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アベノミクスはムダな抵抗──水野和夫『国貧論』をめぐって(3) [時事]

 戦後経済で、大きな節目となったのは、何といっても1971年のニクソン・ショックだろう。このとき以来、世界は変動為替制に移行することになった。
 その後、日本経済は1980年代にバブル時代を迎える。
 そして、1995年からはゼロ金利となり、デフレ時代に突入する。
 著者は成長の時代、すなわち近代は1971年に終わったという立場を取っている。それ以降は、ポスト近代の時代である。
 1995年からの日本経済はゼロ金利、ゼロ成長がつづく。
 にもかかわらず2015年度の企業収益は過去最高を記録した。円安株高や人件費削減の影響が大きい。国内の売上高は伸びていない。
 これにたいし、実質賃金は97年をピークに下降している。
 大企業の利益が大きければ、底辺の人びとにもおこぼれがあるという、いわゆる「トリクル・ダウン」効果なるものはまったく実証されていない。
 ゼロ成長のなかでの分配のゆがみが、資本主義の成長神話を奇妙なかたちで存続させているのである。
 日銀はいまだに2%インフレに向けて、気合いを入れつづけている。
 著者によると、これはほとんど「おまじない」に近いという。
 こうしたおまじないや根拠のない確信が横行するのは、かつての大本営発表と同じで、資本主義が終焉を迎えつつあるのを認めない強がりである。
 しかし、何とかして資本主義を延命させようとすることが、けっきょくは事態をさらに悪化させていくことになる、と著者は考えている。
「時代の流れは政治家には変えられない」。時代のトレンドは、むしろいままでとはまったく逆なのに、時の政権は昔の傾向を復活させようとして、いわば時代に逆行する路線を取っているのだ。
 資本主義の延命策は、世界的に所得格差の拡大をもたらし、日本もその例外ではない。
 日本の家計貯蓄率はマイナスに転じ、そのいっぽうで、相続を通じての個人金融資産が増加している。それは民主主義時代以前のアンシャン・レジームへの逆戻りだ、と著者はいう。
 資本主義の終焉は、ほかにもさまざまな面で見ることができる。
 日本で人口が減少に転じたことも、そうしたあらわれのひとつだろう。
 いまでは原油価格が下落しても、景気の刺激に結びつかず、企業はその恩恵を内部留保と配当に回し、人件費をさらに削減する対策までとっている。
 原油価格の下落はBRICsなど新興国経済の停滞を意味している。そのことは世界全体の成長が終わったということを象徴している、と著者はいう。
 日本でも世界でも過剰資本があふれている。
 たとえば、日本ではチェーンストア(スーパーや量販店)の売り上げが1997年をピークとして、17年連続で下落しているという。
 そのいっぽうで、店舗面積は1997年以来、増え続け、いまでは1.5倍近くになっている。それなのに総販売額は25%近く減少しているのだ。これは店舗面積が過剰であることを示している。
 たしかにコンビニの販売額はやや持ちなおしている。それも2012年以来、1店舗当たりの売り上げは減少に転じている。それでも総売上高を伸ばすために、労働面では無理がつづく。一部既存店の不良債権化もはじまっている。
 スーパーやコンビニに、商品が所せましと並んでいるのをみても、製造業の供給力が過剰になっていることがわかる。
 現在の状況は、資本の生産性を悪化させても、設備投資をしつづけないと、企業が存続できない構造になっている。資本過剰だけが進行し、労働者はがまんを強いられる。
 そして、資本は労働者にがまんをさせながら、濡れ手に粟をつかむ時期を夢見るのである。
 過剰は膨大な「食品ロス」や「空き家」の多さをみてもわかる。
 世界の粗鋼生産量を見ても、過剰生産ぶりは想像以上である。
 資本の過剰を解消するのは容易ではない。かつては恐慌が、資本の過剰を暴力的に清算したものだ。だが、いまは国家の発動する金融・財政政策が、オブラートのように、それが爆発するのを防いでいる。それがゼロ金利、ゼロ成長をもたらしているともいえる。
 だが、そろそろ資本主義の終焉を認め、ポスト資本主義の時代を構想したほうが、ずっと前向きなのだ、と著者は提案する。アベノミクスは長い目でみれば「国貧論」なのだ。

明るい「新中世」──水野和夫『国貧論』をめぐって(2) [時事]

 いわゆるアベノミクスの登場以来、日銀は金融の「異次元緩和」を宣言し、貨幣発行額を一挙に増やした。その結果、市場が反応して、円安と株高を招来したことは周知のとおりである。
 しかし、日銀のめざした2%インフレは実現していない。
 そして、貨幣発行高が2000年に比べ4倍になったというのに、「GDPはピタリと500兆円あたりに貼り付いたまま上昇の気配はない」と、著者はいう。
 経済はどうみても飽和状態に達している。
 そんななか、実質賃金はむしろ低下し、経済格差が広がっている。
 長期的にみれば、資本主義は終焉を迎えつつある、と著者はいう。
 そのメルクマールとなるのは利子率である。日本では1995年以来、20年以上にわたって、事実上のゼロ金利政策がつづいている。
 金利がゼロということは、企業の利潤も低いということだ。
 グローバル化や金融商品の開発、電子空間の創出、労働市場の規制緩和など、さまざまな策をくりだして、資本主義は延命をはかっている。しかし、冷静にその実態をみれば、資本主義は末期状況にあるととらえるべきだ、と著者はいう。
 この先、資本主義はどのように終わっていくのだろう。
 著者は2つのシナリオを考えている。
 ハードランディングの場合。それは中国バブルが破裂するときだ。「世界の工場」としての中国が過剰生産能力をかかえていることはまちがいない。その輸出がかげり、過剰な設備投資が回収できなくなったときに、中国のバブルは崩壊する、と著者はみる。
 その影響はリーマン・ショックどころではない。そのとき中国が保有する米国債を手放したりすれば、ドル体制も崩壊する。株価は世界的に大暴落し、日本でも多くの企業が倒産し、失業者が増え、賃金も大幅な下落に見舞われる。日本の国家財政は破綻するだろう。そうなると、長期にわたる世界大恐慌がつづく。
 逆に、ソフトランディングの方途は考えられるだろうか。
 かつて資本主義と国家は、ギブ・アンド・テイクの関係にあったのに、いまでは「資本が主人で、国家が使用人のような体たらく」になっている。こうした事態を改善するには、せめてG20が連帯して巨大資本に対抗しなくてはならない、と著者はいう。
 法人税の引き下げ競争に歯止めをかけ、国際的な金融取引に税金をかけ、その税金を困難に見舞われた世界の地域に還元するようなシステムを構築しなければならない。
 いずれにせよ、その目標は徐々にポスト資本主義社会(ポスト近代社会)をつくることである。そこでは、「経済成長はしていないが、豊かな暮らしはいまここにある状態」(定常状態)が実現されるだろう。

 2001年の9・11米同時多発テロは、周辺から中心への、富の過剰なまでの「蒐集」にたいする抗議だった、と著者はいう。
 近代の秩序が揺らぎはじめている。
 いまは20世紀の「極端な時代」が終わりを告げて、「ゼロ成長社会=定常状態」をいかに構想するかが問われている。
 ゼロ成長社会では、投資は減価償却の範囲でしか発生しない。そして、消費だけが、基本的な経済循環をつくっていくことになる。
 日本の名目GDPは、1997年の524兆円をピークに2014年には485兆円まで縮小した。それでも1人あたりGDPはいまもアメリカ並みに4万6000ドルを保っている。
 問題は国レベルでの1000兆円を超える借金だ。しかも、いまでも毎年40兆円の財政赤字が発生している。
 いっぽう個人預金は増え、企業も資金余剰の状態がつづく。家計部門と企業部門の余剰は、年間40兆円発行される国債の消化に向けられている。
 国に1000兆円の借金があっても、日本には工場や店舗などの実物資産が1200兆円あり、個人の金融資産も1000兆円以上あるから、いまのところ国債は破綻を免れている。
 問題はいつまでも国債の発行を増やしつづけられないことだ。
 少なくとも基礎的財政収支(プライマリーバランス)をゼロにしなくてはならない。そのためには増税が必要であり、消費税も最終的には20%近くにまで引き上げなくてはならない。金融資産への課税や法人税の増税も考慮しないわけにはいかないだろうという。
 そして、すでにある国の借金1000兆円にたいしては、むしろ発想を転換して、日本のなかで豊かな生活サービスと安全を享受するための「出資金」と考えたほうがいいのではないかという。とはいえ、借金がこれ以上増えないようにすることがだいじである。そのためには、国民は甘んじて税金の負担を受け入れなくてはならないし、国は責任をもって、この借金を管理しなくてはならない。
 日本はある意味で、ポスト資本主義に向けて、世界の先頭を切っているともいえる。ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレは、定常状態の必要条件である。
 とはいえ、これからは名目GDPの減少を防ぎ、定常状態を維持することが重要になってくるという。
 著者はゼロ成長はネガティブだと批判する経済ジャーナリストにたいして、むしろ現在の状態はゼロ成長すらおぼつかないと指摘する。重要なのは、資本主義の成長路線から、いかに混乱なく撤退するかということなのだ。

