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野口悠紀雄『日本経済入門』をめぐって(3) [時事]

 これまでみてきたように、日本経済はさまざまな問題をかかえている。なかでも深刻なのが高齢化問題と財政問題だ。
 きょうは、そのあたりを実際の数字でみていくことにする。
(8)高齢化問題
 高齢化にともない、医療介護制度が大きな問題になってきた。
 日本の健康保険制度は、社会保険(職域保険)と国民保険(地域保健)、後期高齢者医療制度の3本立てから成り立っている。
 2012年の日本の医療費の総額は40.8兆円。その負担割合は公費(国と地方)が15.9兆円、保険料が19.9兆円、患者の自己負担が4.8兆円となっている。
 GDPにたいする医療費の割合は2012年度で8.33%。その割合は1988年度の2倍になっている。高齢化にともなって、医療費が増加している。
 これに2012年の介護費8.9兆円を加えると、医療費・介護費は、すでにGDPの10%を超えている。
 著者は高齢者の自己負担率が低すぎることを指摘する。20歳から60歳までは医療費にくらべ、保険料と自己負担額のほうが多い。これにたいし、60歳を越えるとその関係が逆転し、年齢を重ねるとともに、保険料と自己負担額にたいし、医療費が圧倒的に多くなっていく。
 いま1人あたり年間医療費は、70歳を越えると60万円を超え、90歳を越えると100万円を超えるとされている。これにたいし、高齢者の保険料と自己負担額は低すぎる、と著者はいう。
 さらに65歳以上では5人に1人が要支援・要介護になっている。その保険給付額は2014年度で8.9兆円。そのうち半分が被保険者の保険料、残りの半分が公費で支払われている。その総額は今後、増大するとみられている。
 医療費と介護費のGDP比率は2025年度には13%近くになると予測されている。
 われわれ高齢者にとっては、つらい数字だ。
 これに加えて深刻なのが、年金問題だ。
 詳しい説明ははぶくが、著者はこのまま行けば、政府の説明とは異なり、2030年ごろに日本の年金制度は破綻すると断言する。
 これを避けるには、ふたつの方式が考えられるという。
 ひとつはマクロ経済スライドを強行し、経済指標にかかわらず毎年給付を0.9%減らしていくこと。それによって26年間で、年金の実質給付額を20%カットすることができる。
 もうひとつは年金支給開始年齢を徐々に70歳に引き上げること。こうした改革ができなければ、よほどの経済成長が見込めないかぎり、おそらく日本の年金制度は破綻するという厳しい見方を著者は示している。
 これも、われわれ高齢者にとってはつらい話だ。
 日本の財政も深刻な状況に置かれている。
 2016年の国の一般会計予算は、96.7兆円。そのうち33.1%が社会保障費にあてられている。社会保障費は1990年にくらべて、約3倍の32兆円となっている。
 1990年ごろから、税収は増えていない。予算のうち約3分の1を公債に依存するかたちとなっている。
 日本の財政は「債務残高がGDPの2倍を超えるなど、主要先進国と比較して最悪の状況」にある。
 消費税の引き上げがたびたび延期されるなか、財政の健全化は進んでいない。
 国債発行額や残高が多すぎると経済活動に支障をきたす。公債残高のレベルを適正に維持するためには、EU加盟基準でいえば(公債はGDPの60%に抑える)、消費税を27%に上げなくてはならない、と著者は指摘する。これは実際には不可能なことだ。
 とはいえ、いずれにせよ消費税の引き上げは必至だ。そのさい、著者は日本でもインボイス方式を導入して、合理的な税負担をはかるべきだと述べている。
 また、現在は日銀による国債大量買い入れにより、金利が低く抑えられているが、もし金利が上昇してくると、国債の利払い費が増大するという問題が生じる。最悪の場合は、国債をなかったものにするという事態も生じかねない。
 現在、日銀は異次元金融緩和によって、大量に国債を買い入れている。こうした状況をいつまでもつづけているわけにはいかない。「日本はいま、財政法第5条の脱法行為によって、財政ファイナンスに進みつつある」
 現在、問題は隠されているだけで、「この道が行き着く先がインフレであること」はまちがいない、と著者はいう。

〈本当に必要なのは、社会保障制度の見直しによって歳出の増加をコントロールすること、他方で生産性の高い産業を作って経済力を高め、それによって税収を上げることです。日本が抱えている問題を解決する手段は、この2つしかありません。〉

 ついでながら、著者は、法人税を引き下げたところで、国際競争力を高めることにはならないと指摘する。それは配当や内部留保を増やすだけで、賃金の上昇や投資に結びつかない。むしろ企業の社会保障費負担を軽減する方向をさぐるほうがいい、と著者はいう。
 こうして数字を並べていくと、日本経済の将来は暗いと思わざるをえない。唯一、展望が開けるとすれば、技術水準を上げることだという。
「企業のビジネスモデルを転換し、新興国とは直接に競合しない分野に進出することが必要」だという。
 そのためには製造業は、製品の企画や販売に集中し、生産は新興国でおこなうようなシステムをつくらなければならない。
 金融緩和によって、円安を誘導し、それによって景気を回復する方式は、弥縫策でしかない。
「生産性の高い新しい産業が登場するのでない限り、どんな施策をとっても、持続的な成長に結び付くことはない」からだ。
 技術開発面で、1989年に世界1位の座にあった日本は、いまや大きく後退している。IT革命の変化に日本はついていけなかった、と著者はいう。
 情報技術をもとにした新たなビジネスモデルを開発しなければならなかったのに、日本ではこの20年こうした企業が登場しなかった。日本では頭文字をとってGAFAと総称される、グーグルも、アップルも、フェイスブックも、アマゾンも生まれなかった。そのことが、日本経済停滞を象徴している、と著者はいう。
 さらに日本でユニコーン企業と呼ばれる次世代のIT企業が登場しないのは、規制緩和がなされていないためだ(規制緩和は加計学園などのためではない)。最後に、経済再活性化の原動力は、地方の創意工夫にある、と述べて、本書を終えている。
 技術開発による新産業といっても、現実はなかなかむずかしそうだ。それでも、政府発表をうのみにせず、日本経済の実情をしっかりと認識したうえで、どうにか先に進むほかあるまい。

野口悠紀雄『日本経済入門』をめぐって(2) [時事]

