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ソ連時代の消費生活(1)──オックスフォード版論集『消費の歴史』から [商品世界論ノート]

 オックスフォード版論集『消費の歴史』(The History of Consumption)には全部で34の論文が収められているのだが、1本はせいぜい15ページくらいなので、難解な部分を飛ばしさえすれば、ぼくのような素人でも概要くらいはつかむことができる。気のおもむくままに読んでいる。
 今回はシーラ・フィッツパトリックの「ソ連時代の消費生活」(原題はSheila Fitzpatrick, Things Under Socialism: The Soviet Experience)を読んでみる。厳密にはソ連が成立するのは1922年のことだが、ここでは1917年のボルシェヴィキ革命後の5年もソ連時代に含めておくことにしよう。
 以下は前半の要約。
 社会主義のもとでは、財はいかなる問題も引き起こさないと考えられてきた。それが問題を引き起こすのはもっぱら資本主義の場合とされていた。
 財は資本主義のもとで商品となり、利益を求めて売りにだされ、欲望やねたみ、それに「物神崇拝」を生みだすばかりか、不公平な分配をもたらす、というのが社会主義の立場からの批判である。
 これにたいし、ソ連の理論家、ブハーリンとプレオブラジェンスキーは『共産主義のABC』のなかで、共産主義のもとでは商品はなくなり、財だけとなると論じた。それらはマルクスとエンゲルスが主張したように「各人の能力に応じ、各人の欲求に応じて」配分されるとした。
 しかし、個人の欲求などというものが、はたして決められるものなのだろうか。だれかがもっとほしいというなら、それに応じることができるだろうか。
 ブハーリンらによれば、こうした問題が生じるのは短期間で、一時的には個人の労働量に応じた分配方法が必要になってくるけれども、こうした問題はすぐに克服されるのだという。というのも、社会主義のもとでは、ありあまるほどの財がもたらされるから、分配をめぐる争いなどはなくなってしまうからだ。財がふんだんに提供されるのは時間の問題だ、とかれらは主張した。
 将来にたいする楽観論は、革命が完遂されるまでは、物品が不足する場合もあるという認識と結びついていた。したがって、当面の任務は貧乏人を豊かにし、金持ちを貧乏にすることだと考えられた。こうしてソヴィエト初期の政策と実践は再分配の実施に向けられることになった。
 この再分配戦略で最初に実施されたのは、民間企業や個人財産、工場、金融機関を国有化し、住宅を自治体の管理下に置くことだった。そのため、国家は「階級の敵」であるブルジョワジーから財産を奪った。プロレタリア国家である以上、財産はプロレタリアートのものと考えられたからである。
 人びとが直接ブルジョワの財産を奪う事態も発生した。1917年には農民が地主を所有地から追いだしたり、都市の「革命家」が店や住宅に押し入ったりする事件も発生している。また集権化が進んだ1920年代には、農民たちが富農と目された「クラーク」の土地を収用し、その分け前にあずかっている。
 しかし、直接的な民衆行動は荒っぽいもので、ボルシェヴィキは一般にそうした行動を抑えようとした。正しい財産没収法は、党や国家の機関に通報し、没収品の目録をつくることだった。家捜しの結果、「人民の敵」とみなされるような物品が見つかった場合、所有者はその「目録」に署名させられ、物品を押収される。こうしてブルジョワ的財産の没収が、社会主義の第一歩となったのである。
 再分配の積極的一面、それは必要とする者に押収財産を譲渡することだが、革命初期の時代には、きわめて大ざっぱにおこなわれた。国家による配給制は、どちらかというと戦時体制に即したものだが、ロシアでは帝政が倒れたあとも、暫定政府のもとで、それが引き継がれ、パンや砂糖、肉などが配給制となっていた。だが、1917年10月以降、ソヴィエト体制となっても配給制は廃止されなかった。配給制はプロレタリア的な仕組みとみなされるようになるのである。
 住宅政策についても同じ原則が貫かれた。都市では広々としたブルジョワのマンションをプロレタリアートに配分する方策がとられ、かつての所有者は一部屋か二部屋に閉じこめられた。これはのちの悪名高い「集合アパート」の原型となった。ここではひとつの部屋にいくつもの家族が暮らし、台所や風呂、ホールも共有されていた。集合アパートは社会主義イデオロギーの産物だったといえる。
 社会主義においては、集団生活が政治方針だったとみてよい。家族は集団で食事をとり、同じ洗濯機を使って洗濯し、共有のセカンドハウス(ダーチャ)やリゾートで休暇をとるべきだとされた。アパートは国家の所有で、家具なども支給されていた。町の住民は公共の交通機関を使って移動することもできたが、村にはだれもが使用するための馬や荷馬車を集めておく場所があった。文化宮殿がつくられ、旧貴族の屋敷がそれにあてられることもあったが、それは人民に属するものとされていた。
 ただちに「社会主義的日常生活」の建設に取りかかるのだと意気ごむ者もいなかったわけではない。とりわけ、女性の解放が革命の重要課題とされていた。こうしていくつかのモデル・アパート街区がつくられた。
 そのひとつがモイセイ・ギンズブルクの設計したナルコムフィン集合アパートである。そのアパートには共同の台所と食堂、共同のジムや図書館、洗濯機などが設置され、両親が働くあいだ子どもをあずかる保育所などもあった。
 アヴァンギャルドの「構成主義」建築家や芸術家、理論家は、1920年代にこうした問題に真剣に取り組んだ。アレクサンドル・ロドチェンコは1925年に「これは人間や女性、財産にたいする新たな取り組みであり、われわれのもつ財産は平等な同志のものだ」と書いている。理論家のボリス・アルヴァトフは、プロレタリアートは工業によって大量生産されたものに、特別の親近感をいだくはずだと論じた。
 だが、レーニンとトロツキーは、構成主義者のおしゃべりが、やるべき仕事を無視して、革命に悪評をもたらしているとみなしていた。
 ほとんどのボルシェヴィキ指導者は、日常生活を立て直す計画はまだあとのことだと考えていた。ボルシェヴィキからみれば、日常的なことはどうでもよいもので、それはどちらかというと抑制されなければならなかった。日常生活の優先は、革命の成果を台無しにしかねないと考えていた。この伝でいうと、財は中心課題ではなく、過去の残存物の悪影響から切り離さなければならないものだった。重要なことは行動を変えることだ。
 日常生活にもっとも強い関心をいだいていた党の指導者、レオン・トロツキーは、教育と行動というテーマで多くの本を書いている。読むことを学ぶこと、演説の仕方や女性への接し方、衛生への知識、効率のよい働き方、時間厳守、飲酒をやめることなどなど。だが、このカリスマ的なトロツキーでさえ、政治と「階級の敵」との戦いにしか興味のない若い共産主義者に日常生活を変える仕事が魅力的だと説得することはできなかった。
 一般にボリシェヴィキ指導者の財にたいする考え方は、できれば財を持とうと思わないほうがよいというものだった。1920年代に推奨されたライフスタイルは、いわば本のある「清貧」な生活である。これは革命以前の所有についてのラディカルな伝統を引き継いだものだ。レーニンの妻クループスカヤは「自分たちの家族はこれまでどんな不動産もどんな財産ももったことがない」と述懐している。
 1920年代のボルシェヴィキは、機能的で大量生産されたものを好んでいたようだ(アメリカ風のものやアヴァンギャルド風のものは嫌いだった)。かれらは同時に「近代性」の支持者であって、農民や職人のつくった古くさい貧相な品物や、ブルジョワや貴族がもつような贅沢な品物は好きではなかった。財に関して言えば、一般的にボリシェヴィキはそれを認めるというより、それに反対する立場をとっていた。ソヴィエト初期に衛生学上の観点から唯一推奨されていた品物は、石鹸とハンカチ、歯ブラシだった。
 表向き、ボリシェヴィキ指導者は物にたいして無関心な態度を装っていた。とはいえ、食料や衣服、隠れ場所は保証されていたのである。いっぽう一般の人たちは困窮し、もっと物がほしいと感じていた。のちに外相となるリトヴィノフと結婚するイギリス人女性は、ロシアにやってきた当初、「思想」はあふれているが、「物」はなにもないと思った。だが、まもなくして、そうではなくて、「モスクワでは物がごちゃごちゃと積まれていて、だいじに扱われていないのだ」と気づいたという。それは流通システムが機能せず、配給制がとられていたせいだ。
 それは欠乏のせいでもあった。内戦が終わって、一息ついたころ、楽観主義者のなかには、これで革命が終わって、ふだんの生活が戻ってくると思う者もいた。だが、実際には、革命がふたたび動きはじめ、以前よりさらに欠乏の度合いが深刻化するのだった。
 スターリンによる「上からの革命」がはじまっていた。それは国家が主導する経済躍進政策であって、急速な工業化と農業の集団化、民間交易の禁止、中央経済計画の導入をともなうものだった。
 第1次5カ年計画(1928−32年)で、都市の生活水準は一気に低下する。ふたたび配給制が採用されたが、それは内戦時のような平等なものではなかった。商人や僧侶などには、配給切符が与えられなかった。優先的に配給をもらえたのは、たとえば重工業ではたらく労働者で、職場から物資の配給を受けた。これはいまにはじまったことではなかった。というのも、内戦中も特別の学者や芸術家は「学術配給」をもらっていたし、党の高官は内戦中に引きつづき戦間期も豊富な食料を受け取ったからである。
 しかし、ソヴィエト生活のなかで、一般開放されない店が、リストにあるエリートメンバーだけに品物を売る習慣が定着するのは1930年代になってからである。国家が倉庫に保管する品物を手にすることができるのはエリート層の特権だった。
 そのころ、集団化によって、食料事情は絶望的な様相を呈していた。集団化のポイントは農民に耕作を強要し、集団的に農産物を販売させることである。国家はそれを安い価格で買い取り、工業化のための「社会主義的蓄積」に利用する。しかし、農民はこれに抵抗し、国家も取り立てをやめなかったため、1932年から翌年にかけて、飢饉が発生する。農村部では何百万人もが殺害され、農村から都市に何百万人もが流れ込み、それにより都市の配給制は崩壊しそうになった。
 国家がわずかな支払いで農産物を収奪したことを考えれば、「調達」は押収と変わらなかった。しかし、クラーク(富農)にたいしては、公然たる押収がなされ、教会も攻撃をまぬかれなかった。鉄製の鐘などは工業化のために鋳つぶされている。
 集団化が食料供給を危機におとしいれるいっぽう、職人などへの圧迫も強まった。その結果、家庭でふだん使う湯沸かしや袋、釘、板、ペンキ、スプーン、フォーク、皿、洗面器、ランプ、バスケットなどが突然、消えてなくなる。靴を含め、革製品も市場で見かけなくなった。集団化がはじまった途端、農民が家畜を大量処分したからだ。
 ボタンも針も糸もなかった。消費経済がいくぶんか回復し、仕立業が認められるようになった1930年代半ばになっても、スーツをつくろうと思えば、洋服の生地はもちろん、針や糸も準備しなければならなかった。小物が貴重品になっていた。金属片や雑巾、ガラス、古靴、コルク、スズ、人間の髪の毛なども貴重な品物だった。
 人口の急速な流入により、都市は混み合ってきた。モスクワの平均的居住スペースは1930年に1人あたり5.5平方メートル。バラックや寮と並んで、集合アパートが基本的な住まいとなり、その状態は1950年代後半までつづく。集合住宅では、しばしば仲の悪い気にくわない隣人とも、疑心暗鬼なまま、生活を共にしなければならなかった。
 集合住宅で自分の領域をもとうとするなら、食料は自分で見つけねばならず、それには相当の技術を要した。当初、一時的と考えられた物不足は次第に集団化と工業化にともなう構造的な問題だとわかってきた。それは絶対的な不足というより、体制の問題だった。
 社会主義のもとでは、企業や個人に必要な物資が行き渡らず、その結果、企業や個人が物資を秘匿する傾向があった。政府当局はこれをどうすることもできなかった。体制に問題があるとすれば、自分で物資を手に入れなければならなかった。行列に並ぶか、闇屋から不法に品物を手に入れるか、配給のいい仕事場を見つけるか、それともコネを見つけてサバイバルをはかるか。だれもが必死だった。
 ソヴィエトでの特権は、物品を所有できることではなく、倉庫のなかに国家が所有している物品にアクセスできることだった。1930年代には大衆の現状をよそに、こうしたソヴィエトの新エリート層が増えつつあった。
 ある高官の妻は、自分たちは財も所有せず、こうした特権もなかったと述懐する。車は夫を仕事場に送っていくためであり、食料パッケージは受け取っていたが、家具は国家から与えられたもので、いずれ返却しなければならない。
「私たちの家族に物への執着などなかった」と別の高官の娘は述懐する。それでも、かれらは自分用の自動車や「すてきなアパート」もダーチャ(別荘)も与えられていたのだ。「ゴージャスな家具」はなかった。「本棚は別として、すべての製品には製造番号つきの真鍮製タグがついていた」
 それでも党のエリートと一般庶民は、国家によってはっきりと区別されていたのである。
(今回はこのあたりで。後半はそのうち。興味があれば、またお読みください)

