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タージマハルの朝夕──お気楽インド・ツアー写真日記(18) [旅]

 2月9日(火)
 インド旅行最終日です。
 アグラに到着したのは、きのうは夕方4時過ぎでした。
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 到着後、タージマハルのよくみえるホテルの屋上でお茶を飲みます。
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 ホテルに荷物を置いてから、カラグリディ劇場で、タージマハルにまつわる歌劇をみました。
 そして、けさは朝6時半にホテルを出発し、川向こうから朝霧にけむるタージマハルを眺めたというわけです。
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 ホテルで朝食をすませたあと、8時半に出発です。
 いよいよタージマハルにやってきました。
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 ガイドさんがタージマハルの歴史について、熱心に説明してくれます。
 タージマハルはシャー・ジャハーンによってつくられました。多くの子供を産んで30歳で亡くなった后ムムターズ・マハルの廟として、22年の歳月を要して建てられたといいます。
 この后は庶民出身で、町を通っていた王様が見初めたとか。外は壮大な建物ですが、なかには棺しかありません。
 おなじみの光景ですね。塔は一部修復中でした。
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 細部の模様が美しいですね。
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 敷地内にはモスクもあります。
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 その後、アグラ城を観光します。
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 アグラ城はアクバルによって1569年からつくられはじめ、3代の王が99年がかりで完成したといいます。ムガル帝国の象徴といってよいでしょう。
 その堀を渡ります。
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 建物にはヒンズー、イスラム、仏教の様式が盛りこまれています。
 図書館もあり、風呂やハーレムも残っています。
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 その堀にはワニ、塀の外にはトラが放たれ、警戒厳重だったらしいです。城にあった金とダイヤモンドの飾りはイギリスが持ち去ったといいます。
 噴水を中心にした庭園ではブドウがつくられていたとか。
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 タージマハルをつくった先代の王はのちにこの宮殿内に幽閉されました。そこからタージマハルを眺めながら1666年に74歳で亡くなったといいます。
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 ここにも鏡の宮殿や裁判所があります。
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 これで、今回のインド・ツアーは終わりです。バスは一路デリー空港に向かいます。高速道路は快調。しかし、市内は例によって大混雑です。
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 空港の手続きにも時間がかかりました。ずいぶん余裕をみたはずなのに、搭乗はぎりぎり間に合うかたちでした。
 成田に到着したのは翌2月10日の朝8時です。晴れで気温は2度。いっぺんに寒さが戻ってきました。

チャンドバオリとファティプール・シークリー──お気楽インド・ツアー写真日記(17) [旅]

