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永野健二『バブル』を読む(1) [われらの時代]

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「1980年代後半に、日本はバブル経済を経験した。バブル経済とは好景気のことではない。特定の資産価格(株式や不動産)が事態から掛け離れて上昇することで、持続的な市場経済の運営が不可能になってしまう現象である」
 本書は1980年代の日本で、なぜバブルというユーフォリア(陶酔的熱狂)が生じたかを振り返り、そこから教訓をくみ取ろうというドキュメントである。
 著者は日本経済新聞の証券部記者として、バブルさなかの時代をつぶさに観察してきた。本書は兜町で著者が身近に経験したバブル時代の記録だともいえる。
 本書を紹介する前に、自身のことも、少し書いておこう。
 大学でほとんど授業を受けなかった全共闘世代のぼくは、レポートを提出して大学を6年かかって卒業し、友人のつてで、世代群評社というちいさな出版社にはいった。実家には帰らず、東京でくらすつもりだった。結婚を約束した彼女もいたからである。
 就職先の出版社の社長は、いわゆる総会屋だった。
 総会屋というと、こわもてのヤクザめいた人物を想像するかもしれないが、かれはそうではなかった。話好きで、面倒見がよく、気が弱いところもある好人物だった。
 70年代はじめは、まだバブル時代ではない。
 とはいえ、なぜかバブルというと、裏世界のイメージがまとわりつき、総会屋の顔もちらつく。わが社の社長は日に何度か地下のちいさな事務所に顔をだすだけだった。だから、ふだんどんな活動をしていたか、よくわからなかった。
 ぼくはこの会社を2年足らずでやめてしまう。結婚もし、子どもも生まれそうだったので、それなりに給料をもらえる会社にはいらなければならなかった。
 世代群評社の2年間は、雑誌の編集をし、いくつもの銀行や企業を回って、賛助金や広告費を集める毎日だった。営業の仕事も嫌いではなかった。総務部の人たちといろんな話ができて、それなりにおもしろかった。
 もちろん、雑誌の編集は楽しかった。社長は編集内容には口を出さなかった。あのころが編集者として、いちばん充実していたのではないか。最後の仕事が、豊浦志朗の『硬派と宿命』を出版することだった。
 豊浦志朗は本名、原田建司。のちに船戸与一と名乗って、売れっ子の冒険作家となる。その船戸与一も先ごろ亡くなってしまった。
 それから、中途採用の試験を受けて、マスコミの子会社にすべりこんだ。
 しかし、そこでやったのも、最初は営業の仕事である。
 そのセクションは、300社ほどの企業を集めて、毎月会費をとり、毎週、情報誌を発行し、毎月講演会を開き、年に1回、ゴルフコンペをして、各社の親睦をはかるといった業務をおこなっていた。ぼくは下っ端の雑務係である。
 ここでも4年半、会社回りをやっていた。30社ほど新規会員を増やして、社から努力賞ももらった。でも、身がはいらなかった。自分でもなにをやっているか、よくわからなかったのだ。身過ぎ世過ぎで毎日を送っていたような気がする。
 ニュースの現場をあつかう本社の仕事とは無縁だった。しかし、いまになってみれば、せっかくいろんな会社とつきあっていたのだから、もう少し日本の企業について勉強しておけばよかったと悔やまれる。
 79年に人事異動の話があったので、それに乗り、出版局に移った。やはり出版から離れがたかったとみえる。最初は販売部の仕事である。地下の倉庫で、本や雑誌の発送をし、先輩といっしょに取次を回った。前のセクションもそうだったが、ほとんど残業もなかった。よくさぼることができて、のんびりすごせた時代だった。夜は毎晩のように飲んだくれていたのではないか。
 それでも、どこか編集の仕事をしたいという気持ちがあったのだろう。出版局を支えていたのは音楽雑誌だったが、音楽とはほとんど無縁のぼくにはとてもこの仕事は無理だった。
 そこで、82年になんとか図書編集部にもぐりこませてもらう。図書編集部といっても、当時、一般書籍はほとんど出していなかった。年鑑と、記事を書くためのハンドブック、報道写真、それに皇室やオリンピックの写真集が中心だった。いずれも、ぼくにとっては、あまり興味のない分野である。
 そうした定期刊行物のあいだをぬって、ぼくは書籍編集の仕事をはじめた。最初に編集したのが、ノーベル化学賞を受賞した福井謙一さんの本で、ここでぼくは大失敗をしでかす。しかし、それにめげず、2冊目に出した斎藤茂男さんの『妻たちの思秋期』が大ベストセラーになった。
 その後、一時期、販売部に戻ったこともあったが、定年近くに窓際族になるまで、ほぼ20年にわたり書籍編集の仕事をすることができた。もっとやりたいことはあったが、力がおよばなかった。書籍編集者となるにはそれなりの基本的訓練が必要である。その基本がよくわかっていなかったのが、致命的だった。人づきあいも得意ではなかった。
