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丹羽宇一郎『戦争の大問題』(書評) [本]

 戦争について考えなければならない。
 できることなら考えたくない問題かもしれない。だが、連日のように北朝鮮のミサイル脅威や中国の海洋進出が報じられ、これにたいし集団的自衛権や「共謀罪」の適用、憲法改正への準備が着々と進行するなかで、その行き着く先の最悪の事態、すなわち戦争の悪夢が頭をよぎるのは、いたしかたないことだ。
 本書は不安や恐怖、怒りといった感情をひとまずおいて、戦争という大問題を冷静に考えようとするものだ。最初に「戦争を知らずに戦争して他国を懲らしめよという意見はまったく尊重に値しない」と著者は宣言する。
 著者は名うての国際ビジネスマンとして伊藤忠商事を率い、2010年から12年まで中国大使を務めた人物である。その丹羽氏が日本の平和と防衛に、いま大きな危惧をいだいている。
 冒頭にこんなエピグラフが置かれている。

〈戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。/平和について議論する必要もない。/だが、戦争を知らない世代が政治の中枢になったときはとても危ない。〉

 こう発言したのは、だれあろう田中角栄元首相である。かれも若いころ、満州での軍隊生活を経験している。
 いま日本では急速に戦争態勢がつくられようとしている。もちろん相手として意識されているのは中国であり、北朝鮮である。さらに韓国との関係も良好とはいえない。近年の日本人の中国嫌いは、世界的にみてもいささか異常だ、と著者はいう。それは韓国にたいしても同じだ。まして、北朝鮮となると、嫌悪を通り越して、憎悪に近いものがある。
 最近の日本人は、戦前、日本が韓国(朝鮮)を植民地化し、満州を支配し、中国大陸で戦争をくり広げてきたことを、まるで覚えていないか、自慢しているようにすらみえる。だが、戦時の現実はどうだったのか。日本軍は南京大虐殺やマニラ大虐殺を引き起こした。それだけではない。「日本軍による現地人の虐殺、暴行、略奪、強姦はアジア各国であった」。「[戦場では]戦争という狂気と自分が一体化してしまうのだ。軍隊は虐殺マシンとなってしまい、兵士もその一部となる」と著者はいう。
 戦争をロマンとしてとらえてはならない。日本がアメリカに勝てないという予測は、開戦前からでていた。政治指導者もそのことを知っていた。しかし、やってみなければわからないという無責任な決断で戦争に突入する。勝てる見込みのないまま「目的なき戦争」に突っ込んでいった日本の旧軍部のご都合主義にはあきれるし、戦意高揚をあおったマスコミの責任も大きい、と著者は論じる。
 その結果、先の大戦で日本は300万人(310万人とも350万人ともいわれる)を超える戦没者をだした。海外で亡くなったのは240万人(そのうち兵士が212万人)。国内、海外を合わせて100万人前後が民間人犠牲者だった。
 著者は現代史を学ぶことの重要性を強調する。日本が過去アジアを侵略したことや、戦前の日本の指導者に戦争責任があったことも知らねばならない。それはけっして自虐史観ではない。戦争の実態を教えるべきだ。そこから、日本は二度と戦争をしてはいけないという教訓を学ぶべきだという。
 むろん、それは日本を取り巻く状況に無自覚であっていいというわけではない。現在、アメリカと中国は、軍事的には相互に脅威でありながら、経済的には重要なパートナーという複雑な関係に置かれている。日本にとっても、その関係は同じだが、日本人はアメリカ以上に中国に脅威を感じているようにみえる。とりわけ日本人が敏感になっているのが尖閣問題だ。
 いうまでもなく、尖閣をめぐって日中が軍事衝突するようなばかげた事態は避けなければならない。しかし、万一、尖閣で戦っても、それは「日本にとって勝てる戦いとはならない」と、著者は断言する。中国が制空権を握れば、いくら海軍力で島を保持しても、日本は敗北必至となる。日米安保条約があるからだいじょうぶだと高をくくるのも危険きわまりない。アメリカは中国との直接対決を避けようとするにちがいないからだ。