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17世紀イギリスの消費文化──論集『消費の歴史』から [商品世界論ノート]

 オックスフォード版の論集『消費の歴史』(The History of Consumption)を斜め読みしている。今回はサラ・ペネルの「17世紀イギリスの物質文化」(Sara Pennel, Material Seventeenth-Century ‘Britain’)を眺めてみた。
 著者によると、17世紀のイギリス社会は大きな変化を遂げた時代だったという。改革がなされ、交易の機会が増え、とくに王政復古後は商業界が発達して、産業への関心が高まっていった。消費を悪徳とする見方は次第に消えて、必要な商品が増えてくるのはいいことだという考え方が広まるようになった。
 とはいえ、17世紀における消費は大都市が中心であり、舶来ものや新奇なものが求められるだけで、消費活動そのものは、まだ盛んではなかったとされるのが通例だ。そして、17世紀の産業も鉱業や造船を除けば、依然として前産業的段階にとどまっており、技術水準もまだ低かったとされる。
 イギリスにとって、17世紀とはどんな時代だったのだろう。すこしイメージをつかむために、簡単に歴史をおさらいしておこう。
 厳密にいうと、この時代、イギリスという国はまだできていない。大きく分けて、イングランドとスコットランド、アイルランドという3つの王国がある。それらがイングランドを中心に連合し、イギリスという国が誕生するのは1801年のことだ。
 しかし、17世紀には実質的にイギリスが生まれていたといってもいい。1603年にエリザベス1世が死去すると、縁戚にあたるスコットランド王のジェイムズ6世がその王位を継承して、ロンドンでジェイムズ1世として即位する。これによって同君連合ができ、ステュアート王朝が発足する。
 イギリスにとって、しかし17世紀は「革命の世紀」になった。ジェイムズ1世が死に、1625年にチャールズ1世が即位すると、専制を強めようとする国王と議会との対立が激しくなり、内乱が勃発する。それに宗教対立がからんで、イングランド、スコットランド、アイルランドのあいだで戦争が勃発する。
 それを収めたのが、議会軍を率いたクロムウェルだった。1649年にはチャールズが処刑され、クロムウェルが護国卿になり、イギリスは共和制を敷く。いわゆるピューリタン革命である。
 だが、クロムウェルの統治は長くつづかない。クロムウェルが死ぬと、1660年に王政復古となり、チャールズ2世が即位する。1666年にロンドンは大火に見舞われ、街の大半が焼失した。
 1685年にはジェイムズ2世が即位するが、王位継承権をめぐる争いが発生。そして1688年にオランイェ公ウィレム(オレンジ公ウィリアム)がイングランドに上陸し、ジェイムズを追放して、翌年、女王メアリーとともにイングランドを治めることになる。いわゆる「名誉革命」である。
 こうしてみると、17世紀のイギリス政治史はいかにも騒乱にあふれている。だが、名誉革命以降、国王は象徴的な君主となり、トーリー(保守)とホイッグ(革新)からなる議会が実際の政治を担うことになったというところがポイントである。
 いっぽう、経済面でみると、17世紀はイギリスが大きく世界に飛躍する時代となった。エリザベス女王は早くも1600年にオランダと対抗するために東インド会社を設立している。のちにインドを植民地化することになる特許会社である。
 さらに1620年にはピューリタンの乗った「メイフラワー号」がアメリカに向けて出帆した。これ以降、イギリスは北アメリカ東部に植民地を広げていくことになる。
 フランスとのあいだでは植民地をめぐる戦争が激しくなった。国際交易が発展するなか、1694年にはイングランド銀行が設立され、1698年にはロンドン株式取引所が発足する。
 17世紀といえば、日本では江戸幕府が生まれ、島原の乱のあと、いわゆる鎖国がはじまった時代である。だが、17世紀終わりの日本もまた元禄の繁栄を迎えていたことを記憶しておくべきだろう。
 ここでイギリス国内に目を戻してみよう。そこにはどんな光景が広がっていたのだろう。この時代、国際交易が発展しはじめていたものの、国内はまだ農業社会だったといっていいだろう。
 歴史家のG・M・トレヴェリアンによると、17世紀はじめ、イングランドとウェールズの人口は400万にすぎない。人口の5分の4が農村に住んでおり、その大部分が土地を耕したり、羊を飼ったりしていたが、農業だけがおこなわれていたわけではない。村では織物や工業製品などもつくられ、市場に売りだされていた。
 都市人口は増加していたが、17世紀はじめのロンドンの人口はまだ20万人くらいである。
 作物としては小麦やライ麦、大麦、燕麦、リンゴなどがつくられていた。大麦はビールの原料となった。
 主食は肉とパン、それにビール。野菜は肉に添えて、ほんの少し食べるだけだった。靴は木靴。村は自給自足が基本だったが、亜麻や染料用の草もつくられ、牛や馬、羊が飼われ、羊からは羊毛を取っていた。
 石造りの領主の館などを別として、家は大部分が木造で、ときおり赤煉瓦が用いられることもあった。窓はまだ板ガラスではなく格子がはめられていた。
 土地を所有しているのは大貴族とジェントリー、独立自営農民のヨーマン。都市では商人の力が徐々に大きくなりつつあるが、人口の大部分を占めるのは都市と農村の賃金労働者だ。
 定期市もよく開かれていた。有名なのはケンブリッジの定期市で、年に1回、9月に3週間にわたって開かれた。
 トレヴェリアンはこんなふうに書いている(『イギリス社会史』)。

〈北部イングランドと南部イングランドは、水陸両用で運んできた品物をここで交換した。小屋がけの街がつくられ、北部の人びとはそこでホップを買い、北部に産する羊毛と毛織物を売った。ネーデルランドやバルト海地方からきた貿易商やロンドンの大商人は、ここで毛織物、羊毛、塩漬けの魚、穀物の大きな取引をした。商人が注文取りに旅行してまわる時代のくるまでは、この種の定期市は商業にとって不可欠であった〉

