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『村上春樹は、むずかしい』(加藤典洋)を読む(1) [われらの時代]

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 村上春樹は、むずかしい。
 おもしろいのだけれど、よくわからない。
 ほんとうにそう思う。
 先日、両親を介護するため、いなかの高砂に帰り、往復の新幹線や夜寝る前に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだ。しかし、正直いって、よく理解できなかった。
 これまでの小説にない世界がつくられていることはたしかである。まるでゲームのようにストーリーが展開し、最後まであきさせない。夢中で読んでしまった。たいしたものだと思う。
 こんな世界を構築できる小説家はそうざらにいない。ひたすら感心する。
 だが、ふりかえってみると、頭に何も残っていないのだ。展開の早いハリウッド映画を見終わったあとのような感覚。それでも、村上春樹はくせになる。
 村上春樹をよく読んだとはいえない。たぶん妻や娘たちのほうが読んでいると思う。『ノルウェーの森』や『アンダーグラウンド』、『1Q84』は飛ばし読みした。短編も読んだ覚えがある。
 それらの本は本棚に残っていない。結婚した娘たちがもっていってしまったのだ。なぜか「世界の終り」だけがぽつんと残っていたので、先日兵庫県のいなかに戻るときに、またも飛ばし読みした次第だ。
 村上春樹とは同世代である。出身地も兵庫県で、大学も同じだ。それなのに、こちらは「おとうさん」「おじさん」から「じいさん」になり、サラリーマンを定年退職して、いまは日がなぼんやりすごしている。うらやんでも仕方ないが、えらいちがいである。
 村上春樹の小説は、かっこいいし、気が利いているし、ミステリアスだ。ハードボイルドの要素もあり、何よりも主人公が女の子にもてる。やっぱり芦屋生まれの人はちがうわと、いなか育ちのぼくなどはついつい、ひがんでしまう。
 こんなふうに書きはじめると、最初から最後までぐちであふれそうになるので、いいかげんなところでおしまい。
 ここでは、同じ世代ということだけを取り柄にして、ひたすら村上春樹が切り開いてきた小説世界を取りあげてみることにしよう。
 といっても、ぼくはとても村上春樹の熱心な読者とはいえないので、加藤典洋の『村上春樹は、むずかしい』(岩波新書)を、これまた斜め読みして、お茶をにごそうというのである。
 この解説書は3部にわかれている。

 第1部 否定性のゆくえ 1979-87年
 第2部 磁石のきかない世界で 1987-99年
 第3部 闇の奥へ 1999-2010年

 村上春樹の作品に沿って、話が展開している。
「はじめに」は省略して、第1部から読みはじめる。
 村上春樹のデビュー作は1979年の『風の歌を聴け』である。
 あのころ、ぼくは結婚し、ちいさな出版社から某マスコミの子会社に転職し、会社回りの営業の仕事をしていた。
 もともと小説はあまり読まなかったから、村上春樹の登場にはさほど注目しなかった。
『風の歌を聴け』も翌年の『1973年のピンボール』も芥川賞をとれなかったという。そのころ注目されていたのは、中上健次や村上龍である。
 しかし、芥川賞をとれなかったのが、かえってよかったのだ。それ以降、村上春樹は芥川賞などには目もくれず、長編小説をめざすことになったのだから。
 村上春樹にとって1970年代は小説修業の時期である。そのころ、ぼくは世間の広さを知り、上司や先輩と毎日のように飲み歩き、子育てに明け暮れていた。
 ぼくが「風の歌」を読んだのは、ようやく60歳近くになってからである。
 とても懐かしい感じがした。
 その感想については2度ブログに書いたので、いまつけ加えることはない。

 http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2007-07-24
 http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2007-07-25

