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『日本の歴史をよみなおす』雑感(1) [くらしの日本史]

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 網野善彦は前から読みたいと思っていたのに、この齢までつい読みそびれてしまった。網野の本は何冊も買ってあるのに、いまだにツンドクのままだ。いや、ひょっとしたら、ぱらぱらと読んだものもあるのかもしれない。情けないことに、それすら忘れてしまっている。
 先日、つれあいの調子が悪いというので車で病院に連れて行き、どうせ検査の待ち時間が長かろうと思って、書棚から手ごろそうな『日本の歴史をよみなおす』(ちくま学芸文庫)を取りだして、ながめてみることにした。2回病院に通ううちに半分ほど飛ばし読みし、残りは家でうとうとしながら目をとおした。
 でも、なにが書いてあったか、もうあらかた忘れてしまっている。困ったものだ。そこで、もう一度、本をぱらぱらとめくりながら、メモなりともとっておこうと思った次第だ。
 網野によると、日本の歴史は14世紀の南北朝動乱期をはさんで大きくわかれるという。そして、15世紀以後はわれわれも何となくわかるが、13世紀以前になると、常識が届かぬ異質な世界になってしまうという。だから、日本史にとって14世紀はだいじな時代なのだ。網野の専門は中世史である。加えてこの人には民俗学の知識がある。それが独自の網野史学、あるいは網野社会史を切り開く素地となったのだろう。
 ぼく自身がわりあい知っているのは、江戸時代以降の歴史である。これまで山片蟠桃や渋沢栄一、柳田国男の評伝を書いてきた(海神歴史文学館を参照)。しかし、江戸以前は高校時代の日本史で教えてもらった程度で、それもほとんど覚えていない。これまで、あまり網野善彦を読んでこなかったのも、意識的に近世以前の歴史をオミットしてきたためかもしれない。
 しかし、断捨離の時期である。といっても、本の整理はまったく進んでいない。つれあいや娘に迷惑をかけたくないから、からだが動くうちに、すこしでも本の片づけをしておきたい。もっとも、つれあいは、お父さんが死んだら、全部ぱっと捨てるから、何も心配はないという。まあ、それでいいのかもしれない。ツンドク本を読むのは、自己満足のためのようなものだ。
 なにはともあれ、網野善彦である。
 日本で村(集村)ができたのは室町時代の14世紀後半以降からだ、というのはちょっと驚く。町もそうだという。それまでも村や町(市場)らしきものはあったが、安定したものではなく、できたり消えたりしていた。
 最初に町ができる場所は港(津、泊[とまり])や川の中洲だった。そして、町と村がきちんとしたかたちで成立するのは、15世紀、16世紀になってからだ。
 ところで、網野史学の醍醐味は、さまざまな常識に疑問を投げかけたところにあるとみてよいだろう。そのひとつが、少なくとも江戸時代まで日本は農業社会だったという常識である。網野はこれに疑問を投じる。
 よくいわれることだが、江戸時代の人口構成は、ほぼ8割が百姓で、1割が武士、同じく1割が町人だとされている。ふつう、百姓とは農民のこととされるから、日本は農民が大多数を占める農業社会だったと理解される。
 しかし、網野にいわせれば、この百姓というのがくせものなのである。百姓には農民だけでなく、山の民や海の民、すなわち廻船や漁業、塩業、その他さまざまな仕事に従事する人も含まれているのだ。まさに百の姓(かばね)なのだった。
 網野がこのことに気づいたのは、奥能登の時国家を調査したときだったという。時国家は豪農として200人くらいの下人をかかえていた。大規模な水田を経営していたのはとうぜんだが、それにとどまらず、じつに多角経営を展開していたのである。浜で塩をつくり、山で炭も焼いていた。鉱山も経営していた。
 特筆すべきは、時国家が手広く廻船業をいとなんでいたことである。松前から昆布を大坂に運び、塩を松前に売り、炭を全国に運び、金融業にも手をだしていた。多角的企業家といってもよい。しかし、身分は百姓である。
 さらに、網野は水呑(頭振)と呼ばれた層にも注目する。ふつうは自前の田をもたない貧農ないし小作人と理解される。ところが、能登の柴草屋は廻船業者でありながら、身分的には年貢を賦課されない水呑とされていた。つまり、村に住んでいて、土地をもてなくても、土地をもつ必要もない人も、一律に水呑と区分けされていたことになる。
 こうして網野は、能登の村民、すなわち百姓が農業にかぎらず、手広く商売をいとなみ、ものづくり(たとえば漆器や素麺の製造)に従事していたことを実証したのである。
