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資本主義帝国の時代──グレーバー『負債論』を読む(10) [本]

 1450年ごろから大航海時代がはじまる。この時代の特徴は、貨幣が金銀へと回帰し、近代科学、資本主義、国民国家が台頭したことだろう。
 1347年以来、ペストが何度も襲来したことにより、ヨーロッパでは労働者人口が3分の2に激減していた。商業経済は衰えた。だが、皮肉なことに、経済が回復するにつれて、労働者の賃金は上昇し、祝祭的生活は全盛期を迎える。
 だが、その後、締めつけがはじまる。1500年から1650年にかけて、イングランドでは物価が500%上昇する。いっぽう賃金上昇率は緩慢だった。著者によると、この間、労働者の実質賃金はかつての半分以下になったという。
 いわゆる「価格革命」が生じていた。1520年から1640年にかけ、メキシコやペルーから途方もない金銀が流入したのが、価格革命をもたらす原因だった。だが、実際には銀地金はそっくり中国に流出していたのだ。
 中国では、1271年にモンゴル人の元王朝が成立したあとも、紙幣制度は維持されていた。その元が倒れると、1368年に明が成立する。明は農村共同体の復興を政策理念としてかかげ、農民、職人、兵士の身分を固定するいっぽうで、道路や灌漑、運河への大規模な投資をおこなった。そのため、農業への課税は強化され、逃散する農民が増大した。
 土地を追われた農民たちは行商や芸人、山賊、海賊などになる道を選んだ。鉱山に向かう者もいた。当初、政府はかれらを取り締まろうとしたが、ついにあきらめ、「市場を奨励しながら資本の過度の集中を予防する」という古くからの政策に立ち戻った。紙幣の発行は停止され、銀地金を公認通貨とし、民間造幣局にも現金発行権限が与えられた。
 その結果、市場は好景気に沸いた。中国の人口は激増したが、生活水準も向上した。問題は銀が圧倒的に足りなかったことである。まもなく、中国は銀の供給先をヨーロッパと新世界に求めることになる。
 ローマ時代以来、ヨーロッパは絹や香辛料などを手にいれるため、東方に金銀を輸出してきた。その構造は近代になっても変わらなかった。新大陸での金銀の発見は、たちまちヨーロッパに価格崩壊をもたらす。この時点で、中国からの需要がなければ、アメリカの植民地計画はただちに失敗していただろう、と著者はいう。

〈16世紀後半には、すでに新大陸の銀の90パーセントにあたるおよそ年間50トンの銀を中国は輸入していた。17世紀初頭にはそれが97パーセントにあたる116トンとなる。その銀への支払いのために、大量の絹や陶器、その他中国産の製品の輸出が必要になった。……このアジア貿易が新生グローバル経済にとってただひとつの最重要の要因となった。そしてこれらの金融手段を最終的に統制する者たち──とくにイタリア、オランダ、ドイツの商人、銀行家たち──が途方もない富を手に入れたのだった。〉

 ヨーロッパだけでは、世界全体の流れを理解できない。
 南北アメリカから大量の金属がはいったにもかかわらず、ヨーロッパでは通貨が不足気味だった、と著者は書いている。日常生活は割符や約束手形で間に合った。だが、税金の支払いには硬貨が必要だった。
 金銀を統制していたのは、政府、銀行家、大商人にほかならない。価格革命は、共有地の囲い込みをもたらした。それにより、農民たちは村から逃亡するか、強制的に海外植民地に送られるか、国の工場で働くかのどれかを選ばなければならなくなった。
「地金による貨幣の新体制は、ほとんど前代未聞の暴力の行使を通じてのみ押しつけることが可能になったものである」と、著者は述べている。
 ヨーロッパ人の進出した南北アメリカでは、疫病と鉱山での強制労働によって、先住民が次々と死んでいった。
 その前に、コルテスは1518年にアメリカ本土に侵攻し、世界史上最大の窃盗行為をおこない、各地を支配していた。
 著者はいう。