 出版にかげりが見えはじめたのは80年代末ごろだったかもしれない。それもバブルの崩壊と関係していたのだろうか。
 年寄りの悪いくせで、長い前置きになってしまったが、本書『バブル』を読もうとして、ついつい、いろんなことを思いだしてしまった。
 こんなよしなしごとを書いていてもきりがない。
 ようやく、ここからが本論である。
 正直いって、ぼくはバブルとはあまり縁がなかった。あのころ景気がよかったという実感がない。土地や株の値段がものすごく上がったといっても、ぼく自身がその商売にからんでいたわけではない。だから、バブルは横目で見ているうちに、通りすぎていったという感じである。
 例によって、1日で読めるのは少しだけである。
 本書はバブル前の1970年代からスタートする。
 最初に日本興業銀行の話がでてくる。
 1902年に発足したこの国策銀行は、連合国軍総司令部(GHQ)によって「戦犯銀行」と指名されながら、戦後も生き残った。
 1952年に設立された日本長期信用銀行、戦前の朝鮮銀行を引き継いだ日本不動産銀行とあわせて長信銀3行と呼ばれる。
 ふり返ってみれば、世代群評社時代、この3行ともぼくの受け持ちだった。よく賛助金をもらいにいったことを覚えている。
 高校時代の友人は、東大の経済学部を卒業したあと、たしか興銀にはいったはずだ。最後はそごうの監査役になったはずだが、そのころの話をそのうち聞いてみたいと思っている。
 長期金融をおこなう長信銀は、日本の高度成長をささえるエンジンだったという。日本の金融システムは、長信銀が頂点で、その下に都市銀行、地方銀行、信用金庫というランク付けがなされていた。長信銀のなかでも、頂点に立っていたのが日本興業銀行だった。だから、興銀は日本のトップ銀行だったといってもよい。
 その会長が中山素平、1970年に難航する八幡、富士製鉄の合併をまとめ、新日鉄を誕生させた人物である。財界の鞍馬天狗と呼ばれた。
 その興銀の支配体制を揺るがす事件がおこる。
 話は1971年に三光汽船がジャパンライン株を買い占めようとしたところからはじまる。当時、日本の海運業界は日本郵船や大阪商船三井船舶など6社によって支配されていた。それを運輸省と興銀がコントロールしていた。
 三光汽船はこの体制に立ち向かったのだ。
 三光汽船の実質上のオーナーは、三木派の実力政治家、河本敏夫だった。グローバルな市場で日本の海運業界がもはや立ちゆかなくなってきたことを理解していた。そこで、三光汽船は、船舶を海外で生産し、船員を外国人とするこころみをはじめていた。
 ちなみに、ぼくの友人は、慶応大学を卒業してから、河本敏夫の秘書をしていた。その後、相生市長になるが、そういえば、かれの話もよく聞いていない。
 それはともかく、三光汽船は和光証券などを通じて、ジャパンライン株を買い占めた。著者によれば、戦後最大のM&A(企業の買収・合併)だったという。
 三光汽船は株価操作によって、資金調達力をつけながら、高株価経営を加速させていた。しかし、運輸省と興銀は、三光汽船によるジャパンライン合併を認めなかった。
 右翼の児玉誉士夫などを動かして、水面下の調整に持ちこむ。
 買収工作は失敗、ジャパンラインは三光汽船から自社株を高値で買い戻し、いっぽう児玉誉士夫は多額の報酬を受け取った。
 この事件が決着した73年はオイルショックの年。ちょうど、ぼくが世代群評社にはいった年だ。
 日本の高度成長が終わり、国際化がはじまろうとしていた。
 タンカー市況は低迷し、タンカーの運賃は73年と75年をくらべると、10分の1に落ちこんだという。
 だいぶ先になるが、ジャパンラインはけっきょく89年に格下の山下新日本汽船に吸収される。
 そのかんも興銀とアングラ社会のつながりは、ずっとつづいていた。それが、興銀の解体をもたらす一因となる。
 アングラ社会と興銀の関係は、すでに70年代から根深いものになっていたことがわかる。そして、考えてみれば、ぼく自身も総会屋の仕事の一端を担い、その後、マスコミと企業をつなぐ仕事をしていたのだから、バブルを動かす裏の事情は、けっしてひとごとではなかったのだ。
 著者は株式市場では、70年代後半に仕手グループによる株の買い占めが激しさを増していたと記している。
 有名なのはヂーゼル機器の株買い占め事件で、誠備グループの加藤暠や日本船舶振興会の笹川良一、平和相互銀行の小宮山英蔵が暗躍していた。その手口は株価をつり上げて、市場外の取引で決着をはかるというおなじみのものだ。
 これにたいし、東証理事長の谷村裕は、特別報告銘柄制度を導入して、まったをかけた。それによって、仕手グループを分断し、株価の沈静化をはかろうとしたのだという。