 著者は資本主義と市場経済を区別して考えている。著者によれば資本主義とは「資本の自己増殖と利潤の極大化」をめざすものであって、「ゼロ金利・利潤率ゼロ」となっている現実から考えれば、資本主義は実際上、終わったとみるべきだという立場をとっている。しかし、資本主義は終わっても、市場経済も資本も残ると考えるのだ。
 資本主義はほうっておけば暴走する。それにたいしブレーキをかけたのが、スミスであり、マルクスであり、ケインズであった。ところが、ハイエクやフリードマンの新自由主義がもてはやされるようになって、ふたたびブレーキのきかない資本主義が動きはじめた。そのひとつの結末がリーマン・ショックであった、と著者は指摘している。
 資本主義は、現在、終わりを迎えようとしている。
 現在はじまっているのは、脱近代、すなわち新たな「中世化」ではないか、と著者はいう。
 日本の脱近代は、どのようなものとして構想されるだろうか。
 まず考えられるのが、東京一極集中の中央集権国家から脱却して、地方分権の実現に向かうことだ。そのために著者は現在の500兆円経済を5ブロックに分割して、地方の活性化をはかることを提案している。
 大学も地方大学を重視して、地方の若者が地元の国公立大学を目指すなら授業業を免除し、東京大学を目指すなら学費は倍にしたらいいと提案している。さらに企業が東京本社を引き払って、地元に戻るなら、法人税を割安にするなどの措置をとるべきだという。
 地方が中心になると、ナショナルブランドは無価値となり、リージョナルブランドが優先されるようになる。巨大総合スーパーは、近代の遺物であって、ポスト近代社会では地域特化型のスーパーが流通の中心となる。
 それまでの企業利潤は固定資本減耗分を除いて、人件費に振り替えられ、家計はその一部を金利ゼロで地方の金融機関に預ける。
 利子率ゼロの世界は配当もゼロであり、そうなると株式も債券と区別がつかなくなり、まさに東インド会社以前(つまり株式会社発生以前の)中世の世界に戻ることになる。
 だが、それはけっして貧しい社会ではないだろう。

 近代システムが行き詰まれば、中世のいいところを見習う必要があるというのが著者の考え方である。
 これからの世界経済はグローバル化に向かうのではなく、むしろブロック化の方向に進むと著者はいう。電子・金融空間によるドル支配から逃れるには、経済圏を極力閉じるほかない。それなのに、日本はいまだにドル世界基軸通貨の時代がつづくと思っている、と著者は批判する。
 これからは「よりゆっくり、より近く、より寛容に」の世界をめざさなくてはならない。利子率ゼロ(利潤率ゼロ)の世界は、むしろ資本が豊富な社会なのだ。そこでは、何も無理をしなくても、豊かさが手にはいる。
 利潤ゼロ、配当ゼロ、金利ゼロで社会は安定する。企業は固定資本減耗を確保すればよいのであって、利潤極大をめざさなくてもよい。無理やりの利潤確保は、人件費へのしわ寄せを招き、社会の荒廃を招くだけである。
「新中世」の世界は暗黒とはほど遠い、明るい世界だ。そうした世界を1世紀ほどかけて、ゆっくりつくりあげていけばよい、と著者はいう。そういう意味で、現在は「近世の秋」なのであって、そのなかで、きたるべき時代を構想していくのは、とても楽しいことだ、と著者は考えているようである。

水野和夫『国貧論』をめぐって(1) [時事]

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 いま日本の経済はどうなっているのか。
 アベノミクスはほんとうに道半ばで、これから日本経済は成長を回復していくのか。
 オリンピックがはじまると、こうした小うるさい話題もたちまち片隅においやられて、それはそれでけっこうなことだと思うのだが、孫の絵本を買いにいった書店で、たまたまこの本を見つけたので、ちょっと斜め読みしてみようかという気になって購入してみた。
 暑苦しいテーマになるかもしれないが、そのへんはご勘弁のほど。
 はじめに、近代の経済は成長だという話がでてくる。資本主義は利潤を求めて、どんどん膨張していく。
 しかし、その膨張にも限界があって、いずれ利潤が得られなくなる。無理やり膨張しようとすれば、経済全体が破裂しかねない。
 それでも経済が成長を求めるのは、資本主義の本性、いや人間の本性が金儲けしたいという欲にまみれているからかもしれない。
 本書によると日本経済の現状は苦しくなっている。
 実質賃金は1997年以降、年平均で0.79%下落している。とくにアベノミクスが採用されてからは、年1.4%減で最悪だという。これは消費増税に賃金の上昇が追いついていないことを示している。
 たしかに安倍政権が誕生してから、雇用は136万人増えた。しかし、その3年間で、正規雇用は5万人減少し、非正規雇用が162万人増えている。
 非正規でも、ともかく雇用が増え、家計の所得も増えれば、けっこうな話ではないかという見方もあるだろう。
 労働の規制緩和で、たしかに雇用者数は増加した。しかし、年収200万円以下の給与所得者は2013年で1119.9万人に達したという。
 ふたりで働いても、家計の余裕は生まれない状況になっている。
 現に、勤労者世帯の金融資産残高は、中央値でみると、2002年には817万円あったものが、2014年には741万円まで減少している。
 さらに、世帯あたりの純貯蓄残高(貯蓄−負債)でみると、その中央値は2012年のマイナス320万円から2015年のマイナス434万円へと、負債額が拡大している。
 生活水準の格差が拡大していることもわかるという。
 内閣府の調査でも、現在の成長戦略で恩恵をこうむっているのは、「上」の層で、「中の中」ないし「中の下」の人たち(8割にわたる中間層)は、今後の生活の見通しが悪化するとみている。
 個人の金融資産は2002年3月末に1417兆円だったのが、2016年には1741兆円に増加しているから、これだけみれば年率1.5%の増加率である。
 しかし、この間、勤労者世帯の貯蓄は、中央値でむしろ減少している。これは資産格差が拡大していることを示している。
 アベノミクスのもと、大企業の利益は、円安の影響もあって、3年連続過去最高益を更新した。
 株主資本利益率(ROE)も2012年度の4.1%から7.4%に増加したという。これは株主への配当が増えていることを示している。
 アベノミクスとは何なのか。
 著者はこう結論づけている。

〈いま問わなければならないのは、「成長戦略」を誰のために実施しているかである。すでに3年経過して分かったことは、[アベノミクスが]家計でいえば生活の程度が「上」(1%)の人と資本金10億円以上の大企業のための「成長戦略」であるということである。〉