 2月8日(月)
 インド旅行もそろそろ終わりに近づいてきました。
 今回の日程はデリーからはじまって、仏教遺跡やヒンズー教寺院を回り、ムガル帝国の遺産をたどる旅でした。ムガル帝国のムガルとは、モンゴルという意味ですから、インド文明は、東洋や中東、西洋を呑みこみながら、混沌としたなかで成長してきたことがわかります。
 きょうも朝早く、7時半にジャイプールのメトロポリタン・ホテルを出発しました。
 最初に訪れたのはジャイプール市内の「風の宮殿」。
 なかにははいれず、その前でバスを降り、写真撮影しただけです。
 もともと王族のためにつくられた宮殿で、宮廷から出られない女性が窓から町の様子を眺めたといいます。
 1799年につくられたこの宮殿には300以上の窓がありますが、なかはテラスで、部屋はないそうです。なかなか優美な建物ではあります。
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 写真撮影を終えて、ふたたびバスに乗りこみます。しばらく走ると、山の上にシヴァ神を祭った寺が見えてきます。2年前に、ここで転落事故があった、とガイドさんが説明してくれます。
 ジャイプールはラディスタン州の州都です。ヴィクトリア女王とアルバート王子を迎えたときに、町をピンク色で統一したといいます。西は乾燥地帯で、タール沙漠につらなります。
 ラディスタンにはほかに青色の町ジョドプールや、金色の町ジャイサルメールもあり、それぞれ観光地になっているようです。
 途中からの高速道路は、きのうよりずっと整備され、快適です。
 9時半、チャンドバオリに到着しました。ここは最近NHKで紹介されてから、観光地になったといいます。階段井戸で知られます。
 階段井戸の深さは20メートルだとか。雨期に水をためる施設ですね。階段の上には涼をとるため宮殿もつくられています。
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 その回廊には、隣の壊された寺院から移された彫像が、所狭しと飾られています。
 ヴィシュヌ神の化身ハーマナ。シヴァ神は3つ目の目が開くと、破壊が始まるそうです。
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 優雅に腰をひねる像もありました。
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 これはブッダでしょうか。ヒンズー教では、ブッダも神さまのひとりに組み入れられています。
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 階段井戸の近くには、素焼きの壺をつくったり、水たばこをすってみせたりする老人の姿を見かけました。われわれは、この村で、おみやげ用のじゅうたんを買いました。
 隣には廃墟となった寺院が残っていました。
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 30分ほど見学してから、出発です。途中、食事のために休憩した場所でも、シャツを買います。
 いまの季節、大地は干上がっているのに、畑は意外に緑が多いのは、灌漑設備が行き届いているからでしょうか。
 1時45分ファティプール・シークリーに到着しました。ここはムガル帝国の3代目アクバルが1571年に建設し、短いあいだ都とした場所だといいます。
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 ガイドさんによると、アクバルはヒンズーにも寛容な姿勢を示した皇帝だったそうです。3人の奥さんがいましたが、そのひとりはアンベール城の王の妹で、ヒンズー教徒でした。
 跡継ぎができないことで悩んでいたアクバルは、イスラムの聖者に相談したところ、その祈りによって子を授かったので、それに感謝して、首都を移転したのだそうです。なかには后のための宮殿があり、ヒンズー寺院もあります。ここにはめこまれていたダイヤや黄金は、イギリスによって持ち去られ、現在大英博物館に展示されているとか。
 何はともあれ、なかにはいってみましょう。インドの人もけっこう訪れています。
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 ガイドさんによると、菜食主義の奥さんのための台所も残っているそうです。
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 ペルシャ出身といわれるキリスト教徒の奥さんのために建てられた建物もあります。外はシンプルだが、なかは派手で、青色で統一されていたとか。
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 首相のための宮殿もあり、その前にはバラ園もあったといいます。
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 五層の建物は月を見るため。アクバルは阿片を吸いながら、美女たちと月を眺めたといいます。人間チェスも楽しみのひとつだったとか。
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 ディワネ・カースは、謁見の間で、重要な決定をおこなうときにも用いられました。
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 中には巨大な柱が立ち、この上に置かれた王座に座って、王は人びとを迎えたようです。
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アンベール城──お気楽インド・ツアー写真日記(16) [旅]

 2月7日(日)
 ジャイプールの市内見学を終えたわれわれは、午後4時すぎ、もうひとつの世界遺産アンベール城に向かいました。城は小高い丘の上にあり、道が狭いので、バスは近くまで行けません。そこで、バスを降りて、ジープに分乗してのぼるほかありませんでした。
 その門にやってきました。背後には万里の長城のような砦がみえます。
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 この宮殿は16世紀に建てられたもので、カチワーハ家がジャイプールに城を移すまでは、ここがアンベール王国の首都でした。
 獅子門の上から前庭を見渡すだけでも、ここが壮大で華麗な城だったことがうかがえます。
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 イスラムとヒンズーの折衷様式で建てられた大きな建物がいくつかあります。謁見の間では裁判がおこなわれました。
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 その内部にはいってみます。
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 麓には池があり、ここで舟を浮かべて水遊びもできたのでしょう。
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 修理中のガネーシャ門をくぐります。上にはガネーシャがえがかれています。
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 左に行くと、鏡の間です。
 天井にはこんな装飾もあります。
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 ジャイプールの宮殿は4月、5月になると猛烈な暑さに見舞われるため、ここは夏の宮殿としても用いられたようです。
 そういえば、内部の装飾も涼しげですね。
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 ガイドさんによると、水と風を利用した天然のクーラーがしつらえられているとか。
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 しかし、その装飾はどこまでも華麗です。
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 建物のあいだには庭園があります。
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 そして、いちばん奥にあるのがハーレム。ここには12人の女性が入れるようになっていたとか。ハーレムがあるのは、日本の大奥と同じで、後継ぎをつくるためですが、マハラジャの楽しみでもあったこともまちがいありません。
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 しかし、そのなかで女たちはどういう思いでくらしていたのでしょう。
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 帰りすがり猿をみかけたので写してみました。
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 きょうはジャイプールのホテルに泊まります。