 この時代、手工業は徒弟制度によって支えられていた。イングランドの主な輸出品は羊毛と毛織物である。だが、インドやアメリカに交易が広がると、次第に綿製品やたばこなどもはいってくるようになり、イングランドはそれを転売することで富を蓄積していくことになる。
 ところで、本稿の著者サラ・ペネルがユニークなのは、17世紀の家庭での消費に焦点をあてていることだ。以下にそれを要約しておこう。
 サラ・ペネルによると、18世紀とちがって、17世紀の消費については、ほとんど研究されていないのが実情だという。それでも少しずつ、いろんなことがわかりつつある。
 この時代の特徴は、石炭が燃料として用いられるようになったことだという。森林を伐採しすぎたため、燃料用の薪が少なくなっていたのだ。
 石炭の利用が進んだのは首都だけではない。炭鉱に近い場所や運搬しやすい港などでも、石炭が次第に利用されるようになった。
 しかし、燃料としての石炭は、かならずしも歓迎されたわけでもない。というのも、石炭を燃やすと、有毒な煙やガスがでる。そのため室内で快適にすごすには、石や煉瓦でできた暖炉や煙突、金属製の台などを準備しなければならなかった。問題はいかに汚染を少なくし、燃焼効率のいい暖炉をつくるかにかかっていた。
 石炭の暖炉ができると、それまで薪の暖炉の上にかけていた大釜やそれを支える台などはいらなくなり、それに代わってシチュー鍋などが登場した。
 石炭は燃料として用いられただけではない。鋳物や真鍮(しんちゅう)製品、たとえばやかんやフライパン、ブリキ板などをつくるさいにも利用されるようになった。
 17世紀にはいると、家庭のなかでもふだん使いの金属製品が増え、料理のレパートリーも広がっていった。皿に温かい料理を盛って食卓に並べる習慣も根づいてきた。
 健康被害を防ぐには、石炭からでる有毒なすすやガスをできるだけ取り除くことが必要だった。銅や鉛の容器は鋳直さねばならなかった。新しい商品が生まれたからといって、消費者はそれにすっかり満足するわけにはいかなかった。
 ロンドンの富裕層やエリートの贅沢な消費が、近世イングランドを変える原動力になったことは否定しがたい。しかし、王政復古時代以前から、一般庶民のあいだでもこれまでとは異なる消費習慣が生まれようとしていた。たとえば、手袋や毛皮の帽子、ハンカチーフ、軽い洋服がはやりはじめたのもこのころからである。
 しかし、ステュアート時代の交易で特徴的なのは、アメリカやカリブ海の植民地からタバコがはいってきたことかもしれない。タバコは庶民のあいだにも、喫煙習慣を生みだした。ジェイムズ1世とチャールズ1世、2世の時代にタバコが大西洋交易にもたらした影響はけっしてちいさくない。
 喫煙が容易にできるようになったのは素焼き陶製パイプのおかげである。こうしたパイプがウェストミンスターでつくられたのは1619年のことで、タバコがはじめてイングランドに到来してから50年もたっていない。首都や港町では、一挙に喫煙の習慣が広まった。イングランド、スコットランド、ウェールズ、海外植民地にも、パイプ製造所が次々つくられていった。
 喫煙のためには、たばこ入れなどの道具も必要だった。17世紀にタバコがどこまで広がっていたかを確かめるすべはない。とはいえ、タバコが大量生産され大量消費された最初の商品だったことはまちがいない。毎年、どのくらいパイプが製造されたかを知るのは不可能だが、少なくとも数十万本にのぼったと思われる。それは非常に安価だった。
 当時のパイプは消耗品で、短い期間しか使わず、いわば使い捨てだった。たばこを吸ったあとは、割るか捨てるかするのが普通だった。それでもたばこ消費が広がる妨げにはならなかった。こうして喫煙は17世紀イギリスの日常光景となっていく。
 ほかにも日常的な品物が大量につくられるようになった。たとえば飲み物のカップ。暖炉や台所用に多くの金属製品がつくられている。
 真鍮(しんちゅう)の指ぬきなどもそうだ。イングランドで、その製造が機械化されるのは17世紀後半のこと。指ぬき自体は昔からあったが、イングランドでそれが使われるようになるのは15世紀からだ。製造工程が機械化されるまでは、手作りだった。
 その機械化に成功したのは、そのころイングランドに移住したオランダの職人ジョン・ロフティングである。彼はバッキンガムシャーのマーローに工場をつくり、大量に指ぬき製品を生みだした。指ぬきには大量の需要があると見込んでいたのだ。
 裁縫に指ぬきはかならずしも必要ないかもしれないが、使ってみれば、その便利さは圧倒的だった。しかも値段が安く、商品としても簡単に持ち運べたから、各地に広がっていく。女性にとっては、なくてはならない小物で、それぞれお気に入りの指ぬきを選ぶことができた。
 17世紀の家庭のなかで品物の保存や修繕はどのようにおこなわれていたのだろう。たんすのなかの衣服にも注目してみなければならない。消費者にとって大きな課題は、衣服からティーカップにいたるまで買い入れた品物をどうやって長持ちさせるかだった。しかし、17世紀以降は、これまでなかったものを取り入れるという傾向も強まってくる。
 18世紀になってからも、消費者が重点を置いたのは、品物の見かけよりも耐久性だった。簡単に商品の取り替えや補給がきかなかったからである。質素倹約と品物をだいじに取り扱うことが求められていた。修繕と中古利用の文化が行き渡っていたといえる。
 使い古しのリネンはそのまま捨てるのではなく、刻んで雑巾やハンカチーフにしたり、ボロとして売られたりした。錫(すず)のポットがへこんだときは、修繕屋に直してもらうか、とかしてつくりなおすかした。舶来物も捨てることはせず、何かにうまく利用するのがふつうだった。
 17世紀には中古の家具や台所用品、農業用道具などを売るマーケットもできている。そうした品物を売るのは、破産や困窮、資産の処分、移住などが原因だったかもしれないが、マーケットの開催はなかなか手にはいらないものを手に入れる絶好の機会を与えてくれたはずである。
 17世紀の多様な生活は、新しい商品に加えて、メインテナンスや修繕のうえに成り立っている。生地によって洗濯の仕方をどう変えるかとか、布地にポケットをどうやってつけるかという知識も普及するようになった。
 ここにあるのは、手に入れたものをできるだけ長持ちさせ、新しいものにみせる工夫だった。新しい品物にはやはりかなわなかった。しかし、まだ使えるものは、とっておいて、できるだけほかのものとして利用するというのが、この時代の考え方である。こうした姿勢は近代になってからも長くつづいた。とはいえ、ものをだいじにするという姿勢は17世紀にはそれ以降よりもずっと強かったと思われる。
 壊れたグラスの修理法は、すでに16世紀終わりの本に紹介されている。しかし、陶器の修理法が紹介されるのは、やっと1670年になってからである。
 ロンドン近辺で染めた更紗(さらさ)がつくられるようになるのは17世紀後半になってからだ。このころから染めがおこなわれていたことがわかる。当初は洗濯すると色落ちしたが、だんだん工夫されて丈夫で多彩な更紗ができ、その値段も下がっていった。
 更紗は当初、リネンに代わるものとしてベッドカバーやカーテンに用いられ、しだいにペチコートや洋服にも使われるようになった。染めがしっかりしていて鮮やかなこと、それに乾きやすいことが喜ばれた。関心が寄せられたのは、その耐久性だった。18世紀にはいると、下層階級のあいだにもカラフルな洋服があふれてくるようになる。こうしてイギリスの日常生活も次第にはなやかなものとなっていった。
 こんなふうに著者の研究を抜粋していると、徳川時代の日本、とりわけ元禄時代との比較もしてみたくなるのだが、東と西は遠いようにみえて、意外に近くつながっているようにも思えてくる。
 日本人の衣服が、麻から木綿に変わりはじめるのも元禄時代だ。藍染めの伝統は古くからあった。タバコをのむ習慣が広がったのもイギリスと同じく17世紀半ば以降ではないか。炭焼きと囲炉裏の文化も定着した。
 いろいろ想像はふくらんでくるが、本日はとりあえずこんなところでおしまいにしよう。消費の文化はなかなかおもしろい。



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『不道徳な見えざる手』を読む(まとめ) [商品世界論ノート]

   1

 この本はいたく評判が悪い。
 訳者あとがきによると、『エコノミスト』はこの本自体が詐欺みたいなものだと決めつけているし、『フォーブズ』もどうでもいい本とけなしているそうだ。
 さらに、肝心の訳者(山形浩生)も、最後にまるで次作に期待するほかないというような言い方をして、すっかり匙を投げている。
 ひょっとしたら、だまされて買ってしまったか。
 そう思ったところで、後の祭りである。
 著者はジョージ・アカロフとロバート・シラー。ふたりともノーベル経済学の受賞者だ。前に同じく共著で『アニマル・スピリット』を出版している。アカロフは現在の米連邦準備制度理事会(FRB)議長ジャネット・イエレンの配偶者でもある。
 となると、本書への酷評が多いのは、期待が大きすぎたということか。
 まず、「まえがき」と「序章」を読むことにしよう。
 ここには本書のねらいと考え方、そして全体像が提示されている。
 著者はいう。自由市場はごまかしと詐欺に満ちている。しかし、自由市場に変わるシステムは見当たらない。
 だとすれば、ごまかしと詐欺に満ちた市場のなかで、消費者はどう身を守り、政府関係者はそれをどう規制し、ビジネスマンはそのなかでどうはたらけばよいのかが問われてくる。
 自動車、電話、自転車、電灯はどれも19世紀末の発明だ。どれも現代の生活には欠かせないものだ。だが、そのころスロットマシンもつくられている。
 スロットマシンはギャンブル依存症を生み、さらにそれは現代のコンピュータ・ゲームへとつながっている。そうしたマシンは、人を中毒させるよう設計されているのだ、と著者はいう。
 なるほど、ギャンブル依存症かどうかはともかく、現代人がすくなくともスマホ依存症になっていることは、電車に乗って、回りの人の様子をうかがうだけでも一目瞭然だ。
「自由市場は平和と自由の産物であり、人々が恐怖におびえていない時代に花開く」こと、さらに「自由市場は人々のほしがるあれやこれやをもたらしてくれる」ことを、著者も認めている。
 だが、そのいっぽうで人を依存症におちいらせる商品を生みだし、それによって人の時間とカネ、あるいは大げさにいえば、人生そのものを奪っているのだ。
 本書の原題はPhishing for Phools だ。Fishing for Fools と言い直してみればわかりやすい。つまり「カモを釣る」というわけだ。Phool は造語だが、Phishing はすでに英語でも日本語でも定着している。すなわちフィッシング。インターネット詐欺でおなじみの手法だ。
 本書ではこのフィッシングがもうすこし幅広い意味で使われている。またフールの造語であるPhool が、少数の際立つ「バカ」をさすのではなく、ほとんどすべての人にあてはまる「おバカ」をさしていることにも注目すべきだ。
 つまり、われわれはだれもがアホなものを買って、いや買わされて、充実した人生を送っていると思いこまされているというわけだ。
 Phishing for Phools は訳せば「カモを釣る」になるが、そのタイトルの含意は、カモになるなということではなく、一歩引いて、われわれがくらしている商品世界の構造をもう一度、見なおしてみようということなのかもしれない。
 消費者としてのわれわれは、消費習慣をすりこまれている。宣伝や情報にだまされやすい。いっぽうビジネスマンとしてのわれわれは、カネもうけがすべてだ。こういうビジネスをしてはいけないと自制するビジネスマンは会社を首になる。これが現実だ。
 著者は人びとがぼったくられ、だまされやすい分野として、次のようなものを挙げている。たとえばクリスマスや結婚式や葬式といった特別の日の出費、自動車や住宅などの購入、こんどはだいじょうぶといわれて引っかかる投資信託や株、健康食品や薬、それに食べだしたらとまらないポテチやコーラ、つい手がでるたばこやアルコール、などなど。
 そして究極のだましは、口車に乗せられて、よかれと思い、選挙で票を入れてしまう政治家の手口だ。だまされたと気づいたときには後の祭り。当選した政治家は、頼みもしないことを勝手にどんどん推し進めている。
「序章」には本書の考え方と、全体構成がざっと示されている。
 経済学の考え方はめんどうなので、できるだけ省略したいのだが、著者が「釣り(フィッシング)均衡」なる概念を確立しようとしていることだけは踏まえておくべきだろう。
 釣りがうまくいく(消費者がうまくひっかかる)と、特別利潤が得られる、と著者はいう。
 たとえば、シナボン社の特製シナモンロール。空港の待合所に出店するという戦略が功を奏して、大人気だという(日本でも東京駅や六本木センタービルに出店している)。
 トレーニングジムはいまでは大きな産業になっている。1回ごとに料金を支払うこともできるが、たいていは月額を銀行口座で落とすことが多い。しかし、たいていの人は費用に見合う回数だけジムに行っていない。
 そして、人はかならずしも有益なものを選好するわけではない。くだらぬもの、不要なもの、余分なもの、奇妙なものを、つい買ってしまうのだ。つまり、商品戦略にうまくひっかけられてしまう。
 ところで、経済学といえば、いまでもアダム・スミスの名が頭に浮かぶ。
 各自がそれぞれ利益を追求しても、自由市場では「見えざる手」によって、経済は均衡する、とスミスは考えていた、と著者はいう。そこから、政府は自由市場に干渉すべきではないという結論がでてくる。
 だが、はたして自由市場は先験的に正しいのか、と著者は疑う。
 自由市場には、ごまかしやだましの自由もある。しかし、何でもかでも自由に売ってよいというものでもあるまい(たとえば人身売買は当然禁止されるべきだ)。
 とはいえ、人は外部からの刺激によって、たちまち影響される。簡単にだまされてしまうのだ。著者は自由市場神話なるものを大いに疑っている。




