積がほとんどなされない状態においては「利潤に対する租税は、国民的富に対してはなはだしく有害なものになる」ことを、ミルは認めている。利潤のうちから投資に回される分には課税してはならない。
 賃金は不熟練労働者か熟練労働者か、あるいは特権的な職業についているかどうかによってバラツキがある。とはいえ、労働者が所得に応じて、租税を負担することはいうまでもない。ただし、健康な生活を送るために最低限必要とされる額以下については課税してはならない、とミルはいう。
 以上、3つの源泉にたいする課税は、所得税と総称することができる。投資分は所得とみなさず、一定額以上の所得にのみ課税するのが、この税制の特徴である。所得税は「正義という点からすれば、あらゆる租税のうちもっとも欠点の少ないものである」と、ミルは書いている。
 もっとも所得に関しては、地代や賃金、年金などは捕捉しやすいのにたいし、一時的な利得や利潤から得られる所得については、本人の申告に拠らざるをえない。そのため、虚偽の申告や帳簿上の不正が生じる可能性を否定できない、とミルは注意をうながしている。
 家屋税は、敷地と建物にかけられる税金で、日本では固定資産税と呼ばれ、これも直接税の一種である。土地や家屋にたいする賃借料は、借地人ないし借家人の負担となり、地主または家主の所得として計上される。
 イギリスの家屋税は、1851年までは、家屋が有する窓の数にたいして課せられていた。それが廃止されたあと、イギリスでは土地と家屋の評価額に応じて、いわゆる固定資産税が課されることになった。これは現在の日本と同じである。
 次に、ミルの考察は間接税へと移る。間接税の代表が商品にたいする課税である。その内訳は、物品税、消費税、関税からなる。
 間接税は一般に商品価格の上昇をもたらす、とミルは指摘する。それが特定の物品にかぎられる場合は、特定商品の価格が上昇し、消費税のような商品全般に対する課税である場合は、物価全体が上昇する。
 注意しなければならないのは、間接税によって、業者が利潤を確保するために、商品価格を課税額以上に引き上げがちなことである。一般に、価格の上昇は需要を減退させる。それによって、生産の改良が阻害される側面も生じてくる点にも注意しなければならない、とミルはいう。
 必需品にたいする課税は、労働者階級の生活状態を低下させるか、そうでなければ(つまり、労働者の賃金が相応に上昇すれば)、利潤の減少をもたらす。したがって、租税の増大は「価格の騰貴を、および利潤の下落を早め、他方、同時に蓄積の過程を阻止し、あるいは少なくとも遅延させる」ことにつながりかねない、とミルは注意をうながしている。
 ミルは、十分の一税(教会税)という、イギリスの特殊な税制についても論じているが、それを検討するのはわずらわしい。専門家の領域にゆだねることにしよう。
 いっぽう、ミルのいう差別税は産業保護のための税制ということができる。たとえば、国内の商品生産を保護するために、海外からの輸入商品に高い関税をかけるというのも差別税である。その具体例が1815年から1846年まで施行された穀物法だった。こうした差別関税は、撤廃されるに越したことはない。経済的にみれば、それは生産改良を遅らせ、労働力を浪費させるからである。しかし、いっぽうで、ミルは穀物法が廃止されたとしても、いずれ穀物価格と地代は上昇するだろうとみていた。
 輸出関税と輸入関税は、いずれも商品の価格を上げ、需要を減退させる。それによって国際貿易がどのような影響を受けるかについて、ミルはさまざまなケースを挙げて検証している。だが、これについても、こまかく見ていく必要はないだろう。ミルは、二国間の保護関税が、双方の利得にとってマイナスとなる場合もあると指摘している。国際貿易については、別途、詳しい検討を必要とするだろう。
 さらに、ミルはその他の雑税として、印紙税や不動産取引税、広告税、新聞紙税、司法手数料、道路税、その他を挙げており、それらのうちには廃止するのが望ましいものも多いと述べている。
 興味深いのは、ミルが税制としては直接税と間接税のどちらがよいかを論じていることである。イギリス人は税を直接支払うという行為が嫌いだ、とも書いている。これはイギリス人にかぎらないだろう。そのいっぽう、イギリスでは間接課税は日に日に理解されるようになっているという。
 ミルの時代、イギリスではもはや直接税だけでは歳入をまかないきれなくなっていた。そのため間接税も導入され、さらに足りない分を国債でおぎなうかたちが恒常化していた。歳出のなかには浪費も多く、それを節約して教育などの公共サービスに回す必要性もミルは認めている。
 しかし、無駄を省きながら予算規模を増やすには、もはや間接税に頼る以外にないだろう、とミルは考えていた。直接税のうち、地代や相続にたいする増税はともかくとして、所得や不動産への税を強化することには、強い抵抗があった。
 ただし、むやみやたらに間接税を増やせばよいというものではなかった。物品にたいする課税は公平でなければならないし、生活必需品はできるだけ非課税とし、奢侈品には高率の税を課してもよい。間接税の原則は、生産者にではなく消費者に税の負担を求めることである、とミルはいう。
 ただし、間接税は直接税とちがい、水平的な税となる。「けだし比較的に税収の多い租税の対象となる物[たとえば、茶、コーヒー、砂糖、たばこ、アルコールなど]は、割合からいえば、富裕な人々よりも、むしろ社会の比較的に貧しい人々によって、より多く消費されるものである」と、ミルは書いている。
 ここで、ミルは弊害の多い内国消費税ではなく、対象を限定した物品税を勧めている。そのことは、「課税は、多数の物品の上に分散せず、むしろ少数の物品に集中し、それによって徴税費の増大を防ぎ、かつ干渉を受けて少なからぬ負担と困惑を感ずる事業部門の数を及ぶかぎり少なくすべきである」と述べていることからもわかる。
 関税については、保護関税となるのを避け、その国で生産できないものに限定して課税すべきである。また物品税は、密輸や脱税の誘惑をもたらすほど高率にしてはならない、とも述べている。
 税制についてのミルの論議は、いまでは常識に属するだろう。しかし、『経済学原理』(正確には『政治経済学原理』)が書かれたのが、江戸時代末期だったことを考えれば、イギリスにくらべ日本の国家体制が遅れていたことを、あらためて痛感しないわけにいかない(しかし、ほんとうに遅れていたのだろうか)。
 さらに、ミルの時代、すでに国家は軍事、治安だけではなく、公共サービス面での役割を果たすべきものと考えられるようになっていた。アダム・スミスの時代とは、国家の様相がだいぶ変わりつつあった。
 長くなったので、今回はこのへんでおしまい。
[諸事情が重なって、最近はいなかの高砂に帰ることが多くなり、ブログの更新もとどこおりがちです。ご了承ください]

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