 アベノミクスのもと、金融政策ははたして成功を収めたのだろうか。
 年2%の物価上昇をかかげて黒田総裁が日銀に登場してから3年たった。しかし、年2%インフレの目標はいまだに達成されていない。
 2016年1月末に、日銀はマイナス金利の導入を決めた。
 日銀は、企業や個人の投資や消費を促し、景気の回復をはかるのが目的だという。
 しかし、著者はそこにむしろ恐ろしい意図を感じている。
 マイナス金利は、国民の資産を目減りさせながら、国の借金を減らすという作戦なのではないかという。
 ぼく自身もはたして1050兆円以上(GDPの2倍以上)に膨らんだ国の借金をこれからどうするのかが心配である。
 しかも、借金は増えるいっぽうである。国は借金を減らしていくつもりがあるのだろうか。それとも、さらにやけ食いをして、あとは野となれ山となれの心境なのだろうか。利子の支払いもあるので、このままいけば、借金の総額はあっというまに1100兆円を超え、1300兆円、1400兆円と膨らんでいくのだろうか。
 それとも、国は国民の金融資産は1700兆円あるから、もっと借金してもかまわないと考えているのだろうか。
 だが、いつか、その反動がやってくるはずだ。それが小さな波乱で収まるのか、それとも大津波になるのかはわからないが、ただではすまないはずだ。
 政府やエコノミストの人たちは、このあたりのことをどう想定しているのだろう。大本営発表と同じく、そのあたりのホンネはなかなか伝わってこない。
 日銀のマイナス金利導入が、景気対策というよりも、過剰資本と債務にたいする調整であることはまちがいない、と著者は述べている。

 長期的に見ると、本書のテーマは「資本主義の終焉」である。
「どの時代であっても資本主義の本質は周辺(フロンティア)から中心(資本家)という分割に基づいて富を周辺から中心に蒐集し、中心に集中させるシステムに変わりない」と、著者はいう。
 この中心集中システムによって、19世紀から20世紀にかけ、豊かさを独占してきたのが、欧米、日本など資本主義を採用してきた国々だった。それが、現在、揺らぎはじめている。
 もちろん、資本主義国の内部でも、格差はいうまでもなく存在する。資本主義というのは内外に格差をつくることで拡大していくシステムなのである。
 だが、そのシステムも終焉を迎えつつある。
 マイナス金利が象徴するのは「資本を最も効率よく増やすシステムである資本主義が機能不全に陥っている」ということだ、と著者は断言している。
 さらに、著者によれば、企業(株式会社)という存在もすでに時代遅れになっているという。企業は利潤率を最優先することで、経済の不安定要因をつくりだしている。さらには株主資本利益率(ROE)を重視する姿勢が、国民の資産格差を広げているのだ。
 ゼロ金利が示すのは、これ以上新規の投資をしても得られる追加利潤はゼロとという事態である。ところが、企業は利潤を確保するために、雇用コストをできるかぎり削減しようとする。そのことが、社会の分裂を大きくしていくのだ。
 デフレについて、著者は需要不足というより、むしろ中国を含めて世界規模で過剰設備の存在が背後にあると指摘している。
 企業はもはやガルブレイスのいうように「不確実性の源泉」から「社会秩序を乱す存在」になったとまで、著者は述べている。
「より速く、より遠くに」の合理性はもはや敗北した。21世紀は、「よりゆっくり、より近くに、より寛容に」の原理に沿った社会を構築していくべきだ、というのが著者の見解である。

伊東光晴『アベノミクス批判』を読む(2) [時事]

 アベノミクスによって長年続いた不況からの脱出をめざす、と安倍首相は威勢よくぶちあげた。そのためには、大量の国債を発行し、それを日銀が引き受けるという禁じ手を使うのもいとわなかった。
 いま日本経済は毎日カンフル剤を投与しなければ生き延びられない病人のような状態におちいっている。それで元気が戻ってきたかというと、そうではなくて、病人はやはり病人のままのようにみえる。
 円安だからといって輸出がものすごく伸びたわけでもない。株は上がったかもしれないが、それでもうかったのはごく一部の関係者くらいではないだろうか。
 それでも、もっとカンフル剤を打てと騒ぐ安倍首相は、いったい何を考えているのだろう。かつての経済成長をもう一度とでもいうのだろうか。
 前回につづいて、本書を斜め読みしてみる。
 著者はいまの日本はかつての日本とはちがうと断言する。
 生産年齢人口がプラスからマイナスへと転じているのだ。
「日本の生産年齢人口のピークは1995年であって、2010年までの15年間に7%減っている」。その傾向はこれからもつづく。
 だとすれば、長期的には自然成長率がゼロになるのは、とうぜんだという。
 そのいっぽうで、現在、労働条件は着実に悪化している。非正規労働者の割合が増え、賃金は低く抑えられ、所得格差が拡大している。
 生産年齢人口の減少は、必需品市場の縮小をもたらす。
 家電製品などの耐久消費財もすでに普及しつくしている。取り替え需要があるとしても、新規需要のような勢いはないだろう。
 乗用車にしても、国内市場は縮小している。
 住宅の空き家率は、ますます高まっている。「人口減少社会の下では、住宅需要の減少も時間の問題であろう」と、著者はいう。
 新しい技術進歩によって、新商品が生まれ、それが新たな需要を喚起する可能性はある。しかし、それも限界がある。もういいかげん、モノはあふれかえっているのだ。
 それでも有効需要を増やそうとすれば、あとは公共事業くらいしかない。国土強靱計画や2020年の東京オリンピックは絶好のチャンスだ、とエコノミストは騒いでいる。しかし、それはいっそうの国債累積と、挙げ句の果ての財政破綻をもたらさないか、と著者は危惧する。
 輸出が増大しても、いまは恩恵を受けるのは輸出企業だけで、それが全体にまで広がらない。1960年代には、輸出増が経済成長をもたらし、社会全体で賃金が上昇し、それが有効需要を増やし、さらなる成長と結びつくというプラスの循環がみられた。いまはそうした状況ではなくなってしまっている、と著者はいう。
 著者によれば、いま求められるのは「成長願望ではなく、成熟社会に見合った政策であり、人口減少社会に軟着陸するための英知であり、……財政が黒字になる構造改革と、……若年者に悲惨な生活を強いる派遣労働を禁止し、福祉社会を志向することである」。
 著者は日本の財政の現状をみると、社会保障関係費を減らすいっぽうで、消費税を引き上げざるをえないとみている。
 社会保障関係費は、年金医療、介護、生活保護の4経費から成り立っているが、このうち減らせるのは年金だけだ。
 年金を減らす方法としては、年金支給年齢を65歳から70歳に引き上げること。ただし、そのためには、70歳まで働ける職場環境をつくらなければならない。
 いっぽうで、不公平税制の問題も相変わらず残っている。
 1990年代には法人税、所得税が引き下げられた。
 法人の7割が税金を納めていない。所得格差はますます広がる一方だ。
 労働政策も問題である。非正規労働者の割合が増えている。正社員になりたくても、正社員にしてもらえない非正規労働者が増えているのだ。その人たちの将来はいったいどうなるのだろう。不安が広がっている。
 25歳から31歳までをとると、非正規の比率は、1985年が男性3.2%、女性24.3%だった。それが2010年には男性13.3%、女性41.5%に拡大している。
 これが現実なのだ。非正規労働者の給与は正規労働者の3分の1といわれる。
「日本では、非正規雇用は、アルバイト家計補助、定年後の人に限られるべきで、若い人であってはならない」と、著者は提言している。
 安倍政権になって、労働政策はどんどん後退している。このままいくと、正社員の割合はますます減りつづけるだろう。
 何かと経済成長を口にするアベノミクスはけっして人びとを幸せにしているわけではないのだ。いまは経済成長の幻想を追うよりも、解決しなければならない課題に、ひとつひとつ丁寧に目を向けるほうがだいじなのではないだろうか。

伊東光晴『アベノミクス批判』 を読む(1) [時事]