 能登は日本海交易の拠点だった。だが、百姓が商売をしていたのは、能登だけではない。日本全国がそうだったといえるだろう。そうなると、江戸の終わりまで、日本が農業社会だったという見方は思い込みだったということになる。
 そもそも村を農村と考えるのがまちがいなのだ。
 市場や観光の拠点として、事実上、町だといってもよい村も多かった。
 それに百姓の年貢も米とはかぎらなかった。絹、布、塩、鉄、紙、油なども年貢として納められている。
「江戸時代に町と認められたのは、城下町、それに堺や博多のような中世以来の大きな都市だけで、実態は都市でも、大名の権力とかかわりのない都市は、すべて制度的には村と位置づけられています」と、網野は語っている。
 ほんらい百姓には農民という意味はなく、それは庶民全般をさすことばだった。だが、日本の伝統的国家は租税の基礎を水田におき、近世になると石高制を採用したために、農本主義的なイデオロギーに染めあげられた。そのため非農業的な生業にも携わる庶民の姿が無視されて、画一的に農民として把握されてしまったのだ、と網野はみている。
 ところで、日本の社会に金属貨幣が流通しはじめるのは13世紀から14世紀にかけてだという。それまでも8世紀から10世紀にかけ、和同開珎をはじめ、さまざまな銅銭や銀銭(いわゆる皇朝十二銭)が鋳造されていたものの、それらは流通しなかった。皇朝銭は庸や調などの租税、あるいはまじないとして利用されたのにとどまる。そのころ交換手段として用いられていたのは、もっぱら米や絹だった。
 10世紀になると、政府の弱体化により日本では貨幣が鋳造されなくなる。ところが12世紀から13世紀にかけ日中貿易が盛んになると、宋から大量の貨幣がはいってくる。そして13世紀後半から14世紀にかけ、宋銭による支払いが多くなってくる。ただし、米も価値尺度としての機能を失ってはいない。
 15世紀になると、銭は貨幣として本格的に機能するようになる。
 だが、その前に市場が生まれていなければ、銭も流通するわけがない。
 すると、市とはそもそもどうやって生まれたのだろう。
 もともと、市は河原や川の中洲、浜、坂などにつくられていたようだ。虹の立つところに市を立てるというならわしもあった。市を立てる場所は、「神の世界につながる場」であり、ものも人も世俗に縁から切れてしまう「無縁」の状態になる場だと考えられていた、と網野はいう。このあたりなかなか神秘的である。
 網野は利息の起源を「出挙(すいこ)」に求めている。共同体の首長が、神聖な種籾を農民に貸し、農民は種籾にお礼の稲を加えて、倉に戻すというのが、出挙だ。一種の税といってよい。これが神社の場合は、初穂をささげるということになる。
 交易や金融はもともと神仏の世界とかかわりをもっており、中世では商人や金融業者、職人はおもに寺社に直属していたという。寺社に直属する場合は、寄人(よりうど)や神人(じんにん)と呼ばれ、天皇に直属する場合は供御人(くごにん)と呼ばれていた。彼らは身分的には百姓と区別され、服装、髪形もちがい、自由通行の特権を保証されていた。
 ところが、14、15世紀になると、神仏の領域にあった交易や金融が次第に世俗化してくる。それは貨幣の流通とも関係しているのだろう。寺社に頼っていた商人や職人は、15世紀になると、守護大名のような世俗的権力に特権の保証を求めるようになる。14世紀、15世紀が歴史の変わり目だというのは、神仏信仰意識が薄れ、世俗化が進むということだろうか。それ以降は、われわれにも理解しやすい時代がはじまる。
 なお、交易に関していうと、鎌倉・室町時代における勧進聖(かんじんひじり)の役割が見逃せない、と網野は指摘している。勧進聖は寺を建てるために寄付金を集めていただけではなく、手工業者や職人をも組織していたという。貿易商人としての仕事もし、金融もおこなっていた。
 無縁所と呼ばれる寺院は、一種の商業・金融センターになり、その門前に商工業者が集まるようになった。このあたり寺社の役割は、中世ヨーロッパのキリスト教修道会の役割ともよく似ている。
 しかし、16世紀、17世紀になると、寺社は政治的権力のもとに完全に組みこまれ、天皇の権威も低下して、武士の時代がやってくる。それにともなって、手工業者、商人、金融業者は、実質的に大きな力をもっていながら、低い地位しか与えられず、むしろ賤視されるまでになった、と網野は指摘している。
 われわれを庶民の世界にいざなってくれるところに網野史学の醍醐味がある。
 もうすこし読んでみよう。
[これから両親を介護するため(といってもたいして何もできないのですが)しばらくいなかに帰ります。ブログはしばらくおあずけです。]

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