 前回に引きつづき、日本経済の実態を数字で追っていくことにする。
(4)所得分配
 労働者の所得は賃金、資本家の所得は利子所得、配当所得、それに所有資産の価値増加分からなる。
 資本所得の営業余剰と雇用者所得の割合は、1955年に40%と40%だったものが、1995年には20%、55%となり、2000年以降はほぼ20%、50%で推移している。つまり、「長期トレンドでは、営業利益に対する従業員給与の比率は上昇」している。
 また日本の資本収益率は60年代には7%程度だったものが、70年代以降は4〜5%となり、90年代後半以降は3%程度になっている。とりわけ90年代前半以降は製造業の収益率低下がめだつ。資本収益率が低下したのは、新興国の工業化で、日本の製造業のビジネスモデルが時代遅れになったためだ。
 いっぽう日本の貯蓄率は1970年には30%を超えていたが、2012年には1%に低下した。その原因は、急速に高齢化が進んだためだ。貯蓄の取り崩しがはじまっている。
 ジニ係数でみると、日本では所得の不平等度が増している。格差を縮小するため、政策面でのさまざまな取り組みが必要だ、と著者は論じる。とりわけ、今後は資産課税が大きな課題になってくる。
(5)物価
 日本の消費者物価水準はほとんど輸入物価によって決定される。
 1990年以降の特徴は、新興国の工業化とIT革命によって工業製品の価格が大きく下落したことだ。いっぽうサービス価格は上昇している。その結果、80年代後半から、消費者物価はほとんど上昇せず、90年代末からマイナスとなることも多くなった。
 なお、現在の物価水準は1970年の3倍程度になっている。1970年と比べると、2008年までに工業製品価格は10分の1程度になったのにたいし、サービス価格は5倍程度になっている。
 工業製品価格が下落したのは、中国が工業化した影響が大きい。
 2008年のリーマンショックでも消費者物価はほとんど影響を受けなかった。むしろ、物価は上昇した。その原因は、原油価格が上昇したためであり、2014年以降、原油価格が下落すると、物価も下落している。
 ここから、著者は日本の物価は世界経済の条件によって外部的に決まる側面が強く、国内の需要減少が価格の下落(デフレ)を招いているという認識は誤りだと断定している。
 2013年以降の消費者物価指数をみると、2013年12月に物価は1.3%上昇している。これは景気の好循環がはじまったためではなく、円安の影響だ。このとき上がったのは電気代とガソリン代であって、そのほかの物価はほとんど上がっていない。
 円安が進むと輸入価格が上昇し、それによって消費者物価が上昇する。その結果、実質賃金が下落し、実質消費が低迷する。
 円安になると、輸出企業のドル建て利益は増加する。そのいっぽう、労働者の実質賃金は下落する。他方、政府も企業利益が増加するため、税収が増える。そのため、政府も企業も円安を歓迎するが、労働者にとって円安は歓迎すべきものではない、と著者は論じている。
 2014年秋には日本の輸入物価が大きく下落した。主な原因は原油価格の下落だ。資源価格の下落は日本に利益をもたらすはずだ。ところが、それを歓迎しない向きがあるのは不思議なことだ、と著者は首をかしげる。デフレ脱却というイデオロギーが、経済の見方をゆがめているという。
 原油価格の下落によって、2014年秋以降、物価は下落に転じた。ところが、ほんらいもっと下がってしかるべき物価が下がらず、原油価格の下落によって生じた利益は企業利益の増大と内部留保の拡大に回ってしまっている。
(6)金融政策
 2013年にはじまった異次元金融緩和政策は、円安をもたらしたものの、実体経済に影響を与えていない、と著者は論じている。
 1980年代までは、日本の金融は、家計の貯蓄が銀行を通じて民間企業の設備投資を支えるというかたちをとっていた。
 ところがバブル後の90年代になると、家計の資金供給が減るなかで、政府が公共投資を増大させ、その赤字を国債発行によって補うようになった。いっぽう企業は膨張した資産と負債を圧縮し、設備投資を減少させた。
 90年代半ば以降、家計の貯蓄率はさらに低下し、資金余剰幅が縮小する。他方、社会保障関連費が増大し、政府の資金不足は拡大した。
 長期金利(貸出約定平均金利)は1993年に4.5%を超えていた。それが95年には2%台、2001年には1%台になり、現在はほぼ1%になっている。
 短期金利は1990年にほぼ6%だったが、95年に1%、2016年10月には0.3%になっている。
 90年代の急速な金利低下は、消費者物価の低下を反映したものだという。金利の低下はほんらい経済に繁栄をもたらすはずだが、日本ではそうならなかった。不良債権問題の処理に加えて、新興工業国の工業化にうまく対応できなかったからである。
 2013年に日銀は異次元金融緩和措置を導入した。そのころ円安が生じ、株価が上昇したのは事実である。しかし、円安はそれ以前のユーロ圏の情勢変化によって生じたものだ、と著者はいう。
 円安によって企業の利益は増大した。とりわけ資本金1億円以上の輸出企業が大きな利益を得た。これにたいし、下請けや非製造業の利益はそれほど増えていない。しかし、輸出総量は増えなかったので、GDPは増大しなかった。いっぽう労働者の実質賃金は下落したため、実質消費は抑制され、実質経済成長率は低迷した。
 2013年の経済成長率が高かったのは(2.0%)、金融緩和のためではなく、公共事業の増加と、消費税引き上げ前の駆け込み需要で住宅投資が増えたためだ、と著者は書いている。
 さらに、金融緩和政策は、マネーストック(流通するおかねの残高)の増加をもたらしていない。
 日銀は2013年4月から年50兆円〜80兆円のペースで国債の買い入れをおこなっている。2016年段階で、その額は国債残高の34.9%(345兆円)となった(現在は40%、400兆円を突破)。
 しかし、マネーストックは、年平均で3.4%(3年間で89兆円)しか増えていない。異次元金融緩和で、国債をこれだけ買い入れているのに、この状態は「空回り」としかいいようのないものだ。
 異次元金融緩和は失敗した。それは資金需要がないためだ。金融を緩和しても(たとえマイナス金利にしても)、停滞した経済を活性化することはできない。それどころか、それはむしろ大きな悪影響をもたらしている、と著者は指摘する。
(7)労働力不足問題
 日本の労働力人口は。1950年代はじめには5000万人だったが、80年代には8000万人、95年には8700万人となった。だが、それ以降は低下がつづき、2014年には7800万人となっている。
 これにたいし、65歳以上の人口は、1975年には1000万人未満だったのに、80年に1000万人を超え、2012年には3000万人を突破し、2014年には約3300万人になっている。急速な高齢化が進んでいる。
 これからの問題は、総人口の減少よりも、年齢構成の変化だ、と著者はいう。生産年齢人口が減少しつづけるのはまちがいない。2015年の7700万人が、2060年には4400万人に減少すると予想されている。いっぽう高齢者人口は増えてくるから、社会保障面で深刻な問題が発生する。
 GDPにたいする社会保障費の割合は、2005年に4.0%だったものが、2010年には5.7%、2015年には6.2%に上昇している。この割合は今後も増えつづけ、現在の制度は破綻する恐れがある、と著者は指摘する。
 これにたいし、労働力人口は2030年には5683万人となると予想され、現在よりも1000万人減少する。これはたいへんな事態だ。
 高齢化にともない、医療・介護にたいする需要はまちがいなく増えてくる。75歳以上の人口は1960年に164万、80年で366万人だったが、2010年には1419万人にのぼり、2020年には1879万人になるとされている。それにともない、要支援、要介護の認定者は2012年に561万人にのぼっている。こうした人びとを介護するために多くの医療・介護従事者が必要になってくるのはいうまでもない。
 これからは人手の確保が大きな課題になってくる。出生率の上昇が容易ではないとすれば、外国から労働者を受け入れる以外にないだろう。根本的な発想の転換が必要になってくる、と著者は述べている。

野口悠紀雄『日本経済入門』をめぐって(1) [時事]