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 本書が発行されたのは、2014年7月のことだ。
 それから2年近くたっている。
 いわゆるアベノミクスについては、いまでも意外と評価が高いようにみえる。
 安倍政権の登場によって、人びとは何となく景気がよくなったように、あるいはこれから景気がよくなるように感じているのかもしれない。
 しかし、その実態はどうか。
 本書を読んでみることにした。
 アベノミクスの「第一の矢」は、「質的・量的金融緩和」によって、景気浮揚をはかることだとされている。
 日銀が大量に通貨を発行すると、物価が上がると見込まれ、景気に高揚感が生まれる。いっぽうで金利は下がるから、企業は設備投資をしやすくなり、これも景気をよくする。
 しかし、著者はこの考え方を批判する。
 物価が上がるとみれば、人びとはモノを急いで買うのではなく、かえって財布の紐をさらにきつくしめるかもしれない。
 企業についても、たとえ金利が下がっても、もうかるあてがなければ、そう簡単に設備投資に踏み切らないだろう。
 だから、金融緩和をしても、それが有効需要の増加につながるとはかぎらない。景気はたいしてよくならないだろう、というのがアベノミクスにたいする著者の判断である。
 すると、けっきょく金融の「異次元緩和」とは、何を意味するのだろう。
 それは、日銀が多額の国債を買うという禁じ手に踏み切ったということなのだ。これは、第2次世界大戦中に、日本がおこなったのと同じ金融政策である。
 政府が発行する長期国債を日銀が引き受けるというのだから、政府にとってはこれほど楽なことはない。それによって、政府は税収に頼らなくても、財政支出を増やすことができる。
 実際、著者は2012年から2014年までの日銀のバランスシートを持ちだして、検討を加えている。
 それによると、日銀の所有する長期国債は、2012年末が89兆円だったのが、2014年末には190兆円と急激に膨張している。
 同時に日銀は、上場投資信託(ETF)や上場不動産投資信託(JREIT)を3.5兆円以上も購入している。
 このことは、政府の財政をかなりの部分日銀が担っているだけではなく、投資信託市場を日銀が操作していることを意味している。
 いっぽうで、このバランスシートの特徴は、銀行が日銀に預け入れる当座預金が、2012年末に47兆円だったものが2014年末には175兆円へと急激に膨張していることである。
 日銀は銀行が所有している国債を買い取り、その代金を当座預金勘定に振り込む。銀行は利子のつかない当座預金を引き出し、企業に貸し付けることによって、利子を稼ぐ。企業は銀行からお金を借りて、設備投資をおこなう。それによって景気がよくなる。
 これがふつうに予想される経路である。ところが、日銀の国債保有高の増加にともなって、当座預金勘定も膨らんでいるということは、企業の設備投資意欲がきわめて低いということだ。景気はそれほどよくなっていない。
 すると、アベノミクスの効果は、株価の上昇と円安をもたらしたことに尽きるということになる。
 日本の株式市場の特徴は、海外投資家による取引が多いということだ、と著者はいう。その海外ファンドの動きが活発化するのは、安倍政権誕生以前の2012年10月からである。こうして、日経平均は2012年11月の8661円から、2013年5月の1万4180円へと劇的に回復した(2016年5月30日現在は1万7068円)。
 いっぽう対ドル為替相場は2012年11月13日に1ドル=79円37銭だったものが、2013年5月3日には1ドル=99円02銭へと20%も円安に動いている(2016年5月30日現在は1ドル=111円34銭)。
 為替が動く要因として、著者は財務当局による為替介入を指摘する。財務当局は円安のために円を売って、ドルなどを買い、ドルをアメリカの長期国債に換えているのだという。これならアメリカ政府から文句はでない。
 著者が強調するのは、株価上昇にしても円安にしても、アベノミクスとは関係がないということである。とはいえ、このあたりの説明はやはりふじゅうぶんといわざるをえない。その後の動きの説明がほしいところである。
 金融緩和と円安、株価の上昇はどこかで結びついているのではないだろうか。それは大企業に空前の利益をもたらした。しかし、その足元は千鳥足のようにおぼつかなく、景気回復の実感は、いまも得られていない。
 その理由についても、著者は説明しているが、それは次回ということにしよう。
 アベノミクスの特徴は、経済を動かすのは国家だという空虚な思い込みが見られることである。安倍首相が現在めざしているのは、消費税引き上げの再延期によって、参院選で与党3分の2の議席を確保し、憲法改正へと突き進むことだろう。あとは野となれ山となれの心境だろうか。
 

南シナ海問題──ビル・ヘイトン『南シナ海』をめぐって(2) [時事]

 もう少し、南シナ海の歴史を追っていく。
 本書によると、第2次世界大戦が終わった直後、南シナ海の領有に関しては、しばらく空白期があったという。だが、その後、猛烈な争奪戦がはじまった。
 まずはパラセル諸島(西沙諸島)。ここは海南島から350キロ、ベトナムのダナンからも350キロの地点にある。島の数は14だ。
 1947年1月、中国(共産党政権はまだ成立していない)の国民党政権は、南シナ海に軍艦を送り、パラセル諸島のウッディ島を占領した。しかし、当時まだベトナムを植民地としていたフランスも、これに対抗してウッディ島の西にあるパトル島を占領した。
 その後、国民党は台湾に逃亡し、フランスもベトナムから撤退する。そして、しばらくのあいだ、パラセル諸島は中国とベトナムが半分ずつ占領するかたちになった。
 スプラトリー諸島(南沙諸島)の場合は、もっと複雑だ。最初、1950年にスプラトリー諸島の領有を宣言したのは、フィリピン政府だった。しかし、実際に島を占拠したわけではなかった。
 そこにフィリピンの民間人がパラワン島(フィリピン領)の西方海域に乗り出し、スプラトリー諸島の一部を占領し、フリーダムランドと名づけた。
 これにたいし、中国政府(毛沢東政権)は反発、南沙諸島は中国領だと主張する。ベトナムも同じく諸島の領有権を主張した。そして、台湾もその抗議に加わった。
 こうして、フィリピンの民間人によるいくつかの島の領有は失敗に終わる。しかし、のちにフィリピン政府は、このときの民間人の行動にもとづいて、パラワン島に近い、スプラトリー諸島北東部の島々を1970年に占拠するのである。
 しかし、その前に台湾は、1956年からスプラトリー諸島のイツアバ島を占拠していた。
 そうこうするうちに、1973年に南ベトナムもスプラトリー諸島西部の10島を自国に編入し、おもだった島に軍を配置した。
 そのころ中国はまだスプラトリー諸島(南沙諸島)に進出していない。
 1970年代にはいって、ベトナムやフィリピンの動きが活発化したのは、スプラトリー諸島の周辺に石油があるとのうわさが流れたからである。
 中国はあせっていた。
 1974年、中国はそれまで南ベトナムと中国が半分ずつ分けあっていたパラセル諸島(西沙諸島)の全島を掌握するため、海軍の艦隊を動かした。
 これに驚いた南ベトナム政府は米軍に支援を求めつつ、その海域に艦船を派遣する。軍事衝突が発生した。
 圧倒的に優位だったのは中国側である。パラセル諸島はこれ以降、中国によって実効支配されることになった。
 中国によるパラセル諸島侵攻事件を受けて、南ベトナムはスプラトリー諸島の警備を強化する。しかし、まもなく南ベトナム政府は崩壊し、スプラトリー諸島の領有はベトナム統一政府に引き継がれることになった。
 1970年代後半、中国はパラセル諸島(西沙諸島)の基地を拡張し、その足場を固めた。次にねらうのは、現在ベトナムとフィリピン、台湾が分有している、南のスプラトリー諸島(南沙諸島)である。
 中国は遠征計画を練りはじめる。
 1984年にはスプラトリー諸島に艦船を派遣し、測量を実施した。
 中国があせったのは、ボルネオ島北部を支配するマレーシアが、1983年にスプラトリー諸島の領有権を主張し、実際にボルネオ島に近い礁をいくつも占拠したからである。
 1987年、中国は海軍の艦隊を派遣し、ベトナムがまだ占拠していなかったファイアリークロス礁とクアテロン礁を占拠し、ここを補強して島に変えた。
 中国軍はさらにほとんど水面下に没しているジョンソン礁、コリンズ礁などを占拠、さらに翌年にも3つの礁を占拠した。
 さらに中国はフィリピンの領域にもひそかに接近していた。
 1995年、フィリピンの占拠する島々の中央にある、馬蹄形の岩礁が中国軍によって占拠され、そこに何かが建設されているのが、フィリピンの船によって発見された。ミスチーフ礁である。1994年後半に占拠されていたことがわかったが、後の祭りだった。
 フィリピン政府はショックを受けた。ASEAN諸国は中国に厳重抗議したものの、中国と軍事的にことを構えるだけの度胸はなかった。
 こうして中国は9つの礁を占拠し、スプラトリー諸島(南沙諸島)に大きな足がかりを得た。
 中国が南沙諸島を占拠したといわれると、われわれはあたかも中国が南沙諸島全体を支配したと思いがちだ。
 だが、そうではない。南沙諸島最大のイツアバ島は台湾が占拠しているし、西側はベトナム、東側はフィリピン、南側はマレーシアによって押さえられている。
 現在、中国が占拠しているのは、40近くある島、礁、砂州のうち9つの礁にすぎない。南沙諸島の所有は入り組んでいる。問題は中国が占拠した礁を埋め立てて、軍事基地のようなものをつくっていることだ。
 その後の動きを本書に沿って簡単にまとめておこう。
 南シナ海での石油開発は期待されたものの、いまのところほとんど成果を挙げていない。
 石油の掘削をめぐって、各国間でさまざまな駆け引きがなされたのは事実である。とはいえ、著者のいうように「南シナ海はいま、海底に眠る石油ガスのためではなく、石油ガスの輸送路として重要な海になっているのだ」。
 中国の強引な動きにたいしては、ベトナムでもフィリピンでも、民衆のあいだからナショナリズムにもとづく抗議運動(その背景にあるのは恐怖)が巻き起こっている。
 2014年には、中国がパラセル諸島(西沙諸島)近辺で一方的な石油開発をはじめた。さらに、スカボロ—礁では、フィリピン側とのにらみあいがつづいた。
 こうしたことが、南シナ海での緊張を高めたことはまちがいない。
 しかし、フィリピンやベトナムにしても、中国との経済関係は密接である。ちいさな島の領有権をめぐって悶着があったとしても、中国とまともに対決しようとは思っていない。シンガポールは国民の4分の3、マレーシアも4分の1が中国系だから、そもそも中国と対決する考えはない。
 だから南シナ海問題で、実際に対決姿勢を強めているのは、二大大国であるアメリカと中国だけだ、と著者はいう。
 南シナ海をめぐって、米中間では激しい外交的駆け引きが展開されている。アメリカは内心ではASEAN諸国を反中国で結束させたいと願っているが、肝心のASEAN諸国のほうは気乗り薄だ。そもそも国によって対中姿勢はばらばらといってよい。
 アメリカが中国の南シナ海進出に世界戦略上の危惧をいだいていることはまちがいない。
 イラク・アフガニスタンからの撤退を表明したオバマ政権は、アジアへの回帰を唱え、さらにはリバランス政策なるものを打ちだした。
 リバランス政策には、アメリカが日本、韓国、東南アジア諸国、さらにはインドとの結びつきを強化し、それらの国々と結束することによって、中国とのあいだの均衡を取り直そうとするねらいがある。
 そのうえでアメリカが目標とするのは、南シナ海を米海軍の艦船が自由に航行する権利を中国に認めさせることである。
 中国は南シナ海は自分たちの領海だと主張している。アメリカはこれにたいし、自分たちが南シナ海から追いだされることを恐れている。これは国際社会のルールに反することだ。
 そして、外交の先には軍事がある。
 南シナ海周辺では、米軍と中国軍とのあいだで、イタチごっこがつづいている。
 中国が南シナ海を自分の管轄下におきたがっているのにたいし、アメリカは(とりわけ軍艦の)航行の自由を確保したいと願っている。そうした考え方のちがいが、南シナ海での武力衝突の可能性を引き起こしているのだ。
 軍事というのは、要するに戦争が起こった場合を想定し、それにどう対応するかをめぐる、さまざまな準備を指している。だから、あらゆる事態が想定され、軍備の開発は相手に応じて、どこまでも進む。
 アメリカは圧倒的な軍事的優位をいつまでも維持したいと願っている。それに中国が挑戦するのは許せないと思っているのがホンネだろう。
 中国の軍事力はアメリカより数段劣るというのが現実だ。もしアメリカと戦えば、中国軍はたたきのめされ、経済がたちまち崩壊することは、中国もじゅうぶん承知している。
 中国は南シナ海からアメリカを追いだしたいと願ってはいても、それを実行するだけの軍事能力がないのが現状だ、と著者も述べている。
 だが、南シナ海では、中国とアメリカとのあいだにかぎらず、周辺諸国とのあいだでも、軍事的な小競り合いが発生する可能性は常にあるといってよい。
 それをできるだけ避けるには、どうすればよいかが問われている。
 もうひとつ漁業資源の問題がある。
 南シナ海はマグロのとれる場所でもある。しかし、最近は中国を含む各国の乱獲が進み、漁獲高が減っている。だから、各国による漁業協定が必要になってくるのだが、中国はこれに参加しようとはしていない。
 さすがの中国も日本や韓国とは漁業協定を結んでいる。しかし、南シナ海では、各国の領有権問題が決着していない。おそらく、そう簡単に問題は解決しないだろう。これも、小競りあいを引き起こす要因である。
 著者はこう書いている。