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『不道徳な見えざる手』を読む(5) [商品世界論ノート]

 なぜ多くの人が広い意味でのフィッシングに引っかかるのだろうか。
 自由市場が豊かさを生みだしたのはまちがいない。しかし、自由市場にも裏面がある、と著者(たち)はいう。だから、予防策なり対策が必要なのだ。
 政府は自由市場の過剰にたいし、有効な重しとなるというのが、1970年代までの合意だった。ところが、レーガン政権以降、政府こそが問題だという考え方がでてきた。著者は、そうした考え方こそがインチキだという。
 社会保障の有効性は否定しがたい。アメリカでは、1959年に65歳以上の人の貧困率は35.2%だった。それが1975年には15.3%に減った。年金収入がなくなると、65歳以上の貧困率は一挙にはねあがるだろう。
 失業保険や健康保険が、生活の不安を軽減していることはいうまでもない。
 しかし、2004年にブッシュ政権は社会保障システムの改革を打ち出した。社会保障の民営化によって、予算を節減しようというわけだ。とりわけ、アメリカではメディケア、すなわち医療費問題が悩みのタネになっている。
 そうした社会保障の見直しが、貧困率を高める一因になっている。
 政府には金融をコントロールするという役割が課せられている。
 証券規制もそうした政府の役割である。アメリカには証券取引委員会(SEC)がある。しかし、予算が不足しているため、じゅうぶんな規制をおこなえないでいるのが現状だという。
 現在の選挙資金規制法も、じゅうぶんではなく、言論の自由を保証するものではない、と著者はいう。膨大なカネが動く選挙運動やロビー活動に、じゅうぶんな規制がなされていない。
「そんなに豊かでない他の人々の声をかき消せるような巨大な拡声器を持ち出せるだけのリソースを持った人々には、ある程度の制限を加えなければならない」。著者が支持するのは、政治献金を個人献金にかぎり、しかも、それをごくわずかの金額にしぼるというものだ。
 市場と民主主義は、とかく礼賛されがちだ。
 これにたいし、「市場と民主主義のよい面だけを考慮せずに、悪い点も考慮しなければならない」と、著者は訴える。
 くり返しになるかもしれないが、著者は「あとがき」で、市場はそれ自体が諸刃の剣だと語っている。
 市場が不健全な状態になるのは、けっして外部性によるわけではなく、市場がほんらいもつ性格によるのだ、と。
 人びとがほんとうに求めるものと、人びとが自分がほしいと思っているものとは異なる、と著者はいう。
 これは経済学でいう「顕示選好」の概念をくつがえす考え方である。
 顕示選好とは、消費者が予算の範囲内で、自分にとっていちばんよいものを選ぶという考え方である。
 しかし、それが実際とは異なるとは、いったいどういうことなのだろう。
 消費者はいわばカモとして、イメージづけられた、言いかえれば物語を埋めこまれた商品を買わされている、と著者はみる。それは消費者がほんとうに求めるものとは異なっている。著者がフィッシングはいたるところにあるというのは、そのことだ。
 本書の結論部分には、こう書かれている。

〈かなり自由な市場を持つ現代経済は、先進国に暮らす私たちにはこれまでのあらゆる世代がうらやむ生活水準をもたらした。でも、自分をごまかすのはやめよう。それはまた、カモ釣りももたらす。そしてそれもまた、私たちの厚生にとっては重要なのだ。〉

「厚生にとっては重要なのだ」という最後の部分がよくわからない。
 厚生とはwelfareのことだろうか。だとすれば、豊かさや幸せと解釈してもよい。
 最後の一文は、私たちはカモにされることで、豊かさや幸せを奪われていると理解すればよいのだろうか。
 著者のねらいは、バブル均衡の経済学を考えることにあると思われる。つまり、バブルやブーム、そしてその崩壊と消滅を射程にいれなければ、現実の経済は理解できない。いままでのミクロ経済学は、市場をあまりにも調和的に考えてきた、というのが著者の見方のようである。

『不道徳な見えざる手』を読む(4) [商品世界論ノート]

