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戦争をしてはいけない──丹羽宇一郎『戦争の大問題』をめぐって(4) [本]

 著者は安全保障と軍備はことなるという。
 軍備拡張が即安全保障ではないのだ。
 安全保障の基本は「敵対しそうな国は懐柔に努め、中立的な国はなるべく好意的中立に、味方はしっかり引きつける」ことである。
 とりわけ、東アジアでは「いかにして中国と敵対せず、友好な関係を築き、味方に引き入れるか」が課題になってくるという。
 中国と政治的、経済的、文化的交流を深め、軍事的緊張関係をときほぐすことがだいじになってくる。
 北朝鮮の脅威を下げるのはむずかしい。それでも日本はアメリカとの同盟関係を維持しながら、中国、韓国、ロシアと友好的な関係を築き、それにもとづいて、北朝鮮の脅威に対応するなら、その危険度は薄まるはずだ、と著者はいう。
 かといって、自衛隊は弱くてもいいというわけではない。むしろ強くあってこそ、相手につけいる隙を与えないのだ。
「相手に効果的に力を誇示してこそ、抑止力は効果を発揮する」のであって、「自衛隊が本当に強ければ日本に攻め込もうとする国はなくなる」と、著者はいう。
 だが、抑止力、防衛力は次善の策であって、「最も大事なことは、敵をつくらない安全保障政策だ」。
 防衛予算は企業会計にたとえればリスクマネジメントのコストであって、むやみに増やす必要はない。軍関連に予算を集中しすぎて、産業力が衰退し、結果として軍も敗れたというのが、戦時中の苦い経験だ。だいじなのはバランスだ、と著者はいう。
 日本の自衛隊はけっして弱体ではない。海上自衛隊の潜水艦能力と対潜能力、ミサイル防衛能力は米海軍に匹敵する。
 航空自衛隊の戦闘機の性能とパイロットの技倆は中国空軍と同レベル、空中早期警戒機と電子戦の装備では、日本のほうがややすぐれている。
 さらに日本は最後の防衛戦を担う陸上部隊として、かなり優秀な陸上自衛隊をもっている。
 最近はサイバーアタックやIT兵器が戦争の形態を変えようとしているといわれる。そのいっぽうで、ふつうの市民がテロリストになり、自爆テロを敢行する時代になっている。兵器の優位は、かならずしも人びとの安全を保証するわけではない。新たな対応が必要だろう。
 日本を守るのは自衛隊である。アメリカが日本を守るというのは幻想であり、アメリカ軍が日本に駐留していることの言い訳にすぎない、と著者はいう。
 たとえば、日米安保条約第6条にはこう明記されている。

〈日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。〉

 米軍が日本に駐留するのは、日本を守るためだけではないことがわかる。むしろ日本の防衛は自衛隊にまかせて、「極東における国際の平和及び安全」を維持することが、米軍の主力目的といえるだろう。
 米軍に日本防衛の義務はない。
「もともとはアメリカ軍が日本で自由に基地を置けることを目的とした条約が、一足飛びにアメリカ軍に日本の防衛義務を負わせる条約へ改定されると考えるのは楽観的に過ぎるのではないか」と、著者はいう。
 アメリカでは米軍が日本に駐留するのは、日本の軍国主義化(と核武装)を防ぐためで、安保条約は一種の「ビンのふた」だという意見もあるくらいだ。
 また在日米軍は自衛隊に守られているから安全だというアメリカの軍人もいる。これはブラックジョークみたいなものだが、加えて、日本は在日米軍の駐留経費を7割以上負担している。
「駐留米軍は日本を守るためよりも、アメリカにとっての極東アジアの戦略上、とくに西太平洋の制海権を確保するために不可欠の基地として日本を見ている」と、著者はいう。
 安保条約がなければ、日本は中国に侵略されるというような議論は、浅はかでばかげている。
 著者にみるところ、むしろ実態はこうだ。

〈もし日本が尖閣を巡って中国と戦火を交えるようなことになったら、ほとんどのアメリカ人はなぜ日本の無人島の領有争いで起きた戦争のために、アメリカ軍が中国と戦わなくてはならないのかと考えるだろう。日本人も他国の領土争いには無関心だ。アメリカ人が尖閣問題に興味を持つことは期待し難い。〉

 だから、日本は日本なりの安全保障政策を考えなくてはならない。
 現時点で、日本の安全保障のヘッドクォーターは国家安全保障会議(日本版NSC)のようにみえる。
 安全保障政策は、一義的には総理の判断にかかっている。問題は、安全保障政策を担う総理に「戦争をしてはならない」という、戦後歴代の内閣が引き継いできた戒めが受け継がれているかどうかだ、と著者は考えている。
 戦争は割に合わない。唯一、戦争に正当性があるとすれば、他国から不当に攻撃を受けた場合の正当防衛だ。そうなる可能性は低いのに、いたずらに緊張を高める方策をとるべきではない、と著者はいう。Jアラートなどは、その最たるものだろう。
 日本はいつまでも領土にこだわって中国や韓国との関係を不安定にしておくべきではない、と著者はいう。領土は領土として、両国と積極的に交流を重ね、国と国の友好関係を強固にすべきだなのだ。
 また北朝鮮に対しても、中国、ロシア、韓国、アメリカと共同歩調をとり、北朝鮮と話しあい、北朝鮮が自暴自棄にならぬようにしなければならない。
 南シナ海問題についても、日本はアメリカと中国、双方の動きを冷静に見るべきだ、と著者はいう。

〈南シナ海問題を中国が力を背景に理不尽に海洋に進出し、アメリカがアジア諸国の「航行の自由」を守るために立ち上がったという、単純な善悪の図式にしてはいけない。〉

 一方に肩入れするのではなく、両者の立場を考慮する柔軟な判断力が必要だ、と著者は論じる。
 いま求められるのは、何よりも戦争を回避することだ。

〈グローバル経済の進んだ先進国では、戦争は何ら国益とはならないのだ。……戦争には与える力もつくる力もない。あるのは破壊だけである。〉

 著者は現代史を学ぶことの重要性を強調する。日本が過去アジアを侵略したことや、戦前の日本の指導者に戦争責任があったことも知らねばならない。それはけっして自虐史観ではない。
 戦争の実態を教えるべきだ。
 戦争は国民を犠牲にする。日本は二度と戦争をしてはいけない。

〈戦争をしてはいけない。これを日本のみならず、世界各国の共通の歴史認識としていくことが、我々が現代史を学ぶ意味とすべきだ。〉

 著者は民主主義の重要性を強調する。民主主義のレベルが政治家のレベルを決める。
「極論すれば、戦争を起こさないための最も重要な『抑止力』とは政治家の質だ」という。
 人は往々にして、正しいことを言う人にではなく、強気で勇ましいことを言う人についていく。そのため、民意は時に誤りを犯す。
 日本には大衆を扇動して権力を保持するポリティシャンはいらない。哲学や信念、高い倫理観、道徳心を備えたステーツマンが必要なのだ。
 そのステーツマンは、日本における最大の国益が、国民を戦禍に巻き込まないことだということを自覚していなければならない。
 このあたり、安倍政権にとっては、痛烈な批判だろう。
 国の力はトップの器で決まる。エリートなき国は滅びる、と著者はいう。
「国民から選ばれ、国の舵取りをする政治家は、ステーツマンであるとともにエリートでなければならない」
 エリートとは特権意識をもつ鼻持ちならない輩をいうのではなく、人びとの尊敬と信頼を集める人間性をもつ人のことだ。
「人としての心を磨くことはエリート教育の基本である」
 そのエリートは一夜にして誕生するわけではない。海外生活を含むさまざまな経験と勉強、心の鍛錬によって、はじめてつくられるのだ。
 こうしたエリートを育てることこそ教育の大きな役割だ、と著者はいう。
 これからの日本に求められるのは、日本が中国や韓国をはじめとするアジア各国と交流を深め、協調関係を築くことによって、世界に模範を示すことだという。相手が北朝鮮であっても、力と力ではなく、話し合いの道筋をつけていかねばならない。

〈日本がアジアで成功してこそ、世界は日本を注目し、尊敬し信頼する。/これが21世紀の日本が採るべき唯一の選択肢である。〉

 戦争をしてはいけない。
 時代が戦争に流れていこうとするなか、この忠告をわれわれの基本としなければならない。

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丹羽宇一郎『戦争の大問題』をめぐって(3) [本]

 著者は日本を取り巻く脅威の実態を分析する。
 戦後日本にとって長らく脅威となっていたのはソ連である。
 1964年に中国は初の核実験をおこなったものの、さほど脅威とはみなされていなかった。
 ベトナム戦争が泥沼化するにつれて、アメリカは中国をソ連の対抗軸として位置づけるようになり、1972年にニクソン米大統領の訪中が実現する。
 1970年代後半にアメリカは中国に兵器や軍事技術を提供し、中国軍の近代化に協力するようになった。
 つまり、対ソ戦略では中国とアメリカは「暗黙の同盟国」だった、と著者は書いている。
 だが、ソ連が崩壊し、米ソ冷戦が終わると事態は変わり、1990年代からアメリカは中国を仮想敵国とみなすようになった。そのいっぽうで、中国は「世界の工場」へと発展し、経済面ではアメリカの重要なパートナーになっていく。
「アメリカと中国の間には、軍事的には脅威でありながら、経済的には重要なパートナーという複雑な関係が生まれた」と、著者はいう。
 日本にとっても、その関係は同じである。
 だが、日本人はアメリカ以上の中国に脅威を感じているようにみえる。とりわけ日本人が敏感になっているのが、尖閣問題である。
 しかし、「尖閣で日本と中国の衝突が起きれば、日本にとって勝てる戦いとはならない」と、著者は断言する。
 海軍力ではいまのところ日本が優位だが、航空力ではすでに中国のほうが優位になっている。もし、中国が制空権を握れば、いくら海軍力で島を保持していても、日本は敗北必至となる。
 それでも、日米安保条約があるからだいじょうぶだと考えるかもしれないが、「日中が尖閣で衝突したら、自動的にアメリカが出てくるという議論は幻想に近い」と、著者は断言する。
 アメリカは中国との直接対決を避けようとするにちがいないからだ。
 尖閣では、日本が実効支配をつづけながら、武力衝突を避けることがだいじなのだ。
 中国の国防費は膨張しつづけ、現在、アメリカに次いで世界第2位となっている。
 日本の軍事支出は、中国の5分の1ほどだ。だとすれば、日本は中国に対抗するために大幅な軍備増強に走るべきなのだろうか。
 著者はいう。