 日本人の中国嫌いは、最近ますます強まっているが、アメリカと中国はすでに「新型大国関係」にはいろうとしている。アメリカが中国の大国化に懸念をいだいていないわけではない。だが、両国は軍事面でも経済面でも思いのほか密接な関係にある、と著者はいう。「アメリカと中国が、完全にケンカ別れするという事態はまずないといえる」
 現在の大きな脅威は、北朝鮮の核とミサイルだ。すでに北朝鮮はミサイルに搭載可能な小型核爆弾をもっているとみてよいだろう。日本にとって心配なのは長距離のテポドンよりも、比較的短距離のノドンやスカッドである。実際に発射されれば、それを確実に防ぐ手立てはない。
 北朝鮮にしてみれば、朝鮮戦争はまだ終わっていない。休戦状態にあるだけだ。韓国、アメリカとは依然として平和条約が結ばれていない。日本とは終戦処理も終わっていないのだ。
 加えて、1990年から92年にかけ、ソ連(ロシア)と中国が韓国に接近し、国交を樹立したことから、北朝鮮の孤立が深まった。そこで、北朝鮮は「中ソの後ろ盾がない以上、自分たちの体制が生き残るためには核しかないと、なけなしの予算を核開発とミサイル開発に投入してきたのだ」と、著者はいう。
 現在の最大の危機は、北朝鮮が自暴自棄になることだ。体制崩壊の危機に瀕したとき、独裁者は何をするかわからない。もし米軍が原子炉のみをねらった先制攻撃をおこなっても、朝鮮半島での全面戦争が再開され、ソウルが「火の海」になることは避けられない。
 著者のいうように、「北朝鮮は核ミサイルを発射した瞬間に国として終わる」のはたしかだろう。だが、その発射は周辺諸国だけでなく世界に甚大な被害をもたらす。核戦争だけは避けねばならない。
 こうした緊迫した状況のなかで、日本はどのような安全保障体制を築くべきか。著者はとりわけ、東アジアではいかに「中国と敵対せず、友好な関係を築き、味方に引き入れるか」が課題になってくるという。
 北朝鮮の脅威を下げるのはむずかしい。それでも日本はアメリカとの同盟関係を維持しながら、中国、韓国、ロシアと友好的な関係を築き、それにもとづいて、北朝鮮の脅威に対応するなら、その危険度は薄まるはずだ、と著者は考えている。
 興味深いのは、著者が自衛隊はむしろ強くあってこそ、相手につけいる隙を与えないと論じていることだ。中国に対抗して、軍備を拡張しようというのではない。しかし、「相手に効果的に力を誇示してこそ、抑止力は効果を発揮する」のであって、「自衛隊が本当に強ければ日本に攻め込もうとする国はなくなる」と、著者はいう。
 日本を守るのは自衛隊である。アメリカが日本を守るというのは幻想であり、米軍が日本に駐留していることの言い訳にすぎない。「駐留米軍は日本を守るためよりも、アメリカにとっての極東アジアの戦略上、とくに西太平洋の制海権を確保するために不可欠の基地として日本を見ている」と、著者はいう。たしかに、そのことは安保条約の条文にも明記されている。
 だが、抑止力、防衛力は次善の策であって、「最も大事なことは、敵をつくらない安全保障政策だ」。日本は日本なりの安全保障政策を考えなくてはならない。
 これからの日本に求められるのは、日本が中国や韓国をはじめとするアジア各国と交流を深め、協調関係を築くことによって、世界に模範を示すことだという。相手が北朝鮮であっても、力と力ではなく、話し合いの道筋をつけていかねばならない。
 歴史の時間はせっかちには流れない。その流れを見つめ、将来を展望することがだいじである。戦争をしてはいけない。時代の風潮が戦争に流れていこうとするなか、われわれもこの忠告を基本としなければならないだろう。

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お七火事──栗田勇『芭蕉』から(7) [芭蕉]

 中村不折(1886-1943)が祖父の原画を写したとされる芭蕉庵の絵が残されている。

不折「芭蕉庵」.jpg
[中村不折「深川芭蕉庵」]