 自由市場に利点があることは著者(たち)も認めている。だからといって、それを称賛するわけにはいかない。欠点もあるからだ。
 新しいアイデアが新しい商品(製品やサービス)を生み、消費者の選択肢が増え、そのなかで利潤を生むものが、商品として生き残っていく。
 商品の広がりには、資本や技術(発明)、それに労働生産性の上昇が関係してくる。
 商品が拡大すれば、経済成長につながる。
 しかし、どんな発明(新商品)も、すべてすばらしいというわけではない。「一部の発明にはよい点だけではなく悪い点もある」と、著者はいう。
 たとえばフェイスブックは、人びとに交流の場を提供する。だが、それに振り回されてしまうことはないだろうか。
 自分の記事を投稿すると、どれだけ「いいね!」がもらえるかが気になり、それが少ないといらだったりする。
 そのうち、フェイスブックで「いいね!」が多くもらえるように、情報を集めたり、記事を書いたり、友達を増やしたりするようになる。
 そうこうするうちに、すっかりフェイスブックづけになってしまっている。
 どっぷりつかってしまうのは、携帯やパソコン、テレビだっておなじだろう。
 最近は、いろんな制度が発明される。
 たとえば、日本の大学入試センター試験(それを受けるにはおカネがかかるのだから、りっぱな商品だ)。
 こうした入試のためのランキング制度が、はたしてすばらしいのか、大いに疑問の余地がある。
 高いランキングを獲得した者は「自己満足」するかもしれない。
 だが、その副作用は大きい。
 次は依存症の話。商品には依存症がつきものだ。
 たとえば、たばこ、酒、ドラッグ、ギャンブル。
 たばこの害がいわれるようになったのは1950年代になってからだ。たばこを吸うのは、長いあいだ、かっこいいことと思われていた。
 紙巻きたばこ機が発明されたのは1880年代だ。
 はじめ、紙巻きたばこの消費量はさほどでもなかった。それが次第に増えて、なかには一日じゅう、たばこが手放せない人がでてくる。
 それにともない、肺がんの死者も増えていった。
 たばこと肺がんの関係については、因果関係が明らかにされた。しかし、長いあいだ、たばこ会社は、たばこでがんが生じることは証明されていないと反論していたものだ。
 たばことがんをめぐる論争は、50年にわたりつづけられた。
 いまでは、アメリカでも日本でも、オフィスや公共の場での喫煙禁止はあたりまえとなった。
 喫煙が有害であることに疑問の余地はない。
 しかし、たばこ会社はいまでもたばこを宣伝しつづけている、と著者はいう。
 アルコールの害もひどい。ところが、酒はたばことちがって、少しなら、からだにいいとされている。
 この少しがくせものだ。
 アルコール依存に悩む人は多い。
 深酒は人格を変え、人を傷つけ、健康を損ない、人生を台無しにする。
 ビールやワイン、その他の酒の生産者、小売店、レストランは、もちろん酒の需要がもっと増えることを願っている。もっと多くの人に、飲酒の習慣が広がることに期待を寄せている。だから、酒税を上げることには反対だ。
 飲酒運転にたいする罰則は、さすがに強化された。
 アメリカでは飲酒年齢を21歳に引き上げる動きもある。それでも、市場で酒が容易に入手できることが、飲み過ぎてしまう人をつくっている、と著者は嘆く。
 次に紹介されるS&L(貯蓄貸付組合)は、日本ではなじみではないので、さほど詳しくみる必要はないかもしれない。ごく簡単にすませるつもりだが、まったく無縁というわけではない。
 かずかずの金融商品は、最近になってつくられたものが多い。
 アメリカ人はS&Lに小口のおカネを預け、家や自動車を買うための融資を受けていた。そのS&Lが1986年から95年にかけ、危機におちいった。
 S&Lの歴史はアメリカ版不動産バブルの歴史と重なる。ファイナンスの異常な突出とその瓦解。そして、多くの人がそれに振り回された。
 1970年代、80年代以降、アメリカでは企業乗っ取りが盛んになった。
 ジャンク債を通じて、レバレッジド・バイアウトをおこない、ちいさな会社が大きな会社を買ってしまうのだ。
 マイケル・ミルケンは80年代に、ジャンクボンドの帝王として知られるようになった。ミルケンは格付けが低く、配当の高いジャンクボンド(ハイイールド債)に投資して、大きな利潤をたたきだした。
 このあたりの仕組みは、しろうとのぼくにはよくわからない。ミルケンが注目されたのは、このジャンクボンドの収益を利用して、企業乗っ取りをはじめたことだ。
 乗っ取りは既存の無能な経営者をたたきだし、企業を繁栄に導くという意見もある。だが、そのいっぽうで、有能な経営者を追い出し、従業員の労働条件を悪化させることだって考えられる。
 1989年、ミルケンはインサイダー取引と脱税幇助の疑いで逮捕された。
 ミルケンは、たしかにジャンクボンドをつくりだし、企業買収を推し進めた。だが、それによって、資産バブルを引き起こし、あげくのはてに経済を破壊する疫病を生み出したのだ、と著者は論じている。
 疫病の蔓延を防ぐには大胆な対応が必要になってくる。
 1929年のウォール街大暴落への対応は、あまりにも小規模で遅かった。
 これにたいし2008年の大暴落にさいして、世界の金融当局と中央銀行はすぐさま介入した。それによって、少なくとも世界はふたたび暗黒時代におちいらないですんだ。
 金融崩壊が起こりそうなときは、すばやい公的介入が必要だ、と著者は断言する。
 自由市場は危険市場でもある。しかし、それでも自由市場が存続しているのは、いっぽうでその危険に対処しようとする人びとがいるからだ、と著者はいう。
 たとえば、自動車や飛行機は危険な商品だ。それでも、その安全を守るために、常にさまざまな工夫がこらされ、現在にいたった。
 それは、すべての商品に関していえることだ。
「自分が買う財やサービスや資産の品質を自分で計測できるとき──あるいはそうした品質を性格に格付できて、人々がその性質や格付を理解できているとき──みんなはだいたい期待どおりのものを手に入れられる」。
 それは、商品(財やサービス)を選ぶときの最低基準だ。
 しかし、そのためには、商品の安全性が確保されなければならない。
 暴走しやすい自由市場にたいし、安全性というブレーキをかける人びとが存在することによって、はじめて自由市場は──言い換えれば現代社会は──はじめて存続可能になる、と著者はいう。
 著者は、そうしたブレーキ役のひとつとして、たとえば食品医薬品局(FDA)や国立標準技術研究所を挙げている。
 国立標準技術研究所は商品の標準化、格付け、認証などの仕事をおこなっている。ほかにも、商品の安全性を確保するための機関が多々設けられている。
 こうした標準化と安全性のシステムがあってこそ、商品ははじめて安心して使用できるものとなるのだ。
 アメリカでは消費者団体の総合組織、消費者連合(CFA)が大きな役割を果たしている。こうした団体は、商品の価値や安全を守るうえで欠かせない、と著者はいう。
 全米消費者連盟(NCL)は、1899年にフローレンス・ケリーによって創設された。この連盟が、商品だけではなく、商品を生みだす工場の労働条件も検査して、その検査に合格した製品だけに「白ラベル」を発行する仕組みをつくりだしたことは画期的だ、と著者は高く評価している。
 アメリカには消費者からの苦情を受け付けるベタービジネスビューロー(BBB)という組織もある。日本でいえば、消費者センターのようなものだろう。
 業界のなかにも、業界の規範を守るための団体が存在する。各地の商工会議所もビジネス倫理を推進する役割を果たしている。
 政府や裁判所、議会の責任が大きいことはいうまでもない。政府と裁判所は法にもとづいて、詐欺やフィッシング、不当行為、経済的被害などに対処しなければならない。議会はまた、新たな経済的問題に対処するために新たな立法をおこうなう重要な責務を担っている。
 最近は規制緩和の議論が盛んである。規制はたしかに制約を加える。しかし、全体としてみれば、公共のためになっているという意見も見落としてはならない、と著者はいう。規制はなくせばよいというものでもないのだ。
「私たちは、道徳コミュニティは不可欠であり、その中に個人行動の自由市場が置かれるべきだと論じたい」
 著者はそう述べている。
 自由市場は、その市場をチェックし、暴走を阻止する装置があって、はじめて成り立つ、と著者は考えている。

明代中国の市場とその繁栄──『消費の歴史』から [商品世界論ノート]

 オックスフォード版『消費の歴史』から、クレイグ・クルナスの論文を読んでみた。
 学術的な部分は省略。おもしろそうなところだけを、つまみぐいする。
 中国明朝(1368-1644)の11代正徳帝(武宗、1491-1521、在位1505-21)は評判の悪い皇帝である。変わり種といってよい。外国のエキゾチックな女たちや、怪しげな僧、悪い飲み友達をひきつれて、行軍と称し国内遊覧を繰り返していた。とうぜん、政務はおろそかになった。
 奇妙な逸話が残っている。それは正徳帝が城内で、商人の格好をして臣下にものを売り歩いたというものだ。
 明代の中国は士農工商秩序のうえに成り立っていたといわれる。だが、その表向きの階層とは別に、商業活動は活発だった。

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[姑蘇繁華図から]

 明代の文人、文徴明(1470−1559)の著書をみても、交易と商品、繁華、商人の活動をたたえる文章が数多く残されている。
 文徴明は名門の出身で、商都、蘇州に生まれた。
 文徴明は官人として正徳帝にも仕えた。科挙に合格しなかったため、その地位は低かったが、詩書画にたくみで、『武宗実録』の編集にも携わった。
 武宗とは正徳帝のこと。明代から中国では一世一代の元号が用いられるようになった。そのため正徳年間を治めた武宗のことを正徳帝と呼ぶ。
 それは天皇裕仁を昭和天皇と呼ぶのと同じだ。
1500年ごろの明代は、世界のほかのどの国より物資が豊富にあふれていた。その時代の墓の副葬品からは、家の模型や絵画、書、本、家具、貴金属、織物、陶磁器、工芸品、武器、道具などが出土する。
 景徳鎮は陶磁器では世界初のブランドだったといえるだろう。
 とはいえ、明時代の消費行動を知るためには、こうした出土品だけではなく、当時の文献や絵画も参考にする必要がある。
 中国の市場には、どのような商品が出回っていたのだろう。明代以前のものとしては、13世紀、14世紀のマルコ・ポーロやイブン・バトゥータの記録がある。ほかに北京を訪れた朝鮮人の記録も残っている。そこには、さまざまな色や模様、用途の繻子織物についての記録がある。そうした品物は南京や杭州、蘇州から取り寄せられていた。
 朝鮮では、中国に行けば、何でもそろうというのが合言葉になっていた。実際、弓であろうが、皿であろうが、飾り房であろうが、『三国志演義』であろうが、何でも買えて、朝鮮に持ち帰ることができたのである。
 明代の市場に消費とか消費者という概念を当てはめるのは、いささか時代錯誤かもしれない。とはいえ、ものが広く行き渡っているのは、世の中がうまく治まっている証拠にはちがいなかった。
 1500年ごろ、北京も南京も精華をきわめていた。そのころ描かれた巻物をみると、門の外でおびただしい数の商人が、さまざまな品物を並べて売っているのがわかる。
 そのなかには、文具や本、骨董、錠前などの金属製品、仏画、櫛、足袋、扇、手ぬぐい、衣服などが含まれていて、それらを買っている人も多い。
 その巻物に描かれているのは祭りの場面で、何かの行列を男たちが取り囲み、建物の上から女や子どもが、その様子を見物している。その建物も商店で、どんな商品が売られているかを示す旗も立てられている。それをみると、こうした商店では穀物や革製品、金細工や真珠などが売られているらしい。
 明では、こうした消費をムダで贅沢だと非難する声がなかったわけではない。明の文人、張瀚(ちょうかん)はこうした消費行動が社会秩序を乱すものだと述べている。
 人びとは富貴を重んじるようになり、それまでの禁令を無視して、男は錦に身を包み、女は金や真珠の飾りを身につけるようになったと嘆いている。
 范濂(はんれん)も風俗が昔より低俗になったと、かぶりものから髪形、衣服、食べ物にいたるまで、そのちがいをことこまかに指摘している。
 前代の弘治帝(1487-1505)の時代には、まだ農業が尊ばれ、衣服も簡素であったのに、若者たちがいまでは絹服ですらやぼったいという始末だ、と悲憤をあらわにする。
 こうした見方は、明代の文人のあいだで支配的だったようにみえる。贅沢を政治的繁栄のあらわれと考える見方はごくまれだった。
 しかし、陸楫 (りくしゅう、1515-52)は、むしろ近代風の考え方をしており、経済活動が盛んになるのはいいことであり、ひとりの人がカネを使えば、それが何人もの雇用につながると述べている。
 李日華(りじつか、リ・リフア、1565-1635)は1609年から1616年にかけ『味水軒日記』という日記を残している。李は江南の町に住んでいた地主階級の人物である。進士となったが、官僚としてよりも、文人としての評価が高かった。

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[李日華]