〈日本が選ぶべき道は中国との軍拡競争ではない。/中国は核保有国であるうえ、もはや軽視できないほどの近代的通常戦力を有する国である。その中国を我が国の脅威としないためには、防衛力の増強は有効な手段とは言えない。現在、疎遠になっているように見える両国の関係をより深める努力を一層深化させることが、真の我が国の安全保障である。〉

 日本では中国の海洋進出を国際ルールの強引な変更とみる向きが強い。だが、中国側から言わせれば、中国はかつての栄光を取り戻そうとしているだけだということになる。
 南シナ海の現状は、警戒感をもって見つめるべきだが、かといって、いたずらに恐怖をあおりたてるのは慎むべきである。最近の報道はまるで南シナ海の全島を中国が占領して軍事基地化しているかのようにみえるが、中国が保持している島と環礁はごくわずかにすぎない。

〈中国を強引で傲慢で非常識な国と、ただ眉をひそめているだけでは見誤ることになる。日本が強硬に出れば中国が折れるなどと考えるのは、極めて危険なことなのである。〉

 日本人の中国嫌いは、最近ますます強まっているが、アメリカと中国はすでに「新型大国関係」にはいろうとしている。
 アメリカは中国の大国化に懸念をいだいていないわけではない。だが、両国は軍事面でも経済面でも思いのほか密接な関係にある、と著者はいう。
「アメリカと中国が、完全にケンカ別れするという事態はまずないといえる」

〈アメリカ頼みの日本人は、アメリカと中国が対立していると考えているが、むしろアメリカの本音は日本が中国との関係を悪化させてアジアの火種となることやアメリカが巻き添えを食うことを案じているのだということに気づくべきである。〉

 日本でも、中国との偶発的な衝突が発生しないようにするため、日中間のミリタリーどうしの交流と意思疎通が欠かせない、と著者はいう。

 現在、日本にとって、北朝鮮の核とミサイルが大きな脅威となっている。
 すでに北朝鮮は、ミサイルに搭載可能な小型核爆弾をもっているとみてよいだろう。
 日本にとって心配なのは長距離のテポドンよりも、比較的短距離のノドンやスカッドである。

〈いまのところ、もし北朝鮮が日本を狙ってミサイルを発射しようと思えば、軍事的にそれを確実に阻止する手段はない。また、核攻撃に対する被害を最小に抑えるための避難体制もできていない。〉

 北朝鮮にとってみれば、朝鮮戦争はまだ終わっていない。休戦状態にあるだけだ。韓国、アメリカとは依然として平和条約が結ばれていない。
 加えて、1990年から92年にかけ、ソ連(ロシア)と中国が韓国に接近し、国交を樹立したことから、北朝鮮の孤立が深まった。
 そこで、北朝鮮は「中ソの後ろ盾がない以上、自分たちの体制が生き残るためには核しかないと、なけなしの予算を核開発とミサイル開発に投入してきたのだ」と、著者はいう。
 現在の最大の危機は、北朝鮮が自暴自棄になることだ。体制崩壊の危機に瀕したとき、独裁者は何をするかわからない。
 もし米軍が原子炉のみをねらった先制攻撃をおこなっても、朝鮮半島での全面戦争が再開され、ソウルが「火の海」になることは避けられない。
 2002年9月に小泉首相と金正日委員長のあいだで取り交わされた「日朝平壌宣言」では、北朝鮮が核開発をやめる見返りに、日本は北朝鮮と国交を樹立し、経済協力をおこなうことで合意していた。しかし、拉致問題のからみで、国交樹立、経済協力どころではなくなった。
 その後、北朝鮮はますます核とミサイルの開発にのめり込む。
 中国と韓国は、北朝鮮が突然崩壊して、大量の難民が押し寄せることを心配している。
 さらに心配なのは──

〈日本にとっても周辺諸国にとっても、最悪のシナリオは北朝鮮で急激な変動が起きて体制が存続の危機に陥り、独裁者が死なばもろともと常軌を逸し、核ミサイルの発射命令を出すことだ。〉

「北朝鮮は核ミサイルを発射した瞬間に国として終わる」と著者はいう。
 だが、その発射は周辺諸国だけでなく世界に甚大な被害をもたらすだろう。
 核戦争だけは避けねばならない。
 そのためには、どのような安全保障政策を築くべきか。
 著者は次にそのことを論じる。

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丹羽宇一郎『戦争の大問題』をめぐって(2) [本]

 本書がユニークなのは、著者が企業経営の経験に即して、国家運営のあり方を論じていることだ。

〈マーケット・リサーチの甘さ、経営者の判断の誤りが、見込み違いを招くことはビジネスではよくある。それでもリサーチの結果が、まったく収支の見込みが立たないものと結論付けられたビジネスに飛び込んでいくことはあり得ない。/ところが戦前の日本は、このあり得ない決断をした。〉

 日本はアメリカに勝てないという予測は、開戦前からでていた。日本の政治指導者もそのことを知っていた。しかし、やってみなければわからないという無責任な精神主義と妄想的な見通しで戦争に突入する。どこで戦争を終わりにするかすら考えられていなかった。
 マスメディアの責任も大きい。戦前のメディアは敵愾心や戦意をあおるばかりで、国民に冷静な判断や批判的な検証を示すことはなかった。その傾向はいまもある、と著者はいう。

〈戦前のメディアはまさに墓穴を掘り続けた。その後の軍部の独走や統制に手を貸し、自ら報道の自由を危機に陥れていたのだ。そしていま再び同じことを繰り返そうとしている。〉

 一面の情報のみを真実と思いこむのは危険だ。
「好まない相手のことでも知ることが大事なのであり、好まない情報であっても真摯に受け入れる姿勢が求められる」

〈判断を間違えるのは、相手を知らないからだ。危険なのは、知ることができることを知ろうとしない傲慢さであり、自分の好みの情報にしかアクセスしない自己欺瞞である。〉

 近代の歴史をふり返ると、戦争は新興国と覇権国とのあいだで発生する可能性が高い。
 現代の新興国は中国であり、覇権国はアメリカである。現状では米中戦争がおこるとは考えづらい。しかし、「アメリカと中国双方に譲歩するという先進国らしい理性的な判断と行動がなければ、現代でも戦争はあり得ないことではない」と、著者は警告する。
 近年のアメリカは世界のどこかで常に戦争をしているが、1962年のキューバ危機にさいしては、ソ連との戦争を回避する理性を持ちあわせていた。
 また1991年の第1次湾岸戦争では、父ブッシュ大統領がイラクからクウェートを奪還したところで、主力部隊を引き上げるという好判断を示している。
 だが、その後、息子のブッシュ大統領はイラクに侵攻し、多くの混乱を引き起こしたすえ、ISという新たな火種さえ生むことになった。

〈政治家は目先の戦闘に勝てるかということだけではなく、長期的なリスクとゲインのバランスを見通す力がなくてはいけない。そうすれば自ずと戦争という選択肢は消えるはずだ。〉

 著者はアメリカのイラク侵攻は失敗だったと考えている。

 戦争は何のためにするのだろうか。
 領土や権益を拡大するためだ。それが答えのようにみえる。
 しかし、必ずしも戦争は実際の利益につながらない、と著者はいう。「具体的な実利があるかというと、むしろ重荷になることが多い」
 そのことは日本の満州進出をみてもわかる。
 石橋湛山は戦前「小日本主義」を唱え、日本は満州、朝鮮、台湾などの支配地域を放棄せよと主張し、「満州は日本の生命線」という当時の支配的な考え方に疑問を呈した。
 いかに広大な土地を有しても、資本がともなわなければ、ほとんど何の役にもたたない、というのが石橋の考え方だった。
 実際、戦後、80パーセントの領土を失った日本が、かえって急成長し、1968年に世界第2の経済大国になったことをみても、領土拡張主義的な考え方がいかにまちがっていたかがわかる。
 お荷物になるような領土、権益なら放棄したほうがましだ、と著者はいう。
 しかし、こと領土問題に関しては、国民のあいだで合理的な思考が止まり、領土自身が目的化してしまう。領土を守るためには、戦争も辞さないという風潮が高まるのは、とても危険なことだ。
 尖閣問題について、著者はこういう。

〈領土問題で戦争をして、果たしてどれだけの利益を得ることができるのか。我々は尖閣諸島の主権問題にあえて白黒をつけずに棚上げとしたまま、平和友好条約を結んだ日中の先輩たちの智慧に学ぶべきだ。〉