〈緊張の続く南シナ海問題には、簡単な解決法は存在しない。どちらの側も武力対決は望んでいないが、領有権の主張で譲歩して緊張を緩和したいとも思っていない。〉

 そのとおりだろう。
 米軍の尻馬に乗って、南シナ海で日本の自衛隊が軽率に行動したりすれば、事態はますますややこしくなるだけだろう。みきわめがだいじである。

南シナ海問題──ビル・ヘイトン『南シナ海』 をめぐって(1) [時事]

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 南シナ海でいま何が起きているのか。
 伝えられるところでは、現在、中国は南シナ海を自国の海域と称し、占領した島々に次々と軍事基地を築いているという。中国はここでいったい何をしようとしているのだろうか。
 中国の強引な動きにたいして、南シナ海と接する周辺諸国──フィリピン、ベトナム、マレーシア、台湾、さらにはインドネシア──は警戒を強めている。それに加えて米国も中国に警告を発し、監視行動を実施している。
 南シナ海が緊張しているといわれても、どうも実感がわかない。そこで、たまたま図書館で見つけた本のページをめくってみた。
 すると、南シナ海が重要な地域であることがわかってくる。世界の天然ガスの半分、原油の3分の1はマラッカ海峡を経由し、南シナ海を通って、東の台湾、韓国、中国、日本へと運ばれているという。いっぽう、このルートは北東アジアでつくられる製品が西に流れていくルートでもある。
 自然は変わらないが、人は変わりつづける。だから、そこに歴史が生まれるのだろう。南シナ海もそんな場所だ。
 はるか古代から南シナ海では、海上ネットワークが築かれていた。それを築いたのは、いわば海の遊牧民とも呼ぶべき人びとである。
 そこにインド文明の影響を受けた東南アジアの王国がかぶさってくる。1世紀から5世紀にかけて、このあたりでは、インドとのあいだで、ビャクダンやカルダモン、樟脳、クローヴ、宝石、貴金属などが取引されていた。
 そのころ、現在のベトナム南部からカンボジアにかけて、扶南という王国が栄えていた。この国が栄えたのは、中国、インド、アラビア、ヨーロッパを結ぶ海のルートの一角を抑えていたからだ。
 中国人はアラビアの乳香や没薬(もつやく)を求めていた。ガラスや陶器、金属製品、象牙、サイの角、稀少鉱物も、南シナ海を渡った。
 中国の船が南シナ海にあらわれるのは10世紀になってからで、ごく遅かったという。どんと構えていれば、向こうから商品はやってくるというのが、中国が大国たるゆえんだったかもしれない。
 扶南のあと、ベトナムで栄えたのがチャンパである。海賊の興した国だ。東南アジアのほかの国々と同様、ヒンドゥー教や仏教の影響を強く受けていた。
 スマトラではシュリーヴィジャヤ王国が誕生する。この国はマラッカ海峡とスンダ海峡を押さえ、海上交易によって栄えた。中国人はこのあたりでとれるナマコを珍重していた。
 1998年、スマトラ島西部、ブリトゥン島の近辺で、826年(唐代中期)に沈んだアラブの船が発見された。その船には5万点以上の中国製陶器が積みこまれていた。それによって、そのころ、中国とペルシャ、アラビアとの交易が盛んだったことが実証された。こうした交易には、アラブ人やペルシャ人だけではなく、インド人やアルメニア人もかかわっていただろう。
 著者はこう書いている。

〈ペルシャからは真珠、じゅうたん、[コバルトブルーなどの]鉱物、アラビアからは乳香、ミルラ、ナツメヤシ、インドからは宝石やガラス製品、東南アジアからはスパイスや香料。こういう商品が、中国の陶器や絹や金属器と交換されていたのである。〉