ジャイプールの天文台と王宮──お気楽インド・ツアー写真日記(15) [旅]

 2月7日(日)
 ジャイプールのジャンタル・マンタルにやってきました。ここはイスラム技術の粋を集めた天文台で、1728年にマハラジャのサワーイ・ジャイ・シン2世によってつくられたといいます。
 ガイドさんによると、インドではイスラム式の天文台が5つつくられたが、ここのジャンタル・マンタルが、もっともよく保存されているとか。
 現在、ユネスコの世界遺産に登録されています。
 まるで遊園地のようですが、れっきとした天文台です。
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 ガイドさんが、こまかく説明してくれます。しかし、天文観測の知識にうといぼくに、正直いってよくわかりません。
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 近くに寄ると、計器にはずいぶん細かい目盛りが刻まれています。こうした工夫によって、正確な時間がはかられたのでしょう。
 まだ陰陽道の土御門家が幅をきかせていた江戸時代中期にくらべれば、イスラムの天体観測技術ははるかにすぐれたものだったといえます。
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 大小の日時計があります。それぞれ用途はことなるのでしょうが、これは何を測るものなのでしょう。ガイドさんによると、北極星や星座をみる装置もあるといいます。
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 遠くには城塞のようなものがみえます。そして、旗がひるがえっている近くの建物が、これから行くシティ・パレス(宮殿)です。
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 これは世界最大級の日時計。先端は北極星に向いているとか。この日時計では、2秒ごとに時間が測れるそうです。
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 次に向かったのが1726年に建てられたというシティ・パレス。ここにはいまも王様が住んでいますが、その一部が博物館として開放されています。
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 大きな銀製の壺がおかれていました。王様がロンドンを訪れたときに、ガンジス川の水を入れて運んだというものです。
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 旗がひとつしか翻っていないときは王様が不在を示しているそうです。いま旗はひとつしか揚がっていませんから、王様は不在なのでしょう。
 9代目のマハラジャは2011年に亡くなり、子供は娘しかいなかったので、11歳の孫が王位を継承したといいます。
 パレスの入場料を含め、多くの不動産収入はすべて王室の収入になっています。
 ガイドさんによると、現在の王様はドラエモンが好きだとか。イギリス留学中のようです。
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 博物館のなかにはいります。内部は撮影禁止です。さまざまな服や絨毯、サリー、肖像画が飾られています。宝石は飾られていなかったような気がします。王室の歴史を紹介する博物館といってよいでしょう。なかには体重が250キロもあって、糖尿病のため55歳で亡くなった王様もいるようです。王室はポロが好きなことでも知られている、とガイドさんが教えてくれます。
 博物館を出たところで、写真を1枚撮ってみました。
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ジャイプールへ──お気楽インド・ツアー写真日記(14) [旅]