 国の力は、けっきょくのところ領土や資源より人だ、と著者は断言する。

〈その国民を戦争の犠牲にして、益のない領土を守ったり、無理に他国から資源を奪うことにどれだけ合理性があるだろうか。これもまた本末転倒である。〉

 勝てる見込みのないまま「目的なき戦争」に突っ込んでいった日本の旧軍部のご都合主義にはあきれるし、戦意高揚をあおったマスコミの責任も大きいと著者はいう。
 相手を知らないことは、むやみな恐怖と過剰反応を呼び起こす。さらに、怒りや蔑み、差別、優越感、劣等感などが加わると、理性よりも感情が先に立ってしまう。
 人間はいつもそんな弱さをもっている。だからこそ冷静さが必要なのだ。
 相手を知ることが、だいじになってくる。
 戦争の脅威はないといえば、うそになる。
 現在、戦争の可能性はあるのだろうか。
「日本が戦争をするとすれば、他国から侵略されたときか、アメリカが極東で戦争を始めたときにその戦争に巻き込まれるかだ」と著者は書いている。
 注意は必要だ。
 じっさいには、日本の周辺で戦争がおこる可能性は低い。
 米中戦争が勃発するとは、ほとんどだれも考えていない。
 ただ、気をつけねばならないのは、小競り合いが全面戦争にいたる危険性である。
 たとえば、尖閣に日本が自衛隊をだせば、中国も海軍や空軍をだしてくるだろう。そうした事態は避けねばならない。
 また北朝鮮がこのまま核とミサイルの開発をつづけ、これにたいしアメリカが北朝鮮に先制攻撃をおこなうなら、第2次朝鮮戦争が勃発することになる。
 そのさいは、韓国も大きな被害を受ける。日本も北朝鮮の標的となる。
 韓国軍や自衛隊は米軍と協力して、北朝鮮を攻撃する態勢をとるだろう。
 だが、そんな戦争に何のメリットがあるのだろう。
 こうした事態を避けるには、どうすればよいか。
「戦争を知らず、知ろうともせず、安易に戦争を口にすることは無責任であり、結局、国家、国民、そして自らをも害することになる」
 この忠告は重い。

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丹羽宇一郎『戦争の大問題』をめぐって(1) [本]

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 戦争について考えなければならない。
 できることなら考えたくはないテーマだ。しかし、連日のように北朝鮮のミサイル脅威や中国の海洋進出が報じられ、これにたいして集団的自衛権や共謀罪、憲法改正が話題になっているとすれば、その行き着く先の最悪の事態、すなわち戦争の悪夢が頭をよぎるのは、いたしかたないことだ。
 本書は不安や恐怖、怒りといった感情をひとまずおいて、戦争という大問題を冷静に考えようとする。
「戦争を知らずに戦争して他国を懲らしめよという意見はまったく尊重に値しない」と著者の丹羽宇一郎はいう。
 著者は名うてのビジネスマンとして伊藤忠商事を率い、2010年から12年まで中国大使を務めた人物である。
 丹羽は日本の平和と防衛に、いま大きな危惧をいだいている。だが、この困難な状況のなかで、けっして絶望や妄想におちいらず、静かに、力強くひと筋の進路を見いだそうとしている。本書では、その思索の跡が、広範な取材をともないながら、説得力をもってつづられている。
 いまこそ読まれるべき本といえるだろう。

 冒頭にこんなエピグラフが置かれている。

〈戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。/平和について議論する必要もない。/だが、戦争を知らない世代が政治の中枢になったときはとても危ない。〉

 こう発言したのは、だれあろう田中角栄である。
 この元首相も満州での軍隊生活を経験している。
 著者が冒頭に田中の発言を引用したのは、日本政治の方向性に危惧をいだいているからである。
 本書の構成は以下のとおり。

  序 章 それでも戦争を選ぶのか
  第1章 戦場の真実
  第2章 戦争勃発の真実
  第3章 日本を取り巻く脅威の真実
  第4章 安全保障と防衛力の真相
  第5章 日本は特別な国であれ

 例によって、少しずつ読んでみたい。
 著者によれば、近年の日本人の中国嫌いは世界からみても異常だという。

〈世界の中で、抜きん出て中国が嫌いという日本を中国もまた嫌う。まして日本はかつて大陸に軍を進めたという事実がある。過去に迷惑をかけた相手とは、一言、詫びを入れてから話を始めるのが普通のことだ。……お互いの国民が嫌悪し合うような関係は、経済的にマイナスであるばかりでなく、政治的にも危険な事態を招きかねない。戦争はささいなことがきっかけでも起こり得る。〉

 近代以降、日本人は中国人を下に見る意識が強かった。ところが、その中国がいまでは日本を追い抜いてしまったことへの反感が、日本人の中国憎しの思いを強めているのはないか、と著者はいう。
 心配なのは「いまの反中感情がエスカレートして、戦前の侮華思想へまで深刻化することだ」。そうなれば、日中両国は極めて危険な状態に陥る、と著者は危惧する。
 それは中国にたいしてだけではなく、韓国にたいしても同じだ。
「グローバル化、ダイバーシティと言っていながら、中国や韓国のことはお互いの違いを認めず感情的な決め付けで臨むのでは、到底、国際社会でもやっていけないだろう」
 日本は先の大戦で明らかに勝てない戦争を始め、戦争をやめるタイミングを誤り、被害を拡大させた、と著者はみる。
 そのきっかけとなったのは、中国との戦争だった。
 中国と戦争をしたのは満州を守るためだった。
 しかし、ほんとうは満州もやめておけばよかったのだ、と著者はいう。

〈満州の権益に固執することで、中国との戦争、さらに第2次大戦と戦禍を広げていった日本政府の行動は、企業経営でいえば不採算事業に多額の投資をし、その事業を延命させるために企業本体の経営を危うくしていった状態といえる。〉

 こういうとらえ方はいかにも企業経営者らしくて、妙に納得させられる。
 国家経営は企業経営と似たところがある。
 日本の軍部は、やっかいな金食い虫で、暴走をくり返した。
 企業では事業に失敗したら、担当者が責任をとらなければならない。無謀な事業からは早々に手を引くのが常識である。ところが、経営危機を迎えると、実際には冷静な判断ができなくなることが多い。無理やり突っ走ろうとする。
 それは国家でも同じだという。

〈国を無謀な戦争へ突入させた国の経営者が、やめどきを見極められず徒(いたずら)に被害を大きくさせる。現代の日本であっても、こうしたとんでもないリスクは消滅していないのだ。〉

 戦争を知るには、戦争の現場を見極めなければならない。
 そこでは何がおこっていたのか。
 著者は、実際に戦場を経験した人と直接会って、話を聞いている。
 最初の問いは、はたして人は人を殺せるのだろうかということだ。
 殺せるというのが答えだ。
 抵抗感なく人が人を殺せるようにするのが、軍事訓練の役割だともいえる。訓練で最初に教えられるのは、敵は人間ではないということ。躊躇なく始末しなければならない。
 兵士は命令にしたがって人を撃つ。

〈1人を撃てば2人以降は抵抗なく引き金を引けるようになる。それは同時に善良なる市民の感覚を奪う。殺人は日常となり、抵抗感がなくなる。戦争という狂気と自分が一体化してしまうのだ。軍隊は虐殺マシンとなってしまい、兵士もその一部となる。〉

 だれもが同じなのだ。
 著者はいう。「何より同じような状況に置かれれば、自分もまた狂気に走り、虐殺、略奪、強姦、放火を繰り返したに違いないと思う」
 著者は戦場体験者から話を聞く。
 戦争末期、フィリピンのルソン島で日本兵は逃げ回るのが精一杯だった。
 フィリピンに投入された日本軍の兵力は約63万人。その79%の約50万人が戦死した。
「死因はアメリカ軍の迫撃砲による戦死、飢餓、病気による死亡、手榴弾による自決だった」
 南京大虐殺やマニラ大虐殺だけではない。「日本軍による現地人の虐殺、暴行、略奪、強姦はアジア各国であった」という。日本軍を素直に受け入れる現地人など、どこにもいなかった。
「現地の中国人にとって日本軍は殺人集団であり、略奪集団であった」と、著者は指摘する。
 中国の日本軍は、生きた捕虜を標的とする、初年兵の銃剣訓練をひんぱんにおこなっていた。
 1932年に関東軍は、ゲリラによる撫順炭鉱襲撃を事前に通報しなかったとして、平頂山集落の村民を虐殺している。これはあまり知られていない事件だ。
 フィリピンやシベリアでは、人肉食も目撃されている。

〈戦争は人を狂わせる。……日本国内にいたときは、ほとんどの兵士は善良な市民である。善良な市民も戦場では鬼畜・悪鬼の振る舞いができるのである。〉

「天皇陛下万歳と叫んで死んだ兵はわずか」しかいないという。ほとんどの人は父母、妻、子どもたちへのことばを残して、死んでいった。
 自分の命を捨てることに唯一見合う理由は「自分が死ぬことで大切な人の命が守れるなら」ということしかない、と著者は書いている。
 戦場で生き残れるかどうかは運次第でしかなかった。生き残った人も極限の状況を体験している。唯一、「生きて帰らなければ」という強い意志が、冷静な知恵と判断をもたらし、運をひろうことを可能にしたのだ。
 終戦後の収容所生活も明暗をわけた。
 シベリア抑留は苛酷だった。シベリアでは抑留1年目に3割が栄養失調で死んだ。
 フィリピンの米軍捕虜収容所は、逃げ回っていた山中生活にくらべると極楽だった。
 異色だったのは中国軍の捕虜収容所である。蒋介石の指示により、日本人兵士は収容所で十分な食事と休息を与えられ、日本に戻ることができた。
 これはシベリアで5年間抑留されたあと、中国の撫順に送られた日本人「戦犯」についても同じである。周恩来はかれらを手厚く扱い、十分な食事を与えるよう指示をだした。シベリアとはちがい、強制労働もなく、有罪を宣告されたのはごくわずかだった。
 先の大戦における日本人戦没者の数は300万人(310万人とも350万人ともいわれる)を越える。そのうち100万人前後が民間人の犠牲者だ。
 海外での軍人戦死者は212万人。死因の6割が餓死、病死、自殺だったとされる。民間人を合わせると、240万人が海外で亡くなっている。そのうち遺骨が収容できたのは127万柱で、113万人の遺骨は未収容、ないし収容困難だ。戦後はまだ終わっていない、と著者はいう。
 中国に残した負の課題もある。日本軍が中国各地に残した毒ガス兵器の回収・処理も終わっていない。「日本が中国に対して十分やるべきことをやったかというとかならずしもそうとはいえない」
 戦争はロマンではない。戦場の真実を知ることなしに、戦争を語ることはできない。
 さらに読み進めることにしよう。