 10世紀になると、中国では唐が滅び、福建省あたりには閩(びん)が興った。海洋貿易の国である。
 閩は970年に宋に吸収される。最初、海禁政策をとっていた宋は、11世紀後半から政策を転じ、海外貿易に乗りだした。
 しかし、その宋も女真族によって北部の支配権を奪われ、杭州に都を移すものの、1279年に滅亡し、モンゴル族が元朝を立てた。
 しかし、10世紀から13世紀にかけては、南シナ海交易の黄金時代だった、と著者は指摘する。
 その後、知られるのは明の鄭和(1371-1433)である。鄭和はインド洋を経て、東アフリカにいたるまで大航海をおこなった。だが、中国の海洋進出は、その後、急速にしぼんでしまう。
 だから、中国はけっして古くから南シナ海を支配していたわけではない、と著者はいう。
 南シナ海の周辺を支配していたのは、むしろ「インドの影響を受けた『マンダラ国家』群だった」。
 1世紀から4世紀にかけては扶南、6世紀から15世紀にかけてはベトナムのチャンパ、同じく7世紀から12世紀にかけてはスマトラのシュリーヴィジャヤ、9世紀前半から1460年代まではメコン下流のアンコール、そして12世紀から16世紀まではジャワのマジャパヒト、15世紀前半から16世紀前半まではマレー半島のマラッカという具合である。
 これらの国々は中国とインド、さらにはペルシャ、アラビアを結ぶことによって栄えた。
 したがって、南シナ海は古代から中国の海域だったという中国の主張は、事大主義の感があって、根拠に乏しいと言わざるをえない。

 それでは、近世以降はどうだったのだろう。近世以降、南シナ海は中国の海域になったのだろうか。
 そうではない。近世以降、南シナ海は西洋諸国の制するところとなったといってもよいからである。
 ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマがインドに到着したのは1498年のことだ。その後、ポルトガルはゴアに拠点を置き、マラッカ海峡ルートを切り開き、香料諸島(現インドネシア)へと接近した。そしてついに1511年にマラッカを占領し、以来130年にわたって、この地を支配した。
 いっぽうマゼランがスペイン艦隊を率いて、太平洋を越えフィリピン諸島に到着するのは1521年のことだ。
 香料のありかをみつけたポルトガル人は、さらに絹と陶器の故郷を求めて、船を進める。そして、ついに東のはて、日本にまで到達するのだ。
 そのころ、中国の明朝は、福建省での貿易を解禁していた。それによって、それまで南シナ海を制していた東南アジアの商船に代わって、中国のジャンク船が海に乗りだした。東南アジア各地には、何万人もの福建人が進出し、チャイナタウンをつくって、交易に従事するようになった。
 1571年、スペインはマニラに拠点を築き、メキシコとのルートを確立し、いわゆるアカプルコ交易を開始する。マニラにメキシコの銀を運んで、中国の金、絹、陶磁器を手に入れるのだ。
 そこに割り込むのがオランダである。1600年にオランダ東インド会社(VOC)が設立されていた。
 17世紀はじめ、オランダは国際貿易を制する中心国へと成長する。東インド会社の本社はアムステルダムで、バタヴィア(現ジャカルタ)には、東の拠点が置かれた。そして、1641年にオランダはマラッカを占拠し、アジアでの貿易体制を固める。
 そのころ、中国では明が倒れ、清の時代となっていた。
 17世紀末、清は民間貿易を解禁し、それによって、多くの中国人商人が南シナ海方面へと進出していった。
 中国のいう「中沙諸島」黄岩島(台湾では民主礁)は、英語名ではスカボロ—礁と呼ばれる。1748年に英国船スカボロ—号がここで座礁したことにちなんで名づけられた。ここは現在、中国が実効支配している。
 1821年にパラセル諸島(西沙諸島)、スプラトリー諸島(南沙諸島)を海図にはじめて示したのは、イギリス東インド会社に雇われた測量学者ジェームズ・ホーロバラだった。
 このころインドに拠点を置くイギリスは、中国との貿易をますます拡大していた。いわゆる三角貿易がはじまっていた。イギリスは中国から茶を輸入し、インドに綿織物を輸出し、そしてインドからは中国にアヘンが輸出される。
 マラッカ海峡を制するために、イギリスは1819年にシンガポールを獲得し、ここに一大拠点を築いた。
 その後の動きをいちいち説明していたのでは切りがない。
 いくつかポイントだけを示しておこう。
 1840年と1860年には、二度のアヘン戦争が発生している。
 フランスは19世紀半ばから後半にかけて、現在のベトナム、カンボジア、ラオスを植民地にした。
 ドイツもまた、19世紀末に中国の青島を手に入れた。
 このころの動きをみると、南シナ海は中国固有の海域どころか、西洋列強が相乱れて行き来する海域になっていたといえるだろう。
 そこに乱入していったのが日本である。日本の実業家、西澤吉次は1907年から数年にわたって、プラタス島(東沙諸島の中心島、現在は台湾が実効支配)で、肥料にするグアノ(鳥糞石)の採掘をおこなった。
 危機感を覚えた清朝は、1909年にパラセル諸島(西沙諸島)に遠征し、ここを広東省の一部として、地図に書き加えた。
 1930年にはフランスの軍艦がスプラトリー諸島(南沙諸島)沖に到着し、その領有を宣言した。当時の中華民国政府はフランスに抗議するが、スプラトリー諸島をパラセル諸島ととりちがえるのが実情だったという。
 しかし、いずれにしても中国政府はこのころから地図の製作に力をいれはじめ、1935年に、南シナ海にある132の島が中国の領土だとぶちあげた。132の島は、パラセル諸島とスプラトリー諸島に属している。
 地図を製作したとき、中国は現地を実際に調査したわけではなかった。イギリスの地図に載っている島に中国名をつけて、それを中国領と宣言したという。
 しかし、その後、日中戦争、太平洋戦争がはじまると、南シナ海はこんどは日本の湖へと変わっていく。しかし、日本の勢力圏にはいったのは、さほど長い期間ではなかった。
 戦争が終わったあと、連合国のあいだでは、南シナ海の島々をどうするかという議論が巻き起こった。意見はなかなかまとまらなかった。
 そんなとき、1946年7月に、フィリピンがアメリカから独立する。フィリピン政府はさっそくスプラトリー諸島はフィリピンの勢力圏にあるとの声明を出した。
 これにたいし、フランス軍は掃海艇をスプラトリー諸島に派遣した。1946年10月には中国海軍がパラセル諸島とスプラトリー諸島にやってくる。西沙、東沙、南沙の名称はこのときに決められたのだという。
 1947年2月、中華民国はあらたな行政区域図を発表した。そこには大陸から巨大な舌のように伸びたU字型のラインが描かれていた。
 やがて中華民国の指導部は台湾へと脱出し、大陸では中華人民共和国が発足する。しかし、U字型ラインは共産政権のもとでも継承された。
 南シナ海における領土獲得競争がはじまるのは、むしろそれ以降だった、と著者は記している。
 南シナ海の歴史は一筋縄ではいかない。
 思わず長くなってしまった。
 つづきはまた。

安倍首相の記者会見で思うこと二、三 [時事]

 安保法制懇の答申を受けて、5月15日に安倍首相は記者会見を開き、集団的自衛権の必要性を2枚のパネルをもちいて説明した。
 ぼくは短いニュースしか見ていないけれど、要するにここで首相が示したかったのは、海外ではたらく日本人を守るためには、集団的自衛権はなくてはならないものだということだ。
 もう年だから、正直いって、政治の話にはわずらわされたくないという気持ちが強い。でもニュース解説者ばりのパネル説明になんだか違和感を覚えたので、そのことだけを書いておきたい。
 1枚目のパネルは「邦人輸送中の米輸送艦の防護」と題されている。ネットからそのイラストを拾わせてもらった。
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 首相はこのパネルを見せながら、こう説明する。

〈いまや海外に住む日本人は150万人、さらに年間1800万人の日本人が海外に出かけている時代だ。その場所で突然紛争が起きることも考えられる。そこから逃げようとする日本人を、同盟国の米国が救助、輸送しているとき、日本近海で攻撃があるかもしれない。このような場合でも日本人自身が攻撃を受けていなければ、日本人が乗っているこの米国の船を、日本の自衛隊は守ることができない〉