 その日記をみれば、明代のエリートの生活がどのようなものであったかが浮かび上がってくる。かれは骨董についても一家言があり、自分なりに骨董ランキングをつけている。
 もっともすぐれたものは晋唐時代の書であり、それに五代時代の絵画、南宋や元の絵画、秦漢以前の青銅器や紅翡翠、それからさまざまの翡翠や硯がつづく。楽器や刀剣、盆栽、書物もランキングされている。海外からの香料や宝物、茶と酒、山海の珍味、白磁や彩色陶器も紹介されている。それに、白飯と緑の野菜、布の上着と籐の杖とつづくのは、ご愛敬だ。
 明代においては、こうした事物、ならびに古典に通じていることが、エリート、すなわち知識人の条件でもあった。
 李日華の自宅には多くの訪問者があり、書画骨董をめぐって、さまざまな往来があった。また、自身も書物や木彫、サイの角、めのう、琥珀、硯を購入したり、その購入を検討したりしている。宝石を買おうとして、商人のもとを訪れたりもしている。庭石の購入も考えていたようだ。
 福建省のオウムを飼ったこともある。だが、このオウムは寒さのため死んでしまう。
李日華は海外との交流によって手にはいるめずらしい品物についても記録している。そのなかには、日本の漆製品や金属細工品、イスラム世界ないしヴェネツィアからもたらされたブルーのガラス器などの記述もある。広東からもたらされた大きな卵(龍の卵と考えられていた)についても記している。
 ただし、李日華が文化的に評価するものは、芸術品にかぎられていた。日記に記されているもののなかには、いわゆる日常的な商品はすくない。わずかにビロードなものか。とはいえ、漆塗りの長椅子や白ろうの急須にもこだわっていた。
 父親の誕生日のために、不老長寿の飾り付けをしたランタンを買っているのは、特別の日を祝うためだったろう。
 李日華は蘇州で茶碗を数多く買っている。町の閶門(しょうもん)に舟をつないでいたが、それは茶をたてる水を確保するためだった。かれは茶人であって、とりわけ水には気を配っており、みずからの茶室を味水軒と名づけている。
 食べ物や飲み物に愛着があったことは確かである。日記には、庭のみかんがうまかったとの記述もある。時に飲み過ぎて、二日酔いになることもあった。生活に困った様子はなく、多くの召使いや家来に囲まれていた。広い地所をもっていたにちがいないが、日記にはそうした資産についての記述はほとんど見当たらない。
 日記には何を買ったかは書かれているが、いくらだったかは記録されていない。あるとき秦の楽器を持ちこまれたが、それはどうも気にいらなかったらしく、すぐに返品している。優雅でなく粗野なものは嫌いなのだ。それは人にたいしても同じだった。
 こうした明代後期の市場と消費生活をどう位置づけたらよいか。さまざまな議論があり、この論文の著者も、それを事細かに紹介している。
 それは資本主義の前段階とみなすべきか。それともそれとは大きな断絶があるのか。同じ時代のヨーロッパと中国とではどんなちがいがあったのか。
 その論議に立ちいるのはやめておこう。
 明代後期の江南、とりわけ蘇州に思いをはせればよいのかもしれない。
 ちなみに、宮崎市定は、中国の知識人についてこう書いている(引用にあたっては多少読みやすく、表記を変更した)。

〈明代の文化はかえって官界遊泳に失敗して仕進に望みを絶ち、一介の市民として都会の塵の中に埋もれた、いわゆる市隠によって推進された。……もちろん宋代にも隠者はあった。……ただし中心からはみだしはしたが、それは反抗したためではない。しかるに明代においてはこういう隠者が文化の中心を占めていて、しかもそれが北京朝廷を背景としたエセ知識人の政治家と対立抵抗していたのである。〉

 おそらく李日華もそういう人物のひとりだったのだろう。
 そして、地位に恋々としているエセ政治家やエセ官僚が多いのは、今も昔も変わらないと思うのである。

『不道徳な見えざる手』を読む(3) [商品世界論ノート]

 著者(たち)は「釣り(フィッシング)」の具体例をつぎつぎ挙げていく。
 今回はその3章から6章までを読んでみよう。
 まず広告業者の話がでてくる。
 広告業者は、どうやれば人びとが、この商品を買いたくなるかを常に探っているという。
 広告は人の心にはいりこむ「物語」をつくるところからはじまる。それは商品が人にもたらす奇跡をえがいたものだ。
 難聴の人に「簡単に聴力を回復できる」製品があると吹きこめば、難聴に悩む人はそれを買ってみようかと思うかもしれない。じっさいには、ほとんど効果がないとしても。
 さらに、広告は食品から飲料、石鹸、掃除機など、ありとあらゆる分野に広がっていく。広告キャンペーンに常にさらされていると、人びとの心のなかに、あれこれの商品のイメージが浸透していく。
 商品名もだいじだ。ここに紹介されているのはサンキスト・オレンジの場合だ。この商品名は、太陽(サン)にキスされるイメージに由来するという。いかにも健康そうなイメージだ。
 サンキストの販売戦略は、オレンジジュースにして飲むという新しいスタイルをともなっていた。ガラス製のジュースしぼり器やフルーツスプーンがあたるというキャンペーンも大当たりして、サンキストの売り上げは爆発的に伸びていった。
 そこにつくられていたのは、サンキスト・オレンジをジュースにして飲めば、たちまち元気になるという物語(神話)だといってよい。
 こうした物語はますます進化していく。それは新商品が新しいライフスタイルをつくるという物語だ。
 著者が例として紹介するのは、ロールスロイスやハサウェイシャツのコマーシャルだ。それは日本でもあてはまる。ぼくもレナウン娘がワンサカワンサカといえば、レナウンのファッションを思いだす。
 とはいえ、消費者が広告に警戒感をいだいているのもたしかである。消費者は広告の場面に登場する主人公が自分自身ではないことを知っている。
 それでも、広告業者はますます人の心をつかむ技法をみがきつづける。そのために、さまざまな統計が駆使され、ビッグデータも利用されることになる。
 広告の手法が用いられるのは、ビジネスの世界だけではない。アメリカの大統領選挙をみれば、そのことが痛感される。広告宣伝は、候補者のイメージを有権者の心に植えつける。それは日本の選挙でもおなじだ。
 著者は自動車の値段はぼったくりだと書いている。
 アメリカでの調査によると、とりわけ黒人の男女は白人よりも車の値段をふっかけられる傾向がある。それは黒人がたぶんはじめて車を購入するとみられているからだという。調査によれば、その額はほかの人よりも2000ドルほど高かった。日本では、ちょっと考えられない。
 販売員が勧めるのが、いろいろなオプションだ。たいしたことのないオプションをつけさせて、車の値段を引き上げる。
 もうひとつのくせ者が、下取り価格だ。下取り価格を上げることによって、高い車を買わせようとするのは営業マンのおなじみの手法。
 加えてローン契約がある。毎月の支払額が低いようにみえても、ディーラーは支払い月が増えれば増えるほどもうかる。アフターサービスやメインテナンスから得られる利潤も大きい。
 住宅もぼったくりの対象になりやすい。大多数のアメリカ人が、生涯で一度は家を購入する。だが、たいていが余分な費用を払っている、と著者はいう。そのひとつが不動産仲介手数料だ。購入価格の6%が基本になっているが、なかにはもっと多く支払ってしまう人もいる。
 登記費用もかかる。アメリカでは法律が改正される前、住宅ローン契約費用もとられていた。ローン自体の金利もばかにならない。
 クレジットカードは現金の場合より、ずっと人びとの消費をうながす、と著者は考えている。カードがあれば、高いものでもつい買ってしまうし、また量を多く買ってしまうことは、実験結果からも出ているようだ。
 クレジットカードの使用にたいして、店舗はクレジット会社に手数料を支払わなければならない。それでも、客にその手数料を請求しないのは、人びとがクレジットカード支払いのおかげで、知らず知らずのうちに消費額を増やしていることを店舗が知っているからだという。
 しかし、クレジットカードは個人破産の大きな原因となる。アメリカで個人破産が増えているのは、その多くが、クレジットカード濫用による負債のせいではないか、と著者はみている。
 ここで、話は政治の場面に移る。
 選挙にはカネがかかる。2008年のアメリカ下院選挙では、1人200万ドル以上かかったといわれている。上院選挙はもっと多く1人1300万ドル以上だった。それだけ宣伝に費用がかかっているわけだ。
 選挙においては、有権者は心理面でも情報面でもカモなのだ、と著者は書いている。つまり、いかに有権者を引きつけるかが選挙のすべてだ。
 議会で何が問題なのかを理解しているのは、ごく一部で、ほとんどだれもの人は何も知らない、と著者は断定している。
 たとえば、2008年の緊急経済安定化法は、リーマンショックを緩和する効果を発揮したのだが、その意味を知っていた人は専門家だけだった、と著書はいう。だが、はたしてその権限を政府にゆだねてしまっていいのか、疑問は残るとも述べている。
 ロビイスト、議員、選挙資金に関する問題も論じられている。
 アメリカには1万2000人のロビイストがいる。ロビー活動に費やされる金額は莫大だ。
 ロビイストの役割は、おもに企業、献金者と政治家を結びつけることだ。
 政治家には有権者向けと献金者向けのふたつの顔があるという。ロビイストはいわば献金者向けの顔を表沙汰にしない隠れ蓑になる。しかも、政治家の決定に影響を与える。
 ロビー活動がなくならないのは、それが費用以上に、企業にさまざまな利益をもたらすためだ。
 著者は、ロビー活動が政治と利益団体の癒着をもたらし、民主主義をおびやかしていると指摘することを忘れていない。
 アメリカで、食品や薬にたいする規制がなされるようになったのは20世紀はじめのことだ。へたをすると命を落としかねない危険な食品、インチキな薬があまりに出回っていた。
 しかし、21世紀になったいまも、食品や薬の安全性はけっして保証されていない、と著者は断言する。
 食品産業のつくりだす食品は、砂糖と塩と脂肪まみれだ。それが胃腸の病気や糖尿病を引き起こす要因になっている。
 製薬会社のつくりだす薬も、あやしいものが多い。
 ここで紹介されるは、関節炎の痛みを抑える夢の新薬とうたわれたヴィオックスだ。1999年にマーク社から発売された。
 それまでの関節炎の鎮痛剤は、胃腸障害をもたらす公算が大きかった。ヴィオックスには、そうした副作用がないと思われていた。
 だが、じつは、事前の実験でも、ヴィオックスには、たしかに胃腸障害は少ないが、深刻な血栓をもたらす可能性があることがわかっていたのだ。ヴィオックスを発売するマーク社は、にもかかわらず、盛大な販売活動に乗りだした。
 2004年にヴィオックスの売り上げは25億ドルに達する。だが、ヴィオックスが心臓発作を起こす可能性は現実のものだった。
 ある推計によれば、アメリカでヴィオックスにより心臓発作を起こし、死亡した人の数は2万6000人を越えるとされる。
 ヴィオックスは2004年9月末に発売中止となった。
 なぜ、はじめからヴィオックスの発売にストップをかけられなかったのだろう。
 米食品医薬品局(FDA)は、製薬会社のテストを信頼し、深刻な長期リスクをもつ薬を禁止できないのが実情だという。
 製薬会社は、医学雑誌を活用し、次に営業担当者を動かして、薬の売り込みをはかる。さらに医学シンポジウムを主催して、自社に好意的な関係者を集め、口コミによる薬の宣伝をはかるのが、通例のやり方だという。
 これに、だれもがひっかかる。
 長期的な副作用をもつ薬は、いまでも市場に出回っている、と著者はいう。
 もちろんそれは食品でも同じだ。アメリカ人が太っているのは、ポテトチップスのせいだとはいえないが、まるで関係がないわけではない。
「カモ釣りはいまや新しい形をとって、規制の定めた新しい範囲内で行われているのだ」と、著者は述べている。
 商品世界に、広い意味でのフィッシングのネタは尽きないようだ。
 次回は第2部の後半を紹介する。