 2月7日(日)
 7時半にデリーのホテルを出発し、バスでジャイプールに向かいます。
 ジャイプールはデリーの南東266キロの場所にあり、ラジャスタン州の州都。デリーからバスで5時間ほどかかります。
 プールは城壁の町を意味します。ジャイは王様の名前です。
 ジャイプールは1727年から、カチワーハ家の王、サワーイ・ジャイ・シン2世によってつくられました。
 ガイドさんによると、いまも10代目の王様がジャイプールの王宮(シティパレス)で暮らしているといいます。現在の王様は15歳で、イギリス留学中とのこと。
 インドには地方に200人以上王様(マハラジャ)がいたようです。なかでもジャイプールの王は金持ちでした。それは宝石がとれるためで、王が戦争をしなかったことも大きかったといいます。加えて土地や不動産も多く所有していました。
 王の娘はムガル帝国3代目のアクバルと結婚。ジャイプール藩王国は、ムガル帝国と良好な関係を保ちつつ、一定の独立性を保っていました。1858年にインドがイギリスの植民地になってからも、自治権を認められていたといいます。1876年にはヴィクトリア女王の息子アルバート王子が、ジャイプールを訪問しています。
 ガイドさんからそんな話を聞くうちに、バスはデリーを抜け、ハリヤーナ州にはいります。不思議なのは、ここで州税を払うことですね。これはちょっと日本とはちがうシステムです。
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 高速道路沿いに突然、高層ビルやマンションの建ち並ぶ地区が出現します。グルガオンは5、6年前から急速に発展。IT関連の企業が進出し、大きなビルが建ちはじめ、モノレールも走るようになったといいます。
 小雨のなか、高速をひた走ります。乾いた台地に雨のめぐみです。
 霧のなか、警笛をならして進みます。
 ところどころ、貧民のテントを見かけます。かれらは移動民です。
 9時30分、トイレ休憩をとりました。サルがいます。
 高速はまだ建設途中で、ときどき一般道にはいります。
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 11時15分、城壁を見ました。町の名はわかりません。このころから日が差しはじめました。
 11時35分、料金所を通過します。日曜でも大型トラックが動いています。
 11時50分、右手に岩山があらわれました。
 道路脇にハヌマンを祭ったヒンズー寺院が立っています。
 インドの犬はいつも腹を出して寝ています。猫はほとんど見かけません。ロバや象が通ります。
 昼過ぎ、イスラム教徒のエリアにはいります。このあたりは郊外の貧困地帯だといいます。ゴミが汚いまま散らばっています。豚や羊、山羊、ラクダ、牛がごろごろしています。
 ラクダがめずらしいので、つい写真をとってしまいます。
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 よく見ると、ラクダにはしるしがつけられていますね。これは俺のラクダだというわけでしょうか。
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 だんだん町に近づいてきます。小高い丘の上にあるのはヒンズー教の寺院でしょうか。
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 城壁と門も見えてきます。
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 ジャイプールには12時半に到着です。
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 きょうのお昼はイタリアン。食事の後、旧市街にはいります。
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 町の壁がピンク色で統一されているため、ピンクシティと呼ばれますが、実際はピンクというより、テラコッタの色です。
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 最初にジャンタル・マンタルと呼ばれる天文台を訪れます。その入り口にはなぜかハトがいっぱいいました。このおじさんは、いったい何を売ってるのでしょう。謎です。
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スジャータ村と前正覚山──お気楽インド・ツアー写真日記(13) [旅]

