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天皇と教育勅語──『日本の近代とは何であったか』を読む(4) [本]

 伊藤博文は憲法をつくるさい、人間の社会を結合するには、宗教が必要であることをドイツの憲法学者から教わった。ヨーロッパにはキリスト教がある。しかし、日本の場合、それは天皇以外にはありえないと思った。
 ヨーロッパでは「聖職者」と「王」が分離されている。だが、日本で天皇を立てるとなると、それは「聖職者」と「王」が合体した存在とならざるをえない。
 こうして、大日本帝国憲法では、「天皇は神聖にして侵すべからず」と規定される。
 さらに、天皇は統治権を総攬(統括)する存在として位置づけられた。だが、天皇が親政をおこなうわけではない。
 天皇は統治権を行使するにあたっては、憲法にしたがうとされた。その点では天皇は現実には立憲君主にほかならなかった。
 しかし、天皇を神聖不可侵としたことが、あたかも天皇を憲法に拘束されない存在であるかのような位置に祭りあげてしまう。
 そこから法令とはことなる「教育勅語」が生まれてきた、と著者は考えている。
 明治は文明開化の大変動期だった。
 政府は民心を統一するため、何らかの道徳上の大本を立てることを求められていた。
 教育勅語をつくったのは、もちろん明治天皇ではない。政府の危機感は強かった。じっさいに、教育勅語をつくりあげたのは、天皇の侍講、元田永孚(ながざね)と伊藤博文の側近、井上毅である。
 当初、元田は「仁義忠孝」にもとづく徳育を強調する指針を立てた。しかし、井上は勅語が「旧時の陋習」に復することがあってはならないと批判した。徳川時代と同じ道徳では困るのである。
 文部省は、さしあたり教育勅語の起草を、『西国立志伝』の訳者で、女子高等学校校長でもあった中村正直に依頼した。だが、中村の草案は政府の採用するところとならなかった。井上毅が強く反対したためである。
 中村正直は、道徳の本源は人間のごくふつうの心情である「敬天敬神」の思いから発すると考えた。しかし、井上はそうした哲学的解釈を嫌う。
 勅語は哲学や政治状況に左右されてはならない、と考えていた。
 井上にとって、勅語はあくまでも天皇の意思の表明というかたちをとり、そのことばは「玉のごときもの」でなければならなかった。
 そのため、井上は道徳の本源を、天皇の祖先である「皇祖皇宗」に求める。
 そして、勅語の草案として、冒頭をつぎのように書き記す。
「朕惟ふに我が皇祖皇宗国を肇むること宏遠に徳を樹つること深厚なり」
 教育勅語は、この井上の案をもとに、元田が修正を加えることによって成立した。
 著者は「教育勅語は井上の背後にある山県、伊藤らに代表される藩閥官僚勢力と、元田らの背後にある天皇側近勢力との共同作品であった」と結論づけている。
 しかし、立憲君主として憲法に拘束される天皇と、道徳の立法者としての天皇は、はたして矛盾しないか。
 大日本帝国憲法は国民の「信教の自由」を認めている。だとすれば、教育勅語は信教の自由を束縛するものであってはならないはずだ。この矛盾に悩んだ井上は、「教育勅語」をあくまでも天皇の著作とすることで、憲法との齟齬を回避した。
 こうして、教育勅語は天皇が自己の意思を国民に表明したものとして、宮中で文部大臣に下付されることになった。ほかの勅語や勅令とちがい、国務大臣の副署はなされなかった。あくまでも天皇の意思として示されたからである。
 しかし、教育勅語は国民に大きな影響をおよぼした。その影響力は憲法をはるかにしのぐ。
「日本の近代においては『教育勅語』は多数者の論理であり、憲法は少数者の論理だった」と、著者は書いている。
 そこに記されているのは、父母に孝行を尽くし、兄弟仲良く、夫婦相和し、国法を順守し、そして国家危難の際には公に準ずるという、ごくあたりまえの道徳律である。
 この教育勅語は、その後50年以上にわたり、全国の高等学校、中学校、尋常小学校の「奉読式」で、うやうやしく読みあげられていくことになる。
 だが、教育勅語の本質は、国民が守るべきこうした道徳律にあったわけではない。そうではなくて、井上毅が勅語の冒頭に記した1行にあったのである。
 すなわち、こうした人の道を定めたのが「我が皇祖皇宗」だということ。人が人の道を守って生きることは、その道をつくった天皇一族をあがめることと同じなのだ。
 教育勅語の意図は、道徳を広めることにあったのではない。それまで庶民にとって、いるかいないかわからなかった天皇という存在を、国民の意識に刻みつけることにあったといえるだろう。
 明治政府のこのプロパガンダは大成功を収めた。
 1948年6月19日に、衆参両院は教育勅語の失効を確認し、それを排除する建議を成立させた。
 天皇による「人間宣言」とともに、教育勅語の根拠は消失したはずである。
 それでも、いまも何かと教育勅語がもちだされるのは、明治以来、日本人にしみついた天皇尊崇意識がいかに根深いかを示している。
 本書は教育勅語の淵源にさかのぼることで、そこに隠されていた統治者の意図をみごとに掘り起こしている。