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カーショー『地獄の淵から』を読む(3) [本]

 第1次世界大戦は「戦争を終わらせるための戦争」と呼ばれていた。だが、じっさいには、より破壊的な戦争に道を開くことになる。
 戦争に勝利したロイドジョージ首相のもと、イギリスでは兵士の動員解除が順調に進んだ。だが、景気はよくない。失業者が増え、ストライキが頻発する。政府債務は膨大で、そのほとんどがアメリカの信用に依存していた。
 敗北したドイツやオーストリアでは、通貨価値が下落し、インフレが昂進していた。政府がインフレを容認したのは、巨額の国内債務を解消するのに好都合だったからである。通貨下落とインフレのもと、ドイツ産業は復興を遂げる。しかし、さらにハイパーインフレが昂進すると、手の施しようがなくなる。それまでの貯蓄はほとんど無価値になった。
 東欧の状況は悲惨だった。戦争によって国土は荒廃し、物不足と飢餓に襲われた。革命がおこらなかったのが不思議なくらいだ、と著者は書いている。人びとは革命をおこす元気もなかったのだろう。
 西欧では、二度と戦争をすまいとする平和主義が広がっていた。だが、戦争を美化し、暴力と憎悪を歓迎する風潮が消えたわけではない。
 1919年から23年にかけ、アイルランドではイギリスにたいする激しい独立運動が発生する。イギリス当局は特殊部隊をつかって、これを弾圧する。1922年末にはアイルランド自由国が発足した。
 1922年、イタリアではファシスト政権が発足する。翌年、スペインでは軍事独裁政権が成立する。
 1923年のローザンヌ条約により、トルコ共和国が正式に認められ、それまで紛争の多かったギリシアとのあいだで、住民の交換がおこなわれた。トルコのギリシア人100万人と、ギリシアのトルコ人36万人が入れ替えられた。
 東欧では激しい国境紛争がつづいている。ロシアでは恐怖の内戦がはじまった。ユダヤ人にたいする暴力事件が相次ぐ。
 ハンガリーではクン・ベーラの短期ソヴィエト政権が崩壊したあと、「白色テロ」が横行した。「赤色テロ」に対抗して「白色テロ」を実行したのは、民兵組織である。
 ロシアでは1917年から3年間、内戦がつづき、700万人以上が死亡した。赤軍はシベリアから西進する白軍を迎え撃ち、勝利を収めた。
 だが、ボリシェヴィキ政権にたいする農民の反発も高まっていた。農産物の強制徴発と、拙速な集団農場化が農民反乱を巻き起こしたのだ。当初、これを弾圧した政府は1921年に「新経済政策」を導入する。これによって経済は回復しはじめる。
 1924年、レーニンが死に、スターリンが権力を掌握した。スターリンのもと、ソヴィエト政権は以前にも増して、恐怖政治の度合いを高めていく。
 以上が、第1次世界大戦後のヨーロッパの概況である。
 もうすこし詳しくみていこう。
 1919年のヴェルサイユ会議で、ヨーロッパには新しい地図が生まれていた。ロシア、オスマン、オーストリア・ハンガリー、ドイツの帝国が姿を消して、新たに10の国民国家が出現した。
 アメリカのウィルソン大統領の提案により、1920年、ジュネーヴに国際連盟が創設される。だが、国際連盟による国際秩序の維持は、当初から困難をきわめた。国内事情により、当のアメリカすら、国際連盟への加入を見送っていた。
 ウィルソンの提案した民族自決は、多くの植民地をかかえるイギリスやフランスにとっては、受け入れるのがむずかしい理念だった。中欧や東欧の複雑な民族混合状況も、民族自決の達成を不可能にしていた。せいぜい期待できるのは、多民族国家のなかで、民族のちがいが国民統合によって乗り越えられることくらいだった。「オーストリアを除けば、民族的に均一は新生国家は一つもなかった」と著者は書いている。紛争の種は残った。
 ヴェルサイユにおける領土処理は、敗者の側に落胆と怒り、恨みを残した。とりわけ勝者の「4大国」(アメリカ、イギリス、フランス、イタリア)は、ドイツが二度と戦争を起こさないようにするため、懲罰と賠償でドイツを縛ろうとした。
 講和条約によって、ドイツは東部を中心に領土の13パーセントを削減された。徴兵制は禁止され、兵力も450万から10万に削減された。ダンツィヒ(現グダニスク)や、ザールラント、ラインラントも国際的な管理下におかれた。ベルギーやデンマークに分割された地域もある。とりわけ痛手だったのは「ポーランド回廊」、すなわち西プロイセンとポーゼン(現ポズナニ)を新生ポーランドに割譲しなければならなかったことである。
 ドイツにとってさらに苛酷だったのは、巨額の賠償支払いが課せられたことである。それはドイツの政治に重くのしかかり、激しいナショナリズムを生む要因になっていく。
 大戦後のヨーロッパの政治的基調は議会制民主主義だった。投票権が拡大され、大衆政治が定着する。それとともに新聞の影響力も強まっていく。