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『隣国への足跡』を読む(4) [本]

 朝鮮戦争は1950年6月から53年7月まで3年間つづいた。
 戦争が長引いたことで、米軍の後方基地だった日本は特需景気にわいた。
 朝鮮戦争とは何だったのか。
 著者は明確にこう記している。

〈あの戦争は同じ共産圏の中ソの承認と支援を受けた北朝鮮が、韓国(南朝鮮)を併合・共産化するために仕掛けた「共産主義統一戦争」だった。戦後国際政治における共産主義の勢力拡張戦争である。東欧を支配したソ連共産圏が、北朝鮮を押し立て東アジアにも押し寄せたのだ。〉

 この定義は正しい。しかし、当時はこの真相がなかなか伝わらなかった。
 北朝鮮軍は奇襲で南朝鮮を圧倒し、たちまちソウルを占領、韓国政府は一時釜山まで追い詰められた。
 これにたいし米軍を主力とする国連軍が派遣され、北朝鮮軍を押し戻す。その後、中国軍が北朝鮮軍に加勢し、戦局は一進一退の状態となり、現在の南北境界線で休戦となった。
 これが朝鮮戦争の経緯である。
 そのころ、米軍の指揮本部は日本に置かれていた。そして、「日本は朝鮮半島での戦争のあらゆる後方処理を引き受けていた」と、著者はいう。
 日本の保守政権は、朝鮮半島全体が共産圏にはいれば、次は日本が共産化するのではないかと憂慮していた。
 著者はいう。

〈日本は朝鮮半島のすぐ南に位置し、そこからは永遠に引っ越せない。……日本にとって朝鮮半島の存在は一種の“業”のようなものである。〉

 日本は朝鮮戦争によって経済的に潤った。だが、朝鮮戦争にからんで、日本国内でも、政府と左派陣営とのあいだで「戦い」があった。
 自衛隊が生まれたのは朝鮮戦争の影響だといってよい。1952年5月には皇居前広場で、デモ隊と警官隊が衝突し、いわゆる「血のメーデー事件」が発生する。
 当時、日本の進歩派は、反米的で、圧倒的に「北朝鮮」を支持していた。著者によれば、その代表が作家では松本清張だったという。
 松本清張は、朝鮮戦争が北朝鮮ではなく、米国の謀略によって引き起こされたと考えていた。かれの考えには、一貫して、米韓悪玉論と北朝鮮称賛のイデオロギーがみられる。
 だが、「あの戦争は、松本清張の謎解きとは逆に、実は北朝鮮による『謀略朝鮮戦争』だったというのがマトを射ている」と、著者は断じる。
 著者は松本清張のうそを次々と暴く。
 そして、北朝鮮の実態を知ろうとしないことから、その後の北朝鮮による日本人拉致事件を許すことになってしまったのだと述べている。
 いま思えば、そのとおりだろう。
 ここで著者は少年時代に出会った在日朝鮮人の友人たちのことを思いだしながら、いわゆる「祖国帰還運動」の悲劇にふれている。
 祖国帰還運動とは、日本と北朝鮮の赤十字協定によって実現した、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還運動をさしている。
 1959年12月にはじまり、67年までつづき、いったん中断されたあと、71年に再開され、84年に終了した。
 そのかん、9万3340人が北朝鮮に「帰還」した。そのなかには日本人妻約1700人とその子どもなど7000人が含まれていた。
 当時、北朝鮮は「地上の楽園」と思われていた。だが、実際、そこは「地獄」だったのだ。
 帰還運動は「貧困と差別と偏見と抑圧の日本」から「夢と希望の社会主義の楽園へ」の脱出と位置づけられていた。歴史的贖罪意識と社会主義幻想にとらわれる日本のメディアも、その帰還を「人道的措置」などと持ちあげていた。北朝鮮の宣伝にまんまとだまされたのである。
 その化けの皮は早くからはがれていたのに、日本ではなかなか北朝鮮の実態が明らかにならなかった。革新系の社会主義幻想があまりに強かったからだ。そうした幻想は、吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』にも浸透している。映画では北朝鮮に帰還する在日朝鮮人一家の姿が描かれている。
 著者によれば、1970年に赤軍派の学生が「よど号」をハイジャックして北朝鮮に亡命したのも、「贖罪と反日という観念に革命幻想が加わり、人民が苦しめられているという苛酷な独裁国家・北朝鮮の真実が見えなかった、いや見ようとしなかった結果」だという。
 著者自身も北朝鮮幻想や否定的な韓国イメージから脱するには、1978年のソウル語学留学を待たなければならなかったという。
 本書には、ほかにもさまざまなエピソードがつづられている。
 たとえば1968年2月に銃とダイナマイトで武装し、静岡県の寸又峡温泉に88時間たてこもった金嬉老(きんきろう、キム・ヒロ)は、いったいどういう人物だったのだろう。
 そもそも金嬉老が人質をとって寸又峡温泉にたてこもったのは、ヤクザ相手のいざこざから殺人事件を起こし、警察に追われたためである。しかし、この事件が特異だったのは、本人が人質をとったまま生でテレビ出演し、自分の存在をアピールしたからだった。いわゆる劇場型犯罪の走りとされる。
「その結果、いわば単なる殺人・人質事件の凶悪犯人だった人物は一方で『民族的英雄』となり、人びとに記憶されることになった」と、著者は書いている。
 左翼の一部から、金嬉老が英雄とみなされたのは、かれが朝鮮人差別を体現した人物と想定されたからである。
 事件から31年たって仮釈放された金嬉老は、韓国に強制退去となり、釜山で暮らしていた。韓国のメディアも一時かれを英雄扱いしていた。
 ここで著者は、日本生まれの金嬉老が受けたとされる差別の実態をあばいていく。「事件までの39年間の人生で半分近くは少年院や刑務所暮らしだった」という。それは日本人からの差別というより、むしろかれのやくざな性格が原因だ。それにおびただしい女性遍歴。相手の女性はほとんど日本人だ。
 韓国に英雄として「帰国」した金嬉老の暴力沙汰は収まらなかった。韓国でも、女性問題にからみ、殺人未遂や放火、監禁などの容疑で逮捕されている。その行動は日本時代と変わらない。
 金嬉老の最後の願いは、生まれ故郷の日本に帰りたいということだった。朝鮮人差別の一点だけで、この人物を論じるのは無理がある。
 著者は1988年の大韓航空機爆破事件についても論じている。そのときテロを実行し、生き残った金賢姫には何度もインタビューしているという。
 この航空機爆破テロ事件が、北朝鮮による韓国にたいする破壊工作だったことはまちがいない。その目的は、ソウル・オリンピックを妨害ことだった。
 金賢姫に日本語を教育した田口八重子は、北朝鮮に拉致された日本人のひとりである。北朝鮮のテロ工作に日本人が利用されていることを忘れてはならない、と著者はいう。
 著者は日本が拉致事件を許してしまった背景には、日本の治安当局に「国民の安全より国家の安全」を優先しがちな体質があることを指摘している。加えて、それ以上に大きいのはジャーナリズムの責任だという。北朝鮮タブーと贖罪意識が、事実報道の目をくもらせていたのだ。
 拉致事件といえば、1973年の金大中拉致事件も日本が政治的・外交的にひどく悩まされる事件だった。
 1974年には文世光事件もおきている。大阪在住の文世光が、日本の警察から盗んだ拳銃を使って、ソウルで朴正煕韓国大統領を狙撃して失敗、大統領夫人が流れ弾にあたって死亡する事件である。このときには、日本大使館にデモ隊が乱入し、日本国旗を引き下ろす事態にまで発展している。
 著者はこう書いている。

〈朝鮮半島の政治的、社会的葛藤、混乱が時に日本に対し迷惑や被害となって及ぶことは、古代から繰り返されてきた。これはいわば地政学的な宿命かもしれない。宿命だとするとそれから逃れるのは難しい。後は過去の経験を教訓に、知恵を出して、迷惑や被害が少ないよう宿命をうまく“管理”するしかない。〉

 だが、これは朝鮮半島側から日本にたいしても言えることかもしれない。
 最後に著者は、戦後の日韓関係のパラドックスにふれている。
 日韓国交正常化が1965年までずれこんだのは、むしろ日本よりも韓国の事情だ、と著者はいう。

〈端的にいってそれは韓国に反日感情が強かったからではない。むしろ逆で、開放直後の韓国には反日感情がなかった(あるいは弱かった)ため、早期の国交正常化ができなかったのではないだろうか。韓国は国交正常化の前に、国民に反日感情をしっかり植え付ける必要があり、そのために時間がかかったからではないだろうか。〉