 19世紀初頭には、まだ芭蕉庵が残っていたのだろうか。芭蕉の実際の住まいがこんなふうだったかどうかはわからない。とはいえ、バショウが生命力あふれる木であることは絵からも伝わってくる。
 そういえば、京都の相国寺(しょうこくじ)を訪れたとき、鹿苑寺(金閣寺)大書院のための芭蕉図を見たのをふと思いだした。描いたのは伊藤若冲(1716-1800)である。芭蕉はほんらい南方の木で、禅宗とゆかりが深い。それは禅宗が中国の江南に拠点を構えていたことと関係しているのだろう。

若冲・芭蕉図.jpg
[若冲「芭蕉図」]

 芭蕉は延宝8年(1680)冬、隅田川と小名木川のほとりに泊船堂という草庵(のちの芭蕉庵)を建て、そこで暮らすようになった。
 翌延宝9年春、弟子の李下からバショウ1株を贈られ、それを植えたところ、北限の地にもかかわらず幸いにも育ったことは、前にも記した。
 そのとき芭蕉が詠んだ句。

  ばせお(バショウ)植ゑてまづ憎む萩の二(ふた)ば哉(かな)

 出はじめの萩の双葉がバショウの成長を妨げないか、心配でたまらないのだ。
 その年9月に改元があり、年号は延宝から天和になった。
 その秋に台風がやってきたときも、芭蕉はバショウのことが気になって仕方なかった。

  芭蕉野分(のわき)して盥(たらい)に雨を聞(きく)夜哉(かな)

 雨漏りより外のバショウのことが気になっているみたいだ。
 晩年の元禄5年(1692)の秋、49歳の芭蕉は「芭蕉を移す詞(ことば)」で、こんなふうに述べている。現代文にしておく。

〈ある年、庭にひともとのバショウを植えた。風土がバショウの心にかなったのだろう。数株の茎を備えて、その葉が茂り重なって庭を狭め、カヤの軒端も隠すほどになった。人がこの草庵を芭蕉庵と呼ぶようになったのはそのためだ。(中略)その葉は2メートルあまり。風で半ば破れて、ちょっと悲しい風情がある。たまに花をつけることもあるが、はなやかではない。茎は太いけれど、かつて荘子が無用の用を悟った木と同じく、材木にはならない。その性(さが)は尊ぶべきものがある。〉

 そのころの芭蕉の心境について、栗田勇は次のように書いている。

〈[芭蕉は]深川に独り隠棲の途をえらんで、富士と隅田川の山水の風景に、歌をこえた歌、詩をこえた詩、ことばをこえたあるものを、心深く追求し、老荘の文や、仏頂和尚の禅に親しくなじみながら、バショウの破れ葉に我が身をやつしている……〉

 芭蕉はバショウそのものだったのである。
 そのころ、イベントやショーのような俳諧の世界からは身を引いたため、芭蕉の生活は苦しくなったものの、その心もちはかえって晴れ晴れとしていた。
 門人たちが芭蕉の暮らしを支えてくれるから、つましいにちがいないが、食べるのには困らない。芭蕉庵にしても、日本橋の魚商人で門人の杉山杉風(さんぷう、1647-1732)の番小屋を改装したものだ。
 芭蕉庵のバショウが根づきはじめた延宝9年(1681)5月15日、芭蕉は句作指導を乞うてきた甲斐の高山伝右衛門(俳号は麋塒[びじ]=シカのねぐらといった意味合い、1649-1718)に手紙を出している。
 栗田によれば、この手紙で、芭蕉は京、大坂、江戸の俳壇の「古さ」を指摘し、昔ながらの貞門、談林風の俳諧になずむ宗匠たちを一刀両断し、新しい俳諧をとるべしとした。抽象的な表現をやめ、古人の名を借りず、具体的で平易に、心に刻まれたものを句にするよう、高山麋塒に指導している。
 このころの芭蕉はまだ若々しい。
 翌天和2年(1682)暮れの12月28日、江戸で大火が発生した。
 いまの時間でいうと、午後3時ごろ、駒込大円寺から出火し、火は本郷、上野、下谷、神田、日本橋、浅草、本所、深川へと回り、深夜になってようやく鎮火した。
 多くの大名、旗本屋敷、寺社が焼けた。死者3500人。
 両国橋は焼け落ち、芭蕉庵も焼失した。芭蕉は火が迫るなか、川につかって、難を逃れたと伝えられる。
 幕末から明治にかけてつくられた『武江年表』によれば、大円寺に放火したのは、駒込の八百屋久兵衛の娘お七ということになっている。この記述は誤りで、天和の大火をお七火事と呼ぶことから、作者が勘違いしたものだろう。
 お七の名を有名にしたのは西鶴の物語や歌舞伎などである。それによると、お七一家は天和の大火で焼けだされ、駒込正仙寺に身を寄せたところ、お七が寺小姓の庄之介と恋に落ちたことが悲劇の発端だ。お七はむしろ天和の大火の被災者である。
 お七は家に戻ったあとも庄之介が恋しいあまり、火事があればまたかれに会えると思い込み、翌年3月2日夜に放火事件をおこす。火はぼやで、すぐ消し止められたが、16歳のお七はとらえられ、引き回しの末、天和3年(1683)3月29日に鈴ヶ森刑場で、火刑に処された。
 この物語が実話なのかどうかは、わからない。
 それはともかく、芭蕉が天和2年暮れの大火で、草庵を焼けだされたことは事実である。
 芭蕉はその後、手紙でも交流のあった、甲斐都留(つる)郡谷村(やむら、現都留市)の高山伝右衛門(麋塒)宅にしばらく身を寄せることになる。
 江戸に戻るのは天和3年5月のことである。