『不道徳な見えざる手』を読む(2) [商品世界論ノート]

 実際の消費行動は、経済学教科書でえがかれているものとはちがう、と著者(たち)はいう。人びとはけっして合理的な予算配分をしない。そのため、月末になると、おカネのやりくりに苦労することになる。予想外の支出があると、まったくお手上げになってしまうのだ。
 アメリカでは、ほとんどの勤労所帯は1カ月分の貯蓄もしていないという(日本では考えられない)。月々の支払いができなくて、ローンに頼る人も多い。支払いが滞って、破産したり、家を強制退去させられたりする人も後をたたないのだという。
 1930年から2010年にかけて、アメリカ人の1人あたり所得は5.6倍になった。それなのに、貯蓄も余暇も増えていない、と著者はいう。疲れ切った主婦と貯蓄の欠如がアメリカの現実なのだ。
 その原因の一端は自由市場にある。自由市場は人びとがほしいものを生産するだけではなく、「そうした欲求を作り出し、企業が売りたいものを人々が買うよう仕向ける」のだ。
 自由市場は誘惑をつくりつづけることによって成り立つ。スーパーで卵や牛乳がいちばん奥に置かれているのは、そこに行き着くまでに店を全部見て回らせるようにするためだ、という指摘はおもしろい。レジの近くにキャンデーやガム、雑誌などが置かれているのも、ちゃんとした理由がある。
 スーパーの棚はマーケティングにもとづいて整理されている。クレジットカードも誘惑の元だ。「消費者を誘惑して買うように仕向け、お金を使わせるというのは、自由市場の性質そのものに組み込まれている」。したがって、この誘惑に打ち勝つには、かなりの自制を必要とする。
 この80年間に所得が何倍にもなったのに、人がかえって毎日あくせくしているのは、商品世界が「人々に多くの『ニーズ』を生み出し、さらに人々にそうした『ニーズ』を売りつける新しい方法も考案した」ためだ、と著者はみている。だから、所得が増えても、生活は苦しいのだ。
 ここで、著者は2008年の金融危機(いわゆるリーマンショック)の問題を取りあげている。
 評判マイニングと名づけられたフィッシングの手法が紹介される。ほんとうは腐っているかもしれない(価値のない)証券を、さも値打ちがあるかのように見せかけて(格付けして)買わせるというものだ。
 評判マイニングとは、評判を埋め込むこと。マイニングとは、そもそも地雷敷設を意味する。そして、それがいつしか化けの皮がはがれて、破滅をもたらす。
 1970年と2005年では、金融システムが一変したという。
 まず、投資銀行がおどろくほど巨大化した。もともと投資銀行とは、大企業の銀行であり、企業にアドバイスするのが仕事だった。
 たとえば、ゴールドマン・サックスは、かつてアドバイスの見返りとして、フォードのIPO(株式新規公開)の仕事を請け負っていた。信頼こそが不可欠だった。
 それが、現在は巨大帝国へと発展する。
 いまではゴールドマンは多くの事業に手を広げ、自社勘定で証券を取引したり、ヘッジファンドの管理をしたり、新しい派生商品をつくったりしている。
 巨額の流動資金をもつ大口投資家(銀行やマネーファンド、ヘッジファンド、年金基金、保険会社など)は銀行にではなく、投資銀行に資金を預け、その運用をまかせるようになった。
 格付け機関のムーディーズも、もともと地味な組織だった。
 それがいまや金融の羅針盤ともいうべき、債券格付けを決める会社へと成長した。1970年代からムーディーズは投資銀行から手数料を取って、格付けを決めるようになった。その結果、これから売りだそうとする債券の格付けをできるだけ高くすることが、ムーディーズの仕事になった、と著者はいう。
 ここから、ちょっとした手品がはじまる。
 投資銀行はだめな資産をパッケージにし、格付け機関はそれに高い格付けをつける。それがサブプライム住宅ローンで生じたことだ。銀行はこの住宅ローンを自分でもちつづけることなく、投資銀行に売り飛ばし、投資銀行はそれをさまざまなパッケージにして売りだした。その販売を促進するため、格付け会社は、この証券に高い格付けをつけた。
「派生商品パッケージに腐ったアボカドが入っていると認識されたのは、後になってからだ」と、著者は書いている。
 ゴールドマン・サックスは2006年の段階で、住宅ローン証券ブームのあやうさに気づき、空売りに転じた。それによって、2008年の大暴落による損害をまぬかれたという。だが、多くの投資銀行はそうではなかった。その代表がリーマン・ブラザーズだった。
 自由市場は荒海に似ている。それを越えて黄金郷に向かうのは、容易なことではない。

『不道徳な見えざる手』を読む(1) [商品世界論ノート]

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 この本はいたく評判が悪い。
 訳者あとがきによると、『エコノミスト』はこの本自体が詐欺みたいなものだと決めつけているし、『フォーブズ』もどうでもいい本とけなしているそうだ。
 さらに、肝心の訳者(山形浩生)も、最後にまるで次作に期待するほかないというような言い回しをしている。
 ひょっとしたら、だまされて買ってしまったか。
 そう思ったところで、後の祭りである。
 やれやれ。
 しかし、こちらはひまな年寄りだ。
 せっかく買った本をムダにすることはあるまい。
 著者はジョージ・アカロフとロバート・シラー。ふたりともノーベル経済学の受賞者だ。前に同じく共著で『アニマル・スピリット』を出版している。
 アカロフは現在の米連邦準備制度理事会(FRB)議長ジャネット・イエレンの配偶者でもある。
 となると、本書への酷評が多いのは、期待が大きすぎたということか。
 ぼく自身は経済学の専門家でもないし、経済とも縁のない人間である。だから、専門的な読み方はできない。せいぜい素人として、わかる部分だけ、つまみぐいするのが落ちである。
 まず、「まえがき」と「序章」を読むことにしよう。
 ここには本書のねらいと考え方、そして全体像が提示されている。
 著者はいう。自由市場は理想的なシステムではなく、ごまかしと詐欺に満ちている。しかし、自由市場に変わるシステムは見当たらない。
 だとすれば、ごまかしと詐欺に満ちた市場のなかで、消費者はどう身を守り、政府関係者はそれをどう規制し、ビジネスマンはそのなかでどうはたらけばよいのか。
 著者は、そのための倫理と行動を探ることを本書の目的と考えているようにみえる。
 自動車、電話、自転車、電灯はどれも19世紀末の発明だ。どれも現代の生活には欠かせないものだ。だが、そのころスロットマシンもつくられている。
 スロットマシンはギャンブル依存症を生み、さらにそれは現代のコンピュータ・ゲームへとつながっている。そうしたマシンは、人を中毒させるよう設計されているのだ、と著者はいう。
 なるほど、ギャンブル依存症かどうかはともかく、現代人がすくなくともゲームや携帯の依存症になっていることは、電車に乗って、回りの人が何をしているかをみてもわかる。
「自由市場は平和と自由の産物であり、人々が恐怖におびえていない時代に花開く」。著者はそのことを認めている。さらに「自由市場は人々のほしがるあれやこれやをもたらしてくれる」。
 だが、そのいっぽうで人を依存症におちいらせるものを生みだし、それによって人の時間とカネ、あるいは大げさにいえば、人生そのものを奪っているのだ。
 本書の原題はPhishing for Phools だ。Fishing for Fools と言い直してみればわかりやすいかもしれない。つまり「カモを釣る」というわけだ。Phool は造語だが、Phishing はすでに英語でも日本語でも定着している。すなわちフィッシング。パソコン詐欺でおなじみの手法だ。
 本書ではこのフィッシングがもうすこし幅広い意味で使われている。またフールの造語であるPhool が、数少ない「バカ」をさすのではなく、ほとんどすべての人にあてはまる「おバカ」をさしていることにも注目すべきだ。
 つまり、われわれはだれもがアホなものを買って、いや買わされて、充実した人生を送っている、いや送らされているというわけだ。
 Phishing for Phools は訳せば「カモを釣る」になるが、そのタイトルの含意は、カモになるなということではなく、われわれがくらしている商品世界の構造を考えなおしてみようというところにあるのかもしれない。
 消費者は習慣をすりこまれる。宣伝や情報にだまされやすい。いっぽうビジネスマンはカネもうけがすべてだ。こういうビジネスをしてはいけないと自制するビジネスマンは会社を首になる。これが現実だ。
 著者は人びとがぼったくられ、だまされやすい分野として、次のようなものを挙げている。たとえばクリスマスや結婚式や葬式といった特別の日の出費、自動車や住宅などの購入、こんどはだいじょうぶといわれて引っかかる投資信託や株、健康食品や薬、それに食べだしたらとまらないポテチやコーラ、つい手がでるたばこやアルコール、などなど。
 そして究極のだましは、口車に乗せられて、よかれと思い、選挙で票を入れてしまう政治家。だまされたと気づいたときには後の祭り。当選した政治家は、頼みもしないことを勝手にどんどん推し進めている。
 ある、ある、と思わずうなずいてしまう。
 次に「序章」。
 ここには本書の考え方と、全体構成がざっと示されている。
 経済学教科書の考え方はめんどうなので、できるだけ省略したいのだが、著者が「釣り(フィッシング)均衡」なる概念を確立しようとしていることは指摘しておいてもよい。
 釣りがうまくいく(消費者がうまくひっかかる)と、特別利潤が得られる、と著者はいう。
 たとえば、シナボン社の特製シナモンロール。空港の待合所に出店するという戦略が功を奏して、大人気だ(日本でも東京駅や六本木センタービルに出店している)。
 トレーニングジムはいまでは大きな産業になっている。1回ごとに料金を支払うこともできるが、たいていは月額を銀行口座で落とすことが多い。しかし、たいていの人は費用に見合う回数だけジムに行っていない。
 また、人はかならずしも有益なものを嗜好するわけではない。くだらぬもの、不要なもの、余分なもの、奇妙なものを、つい買ってしまうのだ。つまり、うまくひっかけられてしまう。
 ところで、経済学といえば、いまでもアダム・スミスだ。
 各自がそれぞれ利益を追求しても、自由市場では「見えざる手」によって、経済は均衡する、とスミスは考えたという。そこから、政府は自由市場に干渉すべきではないという結論がでてくる。
 だが、はたして自由市場は先験的に正しいのか、と著者は疑う。
 自由市場には、ごまかしやだましの自由もある。また何でもかでも自由に売ってよいというものでもあるまい(たとえば人身売買)。それに人は、外部からの刺激に、たちまち影響される。簡単にだまされてしまうのだ。
 著者は自由市場神話なるものを大いに疑っている。
 本書は以下の3部からできている。