 韓国人の反日感情は戦後(解放後)に形成されたのではないか、と著者は疑っている。
 日本の統治時代、日本が朝鮮に鉄道や港をつくり、農地を造成したことはまちがいない。だが、韓国では「日本がいいこともした」ことは、ぜったいに認められない。それは北朝鮮でも同じである。むしろ、北朝鮮では、日本の統治時代のほうが、はるかに抑圧が少なかったといえる。
 日韓国交正常化に踏み切った朴正煕は、共産主義の北朝鮮に対抗するために、韓国を経済発展させることに成功した。かれが日本との国交正常化に踏み切ったのは「経済開発のための資金や技術を日本から手っ取り早く導入するのが目的だった」。
 こうして1970年代には、経済力で韓国が北朝鮮を上回るようになった。
 著者は、朴正煕も金日成も日本の「遺産」だったという。だが、朴正煕が国家運営に成功したのにたいし、金日成はなぜ失敗したのか。
 それは「抗日独立闘争の英雄」として君臨した金日成が、過去の反日に安住し、未来を築くことができなかったからだ、と著者はいう。
 そして、けっきょくは「親日派」のトラウマを背負った朴正煕のほうが、「反日」にあぐらをかいた金日成に勝ったのだ、と著者は結論づけている。つまり、南北の格差は、日本を受け入れたかどうかのちがいが、大きく影響しているというわけである。
 歴史は皮肉にみち、時に予期せざる結果をもたらす。とりわけ日本と韓国(朝鮮)の歴史においては、その傾向が強い。
 いろいろ考えさせられる本である。

『隣国への足跡』を読む(3) [本]

 朝鮮総督府庁舎は1926年に10年の歳月をかけ竣工した。
 日本統治下による近代化を象徴する巨大な建物で、建設にさいして、景福宮(キョンボックン)の一部が取り壊されている。
 景福宮の正面にあった光化門は片隅に移転され、「総督府庁舎の出現によって景福宮は実質的には消えてしまったようなもの」になった、と著者は書いている。
 総督府庁舎は1945年の解放後も、韓国政府の庁舎として残った。朝鮮戦争で焼失した光化門は、1968年に元の正門位置にコンクリート製で復元された。
 旧朝鮮総督府の建物が解体されるのは1995年8月15日である。この解体は「光復50周年記念」の最大イベントとなった。
 とはいえ、この建物が長らく残されたのは、それが近代建築として立派なものであり、まだじゅうぶんに使えたからである。95年の解体時は国立中央博物館になっていた。
 著者はいう。

〈旧朝鮮総督府庁舎は1926年から約70年間、存在した。うち日本統治時代は1945年までの19年間に過ぎない。米軍政時代を含め残り50年間は韓国のものだった。〉

 韓国の歴史にとっても、ゆかりの建物となっていたのである。
 だが、けっきょくは完全に解体・撤去されることになった。
 ちょっと惜しかったような気がする。
 いくつかの例外はあるが、「今やソウル中心部の風景は、日本が深くからんだ『近代』は消え去り『中世』と『現代』だけになってしまった」と著者は述懐する。
 ここで著者は日韓の壁を乗り越えようとしたふたりの作家を紹介する。
 ひとりは韓雲史(ハン・ウンサ)。韓国の人気放送作家だ。
 東京の中央大学で予科学生のとき、兵隊に取られ、京城で開かれた学徒志願兵壮行会で、小磯国昭朝鮮総督に質問を放ち、憲兵に目をつけられた。名古屋で陸軍一等兵として終戦を迎えたが、日本政府からはなんら「感謝と慰労」はなかったという。
 これは、日本軍と「協力関係」にあったいわゆる慰安婦についてもおなじだ、と著者はいう。
 梶山季之は、韓国(朝鮮)で少年時代をすごし、ベストセラー作家として名を馳せたあと、「創氏改名」を素材にした小説『族譜』を出版した。この小説は韓雲史のシナリオで、韓国で映画化された。
 しかし、最近の韓国では和解の発想は後退し、日本にたいする抵抗や闘争のドラマばかりが幅をきかせているという。
 梶山季之はほかにも『李朝残影』(1963年)という作品を残している。著者によれば、梶山がこの小説を書いたのは、少年時代を京城で送りながら、韓国人のことを何も知らなかった「内心忸怩」たる思いからだという。
 しかし、著者は梶山が「過去の日本糾弾と贖罪のあまり、実態をどこか誤解して」いるとも指摘している。
「創氏改名」についてもそうだ。
 著者によれば、創氏改名の目的は、戸籍を日本風に変えることによって、韓国人にはびこる男系中心の家族観を変えることで、もともとの「族譜」を抹消することなど考えていなかったという。とりわけ「皇軍兵士」として韓国人を導入するために、「日本人化」が求められていた。
 韓国では1940年ごろから45年にかけて、日本との一体化が進み、日本への協力がごくあたりまえになっていた。著者によれば、当時のある韓国人は「あのとき、ぼくらは99%日本人になっていた」と述懐しているという。
 解放後の韓国で徹底した反日教育がおこなわれたのも、「『日本人になってしまった』という過去の苦い民族経験」の裏返しなのだ、と著者は書いている。

 ここで著者は、森田芳夫のつづった名著『朝鮮終戦の記録』のことを紹介する。森田は戦前、京城帝大を卒業し、朝鮮総督府の外郭団体に勤務しているときに終戦を迎え、その後、外務省職員となり、日本大使館に勤めた。
『朝鮮終戦の記録』によると、終戦時、朝鮮半島には約71万人の日本人が住んでいたという。ほかに軍関係者35万人を合わせると、朝鮮には100万人を超える日本人がいたのだ。
 北朝鮮では、早くも8月9日にソ連軍が侵攻を開始する。満州からも脱出した日本人が流れこんできた。その後、ソ連軍の上陸、進駐がはじまり、ソ連進駐軍が38度線を封鎖したころから、日本人の引き揚げが遅れ、多くの悲劇を生むことになる。
 京城(ソウル)では8月16日から左翼勢力の扇動による群衆デモがはじまる。略奪や破壊も広がっていた。
 朝鮮総督府による支配が終わるのは9月9日のことである。総督府には日の丸に代わって星条旗がひるがえった。日本人はすべての財産を取りあげられ、引き揚げさせられた。
 北朝鮮では3万4000人の日本人が引き揚げ時に犠牲になったといわれる。その脱出行は苦難の連続だった。38度線を越えたとき「女性たちは一斉に慟哭し、男たちは顔を伏せ涙をこらえた」。
 米軍進駐下の南朝鮮では、日本人の引き揚げに大きな混乱はなかった。ひどかったのはソ連軍進駐下の北朝鮮である。それでも1946年10月中旬には北での集団引き揚げが完了する。だが、ソ連軍によって、一部の日本人技術者が残留を命じられた。その数は900人だったという。
 米軍政下の南朝鮮でも残留を命じられた人がいる。その一人が、韓国の国立博物館の基礎をつくった、考古学者の有光教一。
 有光は戦争末期、博物館の収蔵品を慶州分館と扶余分館に疎開させ、戦災から守った。
 その有光は米軍政庁から、博物館を新生させるため、残留を命じられたのである。
 有光の尽力により、1945年12月3日に、旧総督府博物館は韓国の国立博物館としてよみがえった。開館の朝、景福宮は前夜からの雪で、一面の銀世界になったという。
 開館直後、有光は日本に引き揚げる予定だったが、米軍政庁はかれを政庁顧問として採用した。その後、政治的混乱が広がるなか、有光は慶州の古墳発掘の指導にあたる。有光が日本に引き揚げたのは、古墳発掘が終わった1946年5月のことだった。
 2011年に有光が103歳で亡くなったとき、韓国の国立中央博物館は公式に幹部を弔問に送り、弔花を届けた。日韓の知られざる美談である。
 ところで、残留孤児といえば中国残留孤児のことを思い浮かべるが、韓国の残留日本人妻や日韓混血児のことは意外と知られていない、と著者はいう。北朝鮮軍と韓国軍を経験した日本人残留孤児もいる。かれらもまた数奇な運命に翻弄された。

『隣国への足跡』を読む(2) [本]

 黒田勝弘氏の日韓歴史事件簿をひもといている。
 時代は日清戦争(1894-95)の直後にさかのぼる。
 この戦争で日本は清国を打ち破り、韓国にたいする支配権を握った。
 ところが、独仏露の三国干渉により、日本は影響力の拡大をはばまれる。
 とりわけ、韓国では、親日勢力にたいし親露勢力が巻き返しをはかった。その中心人物と目されたのが、閔妃(ミンピ)、国王・高宗の皇后である。
 こうして1895年の閔妃暗殺事件が発生する。
 日本の駐韓公使、三浦梧楼をトップとする日本人集団(軍人、警察官、壮士を含む)が、王宮を襲撃し、乱暴にも王妃を殺害したのだ。
 福沢諭吉は「実に言語道断の挙動にしてその罪は決してゆるすべからず」と非難した。
 事件後、三浦梧楼をはじめ事件にかかわった者は、ただちに日本に呼び戻されたが、罪を問われることはなく、全員無罪放免となった。
 この事件は「百年を超え、今にいたるまで日本の歴史的痛恨になっている」、「あの事件には『武士道』のかけらも感じられない」と、著者もいう。
 まったくひどいことをしたものだ。
 ちなみに、日露戦争後、いわゆる「武断統治」によって韓国支配を強化したのは、長州閥、とりわけ長州閥の陸軍首脳だという。
「明治日本が朝鮮半島の“管理”を薩摩系にやらせておけば歴史は変わっていたかもしれない」とまで、著者は論じている。武断派ではありえない伊藤博文にしても、事件に責任がなかったわけではない。
 著者は「閔妃暗殺と伊藤博文暗殺は行って来い」の関係なのだから、「もうあの件は恨みっこなしにしようじゃないですか」と韓国側に言っているそうだが、韓国人は納得してくれない、という。あたりまえかもしれない。
 ところで、閔妃暗殺事件には、韓国人部隊も加わっていた。その中心人物、禹範善(ウ・ポムソン)は、事件後、日本に亡命したが、広島の呉で暗殺された。
 そして、著者は広島で亡くなった韓国人のひとりとして、朝鮮王族のイ・ウ(注・ワープロでウの漢字が出てこない)殿下(陸軍中佐)のことを紹介している。殿下は広島への原爆投下で亡くなったのだ。悲運である。
 日本側は韓国の王族の死にたいして礼を尽くした。殿下が亡くなったとき、お付き武官の吉成弘中佐は責任感から自決している。
 広島で被爆により死亡した人の数は20万人にのぼる。だが、その1割の2万人が韓国人被爆者だということは、案外知られていない。
 以前は平和公園の西側にある本川のほとりに「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」が立っていた。1970年に民団広島県本部が立てたものだ。
 しかし、現在、この慰霊碑は平和公園内に移された。韓国メディアが「死んだ後も韓国人は差別されている」と非難したためだ。
 おかしな話だ、と著者はいう。
「在韓被爆者問題に関しては曲折を経ながら広島も日本も官民双方でそれなりによく努力してきたと思う」のに、それを評価する声が韓国ではいまなお聞かれないのは、「実に切ない」と、著者は述べている。
 いっぽうで韓国の土になった日本の皇女もいる。李方子(1901-89)妃である。
 梨本宮方子妃は、李王朝の最後の皇太子、李垠(イ・ウン)殿下と結婚した。夫妻は戦前から戦後にかけ日本に住んでいたが、1963年に韓国籍を与えられ、韓国に“帰国”することができた。李垠殿下は1970年に亡くなる。
 韓国では昌徳宮(チャンドックン)の楽善斎(ナクソンジェ)に住んでおられ、李雅子妃は昭和天皇が亡くなられた同じ年に亡くなった。
 正式には最後の皇太子妃だが、韓国では王妃扱いされていたという。その葬儀は最後の王朝葬礼となった。
 方子妃は障害者福祉事業を通じて、韓国国民から尊敬されていた。
 日韓の苛酷な歴史を背負った李方子妃のことを日本人は忘れてはならない、と著者は書いている。
 なぜか、わが家には方子妃がつくられたという皿が飾ってある。
 これがどういう経緯で、うちにやってきたのかはよくわからない。
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『隣国への足跡』を読む(1) [本]