 紛争国が中国や北朝鮮と明記されているわけではない。でもパネルをみると、そんな気がしてくる。もし北朝鮮だとすれば、いわゆる朝鮮半島有事である。すると逃げてくる日本人は北朝鮮からではなく韓国から逃げてくるのだろう。
 この日本地図には北方4島が含まれているのに、沖縄が含まれていない。これは象徴的かもしれないと思いつつも、いまはあまり深く考えないことにする。でも、沖縄の人はこのパネルを見てどう思うだろう。
 ここに描かれているアメリカ人の男女はとてもやさしそうだ。軍人にはみえない。日本人の親子はお母さんと子ども赤ちゃんで、肝心のお父さんの姿がない。お父さんは紛争に巻きこまれて死んでしまったのか、それとも早々と飛行機で日本に帰ってしまったのだろうか。
 しかし、ともかくパネルでは米国とどこかの国(たとえば中国か北朝鮮)のあいだで戦争が起こっている。そのとき当事国から救出された日本人を乗せた米国の輸送艦を、たとえば中国なり北朝鮮が攻撃しそうと思われるとき、日本の自衛隊が米軍の防護にあたり、武器を行使することも認められるべきだというのが首相の主張である。
 ぼくがまず感じるのは、この想定が無理やりつくられたケースではないかということである。日本人が当事国(中国でも韓国でも)から脱出するときは、ふつうは米国の軍艦ではなく、JALなりANAなり日本の民間航空を使うだろう。場合によっては日本人を助けるため、自衛隊がかけつけてもよさそうなものである。それを米軍に助けてもらうというのは、ちと情けない。
 日本人を助けた米軍を自衛隊が防護するというのも、手がこみいりすぎている。それに、軍事活動に従事している米軍の艦船が、逃げようとしている日本人をはたして簡単に乗せるだろうかという疑問もわく。そもそも中国人、朝鮮人、日本人は顔つきだけではほとんど区別さえできないのである。自衛隊もそうだが、有事にあって軍の艦船が多数の民間人を収容する事態は考えにくいのではないか。
 すると、このイラストが示している事態は、おそらく実際はこうである。米国がたとえば中国や北朝鮮と戦闘状態にはいったとき、自衛隊は米軍の指示のもと、米軍と協力して戦闘態勢にはいる。これが集団的自衛権の意味である。日本人の救出などというのは、とってつけた詭弁にすぎない。極東情勢の分析にも異論があるが、ここでそれを述べると長くなるので、やめておく。
 もうひとつの「駆け付け警護」と銘打ったパネル(イラスト)をみてみよう。
安倍会見02.jpg
 安倍首相はこんなふうに説明する。

〈……現在アジアで、アフリカで、たくさんの若者たちがボランティアなどの形で地域の平和や発展のために活動している。……しかし、彼らが突然、武装集団に襲われたとしても、この地域やこの国において活動している自衛隊は彼らを救うことができない。一緒に平和構築のために汗を流している、自衛隊と共に汗を流している他国の部隊から救助してもらいたいと連絡を受けても、日本の自衛隊は彼らを見捨てるしかない。これが現実だ〉

 海外で活動している日本のNGOやPKO要員を、PKO参加中の自衛隊部隊が守れないというのはおかしい。それはそのとおりだ。守れないなんて冷たいことをいわないで、守ればいいじゃないかと思う。
 しかし、はっきりいって、自衛隊のPKO部隊から遠く離れたところにいるNGOが武装テロ集団に襲われたときは、それを助けるのは至難のわざだろう。逆にもし、自衛隊のすぐ脇でNGOやPKO要員が活動している場合は、よほどのことがないかぎり、テロ集団がかれらを襲うことはないだろう。
 アルジェリアでテロ集団に襲われた日本人ビジネスマンにしても、イラクで殉職した外交官にしても、カンボジアで亡くなったボランティアにしても、エジプトでイスラム過激派に襲われた観光客にしても、シリアで亡くなったジャーナリストにしても、おそらく自衛隊が助けるのは無理だっただろう。
 むしろテロや人質事件は、PKOに自衛隊が参加している国や地域以外で発生することが多い。その場合、自衛隊はどうするのか。エジプトにせよ、シリアにせよ、イラクにせよ、突然、自衛隊がでかけていって、そこでいきなり日本人の救出活動なり、武装集団の排除にあたることは、いくらなんでもできないのではないだろうか。残念ながら、その場合は、当事国の軍なり警察なりに事態収拾をゆだねるしかないのである。
 だとすれば、このパネルが「集団的自衛権」の一例として示そうとしている事態はひとつしかない。つまり紛争地域でPKO活動をする米軍が武装集団に攻撃されたときに、自衛隊が武力でもって米軍の支援にかけつけるということである。このかけつける相手は、中国軍でも韓国軍でもないだろう。もちろん日本人のNGOでもない(その場合は「集団的」でなくても対応できるはずだ)。要するに、いままで以上に(つまり個別的自衛権の範囲を超えて)、自衛隊が海外で武力行使できるようにしようというのが、今回の「憲法解釈の変更」の意図なのである。
 安倍首相は、今回の記者会見で、「自衛隊が武力行使を目的として、湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してない」と弁明した。これは安保法制懇が想定した事態とは一線を画した発言である。「集団的自衛権」に歯止めをかけたと評価する向きもある。でも、ぼくなどはやはり安保法制懇の方針が本筋で、首相の弁明は詭弁ではないかと、やはり疑ってしまう。
 はっきりいって、憲法解釈の変更がなされようが、なされまいが、すでに日本は実態的には集団的自衛権を行使しているといってよいのだ。イラクへの自衛隊派遣にしても、インド洋での米艦船への給油をみても、これが集団的自衛権の行使でなくて、何だというのだろう。
 これに加えて、今回の憲法解釈の変更による、正式な「集団的自衛権」の容認が意味することはただひとつ。海外における自衛隊の武力行使を認めること、この一点に尽きる。
 米軍と日本軍(海外に出れば自衛隊は日本軍である)との関係はますます密接になるだろう。集団的自衛権が認められれば、安倍首相の弁明とは裏腹に、米軍の行くところ、かならず日本軍ありということになっていくだろう。
 建前上、「個別的自衛権」を主張しているかぎりは、米軍と一線を引くことも可能だった。米軍の軍事行動に疑義を感じた場合は、それに積極的に加わらなくてもよかった(しぶしぶでもよかった)。
 しかし、「集団的自衛権」をかかげる以上、日本軍はいまや米軍と一体である。それが首相のいう「平和国家」の意味なのだろう。

特定秘密保護法について [時事]

