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なにがはじまろうとしているのか──グレーバー『負債論』を読む(11) [本]

 1971年8月のニクソン・ショックによって、ブレトン・ウッズ合意は崩れ、変動通貨体制がはじまった。その結果、ドルの価値は暴落し、長期のインフレが引き起こされた。
 とはいえ、いまでも、世界の金の5分の1から4分の1にあたる5000トンの金は、アメリカのフォートノックスと連邦準備制度理事会の金庫に保管されているらしい。
 現在は過渡的な時代だ、と著者はいう。これからどうなっていくのか、先は見通せない。
 戦争と軍事の役割は、ますます強まっている。
 そもそも、近代の貨幣は政府債務に基盤をおいている。そして、政府が債務を調達するのは、おもに戦争のためだった。ニクソン政権がドルの為替レートを変動させたのも戦費調達がその背景にあったという。
 アメリカはいまでも世界でずぬけた軍事費を支出している。その目的は、グローバルな権力の掌握である。
「世界における合衆国の軍事的支配の本質は、……望むならば、2、3時間のあいだに、地球上のどの地域をも絶対的に爆撃することができること[空軍力]にある」と著者は指摘する。
 変動為替制になっても、ドルが基軸通貨であることに変わりなかった。むしろ、ドルに振り回される通貨体制ができあがっている。
 サダム・フセインが2000年にドルからユーロに通貨体制を転換すると、アメリカはただちにイラクへの爆撃と軍事侵略で応えた。「あらゆる帝国の組み立ては、つまるところ、テロルに基礎づけられている」と、著者はいう。
 なにかがはじまっている予感は、仮想通貨の広がりにおいてもみられる。VISAとマスターカードが登場したのは1968年だが、本格的にキャッシュレス経済がはじまったのは、1990年代になってからだ。そして、いまサラリーマンはローンの返済に追われる。かれらは、自分たちがあくせく働かねばならないのは、ローンのためだと思っている。
 いまはどういう状況にあるか。アメリカの軍事力は巨大なのに、はるかに弱体な勢力を倒せないでいる。ライバルの中国やロシアを圧倒することもできなくなった。好き勝手に通貨を創造しようとした力は、数兆ドルの支払い義務を累積させ、世界経済を全面崩壊寸前にまで追いつめてしまった。
 アメリカの長期国債を支えているのは、おもに日本と中国だ。とりわけ中国の役割が見逃せない。著者は「中国の視点に立ってみると、まさにこれは合衆国を伝統的な中国の従属国[冊封国]にしていく長期の過程の第一段階であると考えることに、それほど無理はない」というが、これはちょっと買いかぶりすぎだろう。だが、いずれにしても米国債にたいする中国と日本のスタンスには、大きなちがいがある。
 2008年の大暴落は信じがたいほどの詐欺だった、と著者はいう。
 戦後のケインズ時代の到来によって、階級闘争は一時停戦となり、生産性の上昇と賃金の上昇がみられ、消費者経済の基礎がつくられた。同時に景気の停滞期に需要を刺激する方法として、政府は「無」からの貨幣の創造を促進させる政策をとった。だが、それでも経済的平等がもたらされることはなかった。
 1970年代後半以降、サッチャー、レーガン政権が誕生すると、ケインズ主義は終焉を迎え、生産性と賃金の連動性は失われ、賃金は停滞するか、低落していった。
 マネタリズムによって、貨幣は投機の対象と化してしまう。そして、賃金が上昇しないなか、労働者はクレジットカードをもつようになり、サラ金にはまり、住宅ローンに追われるようになった。こうした新しい体制は「金融の民主化」あるいは「日常生活の金融化」と呼ばれている。この世界の最大のモラルは「借りを返せ」だ、と著者はいう。
 無から価値を生みだす投資家は正義であり、債務者は自己否定により罪を償わなければならないことになっている。だが、個人の負債は、はたして放縦が原因なのだろうか。いまや万人が負債をかかえている。
 カネを借りなければ、まともな生活などできないのだ。家族のために家を、仕事のために車を、パーティのために酒や音響システムを、友達に贈り物を、結婚式や葬式にカネをかけてはいけないのだろうか。じぶんたちも投資家とおなじように、無からカネをつくりだしてもいいはずだ。どんどんカードをつくり、どんどんローンを借りればいいのだ。
 だれもが罠にはまった。その結果が2008年のサブプライム危機である。だが、このとき政府が救済したのは一般市民ではない。金融業者は税金で救済されたのだ、と著者はいう。そして、一般の債務者には、自己破産という苛酷な仕打ちが待っていた。
 資本主義は実際に終わりそうだという見通しに直面した。にもかかわらず、われわれはよりましなオルタナティブを想像することができないため、いまあるものにひたすらしがみついている、と著者はいう。いや、むしろ、そうしたオルタナティブを封じるために、体制側は恐怖と愛国主義をあおり、銃(軍備)と監視の社会をより強化しようとしている。
 にもかかわらず、統制不能の破局が生じる可能性は低くない。
 だからこそ、われわれは民衆のひとりとして、歴史的な行為者になることを求められている、と著者はいう。そのさいの新しい理念はどこにあるのだろうか。
 コミュニズムや愛をいっても仕方ない。それらは別の新たなヒエラルキーを築くことになるだけだ。負債のモラリティは、好むと好まざるにかかわらず、世界をカネになるかどうかで見る視点を植えつけている。現在の経済秩序は、次々と世界を征服することによってしか、負債を返せないというモラルをつくりだしてしまった。そこに秘められているのは、自己破壊衝動でしかない。
 だとすれば、「いまは真の問いは、どうやって事態の進行に歯止めをかけ、人びとがより働かず、より生きる社会にむかうか、である」と、著者はいう。
 最後に著者は、国際的債務と消費者債務に特赦を求める。金銭はけっして神聖なものではない。借金は返さなければならないという原理は、はれんちな嘘だ、という。すべてを帳消しにし、再出発を認めることこそが、「わたしたちの旅の最初の一歩なのだ」と述べている。
 2011年出版の本書には、2014年の新版にさいし、みじかいあとがきが追加されている。
 本書の目的のひとつは「未来への視座」を拡張することにあった、と著者は書いている。そのために歴史をさぐることが必要だった。そして300年前においてさえ、「経済」なるものは存在しなかったという。
「現実に生きていた大多数の人びとにとって、『経済的事象』とは、政治、法、家庭生活、宗教と呼び習わされている幅広い事象の一つの様相にすぎなかった」。それがいつのまにか、経済、経済の世の中になってしまった。
 本書『負債論』は大きなインパクトを与えた。2011年のウォール街占拠運動を支える理論的根拠ともなった。学生の奨学金負債問題にたいしても、新たな運動を立ちあげるきっかけも与えた。
 2014年のあとがきで、著者はこう述べている。

〈「経済」と呼ばれるなにかが存在するという思想は比較的新しいものである。まさに今日、生まれた子どもたちは、もはや「経済」がなく、それらの問題がまったく異なった言語で検討される日を経験するだろうか? そのような世界はどのようなものだろうか? わたしたちの立っている現在の地点からは、そのような世界を想像することさえむずかしい。だが、もしわたしたちが、一世代かそこらのあいだに人類全体を一掃してしまう危険のない世界を創造しようとするならば、まさにそのような規模でもろもろの事柄を想像し直しはじめねばならないだろう。〉

 世界を想像し直すことを求めて、本書は終わる。難解だが、ラディカルな本だ。
 あらっぽいまとめにすぎないが、とりあえず、全体の内容をかいつまんで紹介してみた。

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