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 あえてうそとは言わないけれど、経済に関して、時の政府や日銀が自分に都合のよい数字(印象操作)を発表しがちなのは、みずからの実績をほこることで、その正統性を維持するためである。それは、いわゆる「大本営発表」になりやすい。
 ところで、ほんとうのところ日本経済はどうなのだろう。ここでも数字はうそをつかないという原理があてはまる。
 本書は実際の数字にもとづいて、日本経済のほんとうの姿を客観的にとらえてみようというこころみだといってよい。
 ぼく自身は現実の世界にうとい。毎日をのらりくらり遊びくらしている年寄りにすぎない。そんななまけものにとっても、日本経済の現状を知っておくのも悪くないだろう。もっとも、それはいいかげんな理解にとどまってしまうかもしれないが……。
 本書の「はじめに」で、著者はこう書いている。
「1990年代の中頃をピークとして、賃金をはじめとする日本経済のさまざまな経済指標が、減少・低下していること」は事実である。
 著者にいわせれば、その原因ははっきりしている。
「第1は、新興国の工業化や情報技術の進展といった世界経済の大きな構造変化に、日本の産業構造が対応できていないこと」。
「第2は、人口構造が高齢化しつつあるにもかかわらず、社会保障制度をはじめとする公的な制度が、それに対応していないこと」。
 ここから導かれる対策もはっきりしている。
「日本経済が抱える問題を解決するには、経済の生産性を向上させる必要がある」。しかし、政府は見せかけの金融緩和政策に走り、実体経済を活性化させるという、だいじな方策を怠っている、というのが著者の見方である。
 本書の趣旨は以上であきらかだが、以下、実際の経済データにもとづいて、日本経済の実態をみていく。
 例によって、いっぺんには読めないし、頭もついて行かないので、何回かにわけて、内容を紹介することにする。
(1)GDPの変化
 まず経済活動の指標としては、国内総生産(GDP)が知られている。
 詳しい説明は省くが、国内総生産は国内総支出(GDE)と一致する。そのため、一般に国内総支出もGDPと呼ばれる。
 需要と供給の関係についてはさまざまな議論があるが、「長期的には供給面の要因により経済成長が決まり、短期的な経済変動は需要の変動によってもたらされる」とみてよい、と著者は述べている。
 経済活動の主体は、企業と政府、家計、それに海外部門からなる。
 GDP(正確にはGDE)で最大の割合を占めるのが、民間最終消費支出で56.3%にのぼる(2015年)。これにたいし、民間企業設備が15.3%、政府最終消費が19.9%、公的固定資本形成が5.0%、これに輸出から輸入を引いたものを加えたのが全体のGDPとなる。
 名目GDPを物価の変化率で割ったものが、実質GDPとなる。
 ややこしい計算方法はこれくらいにしておこう。
 日本の名目GDPの年平均成長率は、1956年から70年にかけ、15.6%にものぼっていた。実質GDPでみても、その間の平均成長率は9.6%だった。また1960年から66年にかけ、日本人の1人あたり所得は約2倍に増えている。
 しかし、現在(2016年)の実質GDP成長率は年率で0.5%に落ちこんでいる。これにたいし、アメリカの成長率は2.5%程度、ドイツは1.5%程度になっている。先進国のなかでも、日本は停滞している。
 1人あたりGDPでも、日本の停滞ぶりがめだつ。国際通貨基金(IMF)の予測では、2020年にアメリカの1人あたりGDPは、日本の1.5倍になるとみられている。1990年の1人あたりGDPは、日本のほうがアメリカより多かったことをみれば、ここでも日本の停滞ぶりが目立つ。
 いっぽう、日本と中国の差は、急速に縮小している。2010年には中国は1人あたりGDPが日本の10分の1だったのに、2015年には4分の1になり、2020年には3分の1に接近すると予想されている。
(2)産業構造の変化
 1950年ごろまで日本の産業は、農業が中心だった。その後、製造業が中心になっていく。
 50年には全就業者数の49%が農林漁業関係者だった。それが65年には22%、60年代末には18%に減少した。
 いっぽう製造業従業者は50年には16%だったのに、60年代末には25%以上に拡大している。
 そのことをみても1950年代から60年代末にかけて、日本では急速な工業化が進んだことがわかる。
 鉄鋼の生産量は1950年から60年にかけ5.3倍に、60年から70年にかけ5.7倍に増加した。
 そのかん工業化にともなって、日本では都市化が急速に進んだ。都市部と農村部の人口比率は1950年に0.6、それが1965年には2.1となった。
 しかし、1970年代以降は、製造業が縮小し、非製造業が拡張していく。GDPに占める割合でいうと、70年には製造業が36.0%、非製造業が53.0%だったのが、80年度には29.2%と59.9%、2000年には21.1%と66.1%、2014年には18.5%と68.1%となっている。
 1970年とくらべると、製造業の比率は半減したと著者は述べている。
「製造業の相対的な比率は明らかに低下し、絶対値で見ても、製造業は停滞または縮小の過程にある」
 製造業が縮小した原因は、端的にいって、1978年の「改革開放」路線以降、とりわけ90年代半ばから中国が急速に工業化したためである。
 中国では、鉄鋼生産量が一挙に増えただけでなく、自動車家電、IT分野でも新しい企業が誕生した。
 それによって、中国は「世界の工場」と呼ばれるようになった。
 さらに「中国メーカーは巨額の研究開発費を投じ、世界各国に研究拠点を設けて技術開発を進めており、技術的にも日本企業を凌ぎつつある」。
 加えて、80年代から90年にかけてのIT革命によって、情報処理コストと通信コストが劇的に低下したことも、製造業の生産方式に大きな変化をもたらした。
 それが「垂直統合」から「水平統合」へと呼ばれる変化である。たとえばアップルはこの「水平統合」によって、世界じゅうの企業が生産した部品を調達し、中国で製品の組み立てをおこなっている。
 重化学工業も組み立て製造業も、日本よりも中国のほうが、はるかに低コストでできるようになった。それにより、工業製品の価格は大きく下落する。
 低コスト競争をしても、日本企業は消耗するばかりで、中国に太刀打ちできなくなる。そのため、日本企業も中国をはじめ、海外に進出せざるをえなくなった。
 こうした世界構造の変化によって、日本の製造業の利益率は大幅に低下した。
 著者はかつてのような「輸出立国モデル」はもはや成り立たないと述べている。
 日本の製造業はすでに生産拠点の多くを海外に移転させており、海外市場に進出することで活路をみいだそうとしている。
 この傾向を逆転することはもはや不可能であり、日本は海外での利益を環流させて、経常収支の黒字を維持するほかない、というのが著者の見立てである。
 日本の長期停滞は、世界の構造が変わったことが原因であり、日本は産業構造を変えることによってしか、長期停滞を脱出できない、と著者は論じている。
(3)就業構造の変化
 日本の就業者数は1955年に4000万人、1968年に5000万人、1988年に6000万人を突破した。そして95年に6584万人のピークを迎え、その後は減少をつづけて、2016年には6444万人になっている。
 そのうち製造業の就業者は61年に1000万、70年に1400万人を突破したが、92年の1603万がピークで、その後、減少をつづけている。2013年の就業者は1033万で、全就業者の15.9%。これは卸売業・小売業の16.4%より少なくなっている。このことをみても、日本の中心産業はすでに製造業ではなくなっていることがわかる。
 いっぽう有効求人倍率は、リーマンショック後1を下回る状況がつづいていたが、2016年には1.41に上昇している。このことをみると、雇用情勢が好転したかのようにみえるが、実際には「有効求人数はほぼ頭打ちであり、有効求職者数の減少によって有効求人倍率が上昇しているという側面が強い」という。
 つまり、人手不足の原因は、労働力人口が減少したためなのだ。有効求人倍率の上昇は、かならずしも日本経済の好転を意味しない。
 また日本の賃金指数をみると、ピークは1997年の113.6で、その後、2000年には110.5、2012年には98.9まで下落している。1997年から2012年にかけ、経済全体で、賃金は低下傾向にあったことがわかる。
 さらに、このかんの特徴は、正規雇用が減少し、非正規雇用が増加したことである。正規と非正規とのあいだにはいちじるしい賃金格差が見受けられる。
 2015年、2016年の官製春闘では、賃上げ率はそれぞれ2.38%、2.14%の高水準となったが、春闘がカバーしない部門では、むしろ賃金は下落しており、全体としてみれば、賃金は上昇していないのが実情だ、と著者はいう。
 日本経済の実情を示す数字を、さらに見ていくことにしよう。

アベノミクスはムダな抵抗──水野和夫『国貧論』をめぐって(3) [時事]

 戦後経済で、大きな節目となったのは、何といっても1971年のニクソン・ショックだろう。このとき以来、世界は変動為替制に移行することになった。
 その後、日本経済は1980年代にバブル時代を迎える。
 そして、1995年からはゼロ金利となり、デフレ時代に突入する。
 著者は成長の時代、すなわち近代は1971年に終わったという立場を取っている。それ以降は、ポスト近代の時代である。
 1995年からの日本経済はゼロ金利、ゼロ成長がつづく。
 にもかかわらず2015年度の企業収益は過去最高を記録した。円安株高や人件費削減の影響が大きい。国内の売上高は伸びていない。
 これにたいし、実質賃金は97年をピークに下降している。
 大企業の利益が大きければ、底辺の人びとにもおこぼれがあるという、いわゆる「トリクル・ダウン」効果なるものはまったく実証されていない。
 ゼロ成長のなかでの分配のゆがみが、資本主義の成長神話を奇妙なかたちで存続させているのである。
 日銀はいまだに2%インフレに向けて、気合いを入れつづけている。
 著者によると、これはほとんど「おまじない」に近いという。
 こうしたおまじないや根拠のない確信が横行するのは、かつての大本営発表と同じで、資本主義が終焉を迎えつつあるのを認めない強がりである。
 しかし、何とかして資本主義を延命させようとすることが、けっきょくは事態をさらに悪化させていくことになる、と著者は考えている。
「時代の流れは政治家には変えられない」。時代のトレンドは、むしろいままでとはまったく逆なのに、時の政権は昔の傾向を復活させようとして、いわば時代に逆行する路線を取っているのだ。
 資本主義の延命策は、世界的に所得格差の拡大をもたらし、日本もその例外ではない。
 日本の家計貯蓄率はマイナスに転じ、そのいっぽうで、相続を通じての個人金融資産が増加している。それは民主主義時代以前のアンシャン・レジームへの逆戻りだ、と著者はいう。
 資本主義の終焉は、ほかにもさまざまな面で見ることができる。
 日本で人口が減少に転じたことも、そうしたあらわれのひとつだろう。
 いまでは原油価格が下落しても、景気の刺激に結びつかず、企業はその恩恵を内部留保と配当に回し、人件費をさらに削減する対策までとっている。
 原油価格の下落はBRICsなど新興国経済の停滞を意味している。そのことは世界全体の成長が終わったということを象徴している、と著者はいう。
 日本でも世界でも過剰資本があふれている。
 たとえば、日本ではチェーンストア(スーパーや量販店)の売り上げが1997年をピークとして、17年連続で下落しているという。
 そのいっぽうで、店舗面積は1997年以来、増え続け、いまでは1.5倍近くになっている。それなのに総販売額は25%近く減少しているのだ。これは店舗面積が過剰であることを示している。
 たしかにコンビニの販売額はやや持ちなおしている。それも2012年以来、1店舗当たりの売り上げは減少に転じている。それでも総売上高を伸ばすために、労働面では無理がつづく。一部既存店の不良債権化もはじまっている。
 スーパーやコンビニに、商品が所せましと並んでいるのをみても、製造業の供給力が過剰になっていることがわかる。
 現在の状況は、資本の生産性を悪化させても、設備投資をしつづけないと、企業が存続できない構造になっている。資本過剰だけが進行し、労働者はがまんを強いられる。
 そして、資本は労働者にがまんをさせながら、濡れ手に粟をつかむ時期を夢見るのである。
 過剰は膨大な「食品ロス」や「空き家」の多さをみてもわかる。
 世界の粗鋼生産量を見ても、過剰生産ぶりは想像以上である。
 資本の過剰を解消するのは容易ではない。かつては恐慌が、資本の過剰を暴力的に清算したものだ。だが、いまは国家の発動する金融・財政政策が、オブラートのように、それが爆発するのを防いでいる。それがゼロ金利、ゼロ成長をもたらしているともいえる。
 だが、そろそろ資本主義の終焉を認め、ポスト資本主義の時代を構想したほうが、ずっと前向きなのだ、と著者は提案する。アベノミクスは長い目でみれば「国貧論」なのだ。