 第1部 釣り均衡を考える
 第2部 あちこちにある釣り
 第3部 自由市場の裏面

 釣りというのは、魚釣りではなく、フィッシング、つまりだましである。
 ここでは、人はなぜおカネに苦労するのか、リーマンショックとは何だったのか、広告と情報の役割、人びとはなぜ操られやすいのか、おカネを使わせるテクニック、自由市場と経済社会政策、などが語られることになる。
「釣り(フィッシング)均衡」という考え方は、一種のアイロニーで、自由市場が広義のフィッシングなしには成り立たないことを示すものだといえる。
 すこしずつ読んでいきたい。

商品世界論の構想 [商品世界論ノート]

[90歳の父が高砂市民病院に入院し、手術を受けたため、しばらくいなかの高砂(兵庫県)に帰っていました。読む本もないまま、つれづれにこんな一文をつづってみました。混乱したまま書いたので、文意がはっきりしないかもしれませんが、何はともあれ、ぼんやりと考えていることをまとめてみたものです。]

 朝、起きて、インターネットを開くと、いきなり広告が目に飛びこんでくる。それはパソコンの新製品を紹介するものであったり、車の宣伝であったり、聴くだけで英語がうまくなる商品の案内であったり、洋服の売れ筋の案内だったりする。新聞を開けば、これまた広告の山である。新刊書が出ているかと思えば、国内、海外各地の格安旅行のリスト、演劇やコンサートのチケット売り出しと、まことににぎやか。テレビだって負けていない。リモコンのスイッチを入れたとたんに、工夫をこらした楽しげなコマーシャルが次々と流れてくる。町にでたらでたで、コンビニやスーパーには、おどろくほどの量と種類の商品が、選択に迷うくらい、これでもかというくらいに並んでいる。
 世の中は商品に満ちあふれている。われわれは商品世界に生きているといってもいいくらいだ。しかし、そう口にのぼせた端から、この商品にあふれた商品世界とはいったい何なのかという疑問がわいてくる。
 そもそも商品は売られ、買われた瞬間から、商品ではなくなるといってよいだろう。とはいっても、きわめてまれなことながら、買った冷凍食品に農薬が混入していたり、化粧品で肌に障害がでたり、購入した電化製品がすぐに故障したりすることもあるから、そのときは商品の商品としての正当性が問われることになる。だから、生産者から消費者の手に移った瞬間から、商品は商品ではなくなるといっても、商品はその価値に社会的責任をもたなければならないとされている。
 それにしても不思議である。なぜ商品は消費者の手に渡ったときから商品ではなくなるのか。それは商品が、あっという間か、長持ちするかはともかくとして、たいていは消費されてしまうからである。もちろん最近はリサイクルという便利な仕組みがあって、完全に使用しつくされず、まだ使用可能な製品であれば、それを修復して商品として売りだすことも可能である。でも、野菜やパンのような食品ではそういうわけにはいかないだろう。なかには投機目的の美術品や金融商品のように、消費されることなく、ふたたび市場に出すことを前提にしているものもある。でも、たいていの商品は、買われたときに市場から消えていくものがほとんどだ。
 商品ははかなくも市場においてしか存在しない。ところで、ここで「市場」という言い方をしたが、市場とは何かというと、じつははっきりしない。かなり特殊な用語である。ふつうに用いられるのは「株式市場」とか「野菜市場」とかで、株式の場合は「しじょう」と読み、野菜の場合は「いちば」と読む。もちろん、歴史的には株式市場のほうが近代に属し、野菜市場は近世から発達した。市(いち)は古くからあった。市はもともと毎日ではなく、10日に一度とか月に二度といったように間隔をおいて開かれていた。ここでもちよられた品物が交換される。こうした市にもちよられた品物が商品の原型と考えていいだろう。
 株式市場や野菜市場の市場とちがって、経済用語として用いられる「市場(しじょう)」は、商品売買がおこなわれる場所全般を指す抽象語だといえる。だから、市場とは、われわれが日常の商品(時に高額品や金融商品)を買う店やスーパー、百貨店、モール、量販店、銀行、証券会社、不動産会社、それに各地から集められた野菜や魚の相場を決める市場、株を取引する株式市場、外国と通貨を決済する為替市場など全体を抽象的に指す概念である。だから、市場一般というものは存在しない。あるのは商品が売り買いされる、さまざまな場所であり、それは成長したり、衰退したり、あるいは新規なものが登場したりして、どんどんと変化していく場所だといってよい。
 商品は市場で売買されるモノやサービスであり、商品が売買される場所が市場である。ここでいうモノとは、直接に使用される財であり、売買によって所有権が移転される生産物を指している。それには短期消費財や長期(耐久)消費財、あるいは半永久的な固定財が含まれる。いっぽう、サービスとは間接に使用される財であり、労働や便宜、知識などを対象とし、売買によって所有権が移転しない財を指す。一般に、売買された商品は、直接的(いわばモノとしての)ないし間接的な(いわば効果としての)財に転化するといえるだろう。
 市場で売買される商品は、生産と消費のあいだに存在している。
 これを図示すれば、

  生産→商品→消費

ということになるだろう。
 しかし、生産と消費のあいだに位置する有用物は、かならずしも商品になるとはかぎらない。なぜなら、みずから消費するためにみずから生産する場合は、市場における商品とはならないからである。
 この図からは、もうひとつだいじなことが指摘できる。それは市場に現われる商品からは、生産過程も消費過程も直接みることができないということである。たとえば、いま目にするのが、スーパーで売られているフィリピン産のバナナであるとしても、われわれはそれがどのように栽培され、どのように運ばれてきたかを知っているわけではなく、またそのバナナがどのように食べられているのかも、じつはよく知らない。セロファンに包まれて目の前に売られているバナナの来歴や行く末は、商品という姿のなかにはっきりと見えているわけではないのである。
 さらに言えば、商品はいくら見ばえよく商品として並べられていても、それだけでは商品としての要件を満たさない。商品が商品になるためには、もうひとつの流れが必要になってくる。
 それは、

  消費⇒商品⇒生産

という別の流れである。
 前者が商品という財の流れだとすれば、後者は貨幣という財の流れである。
商品と貨幣は逆の方向に流れている。
 この流れのせめぎあいを、その中心である商品の側から眺めてみると、

  供給[→]商品[←]需要

という関係が成り立つ。
 そのため、アダム・スミスは、商品には使用価値と交換価値の二重性があると論じた。この場合、供給とは商品を生産することであり、需要とは商品を消費することだといってよい。
ところで商品が生産され消費され、また消費され生産されて、たえまなく新たな循環を繰り返すのは、人間が生きているかぎり、次々と新たな財を求め、財を費やすからにちがいない。しかし、それだけではない。生産する側の個人や家族、企業が、こんどは消費する側の個人や家族、企業に回るからである。もちろん、個人や家族、企業は同一の商品を生産し、同時に消費するわけではない。そんなことをすれば、そもそも商品が成り立たなくなってしまう。ここで消費されるのは、みずからの作りだした商品ではなく、別の主体の作りだした商品である。言い換えれば、個人や家族、企業は、他の主体が消費するための商品を作りだす。こうして商品世界においては、生産者と消費者は分裂していると同時に結合している。
 ここで、商品の成立する要件を考えてみると、だれでもがわりあい簡単につくれて、自由に楽しめるものがあるとすれば、それは商品にはなりにくい。たとえば庭に咲いている花を切って、花瓶にさしても、花瓶の花はそれ自体、商品とはいえないだろう。
 消費者、したがって需要サイドからみれば、商品とは、いまみずからが簡単につくりだせず、所有しているわけではないが、手に入れたいと切望する何かである。その商品を切望する理由は、それによってみずからの生活世界が改善されたり拡張されたりして豊かになると考えるからである。それがなければ飢えて死んでしまうという限界状態もあるかもしれない。しかし、そもそも人間の欲望はとどまるところを知らない。
 いっぽう、生産者、すなわち供給サイドは、消費者の欲望に応じて、次々と商品を生みだしていかねばならない。問題は商品には寿命があるということである。商品は期間の長短はあるにせよ、消費されることによって消滅していく。しかし、ここでいう「寿命」とは、商品それ自体の寿命のことである。新たな商品が、古い商品を駆逐してしまうのは、よくあることだ。そこで、生産者は、すぐに陳腐化してしまうという恐れをいだきつつ、次々と新たな商品を開発しようとする。
 以上についてまとめるなら、商品はそれだけで商品として存在するわけではなく、循環的な構造に支えられた関係性において存在するということである。本稿は、関係性としての商品を支える循環構造を明らかにすることをめざしている。しかし、それだけにとどまらず、商品世界の歴史をもとらえることによって、その起源や発展、あるいは成長や衰退をとらえ、さらには現状と将来についても言及したい。さらには、商品世界をめぐる思想や学説にも簡単にふれることができれば、もっけの幸いである。



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