 特別報告銘柄制度とは、異常な動きをする銘柄を証券取引所が公表して、投資家に注意をうながし、不当な利益獲得を防止することを目的とする。
 ヂーゼル機器事件では、最終的には笹川グループの買い占めた株をいすゞ自動車や日産自動車が肩代わりすることで合意した。けっきょくは裏取引が成立したことになる。だが、この一件によって、笹川良一にたいする世間の目は厳しくなった。
 加藤暠の誠備グループの仕手戦はその後もつづいた。だが、資金繰りがむずかしくなる。ここに登場するのが、伝説の相場師、是川銀蔵である。
 是川は加藤暠の買い銘柄、石井鉄工所、日立精機、ラサ工業などに「空売り」で挑戦し、誠備グループを崩壊に追いこむ。
 70年代後半から80年代前半にかけ、兜町では仕手グループが暗躍した。だが、それも80年代半ば、投資ジャーナル事件の中江滋樹を最後に姿を消すことになる。
 株式市場は急速にグローバル化・自由化していた。それまでの閉じられた株式市場は終わりを迎えた、と著者は記している。
 だが、その過程で、異様な株価高騰が生ずるのである。
 ここで、著者は海外の状況に視線を転じる。
 70年代のアメリカの株式相場は73年がピークで、その後、ずっと低迷をつづけていた。状況が変わるのは、80年代にはいってからだ。
 アメリカの株式市場は急に活気づき、長期的な上昇局面に転じた。その理由はまちがいなくグローバリゼーションだ、と著者はいう。
 グローバリゼーションとは国の枠を越えて、ヒト、モノ、カネが動くことをいう。とりわけ、カネの動きが国際金融システムをカジノめいたものに変えてしまった。そのきっかけとなったのが、1973年の変動為替制への移行と石油価格の大幅な上昇だった。
 カジノ資本主義はジェットコースターのように荒っぽい。好景気になったかと思うと、いきなり87年のブラックマンデー、97年のアジア通貨危機、2008年のリーマンショックのような危機を招く。国際金融システムはリスクを内在している、と著者は指摘する。
 80年代の経済状況は、日本をいやおうなくグローバル化の波に巻きこんでいくことになる。
 著者は1983年に野村証券とモルガン銀行とのあいだで、信託会社をつくるという構想があったことを紹介している。信託会社は資産の運用と管理をおこなう会社だ。だが、大蔵省はこの構想を認めなかった。金融体制からすれば、外様である証券会社の野村が、勝手にモルガン銀行と話をまとめようとしていることが気にいらなかったのだという。
 それでも、大蔵省はこの一件をきっかけに金融国際化と自由化への対応を迫られることになる。あっというまに外国銀行による信託業務が認められ、投資顧問会社に一任勘定を認める投資顧問業法も成立した。
 野村証券が存在感を強めていくのは80年代からだ。国債の発行が増えるなか、公社債流通市場が生まれていた。それに為替取引が自由化され、対日、対外の債券投資が拡大していた。円建て外債も本格化する。証券会社の役割が欠かせなかった。
 銀行と証券会社が、海外を舞台に証券業務でぶつかりあう時代がはじまっていた。
 企業もまた海外、国内での社債発行を通じて、みずから資金運用を模索する「財テク」時代に突入する。銀行離れがはじまっていた。
 ここで著者は83年に大蔵省証券局長に就任し、85年に死亡した佐藤徹という大蔵官僚の鬼気迫る仕事ぶりを紹介している。資本市場の国際化(金融自由化)が進展するなか、銀行と証券会社のつばぜり合いが激しくなっていた。そんななか、佐藤は、日本で無担保社債を発行するための格付け機関を設立しようとした。証券局を資本市場局にするというのが、佐藤の思いだったという。
 さらに佐藤は興銀を投資銀行に変えようとしていた。だが、その構想も、かれの死によって挫折する。著者は金融国際化の時代に先んじようとしたある大蔵官僚の奮闘を紹介することで、その早すぎる死を悼んでいる。
 もうひとり著者が紹介するのが、M&Aの歴史をつくった高橋高見という人物である。
 高橋高見はミニチュアベアリングをつくるミネベアの社長だった。かれは日本初のTOBを行使し、果敢に企業買収を推進した。そのターゲットとなったのが、蛇の目ミシンであり、三協精機だった。だが、この企業買収はすんでのところで、失敗する。小佐野賢治の横やりがはいったり、海外投機筋の妨害があったりしたためである。
 著者はこう書いている。

〈高橋高見は、バブルの時代のはるか昔から日本のM&Aの歴史を作り、バブルの時代もバブルにまみれるのではなく、体制に穴を開け続けて逝った。高橋高見が命を賭けて闘い、切り開いてきた道は、いまや誰もが通る当たり前の道になっている。〉

 バブルがはじまる前の時代に、こういう勇猛果敢な企業経営者がいたのだ。
 そして、時代はいよいよバブルに突入していく。

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