 小選挙区制をとるイギリスでは、自由党と保守党の2大政党が政権の座を競ったが、比例代表制をとる大陸では政党が乱立し、政府が不安定になる傾向がみられた。
 しかし、どの国でも民主主義が尊重されていたわけではない。民主主義は見せかけだけで、内情は暴力的な独裁制ないし寡頭制が支配していた国もある。ソ連はいうまでもないが、ギリシアやアルバニア、ブルガリア、ルーマニアなどもそうした国々だった。
 スペインでは1923年以来、ミゲル・プリモ・デ・リベラ将軍による独裁がつづく。しかし、この独裁は比較的温和であった。公共事業によって、スペインには一時繁栄感すらただよった。
 新たに誕生したフィンランドとチェコスロヴァキアでは議会制民主主義が維持された。バルト3国のエストニア、ラトヴィア、リトアニアも同様である。
 ユーゴスラヴィアはセルビア人の王室のもとで創設された新国家(セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国が改称)である。議会制度をもっていたが、民族間の対立は深刻で、8年間で24の政府が入れ替わるありさまだった。
 いっぽうポーランドでは、民族的結束感が生まれていた。とはいえ、少数民族(ウクライナ人、ユダヤ人、ベラルーシ人、ドイツ人)がいなかったわけではない。1921年の民主憲法により、議会がつくられたものの、それはまとまりがなく、いかにも無能にみえた。ハイパーインフレ後の緊縮策が、経済的不安を招いていた。1926年にはピウスーツキ元帥がクーデターに踏み切る。
 小国となったオーストリアでは、社会民主党と反社会主義のキリスト教社会党とのあいだで対立がつづいていた。「赤いウィーン」では、社会民主党が勢力を保っていた。だが、農村部は圧倒的に保守的であり、社会民主党と結びついた民主主義は次第に劣勢に追いこまれていく。
 ハンガリーでは1919年に共産党政権が発足する。だが、クン・ベーラによるプロレタリア独裁政権は、ルーマニア軍の侵攻によってたちまち倒れ、右翼民族主義の保守勢力がハンガリーの支配権を奪還する。その結果、戦争の英雄ホルティ・ミクローシュが24年にわたり国家元首として君臨することとなった。
 戦後の混乱期、イタリアではコミンテルンを支持する社会党が議席を伸ばすなか、都市でも農村でも暴動が起き、革命は間近と思われていた。
 そんなときイタリアの北部と中部の都市で、「ファッシ」を自称する民兵組織が芽をだしはじめる。ベニート・ムッソリーニは、もともと社会党機関誌の編集長をしていたが、左翼社会党とたもとを分かち、次第に反革命に転じるようになった。
 1921年になって、自由党の政府は、社会党と人民党をたたくため、ファシストのムッソリーニを資金と武器で支援するようになる。ファシスト勢力が力を伸ばしたのは、意外なことにイタリア北部ではなく中部だった。ファシストは民兵部隊の容赦ないテロによって、社会主義者を攻撃し、以前の赤い県をたちまち自分たちの牙城に変えていった。
 こうして1921年10月に国家ファシスト党が誕生する。1922年5月に党員数は30万人を超えた。その10月には、黒シャツ隊によるいわゆる「ローマ進軍」が実施される。暴力的示威行動である。国王はファシスト党を支持し、ムッソリーニに首相就任を要請した。
 1923年11月、ムッソリーニは自党が有利になるように選挙法を改正し、1924年4月の選挙で、ファシスト党が大半を占める「国民ブロック」が議席の3分の2を獲得した。6月には社会党書記長ジャコモ・マッテオッティが暗殺される。その後、野党は弾圧され、報道の自由は撤廃され、政府はほぼファシストの手に握られることになる。
 いっぽうドイツでは、アドルフ・ヒトラーが1921年に国家社会主義ドイツ労働者党(通称ナチ)の指導者となり、バイエルン州を中心に勢力を広げていた。1922年秋には、ミュンヘンのビヤホールでヒトラーを「ドイツのムッソリーニ」と称える集会が開かれ、反政府的なナショナリスト過激派に火がつく。社会民主党を中心とするベルリンの政府は、各地で左右の激突が発生するなかで、次第に弱体化していった。
 1923年、ハイパーインフレが高じると、政治が両極化する。軍は共産主義者の蜂起を鎮圧するのに躍起になった。軍は右翼国粋主義の立場をも支持しなかった。それでも、ヒトラーはミュンヘンで劇場型の一揆を起こし、逮捕され、軽い禁固刑を言い渡された。
 民主主義はかろうじて生き残っていた。ドイツでは軍はまだ政府を支持していた。「だが、脅威は沈静化しただけで、消滅したわけではなかった」と、著者は書いている。ヴェルサイユ体制のくびきが、ドイツをしめつけていたからである。

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