 いつのまにか、あれよあれよという間に、特定秘密保護法が成立してしまった。これからどうなるのか、不安が残る。政府はますます信用できなくなった。
 特定秘密保護法は安全保障やテロ、スパイに対応することが目的だというが、そもそも、なぜ急いでいまこの法律をつくるのかは、政府から一度も説明されたことがなかったように思う。
 なぜ、森まさこという少子化担当大臣が、この法案を担当したのかも、よくわからなかった。ほんらいなら、防衛大臣とか、外務大臣が表に立つべきなのに、なぜ、とつぜんそれまであまり知られていなかった女性大臣が登場してきたのか。そこにも、うさんくさいものを感じていた。
 安倍総理は女性重視といいながら、弁護士出身の女性政治家をうまく利用して、一見ソフトなイメージを打ちだし、強引にこの法案を通したのではないだろうか。森まさこという人は、自分でこの法案を担当したいと名乗りでたのだろうか。そうではあるまい。おそらく、総理に頼まれて、意気に感じ、職務を忠実に遂行しただけなのだ。
 要するに、ほんとうのことを言えないのが、この法律の秘密たるゆえんなのだ。防衛大臣や外務大臣、あるいは国家公安委員長が表に立つと、ことを生々しくしすぎるという配慮がどこかではたらいたのかもしれない。
 以下はぼくの憶測にすぎない。
 どうやら日米安保条約をより深化する日米軍事秘密協定が結ばれようとしている。憲法上、日本は軍隊をもてないことになっているが、予算面だけでみると、日本はすでに世界第5位の軍事大国なのである。新しい日米軍事条約は、在日米軍の指揮下に自衛隊を編入し、極東の軍事危機に対応するとともに、米軍の世界戦略に自衛隊の協力を求めようとするものだ。
 すでに米中冷戦がはじまっている。米軍は中国と北朝鮮を仮想敵国とする軍事戦略を練っており、ふだんから自衛隊を補助部隊として利用したいという構想をもっている。そのため日本側と綿密な打ち合わせをしなくてはならず、そのさい、米軍のつかんでいる情報を日本側に伝える必要もでてくる。それが「特定秘密」なのだ。
 中国側もまた日米の軍事態勢を必死で探ろうとするだろう。場合によっては、日本国内の反米グループを利用したテロに走る可能性もある。とうぜんスパイ活動もさかんになるだろう。特定秘密保護法はそうした動きを未然に封じるための動きとみられなくもない。
 しかし、憶測は憶測を呼び、さまざまな拡大解釈がなされうる。
 特定秘密保護法には、全国津々浦々から反対の声が巻き上がった。なかには、戦前の国家総動員態勢を連想し、ふたたびそうした時代がおとずれる危険性を訴える声もある。また、かつての治安維持法の時代を思い起こし、日本国憲法で保証されている言論の自由、国民の知る権利が奪われるのではないかと懸念する人もいる。その心配はよくわかるし、こんなブログを書いているぼく自身、いつか警察に逮捕されるのではないかという不安もなくはない。
 それでも特定秘密保護法とやらが成立したいま感じるのは、いよいよ戦時体制がはじまったなということである。
 日米中はつねに三角関係のなかにある。いいかえれば、どんなに好き嫌いがあっても、地理的にみて、日本の隣国がアメリカと中国だという事実は変えられない。日本は中国に攻め入り、アメリカとも戦争をしてきた。戦後がよき戦後といえたのは、日本が中国に攻め入ることも、アメリカと戦争することもなかったからである。すると、いま想定されているのは、中国が日本に攻め入り、アメリカと戦争することなのだろうか。できるなら、そういう事態は避けたいものである。
 日米の軍事態勢強化を前提とする特定秘密保護法の成立によって、米中冷戦はさらに本格化し、日中の緊張関係はより強まろうとしている。いま日本と中国とのパイプは切れかかっている。しかし、くり返すけれども、日本にとって中国は永遠の隣国なのだ。いったんこじれてしまうと、隣人関係ほどむずかしいものはないけれど、国との関係でも同じことがいえる。それでも、どこかで修復をはからねばならないだろう。
 日本と中国のパイプが途絶えようとしているいま、特定秘密保護法と日本版NSCなるもので、アメリカのCIAや軍を経由して、中国の情報ははいってくるかもしれない。しかし、それをうのみにするのは危険である(日中の対立をあおりながら、アメリカが漁夫の利を得ようとする可能性もある)。日米中の戦争を回避するために、いま日本はどういう平和構想を練るべきなのか。ほんとうに問われているのは、そのことなのだろう。
 日米中の関係を日米の軍事強化のみによって固めようとする方向は、新冷戦の思考法である。パシフィストといわれるかもしれないが、中国とはもう戦争したくないものだ(中国共産党は嫌いだが)。アジアの平和を保つ工夫を、うまい具合に提案してくれる人はいないものだろうか。不安はますます高まっている。

アベノミクスの罠 [時事]

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アベノミクスについて、ふたたび考えてみます。
このところ、いっときの急激な円安、株高は一服した感はありますが、それでも昨年末にくらべると、日本の景気はずっとよくなっているようにみえます。
これから、ものが売れるようになり、物価もそこそこに収まって、経済が活発になって、企業の業績がよくなり、設備投資も増え、実質賃金も上昇すれば、それに越したことはありません。
しかし、はたしてそううまく行くものでしょうか。
金融緩和の罠』(集英社新書)という本を、ぱらぱらめくってみました。この本は気鋭の政治学者、萱野稔人氏が3人のエコノミストと学者に、金融緩和政策の効果についてインタビューするというもので、きょう読んだのはBNPパリバ証券のチーフエコノミスト、河野龍太郎氏との対話です。
この本で印象的なのは、河野氏が政府に経済成長率を高める能力はなく、「財政政策は所得の前借りであり、金融政策は需要の前倒しである」と語っているところです。いまのところアベノミクスは大成功とみえても、そのうちツケが回ってくるというわけです。
それがどういうツケなのかを知る前に、そもそも日本経済の現状を河野氏がどうみているかを知っておく必要があります。
つづめていうと、日本においては1990年以降、生産年齢人口が減少し、そのことが個人消費の落ちこみだけではなく、設備投資の減少も招いているというのが河野氏の理解です。それによって、経済全体の需要が減り、デフレがつづいているというわけです。
こういう経済に対し、金融緩和で景気浮揚をはかろうとすると、(1)金融機関のマネーは国債に回って融資につながらず、(2)国債の追加発行に歯止めがきかなくなり、(3)社会保障制度や産業構造の改革がおろそかになり、(4)国の借金がとめどなく膨らみ、(5)土地株価、原油、食料などのバブルを引き起こし、(6)最終的に国債価格の暴落と金融システムの不安定化、バブル崩壊を招くことになる、というのがその見立てだと思われます。
これは最悪のシナリオかもしれません。点火したロケットが上昇して、うまく軌道に乗らず、途中で空中分解してしまうという感じですね。前に紹介した高橋洋一氏の楽観的な見方と対極にあるといってもいいでしょう。
この先どうなるか、ぼくにはさっぱりわかりません。高橋氏と河野氏、どちらがあたっているのか、自信をもって答えられそうにありません。どちらもあたっているような、あたっていないような、というのがホンネです。
われわれ年金生活者にとっては、インフレは困ります。しかし黒田日銀総裁は2015年度には物価上昇率をほぼ2%にすると自信たっぷりに断言しています。これは消費税アップによる上昇率を除いた数字ですから、2015年度には物価は実際には現在と比べて5%程度上がることになるでしょう。これに対し、年金は上がらないでしょうから、生活は多少苦しくなり、とうぜん貯金をいま以上に取り崩していくということになります。ですからインフレといっても、おカネをどしどし使うというより、高齢者のあいだでは、むしろ節約モードが強まるのではないでしょうか。
参院選が終われば、社会保障制度の見直しが予定されているのも、不安材料です。これから年金が減ることは予想されても、増えることは考えられません。さらに老人ホームの費用が月50万円かかるなどと聞くと、はてさてどうしたものかと財布のヒモがますますきつくなります。年寄りが貯金をもっているといっても、それはいつまで生きるか、先が見通せないからです。せめて寝たきりにならないよう、からだを鍛えておこうというのがせいぜいの対策で、するとまた長生きするので、またおカネがかかると、笑えるような笑えないような悪循環がつづきます。こんな調子では、いずれにしても年寄りに日本経済復活のカギは見いだせそうにありませんね。
将来が不安なのは若い人たちも同じです。非正規雇用の割合が増えて、賃金格差が生じているのにくわえて、企業は利潤を確保するために、ますます人件費抑制に走っています。雇用者の年間平均賃金は1997年以降、下がるいっぽうです。安倍政権は2%のインフレ目標を唱えますが、問題はそれ以上にはたして実質賃金が上昇するかどうかということです。いや、消費増税を考えれば、5%以上の実質賃金上昇がなければ、生活水準は上昇せず、それがとても実現できそうにないとすれば、消費増税直前の駆け込み需要は別として、若い人たちの消費もあまり伸びないのではないでしょうか。いま百貨店などの消費が伸びているのは、いきなり株が上がってプチバブルにわいている小金持ちがものを買っているにすぎないのではないでしょうか。その反動もまた予想できます。
ものがあふれ、おカネがだぶつくなかで、多くの人はそこそこの満足を得ながら、将来に大きな不安をいだいています。人為的な貨幣価値の切り下げによって、円安株高になったのは、いわば最初のばくちに勝ったようなもので、喜んでいる人が多いでしょうが、しばらくして、その反動がどうめぐってくるか、わかったものではありません。
いずれにせよ、おカネのことばかり考えているのは、からだによくありません。そんなことより、くらしや仕事、町づくり、くにづくり、歴史や世界、宇宙に夢をはせたほうがいいに決まっています。いま日本人に欠けているのは、「幸福」より「夢」かもしれませんね。ふと、そんなことを思いました。