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 著者、黒田勝弘氏のソウル在住はすでに35年になるという。
 この間、記者として、ずっと韓国の動きを追ってきた。
 韓国が嫌いならば、35年もソウルに住みつづけるわけがない。韓国はどこか人をひきつけるものがあるのだろう。
 とはいえ、著者はあくまでも日本人としての立場を忘れない。日本人としての素直な目で韓国と韓国人を見つめ、いうべきことはいっている。
 いまもっとも信頼できる韓国ウォッチャーのひとりだ。
 日本と韓国は永遠の隣国である。近いがゆえに、ときに近親憎悪のようなものもわく。だが、著者は憎悪からではなく、あくまでも冷静かつ親密に、韓国の人びととつきあおうとしている。そこで保たれているのは、たがいに軽口や悪口をたたきながらも、暴力沙汰を避け、相手のことをずっと忘れないといった関係だ。
 そうはいっても、近代における日韓関係の歴史は、あまりにも複雑で、時に苛酷な経緯をたどってきた。本書はそのポイントとなる、さまざまな事件をたどりながら、永遠の隣国である日本と韓国の歴史を解き明かそうとする意欲作だといってよい。
 全体は15章で成り立っている。
 そのテーマは、
 ハーグ密使事件、日露戦争のはじまり、竹島問題、閔妃暗殺事件、広島と韓国人、李方子妃、総督府庁舎の解体、韓雲史と梶山季之、苦難の引き揚げ、総督府と国立博物館、朝鮮戦争と松本清張、祖国帰還運動の悲劇、金嬉老事件、KAL事件と金賢姫、金日成と朴正煕……
 などといったところ。
 いずれもおなじみのテーマだが、かしこまらず、気楽に読むことができる。そして、読後は、日本と韓国はいろいろあったし、いまもいろいろあるけれど、過去のことを忘れず、かといって、たがいにエキセントリックにならず、これからもつきあっていこうといった気分にさそわれる。
 ぼく自身もいろんなことを思いだしながら、この本を読んだ。
 以下は、例によって、くどくどしい読書メモである。

 最初に取りあげられるのは、いわゆるハーグ密使事件である。
 著者が偶然にも時の皇帝、高宗(コジョン)が密使にさずけた委任状なるものを手に入れたところから話がはじまる。
 1907年のハーグ密使事件とは、そもそもどういう事件だったのか。
 日露戦争(1904〜05年)でロシアに勝った日本は、朝鮮半島にたいする支配権を強めた。
 1905年にはいわゆる日韓保護条約が結ばれ、日本は韓国を日本の保護国とした。
 韓国側はこれに内心反発し、1907年にハーグで開かれた万国平和会議に3人の密使を送り、日韓保護条約の無効、不法を訴えた。
 これがハーグ密使事件である。
 これにたいし、日本側は密使がニセ者だと訴え、皇帝の委任状もインチキだとして決着をはかった。
 著者はたまたま行商から皇帝の本物の委任状なるものを手に入れた。しかし、調べた結果、それはどうも偽造で、どうやらうまくだまされたらしいとの結論を出さざるをえなかった。
 それはともかく、ハーグ密書事件の顛末はどうだったのだろう。怒った日本側は高宗を退位に追いこみ、息子の純宗(すんじゅん)を皇位につけるが、3年後には韓国を併合してしまったのだ。
 その前、1909年に安重根によって、伊藤博文が暗殺されていた。
「とすると『ハーグ密使事件』というのは高宗など韓国側の思惑とは逆に、結果的には韓国の日本への併合を促したということもできる」と、著者は書いている。
 歴史の皮肉のひとつである。
 次に場面はすこし前に戻って、日露開戦のシーンへと移る。
 日露戦争の本質は、朝鮮半島の支配権をめぐる日露間の争いだった。
 日露が戦端を開いたのは、韓国の仁川(インチョン)沖である。
 日本艦隊は仁川沖に停泊するロシア艦隊を砲撃、これによりワリヤークなど2隻の戦艦を撃沈した。1904年2月のことである。
 そして、日本はかろうじてロシアを打ち破ることによって、韓国(朝鮮)を支配することになる。
 韓国人の反日感情は根強い。
 著者はいう。

〈以下のことは日本人がいうと韓国人たちは「過去を正当化するもの」といって反発するが、もしその後の日露戦争でロシアが勝っていれば、韓国がロシアの支配下に入っていたことはかなりの確率で確かだろう。日露戦争は韓国にとっては迷惑な戦争だったが、韓国支配強化につながった勝者の日本が後に“悪者”になったからといって、敗者のロシアが免罪されるわけはないだろう。〉

 歴史にイフはないのだが、この問題は微妙である。
 西郷隆盛もそうだが、伊藤博文も韓国を征服しようなどとは考えておらず、あくまでも韓国の自立を念頭においていた。最初から、韓国を植民地化しようと思っていたのは日本の軍部である。
 日本側は最後までロシアとの戦争を避けるよう努力したが、けっきょく戦争は避けられなかった。
 そして、もしロシアが勝利していれば、朝鮮半島はロシアの支配下にはいったばかりか、日本海もロシア艦隊の制圧するところとなっただろう。すると、日本自体の安全もおびやかされることになったにちがいない。
 もし朝鮮半島がロシアによって支配されていたら、その後の韓国の歴史は悲惨なものとなったはずだ。だが、その後、日本は韓国統治をうまくやりとげたとも思えないのである。
 ぼく自身の感想がですぎた。
 本の中身に戻ろう。
 著者は、釜山のすぐ西にある巨済島(コジェド)に日露戦争後に東郷平八郎の揮毫をもとにした石碑が、倉庫に残っていることを紹介している。「本日天気晴朗なれども波高し」の歴史的一文を刻んだ石碑である。この電文が発せられたのは、ここ巨済島からだったという。
 ところで、島といえば竹島問題である。
 竹島(韓国側のいう独島)も日露戦争と関係が深い。
 竹島が日本領(島根県)に編入されたのは、1905年2月。まさに日露戦争のさなかだった。日本海海戦は5月下旬のことである。
 竹島の日本領への編入は1910年の韓国併合に先立つから、竹島の領有権は日本にある、と日本側は主張してきた。これにたいし、竹島は古来、韓国の領土であり、韓国がすでに保護国となっていた時代に日本によって奪われたものだ、と韓国側は主張する。
 現在、韓国が「武装占拠」している竹島は、著者が遠望したかぎり「巨大な赤茶けた岩礁」であり、自然破壊がはなはだしい。昔いたアシカもいなくなってしまった。
 著者はいう。

〈不思議なことに韓国は、竹島に多くの人工施設を作り、年間20万人以上の人間を送り込み、島を“満身創痍”にしておきながら島を「天然保護区域」に指定し、天然記念物扱いしている。……これではアシカも島には寄り付かない。今からでも遅くない。日韓共同で島を「ユネスコ世界自然遺産」に登録申請しようではないか。〉

 もちろん皮肉であり、冗談だ、と著者はいう。
 でも、案外、ほんねだったりして……。
 竹島問題の解決には、もっと両国の知恵が必要だ。
 そのさい、指針になるのはナショナリズムではなく、トランス・ナショナルな精神だろう。

『不道徳な見えざる手』(短評) [本]