 2月6日(土)
 11時10分、ブッダガヤを出発し、ニランジャナ川を渡ります。いまの季節は乾期だからでしょうか、川にはほとんど水が流れていませんでした。ブッダはこの川で沐浴したあと、森で瞑想し、それからブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いたと伝えられています。
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 橋を渡るとスジャータ村になります。そういえば、昔、日本でも「コーヒーにスジャータ」というCMがありましたね。
 スジャータはブッダがニランジャナ川で倒れていたのを見つけ、ミルク粥を与えて介抱した娘さんの名前です。スジャータが住んでいたとされる家のあとに、8〜9世紀につくられた大きなストゥーパの跡が残っています。
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 その前で、タイから観光にきたという女優さんが写真をとっていました。
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 村の子どもたちが近寄ってきます。
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 ここは、ほんとうに素朴なインドの村といった感じです。
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 周囲の畑ではカリフラワーやジャガイモ、それにコメやムギが植えられています。
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 小さな女の子が牛糞とワラをまぜています。これを薄くしたものを天日干しにして、燃料をつくるのです。
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 畑の道をぬっていくと、スジャータを祭ったお寺があります。物乞いが多く、子供がまとわりついてきます。90歳近いと思われる老女もしきりに手を出します。申し訳ないと思いながらも、無視することにしました。
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 畑のあいだから、異様なかたちをした岩山が浮かびあがります。これがブッダが苦行をしたとされる前正覚山です。
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 そのあと、村でじゅうたんを買いました。ふたたびニランジャナ川を渡ると、向こうにブッダガヤの塔が見えてきます。
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 われわれは昼食をとったあと、ガヤ空港から飛行機に乗り、ふたたびデリー空港に到着。最初に泊まったウェルカム・ホテルに着いたときは、すでに夜の8時近くになっています。夕食をとったあと、9時すぎに、ホテルに組みこまれているスーパーに行き、スパイスやナッツを買いました。

朝のブッダガヤとその周辺──お気楽インド・ツアー写真日記(12) [旅]

 2月6日(土)
 朝7時、ブッダガヤのマハボディ寺院をもういちど訪れました。
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 ブッダが悟りを開いたという菩提樹の下にある金剛座を、厳重な柵のあいだから撮影しました。昔は柵がなく、オウム真理教の麻原彰晃がここに座って、大顰蹙をかった場所です。
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 早朝にもかかわらず、にぎやかなお経音楽が流れていて、あらためて祈りのエネルギーの大きさを感じます。これはチベットの人たちでしょうか。朝の祈りがはじまろうとしていました。
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 マハボディ寺院のまわりには、国外の仏教寺院が集まっています。
 これはチベット寺院の内部。ダライラマの写真が置かれています。
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 チベット寺院の隣には、中華大覚寺と称される中国の寺院が建っています。そのひとつ大雄宝殿を写真に収めます。
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 いったんホテルに戻って朝食をとってから、ツアー参加者全員で日本寺を見学に行きました。
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 その内部はこんな感じです。
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 日本寺には幼稚園も付設されていて、子どもたちが元気に遊んでいました。
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 屋外には大仏が置かれています。その回りには十大弟子の像も。
 ブータンのお寺も見物します。
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 なかには退位した前国王と今の国王の写真、それに現国王夫妻の写真が飾られていました。
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 短い滞在でしたが、ブッダガヤとは、これでお別れです。
 とはいえ、ブッダが悟りを開いた場所を訪れることができたのは、いい思い出となりました。

  貪らず、偽らず、渇望せず
  欺瞞なく、汚れと迷妄を除き去り
  世間に囚われることなく
  犀(サイ)の角のようにただ独り歩め

『スッタニパーダ』(今枝由郎訳)から、ぼくの好きなブッダのことばです。

ブッダガヤに向かう──お気楽インド・ツアー写真日記(11) [旅]