明るい「新中世」──水野和夫『国貧論』をめぐって(2) [時事]

 いわゆるアベノミクスの登場以来、日銀は金融の「異次元緩和」を宣言し、貨幣発行額を一挙に増やした。その結果、市場が反応して、円安と株高を招来したことは周知のとおりである。
 しかし、日銀のめざした2%インフレは実現していない。
 そして、貨幣発行高が2000年に比べ4倍になったというのに、「GDPはピタリと500兆円あたりに貼り付いたまま上昇の気配はない」と、著者はいう。
 経済はどうみても飽和状態に達している。
 そんななか、実質賃金はむしろ低下し、経済格差が広がっている。
 長期的にみれば、資本主義は終焉を迎えつつある、と著者はいう。
 そのメルクマールとなるのは利子率である。日本では1995年以来、20年以上にわたって、事実上のゼロ金利政策がつづいている。
 金利がゼロということは、企業の利潤も低いということだ。
 グローバル化や金融商品の開発、電子空間の創出、労働市場の規制緩和など、さまざまな策をくりだして、資本主義は延命をはかっている。しかし、冷静にその実態をみれば、資本主義は末期状況にあるととらえるべきだ、と著者はいう。
 この先、資本主義はどのように終わっていくのだろう。
 著者は2つのシナリオを考えている。
 ハードランディングの場合。それは中国バブルが破裂するときだ。「世界の工場」としての中国が過剰生産能力をかかえていることはまちがいない。その輸出がかげり、過剰な設備投資が回収できなくなったときに、中国のバブルは崩壊する、と著者はみる。
 その影響はリーマン・ショックどころではない。そのとき中国が保有する米国債を手放したりすれば、ドル体制も崩壊する。株価は世界的に大暴落し、日本でも多くの企業が倒産し、失業者が増え、賃金も大幅な下落に見舞われる。日本の国家財政は破綻するだろう。そうなると、長期にわたる世界大恐慌がつづく。
 逆に、ソフトランディングの方途は考えられるだろうか。
 かつて資本主義と国家は、ギブ・アンド・テイクの関係にあったのに、いまでは「資本が主人で、国家が使用人のような体たらく」になっている。こうした事態を改善するには、せめてG20が連帯して巨大資本に対抗しなくてはならない、と著者はいう。
 法人税の引き下げ競争に歯止めをかけ、国際的な金融取引に税金をかけ、その税金を困難に見舞われた世界の地域に還元するようなシステムを構築しなければならない。
 いずれにせよ、その目標は徐々にポスト資本主義社会(ポスト近代社会)をつくることである。そこでは、「経済成長はしていないが、豊かな暮らしはいまここにある状態」(定常状態)が実現されるだろう。

 2001年の9・11米同時多発テロは、周辺から中心への、富の過剰なまでの「蒐集」にたいする抗議だった、と著者はいう。
 近代の秩序が揺らぎはじめている。
 いまは20世紀の「極端な時代」が終わりを告げて、「ゼロ成長社会=定常状態」をいかに構想するかが問われている。
 ゼロ成長社会では、投資は減価償却の範囲でしか発生しない。そして、消費だけが、基本的な経済循環をつくっていくことになる。
 日本の名目GDPは、1997年の524兆円をピークに2014年には485兆円まで縮小した。それでも1人あたりGDPはいまもアメリカ並みに4万6000ドルを保っている。
 問題は国レベルでの1000兆円を超える借金だ。しかも、いまでも毎年40兆円の財政赤字が発生している。
 いっぽう個人預金は増え、企業も資金余剰の状態がつづく。家計部門と企業部門の余剰は、年間40兆円発行される国債の消化に向けられている。
 国に1000兆円の借金があっても、日本には工場や店舗などの実物資産が1200兆円あり、個人の金融資産も1000兆円以上あるから、いまのところ国債は破綻を免れている。
 問題はいつまでも国債の発行を増やしつづけられないことだ。
 少なくとも基礎的財政収支(プライマリーバランス)をゼロにしなくてはならない。そのためには増税が必要であり、消費税も最終的には20%近くにまで引き上げなくてはならない。金融資産への課税や法人税の増税も考慮しないわけにはいかないだろうという。
 そして、すでにある国の借金1000兆円にたいしては、むしろ発想を転換して、日本のなかで豊かな生活サービスと安全を享受するための「出資金」と考えたほうがいいのではないかという。とはいえ、借金がこれ以上増えないようにすることがだいじである。そのためには、国民は甘んじて税金の負担を受け入れなくてはならないし、国は責任をもって、この借金を管理しなくてはならない。
 日本はある意味で、ポスト資本主義に向けて、世界の先頭を切っているともいえる。ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレは、定常状態の必要条件である。
 とはいえ、これからは名目GDPの減少を防ぎ、定常状態を維持することが重要になってくるという。
 著者はゼロ成長はネガティブだと批判する経済ジャーナリストにたいして、むしろ現在の状態はゼロ成長すらおぼつかないと指摘する。重要なのは、資本主義の成長路線から、いかに混乱なく撤退するかということなのだ。

 著者は資本主義と市場経済を区別して考えている。著者によれば資本主義とは「資本の自己増殖と利潤の極大化」をめざすものであって、「ゼロ金利・利潤率ゼロ」となっている現実から考えれば、資本主義は実際上、終わったとみるべきだという立場をとっている。しかし、資本主義は終わっても、市場経済も資本も残ると考えるのだ。
 資本主義はほうっておけば暴走する。それにたいしブレーキをかけたのが、スミスであり、マルクスであり、ケインズであった。ところが、ハイエクやフリードマンの新自由主義がもてはやされるようになって、ふたたびブレーキのきかない資本主義が動きはじめた。そのひとつの結末がリーマン・ショックであった、と著者は指摘している。
 資本主義は、現在、終わりを迎えようとしている。
 現在はじまっているのは、脱近代、すなわち新たな「中世化」ではないか、と著者はいう。
 日本の脱近代は、どのようなものとして構想されるだろうか。
 まず考えられるのが、東京一極集中の中央集権国家から脱却して、地方分権の実現に向かうことだ。そのために著者は現在の500兆円経済を5ブロックに分割して、地方の活性化をはかることを提案している。
 大学も地方大学を重視して、地方の若者が地元の国公立大学を目指すなら授業業を免除し、東京大学を目指すなら学費は倍にしたらいいと提案している。さらに企業が東京本社を引き払って、地元に戻るなら、法人税を割安にするなどの措置をとるべきだという。
 地方が中心になると、ナショナルブランドは無価値となり、リージョナルブランドが優先されるようになる。巨大総合スーパーは、近代の遺物であって、ポスト近代社会では地域特化型のスーパーが流通の中心となる。
 それまでの企業利潤は固定資本減耗分を除いて、人件費に振り替えられ、家計はその一部を金利ゼロで地方の金融機関に預ける。
 利子率ゼロの世界は配当もゼロであり、そうなると株式も債券と区別がつかなくなり、まさに東インド会社以前(つまり株式会社発生以前の)中世の世界に戻ることになる。
 だが、それはけっして貧しい社会ではないだろう。

 近代システムが行き詰まれば、中世のいいところを見習う必要があるというのが著者の考え方である。
 これからの世界経済はグローバル化に向かうのではなく、むしろブロック化の方向に進むと著者はいう。電子・金融空間によるドル支配から逃れるには、経済圏を極力閉じるほかない。それなのに、日本はいまだにドル世界基軸通貨の時代がつづくと思っている、と著者は批判する。
 これからは「よりゆっくり、より近く、より寛容に」の世界をめざさなくてはならない。利子率ゼロ(利潤率ゼロ)の世界は、むしろ資本が豊富な社会なのだ。そこでは、何も無理をしなくても、豊かさが手にはいる。
 利潤ゼロ、配当ゼロ、金利ゼロで社会は安定する。企業は固定資本減耗を確保すればよいのであって、利潤極大をめざさなくてもよい。無理やりの利潤確保は、人件費へのしわ寄せを招き、社会の荒廃を招くだけである。
「新中世」の世界は暗黒とはほど遠い、明るい世界だ。そうした世界を1世紀ほどかけて、ゆっくりつくりあげていけばよい、と著者はいう。そういう意味で、現在は「近世の秋」なのであって、そのなかで、きたるべき時代を構想していくのは、とても楽しいことだ、と著者は考えているようである。

水野和夫『国貧論』をめぐって(1) [時事]