 加藤が注目するのは「風の歌」に登場する「鼠」という友人の存在だ。
「鼠」は金持ちの息子だ。「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ」というのが口癖。
 加藤はこの口癖を「自己否定ないし否定性の表現」と評している。
 これにたいし、主人公である「僕」のモットーは、作中に登場する架空の小説家デレク・ハートフィールドの作品タイトル『気分が良くて何が悪い?』だという。
 否定性と肯定性が対比されている。
 加藤によると、「この小説は、[学生運動に見られたような]『否定性』を抱えた『鼠』が徐々に時代遅れになり、没落していくさまを……重層的な構成のもとにえがいている」ということになる。
 だが、ぼくはそうは思わない。希望も絶望も捨てて、ひたすら井戸(フロイトのいうイド)を掘って、次の世界に抜けることをめざすと宣言した小説と読んだからである。
 まあしかし、そう大げさに考えなくてもいいのかもしれない。村上春樹の小説は楽しい。軽やかだし、スリルもあるし、しゃれている。そうでなければ、小説をつづけて書く気分にはなれないだろう。それでいいのだ。
 1982年には長編小説『羊をめぐる冒険』(ぼくは読んでいない)、1985年には『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が出る。
 そのかん、かれはいくつかの短編を書いている。ぼくが気に入ったのは、ちょうど定年の年に読んだ「中国行きのスロウ・ボート」と「パン屋再襲撃」だ。あのころ、ぼくの家のネコが死にかけていた。
「友よ、中国はあまりに遠い」という謎のひとことで終わる「中国行きのスロウ・ボート」には、中国にたいする村上春樹の思い入れの深さがこめられている。
 加藤によれば、教師で僧侶でもあった村上の父親は徴兵され、中国大陸での戦闘に加わったのだという。だから、中国のことは、どこかでいつも気になる。
 スロウ・ボートとは船足の遅い小舟。いつまでもこぎ続けて、いつか中国にたどりつきたいと願っている。でも中国は遠い。
 加藤はほかに「貧乏な叔母さんの話」についてもふれている。この作品もぼくは読んでいないけれど、加藤によれば、これは「『貧しい人々』への罪障感のゆくえを書こうとした」作品だという。
「僕」はかれらにたいして何もできない。かれらが革命を起こして、貧乏な国ができても、たぶん「僕」には居場所がない。「僕」ができるのは、この豊かな世界で孤立したかれらに寄り添うことくらいだ。
 ぼくが加藤の評論から読み取ったのは、そういうメッセージだが、ほんとうはそんなことではないような気もする。作品を読んでいないので、これも何ともいえない。
「ニューヨーク炭鉱の悲劇」という作品もあるらしい。加藤によると、内ゲバにたいする村上の「ささやかなコミットメント」だという。
 内ゲバは1969年から1981年ごろまでが猖獗(しょうけつ)をきわめ、そのピークは1975年だった。そのかん100人近くが命を落としている。
 革マル派の拠点があった早稲田の文学部でも、ずいぶんひどい内ゲバがあった。ぼく自身は党派に属さなかったので、内ゲバとは無縁でいられたが、あのころはひやひやしていたことを覚えている。
 たぶん内ゲバの死者には、村上の知り合いもいたことだろう。
 そもそも「ニューヨーク炭鉱の悲劇」というのは、1967年にビージーズが発表した反戦歌のタイトルだ。
 加藤はこう書いている。

〈1941年に起こったニューヨーク炭鉱の悲劇とは、いま進行しているベトナム戦争の「落盤」の悲劇のことで、この若いロックバンドは、その「悲劇(disaster)」を銃後の社会で地球の裏側の戦場に遺棄された若い兵士たちの孤絶の側から、歌ったのである。〉

 この作品についても読んでいないので、何ともいえない。
 加藤の論評はわかったような、わからないようなところがある。
「パン屋襲撃」と「パン屋再襲撃」は、やはり定年の年に(ネコのからだを心配しながら)通勤電車のなかで読んだ。
 ブログにこんな感想を書いている。

http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2008-03-06

 加藤によれば、この作品は過激な学生運動の後日譚、ただしパロディということになる。京浜安保共闘による銃砲店襲撃も村上春樹の念頭にあったかもしれないという。しかし、この作品では、反体制的な否定性は、ポストモダニティにからめとられてしまう。つまり、革命がとんちんかんなお笑いになってしまう時代がはじまっていたのだ。
 だが、ぼくの解釈はここでも加藤とはちがい、むしろ近代の逆立性ということを強く感じたものだ。
 人によって、作品の受け止め方はずいぶんちがうのだなあと思わざるをえない。しかし、多様な読み方ができることが、小説の深さであり味わいなのだろう。
 村上春樹はたしかに、われらの同時代人である。村上春樹を読むということは、笑ったり、驚いたり、どきどきしながら、いまの時代を眺めるということにほかならない。それが楽しい。

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