〈一方の、あらゆるリスクをも辞さぬ覚悟をもった恐れ知らずの冒険者と、他方の、すべての行動の基準を着実かつ正確そして冷徹に収益を増殖させることにおく計算高い投資家のあいだにみられるおなじ関係こそ、現在「資本主義」と呼ばれるものの核心部分に位置している。〉

 インディオたちに負債を押しつけ、かれらを負債懲役人にしていくヨーロッパ人のトリックは次のようなものだった。
「重税を要求する、支払いできない者に利子付きで金を貸す、それから働いて金を返せと要求する」──植民地では、こうした慣行が蔓延していた。
 教会が高利を禁止したのは、貨幣が人のモラルを破壊する力をもっていることを知っていたからだ。貨幣のもとでは、人間関係すら費用便益計算の問題に化してしまう。
 アジアでは、どうだったのだろう。
 東インド会社はまさしく「利潤以外のあらゆるモラルの命法を排除することを意図した形成物」だった、と著者はいう。自分のカネならともかく、会社のカネをおろそかにできないというのが、資本の冷酷で貪欲な倫理となった。

〈新たに台頭してきた資本主義的秩序のもとでは、貨幣の論理に自律性が与えられた。政治的・軍事的権力は、徐々にその貨幣の論理の周辺に再編成されるようになる。これこそが、国家と軍隊をそもそも背後に抱えていなければ決して存在しえぬ金融の論理だったのだ。〉

 ここで、著者は最初高利を批判する猛烈なキャンペーンをくり広げて人気を博したルターが、1525年の農民暴動をへたあと、大きく転回をとげたことを紹介している。
 ルターはいう。福音書が書きとめているのは理想であって、罪深い生き物である人間には法律が必要であり、高利はともかく、4、5パーセントの利率なら認められるべきだ、と。そして、人に借りたものは、返さなくてはならない、と。
 まもなく、プロテスタントのすべての宗派は、理にかなった利率は罪深いものではないという共通認識をもつようになった。
 こうして、「金銭の増殖はいまや不自然であるどころか期待されて当然のものとなった」。しかも異邦人にたいしてならば、高利も、いかなる搾取も許されるというお許しがでた。
 そこからは、ドイツ・ルネサンス期の「狂王」カジミール(1481−1527)のような人物も登場してくることになる。
 かれはカネを集めるために、自分の領民に暴虐のかぎりを尽くした。
 カジミールの狂気の正体を、著者は次のように解説する。
「その心理とは、じぶんのまわりに存在するものすべてを金銭に変えねばならないという狂わんばかりの焦燥であり、そしてそのようなことをせねばならない人間に貶められたことに対する憤怒と義憤である」
 これは現代人の狂気とも通じるのかもしれない。

 共同体は相互扶助から成りたっている。それは農村共同体でも、貴族社会共同体でもいえることである。信用が野蛮で計算づくのものになるのは、むしろ見知らぬ者どうしだからだろう。
 16世紀の庶民は金や銀の硬貨を使っていたわけではなかった。ふだんの買い物は、近所の商店が発行していた鉛や木でできた代用貨幣で間に合ったのだ。
 肉屋やパン屋、靴屋などからはツケで買うことができた。隣人どうしでは、たがいに貸し借りがあり、どこかの時点で、硬貨なり現物なりで、清算をすればよかった。現金でものを買うのは、通りすがりの旅人か見知らぬ人である。ただし、家賃と税金は現金で支払わねばならなかった。
 市場はほんらい相互扶助の拡張の場、言いかえれば日常的コミュニズムの場であって、現金取引の場ではなかった、と著者はいう。
 ホップズの時代になって、新しい哲学が生まれた。ホッブズが強調したのは「自己利益」という概念である。18世紀まで、人間生活のすべては自己利益によって説明できるという考え方は受け入れられなかった。
 だが、それは次第に受け入れられるようになる。そして、人を動かしているのは感情ではなく、合理的な計算だというとらえ方が、根づくようになる。愛は利益へと置き換えられる。その利益とは、けっきょくのところ「増殖をやめることのない貨幣の追求」以外のなにものでもなかった、と著者はいう。