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 いま日本の経済はどうなっているのか。
 アベノミクスはほんとうに道半ばで、これから日本経済は成長を回復していくのか。
 オリンピックがはじまると、こうした小うるさい話題もたちまち片隅においやられて、それはそれでけっこうなことだと思うのだが、孫の絵本を買いにいった書店で、たまたまこの本を見つけたので、ちょっと斜め読みしてみようかという気になって購入してみた。
 暑苦しいテーマになるかもしれないが、そのへんはご勘弁のほど。
 はじめに、近代の経済は成長だという話がでてくる。資本主義は利潤を求めて、どんどん膨張していく。
 しかし、その膨張にも限界があって、いずれ利潤が得られなくなる。無理やり膨張しようとすれば、経済全体が破裂しかねない。
 それでも経済が成長を求めるのは、資本主義の本性、いや人間の本性が金儲けしたいという欲にまみれているからかもしれない。
 本書によると日本経済の現状は苦しくなっている。
 実質賃金は1997年以降、年平均で0.79%下落している。とくにアベノミクスが採用されてからは、年1.4%減で最悪だという。これは消費増税に賃金の上昇が追いついていないことを示している。
 たしかに安倍政権が誕生してから、雇用は136万人増えた。しかし、その3年間で、正規雇用は5万人減少し、非正規雇用が162万人増えている。
 非正規でも、ともかく雇用が増え、家計の所得も増えれば、けっこうな話ではないかという見方もあるだろう。
 労働の規制緩和で、たしかに雇用者数は増加した。しかし、年収200万円以下の給与所得者は2013年で1119.9万人に達したという。
 ふたりで働いても、家計の余裕は生まれない状況になっている。
 現に、勤労者世帯の金融資産残高は、中央値でみると、2002年には817万円あったものが、2014年には741万円まで減少している。
 さらに、世帯あたりの純貯蓄残高(貯蓄−負債)でみると、その中央値は2012年のマイナス320万円から2015年のマイナス434万円へと、負債額が拡大している。
 生活水準の格差が拡大していることもわかるという。
 内閣府の調査でも、現在の成長戦略で恩恵をこうむっているのは、「上」の層で、「中の中」ないし「中の下」の人たち(8割にわたる中間層)は、今後の生活の見通しが悪化するとみている。
 個人の金融資産は2002年3月末に1417兆円だったのが、2016年には1741兆円に増加しているから、これだけみれば年率1.5%の増加率である。
 しかし、この間、勤労者世帯の貯蓄は、中央値でむしろ減少している。これは資産格差が拡大していることを示している。
 アベノミクスのもと、大企業の利益は、円安の影響もあって、3年連続過去最高益を更新した。
 株主資本利益率(ROE)も2012年度の4.1%から7.4%に増加したという。これは株主への配当が増えていることを示している。
 アベノミクスとは何なのか。
 著者はこう結論づけている。

〈いま問わなければならないのは、「成長戦略」を誰のために実施しているかである。すでに3年経過して分かったことは、[アベノミクスが]家計でいえば生活の程度が「上」(1%)の人と資本金10億円以上の大企業のための「成長戦略」であるということである。〉

 アベノミクスのもと、金融政策ははたして成功を収めたのだろうか。
 年2%の物価上昇をかかげて黒田総裁が日銀に登場してから3年たった。しかし、年2%インフレの目標はいまだに達成されていない。
 2016年1月末に、日銀はマイナス金利の導入を決めた。
 日銀は、企業や個人の投資や消費を促し、景気の回復をはかるのが目的だという。
 しかし、著者はそこにむしろ恐ろしい意図を感じている。
 マイナス金利は、国民の資産を目減りさせながら、国の借金を減らすという作戦なのではないかという。
 ぼく自身もはたして1050兆円以上(GDPの2倍以上)に膨らんだ国の借金をこれからどうするのかが心配である。
 しかも、借金は増えるいっぽうである。国は借金を減らしていくつもりがあるのだろうか。それとも、さらにやけ食いをして、あとは野となれ山となれの心境なのだろうか。利子の支払いもあるので、このままいけば、借金の総額はあっというまに1100兆円を超え、1300兆円、1400兆円と膨らんでいくのだろうか。
 それとも、国は国民の金融資産は1700兆円あるから、もっと借金してもかまわないと考えているのだろうか。
 だが、いつか、その反動がやってくるはずだ。それが小さな波乱で収まるのか、それとも大津波になるのかはわからないが、ただではすまないはずだ。
 政府やエコノミストの人たちは、このあたりのことをどう想定しているのだろう。大本営発表と同じく、そのあたりのホンネはなかなか伝わってこない。
 日銀のマイナス金利導入が、景気対策というよりも、過剰資本と債務にたいする調整であることはまちがいない、と著者は述べている。

 長期的に見ると、本書のテーマは「資本主義の終焉」である。
「どの時代であっても資本主義の本質は周辺(フロンティア)から中心(資本家)という分割に基づいて富を周辺から中心に蒐集し、中心に集中させるシステムに変わりない」と、著者はいう。
 この中心集中システムによって、19世紀から20世紀にかけ、豊かさを独占してきたのが、欧米、日本など資本主義を採用してきた国々だった。それが、現在、揺らぎはじめている。
 もちろん、資本主義国の内部でも、格差はいうまでもなく存在する。資本主義というのは内外に格差をつくることで拡大していくシステムなのである。
 だが、そのシステムも終焉を迎えつつある。
 マイナス金利が象徴するのは「資本を最も効率よく増やすシステムである資本主義が機能不全に陥っている」ということだ、と著者は断言している。
 さらに、著者によれば、企業(株式会社)という存在もすでに時代遅れになっているという。企業は利潤率を最優先することで、経済の不安定要因をつくりだしている。さらには株主資本利益率(ROE)を重視する姿勢が、国民の資産格差を広げているのだ。
 ゼロ金利が示すのは、これ以上新規の投資をしても得られる追加利潤はゼロとという事態である。ところが、企業は利潤を確保するために、雇用コストをできるかぎり削減しようとする。そのことが、社会の分裂を大きくしていくのだ。
 デフレについて、著者は需要不足というより、むしろ中国を含めて世界規模で過剰設備の存在が背後にあると指摘している。
 企業はもはやガルブレイスのいうように「不確実性の源泉」から「社会秩序を乱す存在」になったとまで、著者は述べている。
「より速く、より遠くに」の合理性はもはや敗北した。21世紀は、「よりゆっくり、より近くに、より寛容に」の原理に沿った社会を構築していくべきだ、というのが著者の見解である。

伊東光晴『アベノミクス批判』を読む(2) [時事]

 アベノミクスによって長年続いた不況からの脱出をめざす、と安倍首相は威勢よくぶちあげた。そのためには、大量の国債を発行し、それを日銀が引き受けるという禁じ手を使うのもいとわなかった。
 いま日本経済は毎日カンフル剤を投与しなければ生き延びられない病人のような状態におちいっている。それで元気が戻ってきたかというと、そうではなくて、病人はやはり病人のままのようにみえる。
 円安だからといって輸出がものすごく伸びたわけでもない。株は上がったかもしれないが、それでもうかったのはごく一部の関係者くらいではないだろうか。
 それでも、もっとカンフル剤を打てと騒ぐ安倍首相は、いったい何を考えているのだろう。かつての経済成長をもう一度とでもいうのだろうか。
 前回につづいて、本書を斜め読みしてみる。
 著者はいまの日本はかつての日本とはちがうと断言する。
 生産年齢人口がプラスからマイナスへと転じているのだ。
「日本の生産年齢人口のピークは1995年であって、2010年までの15年間に7%減っている」。その傾向はこれからもつづく。
 だとすれば、長期的には自然成長率がゼロになるのは、とうぜんだという。
 そのいっぽうで、現在、労働条件は着実に悪化している。非正規労働者の割合が増え、賃金は低く抑えられ、所得格差が拡大している。
 生産年齢人口の減少は、必需品市場の縮小をもたらす。
 家電製品などの耐久消費財もすでに普及しつくしている。取り替え需要があるとしても、新規需要のような勢いはないだろう。
 乗用車にしても、国内市場は縮小している。
 住宅の空き家率は、ますます高まっている。「人口減少社会の下では、住宅需要の減少も時間の問題であろう」と、著者はいう。
 新しい技術進歩によって、新商品が生まれ、それが新たな需要を喚起する可能性はある。しかし、それも限界がある。もういいかげん、モノはあふれかえっているのだ。
 それでも有効需要を増やそうとすれば、あとは公共事業くらいしかない。国土強靱計画や2020年の東京オリンピックは絶好のチャンスだ、とエコノミストは騒いでいる。しかし、それはいっそうの国債累積と、挙げ句の果ての財政破綻をもたらさないか、と著者は危惧する。
 輸出が増大しても、いまは恩恵を受けるのは輸出企業だけで、それが全体にまで広がらない。1960年代には、輸出増が経済成長をもたらし、社会全体で賃金が上昇し、それが有効需要を増やし、さらなる成長と結びつくというプラスの循環がみられた。いまはそうした状況ではなくなってしまっている、と著者はいう。
 著者によれば、いま求められるのは「成長願望ではなく、成熟社会に見合った政策であり、人口減少社会に軟着陸するための英知であり、……財政が黒字になる構造改革と、……若年者に悲惨な生活を強いる派遣労働を禁止し、福祉社会を志向することである」。
 著者は日本の財政の現状をみると、社会保障関係費を減らすいっぽうで、消費税を引き上げざるをえないとみている。
 社会保障関係費は、年金医療、介護、生活保護の4経費から成り立っているが、このうち減らせるのは年金だけだ。
 年金を減らす方法としては、年金支給年齢を65歳から70歳に引き上げること。ただし、そのためには、70歳まで働ける職場環境をつくらなければならない。
 いっぽうで、不公平税制の問題も相変わらず残っている。
 1990年代には法人税、所得税が引き下げられた。
 法人の7割が税金を納めていない。所得格差はますます広がる一方だ。
 労働政策も問題である。非正規労働者の割合が増えている。正社員になりたくても、正社員にしてもらえない非正規労働者が増えているのだ。その人たちの将来はいったいどうなるのだろう。不安が広がっている。
 25歳から31歳までをとると、非正規の比率は、1985年が男性3.2%、女性24.3%だった。それが2010年には男性13.3%、女性41.5%に拡大している。
 これが現実なのだ。非正規労働者の給与は正規労働者の3分の1といわれる。
「日本では、非正規雇用は、アルバイト家計補助、定年後の人に限られるべきで、若い人であってはならない」と、著者は提言している。
 安倍政権になって、労働政策はどんどん後退している。このままいくと、正社員の割合はますます減りつづけるだろう。
 何かと経済成長を口にするアベノミクスはけっして人びとを幸せにしているわけではないのだ。いまは経済成長の幻想を追うよりも、解決しなければならない課題に、ひとつひとつ丁寧に目を向けるほうがだいじなのではないだろうか。