 村上春樹に「パン屋再襲撃」という短編がある。猛烈に腹の減った「ぼく」は、妻といっしょに、10年前と同じように、ふたたびパン屋を襲撃しようとする。しかし、トヨタ・カローラで東京の街を回っても、昔、襲撃したようなパン屋はみつからない。仕方なくマクドナルドを襲うことにする。散弾銃を見た店長は売上金を差しだそうとするが、「ぼく」はそんなものに見向きもしない。テイクアウトでビッグマックを30個強奪する。
 この物語には、左翼過激派にたいする皮肉を含め、さまざまな寓意が隠されている。いくら猛烈に腹が減っていても、わざわざ武装して、パン屋を襲うこともあるまい。おかねを払って、パンを買えばすむことだ。しかし、「ぼく」はそうしない。暴力によって、直接、自分の欲望を満たす道を選ぶのだ。そう書くと、なんだか深刻な話めいてみえるが、じっさいは軽妙な展開に大笑いしてしまう傑作掌編である。
 イギリスの経済学者、アルフレッド・マーシャルは『経済学原理』を「欲望とその充足」という項目からはじめ、最初に分業論をもちだすアダム・スミスとはことなる新古典派経済学を切り開いた。ありていにいえば、資本は需要があってこそ資本なのだということを示したのだ。
「パン屋再襲撃」がおもしろいのは、現代経済学の常識を、いわば人類学的にひっくり返そうとしたところにある。商品世界では、人はおかねで商品(財とサービス)を買って、みずからの欲望を満たす。つまり、欲望は直接満たされるのではなく、おかねと商品を媒介にして満たされるのだ。でも、それはどこか引っくり返った世界で、自然な欲望は直接、身体と行動によって満たすのがあたりまえだと思うところから、村上春樹は小説の想像力をふくらませている。
 本書『不道徳な見えざる手』も、商品世界における欲望をめぐる考察である。日本語版タイトルから推察すれば、いかにもアダム・スミスの『道徳感情論』や『国富論』を意識して、自由市場礼賛を否定する一大理論を打ち立てているかのようにみえる。しかし、それほど重い論考ではない。なにかと商品を買いこむ、みずからの経済行動をふり返り、現代の経済社会のあり方を考えなおしてみようという程度の軽い経済エッセイだ。その考え方は、公共的役割を重視する新ケインズ派の立場にもとづいている。
 著者はジョージ・アカロフとロバート・シラー。ふたりともノーベル経済学賞の受賞者だ。前に同じく共著で『アニマルスピリット』を出版している。アカロフは現在の米連邦準備制度理事会(FRB)議長ジャネット・イエレンの配偶者でもある。シラーは金融経済学が専門で、サブプライム危機に警鐘を鳴らしたことで知られる。
 原題はPhishing for Phools だ。Fishing for Fools と言いなおしてみればわかりやすい。「カモを釣る」というわけだ。Phool は造語だが、Phishing はすでに英語でも日本語でも定着している。すなわちフィッシング。ネット詐欺でおなじみの手法だ。本書ではこのフィッシングがもうすこし幅広い意味で使われている。またフールの造語であるPhool が、少数の際立つ「バカ」をさすのではなく、ほとんどの人にあてはまる「おバカ」をさしていることにも注目すべきだ。
 ここで論じられているのは、人びとの需要を満たすために、企業(資本)がいかに適切な供給をおこなうかというおめでたい話ではない。資本がいかに欲望と需要をつくりだし、おバカな消費者をカモとして釣りあげているかという告発である。つまり、われわれはだれもがアホなものを買って、いや買わされて、充実した人生を送っていると思いこまされているというわけだ。
 商品世界においては、人は会社員としての顔と消費者としての顔をもっている。消費者としてのわれわれは、いつのまにか消費習慣をすりこまれているし、宣伝や情報にだまされやすくなっている。いっぽう会社員としてのわれわれは、カネもうけがすべてだ。こんな仕事したくない、カネもうけなんかいやだ、と社の命令を拒否する人は、首になるのが落ちだ。
 著者はいう。自由市場はごまかしと詐欺に満ちている。しかし、自由市場に変わるシステムは見当たらない。だとすれば、ごまかしと詐欺に満ちた市場のなかで、消費者はどう身を守り、政府関係者はそれをどう規制し、会社員はそのなかでどうはたらけばよいのかが問われてくる、と。
 取りあげられているのは、おもにアメリカの事例だ。しかし、とうぜん日本にもあてはまる。
 商品世界は一筋縄ではいかない。たとえば自動車、電話、電灯はどれも19世紀末の発明だ。いずれも現代の生活に欠かせないものになっている。だが、スロットマシンがつくられたのもそのころだ。スロットマシンはギャンブル依存症を生み、さらに現代のコンピュータ・ゲームへとつながる。そうしたマシン(最近のスマホも)は、人を中毒させるよう設計されているのだ、と著者はいう。
 現代社会において欲望をつくりだしているのは企業(資本)だ。新たな欲望を引きだす商品に消費者(カモ)が引っかかり、釣り(フィッシング)が成功すれば、企業は特別利潤を得ることができる。自由市場は人がほしいものを生産するだけではなく、「そうした欲求を作り出し、企業が売りたいものを人々が買うよう仕向ける」。
 その仕掛けはじつに巧妙だ。たとえば、スーパーの棚はマーケティングにもとづいて、計画的に並べられている。クレジットカードも誘惑の元だ。「消費者を誘惑して買うように仕向け、お金を使わせるというのは、自由市場の性質そのものに組み込まれている」。この誘惑に打ち勝つには、かなりの自制を要する。
 この80年間に所得が何倍にもなったのに、人がかえって毎日あくせく過ごしているのは、商品世界が「人々に多くの『ニーズ』を生み出し、さらに人々にそうした『ニーズ』を売りつける新しい方法も考案した」ためだ、と著者はいう。だから、所得が増えても、多くの人がローンの支払いに追われ、生活はずっと苦しいままなのだ。
 そして、たとえば広告。広告は人の心にはいりこむ「物語」をつくりだす。その物語は、さまざまな商品が人びとにもたらす奇跡をえがいたものだ。広告は食品から飲料、化粧品、薬、洋服、スマホやパソコン、自動車、住宅、金融商品など、ありとあらゆる分野におよんでいる。広告キャンペーンにさらされていると、人の心のなかには、あれこれの商品イメージが浸透し、あたかも自分が商品の紡ぎだす夢やライフスタイルのなかでくらしているかのような錯覚におちいる。
 しかし、現実はどうだろう。高額のローンを組んで買った住宅に不満を覚えている人は多い。車だって、はたしてどれほど有効に利用しているだろう。食品産業のつくりだす食品は、砂糖と塩と脂肪まみれだ。それが胃腸の病気や糖尿病を引き起こす要因になっている。健康食品がはたしてどれだけの効果をもっているか。製薬会社のつくりだす薬も、重大な副作用をもたらすものが少なくない。なかなか広告どおりにはいかない。
 加えて依存症の問題もある。その代表がたばこ、酒、ドラッグ、ギャンブルだ。たばこと肺がんの因果関係はすでに明らかになっている。アルコール依存に悩む人は多い。深酒は人格を変え、人を傷つけ、健康を損ない、人生を台無しにする。どっぷりつかってしまうのは、スマホやパソコン、テレビだって同じだろう。評判のフェイスブックにしても、いつも自分や友達の記事が気になり、けっこうな時間、振り回されていないだろうか。
 自由市場に利点があることは著者も認めている。だからといって、それを手放しで称賛するわけにはいかない。そこには欠点もあるからだ。
 新しいアイデアが新しい商品(製品やサービス)を生み、消費者の選択肢が増え、そのなかで利潤を生むものが、商品として生き残っていくというのが、市場の原理だ。商品の発展と広がりは、資本や技術(発明)、それに労働生産性の上昇が関係してくるが、商品の種類と量が拡大すれば、経済成長につながる。
 しかし、どんな発明(新商品)も、すべてすばらしいというわけではない。かつて柳田国男が「木綿以前の事」で論じたように、どれほど画期的な商品も、思わぬ影響を引き起こすのだ。自由市場は危険市場でもある。それでも自由市場が存続しているのは、いっぽうでその危険に対処しようとする人びとがいるからだ、と著者は力説する。たとえば、自動車や飛行機は危険な商品だ。だが、その安全を守るために、常にさまざまな工夫がこらされ、現在にいたった。
 暴走しやすい自由市場にたいし、安全性というブレーキをかける人びとが存在することによって、自由市場は──言い換えれば現代社会は──はじめて存続可能になる、と著者はいう。アメリカでは、そうしたブレーキ役として、たとえば食品医薬品局(FDA)や全米消費者連盟(NCL)、ベタービジネスビューロー(BBB)のような組織や団体がある。それは日本でも同じだろう。
 政府や裁判所、議会の責任が大きいのはいうまでもない。政府と裁判所は法にもとづいて、詐欺やフィッシング、不当行為、経済的被害などに対処しなければならない。議会は新たな経済問題に対処するために新たな立法をおこなう重要な責務を担っている。
 自由市場は、その市場をチェックし、暴走を阻止する装置があって、はじめて成り立つ、と著者は考えている。社会保障の有効性も否定しがたい。年金や失業保険、健康保険が、人びとの生活不安を軽減している。これからは贈与制度の充実やベーシック・インカムの考え方も重要になってくるだろう。
 市場はそれ自体が諸刃の剣だ。市場が不健全な状態になるのは、けっして外部要因によるわけではなく、市場がほんらいもつ性格によるのだ、と著者はいう。人びとがほんとうに求めているものと、人びとが買おうとするものとは異なる。消費者はいわばカモとみなされている。イメージづけされた商品を買わされているのだ。著者がフィッシングはいたるところにあるというのは、そのことを指している。
「かなり自由な市場を持つ現代経済は、先進国に暮らす私たちにはこれまでのあらゆる世代がうらやむ生活水準をもたらした」。そのことを著者は認めている。しかし、市場社会にはアクセルだけではなくブレーキも必要なのだ。そして、とりわけブレーキの役割を強調することに、本書の力点がおかれている。
 それでも、ぼくは心の片隅で、資本のつくりだす商品世界がどこか転倒しているのではないか、と疑う。国家が人びとの欲望を統制する社会主義がいいとはまったく思わない。しかし、商品世界がますます発展し、人が24時間はたらいて、あらゆる場所に商品(財とサービス)が豊かにあふれ、次はAIがコントロールする社会がやってくるといわれて、それがはたしてあるべき未来なのかと思うと、いささか気がめいってくる。そんなときは、こう考えるようにしている。ほんとうは、未来は「逝きし世の面影」のなかにしかない。未来は過去にあるのだ、と。