〈資本主義の起源の物語は、市場の非人格的力による伝統的共同体の段階的解体の物語ではないのである。それはむしろ、信用の経済がいかにして利益の経済に転換されたかという物語であり、非人格的──でしばしば報復的──な国家権力の侵入によってモラルのネットワークが変容させられてゆく物語なのだ。〉

 資本主義は市場の外部、すなわち国家権力の側からやってくる。
 伝統的な村は、できるだけ司法制度に訴えるのを避けるきらいがあった。それは、当時の法律がはなはだ苛酷だったからでもある。
 だが、16世紀終わりに利子が合法化されるとともに、債権者が裁判所に訴える事例が一気に増えてくる。債務者監獄の恐怖が、だれをも苦しめるようになった。こうして硬貨がモラルの座に躍りでる。
 アダム・スミスは、だれもが現金を使うユートピアをえがいた。だが、それはスミスの時代の現実ではなかった、と著者はいう。
 スミスは「相互扶助のエートス」を切り捨てるとともに、「競争的で利己的な市場に形成に実際に貢献してきた暴力と赤裸々な復讐心」を無視している、と著者は批判している。

 次に論じられるのが、紙幣についてである。
 経済学者のあいだでは、貨幣とは金銀だという見解が一般的だ。だが、テューダー朝でもステュアート朝でも、民衆のあいだで用いられていたのは信用システムだった、と著者はいう。
 それでは、紙幣はどこから生じたのだろうか。為替手形が裏書されて流通し、そこから紙幣が生じたと解釈できるのだろうか、と著者は問う。
 そうではなかった。紙幣をつくったのも、やはり国家なのである。
「近代的金融手段の歴史そして紙幣の究極の歴史は、地方債発行とともにはじまった」と、著者はいう。ヴェネツィア政府は12世紀に市民に強制融資を課し、国債を発行した。この債券が、いわば紙幣として流通するようになった。
 国債は、いわば税の支払いの前倒しだった。そして、この負債が現金化されるときに、通貨が流通するという逆の流れが生じたのだ。
 16世紀には、政府のさまざまな債券が信用貨幣になっていた。著者はそこに「価格革命」の起源を求めている。
 新世界から到着した地金は、セビーリャからそのままジェノヴァの銀行家の金庫に向かい、そこから東方に送られた。銀行家は地金を担保にして、皇帝に融資をおこなっていた。そして、政府はこの融資をもとに、証書を発行していた。その手形がインフレを引き起こす要因になったというわけである。
 はじめて生粋の紙幣が発行されたのは、1694年にイングランド銀行が設立されたときである。その紙幣はもとはといえば、王による負債であった。ロンドンとエディンバラの商人は、フランスと戦争をする王に融資をおこない、その見返りとして銀行券を発行する会社設立の許可を求めた。著者によれば、「その銀行券は、事実上王が彼らに負っている額面の約束手形だった」。
 そのころのイギリスの通貨は、哲学者ジョン・ロックの提案──通貨を回収し、かつてとおなじ価値に再鋳造すること──によって大混乱し、イギリス社会は大不況に陥っていた。全体的に状況が改善されるようになるのは、紙幣と小銭が広範に利用できるようになってからである。そして、大混乱をへたあと、肉屋やパン屋などとの日常的取引も小銭でおこなわれるような世界が徐々に形成されていった。
 バブルの歴史もはじまっている。オランダでの1637年のチューリップ・バブル、1690年代のロンドン市場のバブル、1720年代の南海泡沫事件、そしてジョン・ローの設立したフランス王立銀行の崩壊(ミシシッピ計画の失敗)へと、人びとがカネに振り回される事件があいついだ。
 人が貨幣を信じなくなれば、紙幣はたちまち紙切れになってしまう。
 ホッブズは「市場は存在できるとしたら、約束を守り他人の財産を尊重するよう強制する絶対主義国家の庇護のもとでのみである」と信じていた。だからといって、国家があれば、このシステムがいつまでももちこたえるとはかぎらない、と著者は考えている。というのも、国家こそ、金融の混乱をもたらす元凶になりうるからだ。
 けっきょく資本主義とはなんだろうか。
 資本主義といえば、ふつう人は産業革命以降、とりわけ19世紀以降の産業資本主義を思い浮かべるかもしれない。だが、著者は、資本主義を形づける金融システムはすでにずっと前からできあがっていたという。
 資本主義は継続的で終わりのない成長を必要とする。企業も国家も成長しなくてはならない。そのためには5パーセント程度の経済成長が必要だとだれもが思っている。それは一種の強迫観念のようなものだ。
 そうした観念が生まれたのは、19世紀はじめではなく、むしろ1700年ごろを起点とする近代資本主義の黎明期だった、と著者はみている。そのときすでに信用と負債からなる巨大な金融装置が生まれていた。
 その装置のもとで、イギリスの東インド会社は、軍事力と貿易を背景にインドを制圧し、中国に触手を伸ばした。だが、その前に、スペインとポルトガルがつくりあげた世界市場システムが、すでにアメリカを征服し、アフリカからアメリカに奴隷を送りこんでいたのだ。
 その背景には、人を負債の罠にはめ、がんじがらめにしてしまう金融システムの構造があった。「資本主義はいかなる時点においても『自由な労働』をめぐって組織されていたことなどなかった」と著者はいう。
 さらに、こうも述べている。