2月5日(金)
 ベナレス(ヴァーラーナシー)のホテルで朝食をとったあと、8時半に出発、、ブッダガヤに向かいます。
 その駅前通りには、ベナレス・ヒンドゥー大学があり、日本人も学んでいるといいます。高速の7番に乗り、南東の方向に。
 ガイドさんによると、インド人は遺灰を川に流し、墓は立てないそうです。灰を流すのはガンジス川だけではなく、アグラのヤムナー川でもおこなわれているとか。
 朝の時間、通勤の自転車が群れをなして仕事場に向かっています。
 しばらくいくと田園光景が広がるなか、車体をけばけばしい模様でまとったトラックが行き交います。それだけ物資輸送が盛んなのでしょう。
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 11時ごろ、ビハール州にはいり、州税を払います。その手続きに、ずいぶん時間がかかりました。
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 だれかが、ガイドさんに、インドではいまもカースト制は残っているのかと聞きます。その答えは、カースト制は表向きないとされているが、それでもその名残は根強いというものでした。
 カーストにはブラフマン(バラモン)、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラの4つの階級があり、それぞれ宗教、政治、商業、農業の仕事に携わっていました。都会ではそうではないが、田舎ではまだこうした階層区分が残っているといいます。
 ガイドさんによると、風貌でカーストはだいたいわかるそうです。色が白いのはブラフマン(バラモン)、背が高いのはクシャトリア、おなかが出ているのはヴァイシャ、貧しいのはシュードラだとみてよいとか。
 こうしたカースト制から抜けだすために、大学などではリザヴェーション制度(留保制度)というのが設けられ、下の階級を優遇する入試選抜制度がとられているそうです。
 それでも結婚のときは、同じカーストを選ぶという風潮がいまも残っているそうです。インドでは男性21歳、女性は18歳が結婚を認められた年齢ですが、最近は晩婚化傾向が進んでいるとか。
 しかし、都市でも農村でも、恋愛結婚はまだ少なく、お見合いが90%で、離婚はなぜか少ないそうです。写真と履歴書を交換し、レストランで20分ほど話をして、それで結婚が決まるといいます。
 バスは農村地帯を走ります。
 このあたりはとても貧しいというが、バスの窓から眺めるかぎり、田には青々とした作物が植えられ、どこか牧歌的な風景が広がります。もうムギの収穫は終わっています。
 13時、ガンジス川の支流のひとつソーン川を渡ります。農民が牛を洗っているのを見かけました。なぜか畑にも牛がいっぱいいて、雑草のようなものを食べています。このあたりではヤシの実からターディという強い酒がつくられているそうです。
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 トイレ休憩2回。ブッダガヤまでは6時間半もかかります。ところどころ、ちいさな町があります。
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 それを超えると、また田園風景です。
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 ようやくブッダガヤに着きました。ホテルで遅い昼食をとったあと、マハボディ寺院(大菩薩寺)に向かいます。にぎやかなテーマパークみたいです。
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 ブッダガヤはブッダが悟りを開いた場所です。山で苦行したものの、いっこうに悟れなかったブッダは、山を下り、川に沿って歩いた末に、菩提樹の木をみつけ、そこで49日間の瞑想にはいり、ついに目覚めます。
 その菩提樹のあった場所に建てられたのが、マハボディ寺院(大菩薩寺)です。
 その入り口は警戒が厳重で、チェックが厳しいのに驚きました。2年前、イスラムのテロがあったし、その前にオウム真理教の麻原彰晃が事件をおこしています。イスラムのテロ以前は、それほど警戒は厳重ではなかったといいいます。
 ようやくなかにはいって、少し歩くと、巨大な塔がたっています。しかし、あたりは静寂にはほど遠く、喧噪に満ちていました。
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 なかには黄金仏が安置されています。
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 仏教ミュージックのようなものが流れるなか、五体倒置をおこなうチベットの人や熱心にお経を唱える人もいます。
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 ブッダが悟りを開いたとされる菩提樹の下では、大勢の人がいつまでも祈りつづけていました。
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朝のベナレス──お気楽インド・ツアー写真日記(10) [旅]

