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物々交換の神話──グレーバー『負債論』を読む(2) [本]

 安直な気持ちで読みはじめたが、途中で、これは手に負えないと気づいた。
 しかし、乗り出した船である。途中で投げだす可能性は高いが、ともかく最後まで目をとおそうと思っている。まだ2章にはいったところである。
 前回、負債の特徴は、それが貨幣で計算され、貨幣で返済を義務づけられることだと書いた。すると、負債の歴史は、貨幣の歴史にほかならないことになる。
 経済学では、貨幣は物々交換から生まれたとされるのが一般的である。
 ほんとうにそうだろうか、と著者は疑う。
 なぜなら、双方の欲求が一致しなければ成立しない、物々交換ほどむずかしいやりとりはないからだ。ところが、経済学では、その不便さを解消するために貨幣が生まれたというのだ。
 紀元前330年ごろ、アリストテレスはすでにこう考えていた。もともと家族は必要なものをすべて自前でつくっていた。ところが、たとえば、ある人は穀物だけをつくるようになり、ある人はワインだけをつくるようになって、たがいに商品を交換しあうようになり、そのための道具として貨幣が登場したのだ、と。
 アダム・スミスの『国富論』の展開も、アリストテレスのこうした考えを引き継いでいる。
 ところが、スミス以前の大航海時代に、スペインやポルトガルの冒険家が世界じゅうを探査しても、物々交換をじっさいにおこなっている場所は、どこにも発見できていなかったのである。
 にもかかわらず、アダム・スミスは、効率的につくられた商品を交換するために貨幣が必要になったという理論を立てた。そして、スミスをより深化させたマルクスも、商品から貨幣が生まれ、貨幣から資本が生まれたと考えた。
 分業によって、さまざまな職業や役割が生まれ、商品がつくられ、貨幣を媒介として、多種多様な商品が交換され、社会が発展していくというのが近代の商品世界の考え方である。
 当初、貨幣には塩や貝殻や干鱈、たばこ、砂糖、釘などが用いられることもあった。しかし、次第に金属、さらには鋳貨が貨幣として用いられるようになり、次に紙幣が登場して、信用が発達し、金融システムが形成されていく。
 これが経済学のとらえ方だ。
 しかし、それはほんとうなのだろうか。
 著者はここで人類学の知見を導入し、そもそも物々交換など存在しなかったと論じる。
 ルイス・ヘンリー・モーガンは、19世紀半ばに北アメリカのイロコイ6部族連邦を調査し、ロングハウス(いわば長屋)に、ものが貯蔵され、女たちの話しあいによって、それらが分配される様子を記した。
 ここでは、ものの分配はあったが、物々交換などはなかった。
 そして、交換がなされる場合も、やっかいな手続きを必要とするのだ。
 レヴィストロースはブラジルのナンビクワラ族どうしの交換について記述している。ふだん100人ほどの集団(バンド)でくらすかれらは、相手の集団と交易をおこなう場合、まず宴会を開く。そこで相手の持ち物(たとえば首飾りや斧)をほめ、さまざまな駆け引きをつうじて、最後はそれをもぎとるのだという。
 交換といっても、生やさしいものではない。それはにぎやかな宴会のなかでおこなわれるが、一歩まちがえれば戦争状態に転じかねない雰囲気さえただよっている。
 それは、物々交換というより、贈与の強制といった趣がある。
 オーストラリアのグヌィング族は、キャンプの宴会で、歌ったり踊ったりしながら近隣の部族と、ものを交換しあう。それは性の饗宴でもあり、そのなかでビーズやたばこが循環し、布地が与えられる。つまり、宴会があって、はじめて交易がなされるのだ。
 部族間でものが交換されるのは、日常的なことではない。
 著者はこう書いている。

〈ある物をべつの物と直接に取り替えて、そこからありうるかぎりの利益を引きだそうとするようなふるまいは、ふつうどうでもよい人間、二度と会うこともない人間との関係の様式である。……それに対して、隣人や友人というような気がかりな相手には、公平で親切な交流を求め、その人の個人的な必要、欲望、状況に配慮するだろう。ある物をべつの物と交換するにせよ、それを贈与とみなしたがるはずだ。〉

 交換はよそよそしい。むしろ贈与が基本である。経済学が出発点とする物々交換は、現代社会の交換関係を抽象化し、人類社会一般に投影した幻想でしかない、と著者はいう。
 贈与というのは、相手からほしいものをもらい、相手にほしいものをあげるという一方的な関係である。その時点で、交換は成立しない。いつかお返しをすればよいのだ。それが、部族社会のあり方だ。
 だとすれば、ここに貨幣がはいりこむ余地はない。
 著者はこう考える。

〈物々交換がことさら古い現象ではないこと、真に普及したのは近代においてはじめてであること、実のところ、そう考えるには正当な理由がある。知られているほとんどの事例において物々交換の起きるのは、貨幣の使用に親しんでいるが、なんらかの理由でそれをふんだんにもちあわせていない人たちのあいだにおいてなのだ。手の込んだ物々交換のシステムの出現するのは、しばしば国民経済が崩壊するときである。〉

 日本でも、敗戦直後、都会の主婦は着物をかついで、村に買い出しに出かけたものだ。
 かつてニューファンドランド島では、出稼ぎの漁師が干し鱈を商人に渡して、商人から必需品をもらうという、一見、物々交換のような場面がみられたことがある。だが、それは物々交換だったのだろうか。
 じつは、ニューファンドランドでは、決定的に硬貨が不足していた。そこで、商人は干し鱈の市場価格を計算したうえで、それを受け取り、漁師に必需品を手渡したのである。まるで干し鱈を貨幣に見立てたかのように、物々交換が発生したのだが、実際にここでおこなわれていたのは、一種の信用経済にほかならない、と著者はいう。
 歴史を振り返れば、貨幣が発生したのは、紀元前3000年ほど前、メソポタミアのシュメール文明においてである。
 そのとき貨幣は、神殿を中心とした都市国家を維持するために、官僚たちによって発明されたのである。
 その貨幣は、都市国家内部の貯蔵物資を管理したり、さまざまな部門で物資をやりとりしたりするために用いられた。
 したがって、スミスのいうように、貨幣は商品の自然な取引のなかから生まれたわけではない、と著者はいう。
 まとめを紹介しておこう。

〈物々交換からはじまって、貨幣が発見され、そのあとで次第に信用システムが発展したわけではない。事態の進行はまったく逆方向だったのである。わたしたたちがいま仮想貨幣(ヴァーチャル・マネー)と呼んでいるものこそ、最初にあらわれたのだ。硬貨の出現はそれよりはるかにあとであって、その使用は不均等にしか拡大せず、信用システムに完全にとってかわるにはいたらなかった。それに対して物々交換は、硬貨あるいは紙幣の使用にともなう偶然の派生物としてあらわれたようにみえる。歴史的にみれば物々交換は、現金取引に慣れた人びとがなんらかの理由で通貨不足に直面したときに実践したものなのだ。〉

 なかなか説得力がある。

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