〈わたしたちの資本主義の起源についての支配的なイメージは、あいかわらず産業革命下の工場で苦役するイングランドの労働者であって、このイメージからシリコンバレーまで一直線の発展としてたどることができると考えられている。ところがここからは、無数の奴隷、農奴、苦力、負債懲役労働者は蒸発してしまっているのである。〉

 いうまでもなく、著者が資本主義にいだいている第一のイメージは、無数の奴隷、農奴、苦力、負債懲役労働者をつくりだすシステムである。
 自由な労働者は、ユートピア的な構想のもとで描かれた理想像でしかない。著者によれば、マルクスの労働者ですら、一種の理念だった。「彼[マルクス]の時代のロンドンには、工場労働者よりも、靴磨き、娼婦、執事、兵士、行商人、煙突掃除夫、花売り娘、路上音楽家、服役囚、子守り、辻馬車の御者などの方がはるかに多かった」のだ。
 著者は、資本主義が「政治的自由、科学技術の進歩、大衆的繁栄」をもたらしたという見方に同意しない。それらの進歩は、資本主義とは別次元の話であって、資本主義がなくても生じえたことだという。
 それよりも、著者は、労使協調システムを構想した途端に、資本主義というシステムはがらがらと崩壊しはじめるという見通しをいだいている。
 その予感は「黙示録」と名づけられている。
 フランス革命は新しい思想をもたらしたとされる。社会は望ましい方向に変化し、社会の発展を政府が管理し、その政府の正当性を人民が認証するというのが、その考え方だった。
 ところが、その思想を深めているさいちゅうに、フランスの哲人たちがほんとうに懸念していたのは、デフォルトと経済崩壊によって、文明が破壊されてしまうのではないかということだった、と著者は述べている。

〈実際に破局が起こるとして、それはどんなものになるのか。貨幣は無価値になるのだろうか? 軍事体制が権力を把握し、ヨーロッパ中の体制がおなじようにデフォルトを強制され、将棋倒しに果てしのない野蛮と暗黒と戦争へと大陸を沈めていくのか? 多くの人びとは、革命自体のはるか以前にテロルの見通しを立てていた。〉

 そして、いまも資本主義はこうした時限爆弾の恐怖につきまとわれている、と著者は述べている。

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