伊東光晴『アベノミクス批判』 を読む(1) [時事]

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 本書が発行されたのは、2014年7月のことだ。
 それから2年近くたっている。
 いわゆるアベノミクスについては、いまでも意外と評価が高いようにみえる。
 安倍政権の登場によって、人びとは何となく景気がよくなったように、あるいはこれから景気がよくなるように感じているのかもしれない。
 しかし、その実態はどうか。
 本書を読んでみることにした。
 アベノミクスの「第一の矢」は、「質的・量的金融緩和」によって、景気浮揚をはかることだとされている。
 日銀が大量に通貨を発行すると、物価が上がると見込まれ、景気に高揚感が生まれる。いっぽうで金利は下がるから、企業は設備投資をしやすくなり、これも景気をよくする。
 しかし、著者はこの考え方を批判する。
 物価が上がるとみれば、人びとはモノを急いで買うのではなく、かえって財布の紐をさらにきつくしめるかもしれない。
 企業についても、たとえ金利が下がっても、もうかるあてがなければ、そう簡単に設備投資に踏み切らないだろう。
 だから、金融緩和をしても、それが有効需要の増加につながるとはかぎらない。景気はたいしてよくならないだろう、というのがアベノミクスにたいする著者の判断である。
 すると、けっきょく金融の「異次元緩和」とは、何を意味するのだろう。
 それは、日銀が多額の国債を買うという禁じ手に踏み切ったということなのだ。これは、第2次世界大戦中に、日本がおこなったのと同じ金融政策である。
 政府が発行する長期国債を日銀が引き受けるというのだから、政府にとってはこれほど楽なことはない。それによって、政府は税収に頼らなくても、財政支出を増やすことができる。
 実際、著者は2012年から2014年までの日銀のバランスシートを持ちだして、検討を加えている。
 それによると、日銀の所有する長期国債は、2012年末が89兆円だったのが、2014年末には190兆円と急激に膨張している。
 同時に日銀は、上場投資信託(ETF)や上場不動産投資信託(JREIT)を3.5兆円以上も購入している。
 このことは、政府の財政をかなりの部分日銀が担っているだけではなく、投資信託市場を日銀が操作していることを意味している。
 いっぽうで、このバランスシートの特徴は、銀行が日銀に預け入れる当座預金が、2012年末に47兆円だったものが2014年末には175兆円へと急激に膨張していることである。
 日銀は銀行が所有している国債を買い取り、その代金を当座預金勘定に振り込む。銀行は利子のつかない当座預金を引き出し、企業に貸し付けることによって、利子を稼ぐ。企業は銀行からお金を借りて、設備投資をおこなう。それによって景気がよくなる。
 これがふつうに予想される経路である。ところが、日銀の国債保有高の増加にともなって、当座預金勘定も膨らんでいるということは、企業の設備投資意欲がきわめて低いということだ。景気はそれほどよくなっていない。
 すると、アベノミクスの効果は、株価の上昇と円安をもたらしたことに尽きるということになる。
 日本の株式市場の特徴は、海外投資家による取引が多いということだ、と著者はいう。その海外ファンドの動きが活発化するのは、安倍政権誕生以前の2012年10月からである。こうして、日経平均は2012年11月の8661円から、2013年5月の1万4180円へと劇的に回復した(2016年5月30日現在は1万7068円)。
 いっぽう対ドル為替相場は2012年11月13日に1ドル=79円37銭だったものが、2013年5月3日には1ドル=99円02銭へと20%も円安に動いている(2016年5月30日現在は1ドル=111円34銭)。
 為替が動く要因として、著者は財務当局による為替介入を指摘する。財務当局は円安のために円を売って、ドルなどを買い、ドルをアメリカの長期国債に換えているのだという。これならアメリカ政府から文句はでない。
 著者が強調するのは、株価上昇にしても円安にしても、アベノミクスとは関係がないということである。とはいえ、このあたりの説明はやはりふじゅうぶんといわざるをえない。その後の動きの説明がほしいところである。
 金融緩和と円安、株価の上昇はどこかで結びついているのではないだろうか。それは大企業に空前の利益をもたらした。しかし、その足元は千鳥足のようにおぼつかなく、景気回復の実感は、いまも得られていない。
 その理由についても、著者は説明しているが、それは次回ということにしよう。
 アベノミクスの特徴は、経済を動かすのは国家だという空虚な思い込みが見られることである。安倍首相が現在めざしているのは、消費税引き上げの再延期によって、参院選で与党3分の2の議席を確保し、憲法改正へと突き進むことだろう。あとは野となれ山となれの心境だろうか。
 

南シナ海問題──ビル・ヘイトン『南シナ海』をめぐって(2) [時事]