イアン・カーショー『地獄の淵から』短評 [本]

 日本の近代がヨーロッパ列強をモデルとして形成されてきたことは、三谷太一郎の近著『日本の近代とは何であったか』でも指摘されている。政党政治も資本主義も植民地支配も天皇制も、ヨーロッパとの遭遇の産物だった。
 明治維新というクーデターの背後には、フランスを後ろ盾にする幕府に対抗し、イギリスの支援によって中央集権国家をつくろうとする薩長の思わくがあった。1871年から73年にかけての岩倉使節団が、不平等条約の改正よりも欧米視察を優先したことも、よく知られている。
 日露戦争を前に、日本は1902年にイギリスと日英同盟を結んだ。その条約は、1921年にワシントンで締結された「4カ国条約」を機に廃棄される。その後、アメリカに対抗するため、日本はナチス・ドイツと同盟を組み、1940年に日独伊三国同盟が発足した。
 第2次世界大戦に敗れた日本は、1951年にアメリカと日米安保条約を結んだ。日米安保体制は現在も維持され、近年、日本は同盟国として、より積極的な軍事的役割を果たすようアメリカから求められている。
 最近の動きはおそろしいほど急速だ。特定秘密保護法、集団的自衛権、安全保障関連法、さらに共謀罪、憲法改正へとつづく怒濤の勢いをみれば、戦後の平和はとっくに終わって、すでに新たな戦争がはじまっているとすら思えてくる。
 ところで、今回の書評はこうした心配な動きとは直接関係がない。一歩立ち止まって、ヨーロッパ現代史を振り返ってみようというわけである。ヨーロッパ現代史は、ヨーロッパをモデルとして発展してきた日本の近代と切り離せない。村上春樹風にいえば、ヨーロッパは日本のパラレルワールドだ。
 本書は1914年から49年までのヨーロッパ史である。その後、現在までをえがく続巻も予定されているという。著者のイアン・カーショーは、イギリスの歴史家で、とりわけナチズム研究で知られ、ヒトラーについての浩瀚な伝記も出版している。
 1914年から45年にかけ、ヨーロッパは悲惨な自滅の時代を経験した、と著者は記している。まさに地獄を味わい、ようやく地獄を抜けたのだといってよい。続刊は、その地獄のなかからヨーロッパがいかにしてよみがえったかがテーマになるという。その意味で、本書と続刊は、ヨーロッパの死と再生をえがく歴史になるはずだ。
 20世紀前半にヨーロッパの破局をもたらした要因は4つあるという。
(1)民族主義・人種差別主義的ナショナリズム
(2)領土修正をめざす激しい要求
(3)ロシア革命を背景とした先鋭的階級闘争
(4)長期化する資本主義の危機
 並べてみると、何だかいまと似ている。歴史はくり返すという格言が頭に浮かぶ。しかし、当時とはどこかちがっていると思わないでもない。少なくともいまのヨーロッパでは(2)と(3)の要因は、さほど強くない。とはいえ、最近のボスニアやコソボ、チェチェン、さらにはクリミア問題、ISによるテロ、広がる経済格差や暴動などをみれば、その要因が消えたとも思えない。
 また、ヨーロッパの枠をはずして世界全体をみると、当時ヨーロッパを揺るがせた4つの要因は、場所と形態を変えただけで、現在でも引きつづき残っているといってまちがいないだろう。
 歴史は現実におこったできごとだ。小説や物語とはちがう。科学・軍事技術が発達したいまでは、ちょっとした判断と行動の誤りが取り返しのつかない災厄を招く。歴史を学び、歴史を教訓とすることがだいじなのは、人類にとって、くり返される最悪の事態をできるだけ避けるためでもある。
 1914年から49年にかけ、ヨーロッパでは次のようなできごとがおきた。
 100年つづいたウィーン体制が、第1次世界大戦(1914〜18)によって崩壊した。だが、大戦後の領土再編が国家間、民族間、階級間の対立と緊張を緩和することはなかった。それはむしろ憎しみの連鎖を生んで、次の衝突への導火線となっていった。
 大恐慌(1929)後の世界経済は混乱し、大衆の不安が増していた。そこに台頭したのが、力の政治をうたう政治勢力だった。とりわけ、イタリアとドイツでは、反ボリシェヴィズムとナショナリズムが結合して、右翼大衆運動が巻き起こり、極右勢力が政権を掌握した。そのあとは、破滅的な第2次世界大戦(1939〜45)までまっしぐらである。
 この書評では、ほんのさわりしか紹介できないが、こなれた訳文が、本文だけでA5判2段組500ページ近い大著を、最後までぐいぐいと引っぱって、あきさせない。読者はまるで鳥の目になったように、20世紀前半の東西南北にわたるヨーロッパ全体の構図をくまなく見て回ることができるだろう。
 しかし、圧巻なのは、やはりヒトラーとスターリンという巨悪が無気味に浮上していく部分である。そのはじまりは1930年代ではなく、1920年代だった。はじめはほんのちいさな運動が、大きな渦となって歴史を巻きこんでいく。
 ファシスト運動をはじめたのはイタリアのムッソリーニだ。1924年、ムッソリーニのファシスト党は、改正選挙法のもとイタリアの議席の3分の2を掌握した。そのあと社会党書記長のジャコモ・マッテオッティが暗殺されると、野党はたちまち排除され、報道は国家管理下に置かれる。
 同じ年、ソ連ではレーニンが死に、スターリンが権力を掌握した。スターリンのもと、ソヴィエト政権は以前にも増し、恐怖政治の度合いを強めていく。
 そのころヒトラーはナチスの指導者になったばかりだ。「ドイツのムッソリーニ」ともてはやされ、自信をつけたヒトラーは、1923年にミュンヘンで一揆をおこすが、たちまち逮捕され、ランツベルク刑務所に8カ月収監された。
 いっぽう、ソ連で権力を握ったスターリンは、まずジノヴィエフ、カーメネフ、ブハーリンを味方にしてトロツキーを追いだし、それからジノヴィエフとカーメネフを党から除名し、最後にブハーリンを分派主義者として失脚に追いこんでいった。スターリンが名実ともにソ連共産党の最高指導者となるのは1929年のことだ。そのあと粛清と恐怖政治の1930年代がつづく。
 1929年の大恐慌はドイツに経済危機をもたらした。社会民主党政権は崩壊し、1930年9月の総選挙で、ナチスは18.3パーセントの得票率で第2党に踊りでる。だが、このときは共産党も支持を伸ばしており、ヒトラーが首相になる可能性は低いと思われていた。
 それがいっこうに回復しない経済状況のなか、風向きが変わってくる。社会民主党と共産党との足の引っ張りあいにドイツ国民はうんざりしていた。1932年8月の総選挙で、ナチスは得票率37.4パーセントを獲得し、ついに第1党となる。その結果、1933年1月、ヒンデンブルク大統領の後押しで、ヒトラーが首相に就任するのだ。
 政権の座につくと、ヒトラーは社会主義者と共産主義者を一斉逮捕し、監獄や収容所に送りこんだ。緊急命令により、無制限の警察権も認められるようになった。3月には全権委任法が議会を通過し、ヒトラーは無制限の立法権を掌握する。共産党は粉砕され、社会民主党は禁止された。そのほかの政党も禁止、または解党に追いこまれた。あっというまの展開である。
 1934年6月、ヒトラーはみずからの対抗馬となりそうなナチス突撃隊(SA)隊長のエルンスト・レームを粛清する。粛清者はほかに150〜200人にのぼった。8月にヒンデンブルクが死ぬと、ヒトラーは国家元首の地位を引き継ぎ、総統となった。
 ヒトラーの経済政策は功を奏する。左翼政党と労働組合がつぶされたことで、企業は賃金を引き下げ、利益を最大化することが可能になった。そのいっぽうで雇用創出計画により、道路建設や土地開発が促進された。公共事業、自動車産業の育成、農業保護、さらには軍備支出が、経済を新たな地平へと引き上げていく。
 しかし、ドイツの経済回復はそれ自体が目的ではなかった。ナチスの目的は軍事力強化による領土拡大であり、経済はその手段にすぎなかった。そこから第2次世界大戦までは一直線である。
 著者によれば、ヨーロッパの1930年代は独裁体制の時代だったという。
 独裁体制に共通する特徴は、複数政党の廃止、個人の自由の制限、国家によるマスメディア支配、独立した司法の廃止、警察権による反対派の弾圧などである。独裁政権は民族ないし国民を代表すると称していた。しかし、現実に支配していたのは、ひとりの独裁者だった。
 ドイツ・ファシズムの特徴は、加えて、領土拡張主義的な性格をもつ軍事独裁政権だったことである。この点では、日本のファシズムも同じ特徴をもっていた。
 ボリシェヴィズムとファシズム(ナチズム)は、対極にあるようにみえて、自由民主主義に反対する点は共通している。いずれも国民(人民)を教育して、イデオロギーの献身的信奉者にし、国家目的(戦争や革命)に駆り立てることをめざしていた。その統治手法は「社会の完全な組織化、敵と少数派に対するテロ攻撃、極端な指導者礼賛、独占政党による容赦ない大衆動員」からなる、と著者はいう。
 ここまで、ほんのさわりを紹介しただけでも、何かぞくぞくするものを覚えてきた。それは、現在も小ヒトラー、小スターリンがあちこちで生まれつづけているからではないか。第2次世界大戦の死者は少なくとも5000万人(大きくみれば8000万人)にのぼる。地獄への道は善意で(いや愛国心で)敷き詰められている。下手なホラー小説よりこわい本である。