 2月5日(金)
 まだ暗い朝5時半にホテルを出発し、ふたたびガンジス川のほとりに向かいます。きのうの夜と打って変わり人混みはありませんでした。それでも、この時間から人びとは動きはじめています。
 また小舟に乗り、夜明け前のガンジス川にくりだします。
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 きのう、あれだけにぎやかなプージャがおこなわれていたガートも、人影はまばらで、静寂に包まれています。
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 ガンジス川はヒマラヤからの水をたたえて、ゆったりと流れています。
 少し下ると、壁に「久美子の家」と書いてある建物を見かけました。ここは日本人の久美子さんがいとなんでいる有名な宿だとのこと。
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 次第に夜が明けてきます。三日月が空に浮かび、向こう岸がほのかに見えます。
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 舟はいくつものガート(階段のある堤)を見ながら、川を下っていきます。隣りには大きな屋敷があります。
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 ガンジスの精霊流しですね。
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 なにかエサをねだってでしょうか。カモメが集まってきました。
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 ここで舟は反転し、上流へとさかのぼります。
 煙がたちのぼっているガートが見えてきました。マニカルニカー・ガートです。ここでは24時間、火葬がおこなわれているとか。
 死者はシヴァ神を祀る寺院に安置されたあと、ガンジスの水につけられ、薪の上にのせられて、火葬されるといいます。そのあと、灰は川に流されます。
 インドでは墓はないそうです。あっさりしていて、いいですね。
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 向こう岸の方角から日が昇ってきました。
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 船着き場に戻ってきました。隣りのガートには、すでに大勢の人が集まっていて、沐浴がはじまっています。
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ベナレスにて──お気楽インド・ツアー写真日記(9) [旅]

 2月4日(木)
 昔から根気がなく、何事もテキトーにすませてしまうところがあります。
 それで、ふと気がつけば、もうすぐ11月。この調子で行けば、ことしもあっというまに終わってしまいそうです。
 寒くなりはじめると、あれ、ことしは何をやっていたのだろうとふりかえるものです。2月に行ったインドの写真日記を途中で放棄していたことを思い出しました。
 来年も避寒を兼ねて、どこか海外に行くつもりなのですが、その前にせめて写真でインド旅行の記録を残しておこうと思った次第です。
 この日の夕方、われわれはガンジス川のほとりベナレスにやってきたのでした。ただし、ベナレスもガンジスも英語表記で、インドの人はベナレスをヴァーラナシー(あるいはバナーラス)、ガンジス川をガンガーと呼ぶようです。
 申し訳ないと思いながらも、川岸近くまで二人乗りのリクシャー(リキシャ)で運んでもらいました。
 通りは人と自転車にあふれかえり、時折バイク自動車が割りこんできて、しっちゃかめっちゃかの雑踏です。そのなかを、運転手さんは右へ左へと、巧みに自転車を操っていきます。
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 まわりは食べ物屋さんや服屋さんが並んでいて、にぎやかです。
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 ベナレスというと、死者を送る静謐でおごそかな場所と思いがちですが、それとはほど遠い感じです。混沌としていて、エネルギーにあふれ、とてもにぎやかなところというのが、最初のイメージです。リクシャーで進むうちにだんだん楽しくなってきました。
 ガイドさんが、ベナレスでは食べ物に困らず、お金がなくても暮らせるため、ここに生まれた人は、幸せだと思っていると言っていたのを思いだしました。
 リクシャーを下りて、川岸まで通りを歩いていきます。
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 人混みを抜け、ガート(堤)から小舟に乗りました。隣りの広いガート(ダシャシュワメード・ガート)から、ドラや太鼓にのせて、にぎやかな音楽と歌が流れてきます。
 聖なるガンガーの祈り、アールティ・プージャがはじまっていました。
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 小舟に乗って、プージャの場に加わります。煌々と光に照らされる河岸から、大音量で流される祈りの歌に酔いしれてしまいそうです。
 まるで、自分がこの大宇宙の川の流れにたゆたっているような気になってきます。
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 ここはまるで祈りの劇場空間です。
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 祈りはいつまでもつづきます。しかし、いつまでも舟に乗っているわけにはいきません。
 そろそろホテルに引き上げる時間です。
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 川岸から通りに戻ってきました。どこにでも野良ウシがいます。
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 ふたたびリクシャーに乗せてもらいます。通りはいつまでも混みあっていました。
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 途中、結婚式があるらしく、馬に乗る花婿さんの姿を見かけました。
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 ベナレスは死を送る町であるだけでなく、愛が始まる町でもあるようです。