 もう少し、南シナ海の歴史を追っていく。
 本書によると、第2次世界大戦が終わった直後、南シナ海の領有に関しては、しばらく空白期があったという。だが、その後、猛烈な争奪戦がはじまった。
 まずはパラセル諸島(西沙諸島)。ここは海南島から350キロ、ベトナムのダナンからも350キロの地点にある。島の数は14だ。
 1947年1月、中国(共産党政権はまだ成立していない)の国民党政権は、南シナ海に軍艦を送り、パラセル諸島のウッディ島を占領した。しかし、当時まだベトナムを植民地としていたフランスも、これに対抗してウッディ島の西にあるパトル島を占領した。
 その後、国民党は台湾に逃亡し、フランスもベトナムから撤退する。そして、しばらくのあいだ、パラセル諸島は中国とベトナムが半分ずつ占領するかたちになった。
 スプラトリー諸島(南沙諸島)の場合は、もっと複雑だ。最初、1950年にスプラトリー諸島の領有を宣言したのは、フィリピン政府だった。しかし、実際に島を占拠したわけではなかった。
 そこにフィリピンの民間人がパラワン島(フィリピン領)の西方海域に乗り出し、スプラトリー諸島の一部を占領し、フリーダムランドと名づけた。
 これにたいし、中国政府(毛沢東政権)は反発、南沙諸島は中国領だと主張する。ベトナムも同じく諸島の領有権を主張した。そして、台湾もその抗議に加わった。
 こうして、フィリピンの民間人によるいくつかの島の領有は失敗に終わる。しかし、のちにフィリピン政府は、このときの民間人の行動にもとづいて、パラワン島に近い、スプラトリー諸島北東部の島々を1970年に占拠するのである。
 しかし、その前に台湾は、1956年からスプラトリー諸島のイツアバ島を占拠していた。
 そうこうするうちに、1973年に南ベトナムもスプラトリー諸島西部の10島を自国に編入し、おもだった島に軍を配置した。
 そのころ中国はまだスプラトリー諸島(南沙諸島)に進出していない。
 1970年代にはいって、ベトナムやフィリピンの動きが活発化したのは、スプラトリー諸島の周辺に石油があるとのうわさが流れたからである。
 中国はあせっていた。
 1974年、中国はそれまで南ベトナムと中国が半分ずつ分けあっていたパラセル諸島(西沙諸島)の全島を掌握するため、海軍の艦隊を動かした。
 これに驚いた南ベトナム政府は米軍に支援を求めつつ、その海域に艦船を派遣する。軍事衝突が発生した。
 圧倒的に優位だったのは中国側である。パラセル諸島はこれ以降、中国によって実効支配されることになった。
 中国によるパラセル諸島侵攻事件を受けて、南ベトナムはスプラトリー諸島の警備を強化する。しかし、まもなく南ベトナム政府は崩壊し、スプラトリー諸島の領有はベトナム統一政府に引き継がれることになった。
 1970年代後半、中国はパラセル諸島(西沙諸島)の基地を拡張し、その足場を固めた。次にねらうのは、現在ベトナムとフィリピン、台湾が分有している、南のスプラトリー諸島(南沙諸島)である。
 中国は遠征計画を練りはじめる。
 1984年にはスプラトリー諸島に艦船を派遣し、測量を実施した。
 中国があせったのは、ボルネオ島北部を支配するマレーシアが、1983年にスプラトリー諸島の領有権を主張し、実際にボルネオ島に近い礁をいくつも占拠したからである。
 1987年、中国は海軍の艦隊を派遣し、ベトナムがまだ占拠していなかったファイアリークロス礁とクアテロン礁を占拠し、ここを補強して島に変えた。
 中国軍はさらにほとんど水面下に没しているジョンソン礁、コリンズ礁などを占拠、さらに翌年にも3つの礁を占拠した。
 さらに中国はフィリピンの領域にもひそかに接近していた。
 1995年、フィリピンの占拠する島々の中央にある、馬蹄形の岩礁が中国軍によって占拠され、そこに何かが建設されているのが、フィリピンの船によって発見された。ミスチーフ礁である。1994年後半に占拠されていたことがわかったが、後の祭りだった。
 フィリピン政府はショックを受けた。ASEAN諸国は中国に厳重抗議したものの、中国と軍事的にことを構えるだけの度胸はなかった。
 こうして中国は9つの礁を占拠し、スプラトリー諸島(南沙諸島)に大きな足がかりを得た。
 中国が南沙諸島を占拠したといわれると、われわれはあたかも中国が南沙諸島全体を支配したと思いがちだ。
 だが、そうではない。南沙諸島最大のイツアバ島は台湾が占拠しているし、西側はベトナム、東側はフィリピン、南側はマレーシアによって押さえられている。
 現在、中国が占拠しているのは、40近くある島、礁、砂州のうち9つの礁にすぎない。南沙諸島の所有は入り組んでいる。問題は中国が占拠した礁を埋め立てて、軍事基地のようなものをつくっていることだ。
 その後の動きを本書に沿って簡単にまとめておこう。
 南シナ海での石油開発は期待されたものの、いまのところほとんど成果を挙げていない。
 石油の掘削をめぐって、各国間でさまざまな駆け引きがなされたのは事実である。とはいえ、著者のいうように「南シナ海はいま、海底に眠る石油ガスのためではなく、石油ガスの輸送路として重要な海になっているのだ」。
 中国の強引な動きにたいしては、ベトナムでもフィリピンでも、民衆のあいだからナショナリズムにもとづく抗議運動(その背景にあるのは恐怖)が巻き起こっている。
 2014年には、中国がパラセル諸島(西沙諸島)近辺で一方的な石油開発をはじめた。さらに、スカボロ—礁では、フィリピン側とのにらみあいがつづいた。
 こうしたことが、南シナ海での緊張を高めたことはまちがいない。
 しかし、フィリピンやベトナムにしても、中国との経済関係は密接である。ちいさな島の領有権をめぐって悶着があったとしても、中国とまともに対決しようとは思っていない。シンガポールは国民の4分の3、マレーシアも4分の1が中国系だから、そもそも中国と対決する考えはない。
 だから南シナ海問題で、実際に対決姿勢を強めているのは、二大大国であるアメリカと中国だけだ、と著者はいう。
 南シナ海をめぐって、米中間では激しい外交的駆け引きが展開されている。アメリカは内心ではASEAN諸国を反中国で結束させたいと願っているが、肝心のASEAN諸国のほうは気乗り薄だ。そもそも国によって対中姿勢はばらばらといってよい。
 アメリカが中国の南シナ海進出に世界戦略上の危惧をいだいていることはまちがいない。
 イラク・アフガニスタンからの撤退を表明したオバマ政権は、アジアへの回帰を唱え、さらにはリバランス政策なるものを打ちだした。
 リバランス政策には、アメリカが日本、韓国、東南アジア諸国、さらにはインドとの結びつきを強化し、それらの国々と結束することによって、中国とのあいだの均衡を取り直そうとするねらいがある。
 そのうえでアメリカが目標とするのは、南シナ海を米海軍の艦船が自由に航行する権利を中国に認めさせることである。
 中国は南シナ海は自分たちの領海だと主張している。アメリカはこれにたいし、自分たちが南シナ海から追いだされることを恐れている。これは国際社会のルールに反することだ。
 そして、外交の先には軍事がある。
 南シナ海周辺では、米軍と中国軍とのあいだで、イタチごっこがつづいている。
 中国が南シナ海を自分の管轄下におきたがっているのにたいし、アメリカは(とりわけ軍艦の)航行の自由を確保したいと願っている。そうした考え方のちがいが、南シナ海での武力衝突の可能性を引き起こしているのだ。
 軍事というのは、要するに戦争が起こった場合を想定し、それにどう対応するかをめぐる、さまざまな準備を指している。だから、あらゆる事態が想定され、軍備の開発は相手に応じて、どこまでも進む。
 アメリカは圧倒的な軍事的優位をいつまでも維持したいと願っている。それに中国が挑戦するのは許せないと思っているのがホンネだろう。
 中国の軍事力はアメリカより数段劣るというのが現実だ。もしアメリカと戦えば、中国軍はたたきのめされ、経済がたちまち崩壊することは、中国もじゅうぶん承知している。
 中国は南シナ海からアメリカを追いだしたいと願ってはいても、それを実行するだけの軍事能力がないのが現状だ、と著者も述べている。
 だが、南シナ海では、中国とアメリカとのあいだにかぎらず、周辺諸国とのあいだでも、軍事的な小競り合いが発生する可能性は常にあるといってよい。
 それをできるだけ避けるには、どうすればよいかが問われている。
 もうひとつ漁業資源の問題がある。
 南シナ海はマグロのとれる場所でもある。しかし、最近は中国を含む各国の乱獲が進み、漁獲高が減っている。だから、各国による漁業協定が必要になってくるのだが、中国はこれに参加しようとはしていない。
 さすがの中国も日本や韓国とは漁業協定を結んでいる。しかし、南シナ海では、各国の領有権問題が決着していない。おそらく、そう簡単に問題は解決しないだろう。これも、小競りあいを引き起こす要因である。
 著者はこう書いている。

〈緊張の続く南シナ海問題には、簡単な解決法は存在しない。どちらの側も武力対決は望んでいないが、領有権の主張で譲歩して緊張を緩和したいとも思っていない。〉

 そのとおりだろう。
 米軍の尻馬に乗って、南シナ海で日本の自衛隊が軽率に行動したりすれば、事態はますますややこしくなるだけだろう。みきわめがだいじである。

南シナ海問題──ビル・ヘイトン『南シナ海』 をめぐって(1) [時事]

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 南シナ海でいま何が起きているのか。
 伝えられるところでは、現在、中国は南シナ海を自国の海域と称し、占領した島々に次々と軍事基地を築いているという。中国はここでいったい何をしようとしているのだろうか。
 中国の強引な動きにたいして、南シナ海と接する周辺諸国──フィリピン、ベトナム、マレーシア、台湾、さらにはインドネシア──は警戒を強めている。それに加えて米国も中国に警告を発し、監視行動を実施している。
 南シナ海が緊張しているといわれても、どうも実感がわかない。そこで、たまたま図書館で見つけた本のページをめくってみた。
 すると、南シナ海が重要な地域であることがわかってくる。世界の天然ガスの半分、原油の3分の1はマラッカ海峡を経由し、南シナ海を通って、東の台湾、韓国、中国、日本へと運ばれているという。いっぽう、このルートは北東アジアでつくられる製品が西に流れていくルートでもある。
 自然は変わらないが、人は変わりつづける。だから、そこに歴史が生まれるのだろう。南シナ海もそんな場所だ。
 はるか古代から南シナ海では、海上ネットワークが築かれていた。それを築いたのは、いわば海の遊牧民とも呼ぶべき人びとである。
 そこにインド文明の影響を受けた東南アジアの王国がかぶさってくる。1世紀から5世紀にかけて、このあたりでは、インドとのあいだで、ビャクダンやカルダモン、樟脳、クローヴ、宝石、貴金属などが取引されていた。
 そのころ、現在のベトナム南部からカンボジアにかけて、扶南という王国が栄えていた。この国が栄えたのは、中国、インド、アラビア、ヨーロッパを結ぶ海のルートの一角を抑えていたからだ。
 中国人はアラビアの乳香や没薬(もつやく)を求めていた。ガラスや陶器、金属製品、象牙、サイの角、稀少鉱物も、南シナ海を渡った。
 中国の船が南シナ海にあらわれるのは10世紀になってからで、ごく遅かったという。どんと構えていれば、向こうから商品はやってくるというのが、中国が大国たるゆえんだったかもしれない。
 扶南のあと、ベトナムで栄えたのがチャンパである。海賊の興した国だ。東南アジアのほかの国々と同様、ヒンドゥー教や仏教の影響を強く受けていた。
 スマトラではシュリーヴィジャヤ王国が誕生する。この国はマラッカ海峡とスンダ海峡を押さえ、海上交易によって栄えた。中国人はこのあたりでとれるナマコを珍重していた。
 1998年、スマトラ島西部、ブリトゥン島の近辺で、826年(唐代中期)に沈んだアラブの船が発見された。その船には5万点以上の中国製陶器が積みこまれていた。それによって、そのころ、中国とペルシャ、アラビアとの交易が盛んだったことが実証された。こうした交易には、アラブ人やペルシャ人だけではなく、インド人やアルメニア人もかかわっていただろう。
 著者はこう書いている。

〈ペルシャからは真珠、じゅうたん、[コバルトブルーなどの]鉱物、アラビアからは乳香、ミルラ、ナツメヤシ、インドからは宝石やガラス製品、東南アジアからはスパイスや香料。こういう商品が、中国の陶器や絹や金属器と交換されていたのである。〉

 10世紀になると、中国では唐が滅び、福建省あたりには閩(びん)が興った。海洋貿易の国である。
 閩は970年に宋に吸収される。最初、海禁政策をとっていた宋は、11世紀後半から政策を転じ、海外貿易に乗りだした。
 しかし、その宋も女真族によって北部の支配権を奪われ、杭州に都を移すものの、1279年に滅亡し、モンゴル族が元朝を立てた。
 しかし、10世紀から13世紀にかけては、南シナ海交易の黄金時代だった、と著者は指摘する。
 その後、知られるのは明の鄭和(1371-1433)である。鄭和はインド洋を経て、東アフリカにいたるまで大航海をおこなった。だが、中国の海洋進出は、その後、急速にしぼんでしまう。
 だから、中国はけっして古くから南シナ海を支配していたわけではない、と著者はいう。
 南シナ海の周辺を支配していたのは、むしろ「インドの影響を受けた『マンダラ国家』群だった」。
 1世紀から4世紀にかけては扶南、6世紀から15世紀にかけてはベトナムのチャンパ、同じく7世紀から12世紀にかけてはスマトラのシュリーヴィジャヤ、9世紀前半から1460年代まではメコン下流のアンコール、そして12世紀から16世紀まではジャワのマジャパヒト、15世紀前半から16世紀前半まではマレー半島のマラッカという具合である。
 これらの国々は中国とインド、さらにはペルシャ、アラビアを結ぶことによって栄えた。
 したがって、南シナ海は古代から中国の海域だったという中国の主張は、事大主義の感があって、根拠に乏しいと言わざるをえない。

 それでは、近世以降はどうだったのだろう。近世以降、南シナ海は中国の海域になったのだろうか。
 そうではない。近世以降、南シナ海は西洋諸国の制するところとなったといってもよいからである。
 ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマがインドに到着したのは1498年のことだ。その後、ポルトガルはゴアに拠点を置き、マラッカ海峡ルートを切り開き、香料諸島(現インドネシア)へと接近した。そしてついに1511年にマラッカを占領し、以来130年にわたって、この地を支配した。
 いっぽうマゼランがスペイン艦隊を率いて、太平洋を越えフィリピン諸島に到着するのは1521年のことだ。
 香料のありかをみつけたポルトガル人は、さらに絹と陶器の故郷を求めて、船を進める。そして、ついに東のはて、日本にまで到達するのだ。
 そのころ、中国の明朝は、福建省での貿易を解禁していた。それによって、それまで南シナ海を制していた東南アジアの商船に代わって、中国のジャンク船が海に乗りだした。東南アジア各地には、何万人もの福建人が進出し、チャイナタウンをつくって、交易に従事するようになった。
 1571年、スペインはマニラに拠点を築き、メキシコとのルートを確立し、いわゆるアカプルコ交易を開始する。マニラにメキシコの銀を運んで、中国の金、絹、陶磁器を手に入れるのだ。
 そこに割り込むのがオランダである。1600年にオランダ東インド会社(VOC)が設立されていた。
 17世紀はじめ、オランダは国際貿易を制する中心国へと成長する。東インド会社の本社はアムステルダムで、バタヴィア(現ジャカルタ)には、東の拠点が置かれた。そして、1641年にオランダはマラッカを占拠し、アジアでの貿易体制を固める。
 そのころ、中国では明が倒れ、清の時代となっていた。
 17世紀末、清は民間貿易を解禁し、それによって、多くの中国人商人が南シナ海方面へと進出していった。
 中国のいう「中沙諸島」黄岩島(台湾では民主礁)は、英語名ではスカボロ—礁と呼ばれる。1748年に英国船スカボロ—号がここで座礁したことにちなんで名づけられた。ここは現在、中国が実効支配している。
 1821年にパラセル諸島(西沙諸島)、スプラトリー諸島(南沙諸島)を海図にはじめて示したのは、イギリス東インド会社に雇われた測量学者ジェームズ・ホーロバラだった。
 このころインドに拠点を置くイギリスは、中国との貿易をますます拡大していた。いわゆる三角貿易がはじまっていた。イギリスは中国から茶を輸入し、インドに綿織物を輸出し、そしてインドからは中国にアヘンが輸出される。
 マラッカ海峡を制するために、イギリスは1819年にシンガポールを獲得し、ここに一大拠点を築いた。
 その後の動きをいちいち説明していたのでは切りがない。
 いくつかポイントだけを示しておこう。
 1840年と1860年には、二度のアヘン戦争が発生している。
 フランスは19世紀半ばから後半にかけて、現在のベトナム、カンボジア、ラオスを植民地にした。
 ドイツもまた、19世紀末に中国の青島を手に入れた。
 このころの動きをみると、南シナ海は中国固有の海域どころか、西洋列強が相乱れて行き来する海域になっていたといえるだろう。
 そこに乱入していったのが日本である。日本の実業家、西澤吉次は1907年から数年にわたって、プラタス島(東沙諸島の中心島、現在は台湾が実効支配)で、肥料にするグアノ(鳥糞石)の採掘をおこなった。
 危機感を覚えた清朝は、1909年にパラセル諸島(西沙諸島)に遠征し、ここを広東省の一部として、地図に書き加えた。
 1930年にはフランスの軍艦がスプラトリー諸島(南沙諸島)沖に到着し、その領有を宣言した。当時の中華民国政府はフランスに抗議するが、スプラトリー諸島をパラセル諸島ととりちがえるのが実情だったという。
 しかし、いずれにしても中国政府はこのころから地図の製作に力をいれはじめ、1935年に、南シナ海にある132の島が中国の領土だとぶちあげた。132の島は、パラセル諸島とスプラトリー諸島に属している。
 地図を製作したとき、中国は現地を実際に調査したわけではなかった。イギリスの地図に載っている島に中国名をつけて、それを中国領と宣言したという。
 しかし、その後、日中戦争、太平洋戦争がはじまると、南シナ海はこんどは日本の湖へと変わっていく。しかし、日本の勢力圏にはいったのは、さほど長い期間ではなかった。
 戦争が終わったあと、連合国のあいだでは、南シナ海の島々をどうするかという議論が巻き起こった。意見はなかなかまとまらなかった。
 そんなとき、1946年7月に、フィリピンがアメリカから独立する。フィリピン政府はさっそくスプラトリー諸島はフィリピンの勢力圏にあるとの声明を出した。
 これにたいし、フランス軍は掃海艇をスプラトリー諸島に派遣した。1946年10月には中国海軍がパラセル諸島とスプラトリー諸島にやってくる。西沙、東沙、南沙の名称はこのときに決められたのだという。
 1947年2月、中華民国はあらたな行政区域図を発表した。そこには大陸から巨大な舌のように伸びたU字型のラインが描かれていた。
 やがて中華民国の指導部は台湾へと脱出し、大陸では中華人民共和国が発足する。しかし、U字型ラインは共産政権のもとでも継承された。
 南シナ海における領土獲得競争がはじまるのは、むしろそれ以降だった、と著者は記している。
 南シナ海の歴史は一筋縄ではいかない。
 思わず長くなってしまった。
 つづきはまた。