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空の思想──栗田勇『芭蕉』から(6) [芭蕉]

 また、栗田勇の『芭蕉』を読む。
 はっきりいって難解だ。わかるところだけを読んでいる。
 延宝8年(1680)冬、深川の芭蕉庵(当初の名は泊船堂)に移り住んで以来、芭蕉はそれまでの荘子や唐宋詩に加え、禅にのめりこむようになった。
 芭蕉庵は西側が隅田川、南側が小名木(おなぎ)川に接し、東側には六間堀の運河が流れていた。まさに水辺の風景である。
 目の前の隅田川は三つ叉になっており、向こう岸には水戸藩の河端屋敷、さらにその向こうには江戸の町が広がっている。深川村と江戸市中は両国橋で結ばれていた。新大橋はまだできていない。
 入庵直後の句は何やらわびしい。

  柴の戸に茶を木の葉掻(か)く嵐かな

 優雅な隠棲のようにみえて、茶も出せないほどの貧乏暮らし。外は嵐で木の葉が舞っている。
 目の前の小名木川にかかる万年橋を渡ると、すぐに仏頂(ぶっちょう)禅師(1642-1715)の住まう臨川庵がある。芭蕉はここに数年間、参禅に通った。
 仏頂は「常陸国鹿島の臨済宗根本寺の住職であったが、鹿島神宮と寺領の訴訟の件で、江戸に居つづけ、深川の臨川庵に仮の根拠地をおいていた」とある。
 芭蕉より2歳年上。鹿島神宮が寺領を奪いとろうとしたことに抗議して、根本寺が幕府に訴えたというのがおもしろい。訴訟は9年がかりとなり、天和2年(1682)に寺側の勝訴で決着した。
 仏頂は訴訟終了後も江戸に滞在し、臨川庵に居住したという。したがって、芭蕉とのつきあいは2、3年といわず、もっと長かったはずだ。
 栗田は芭蕉のことを「象徴主義の詩人」と呼び、19世紀フランスの詩人ボードレールと比較しているが、そのあたりの話は省略しよう。「芭蕉は複雑深淵な詩人だった」と書いているところだけに注目しておく。それはおそらく、芭蕉が漂泊の人(精神のホームレス)でありながら、超越的なものをとらえていたことと関係している。
 芭蕉に大きな影響を与えた仏頂禅師とは、どういう人物だったのだろう。
「深川移転は、貧に徹し、行脚僧の暮らしに徹し、仏頂禅師に親しく師事し、新しい芭蕉風、いわゆる蕉風の俳諧へと歩をすすめるためであったろう」と、栗田は書いている。学識があり修行を積んだ相当の坊さんだったろうと思われる。
 栗田は仏頂の残した法語を長々と紹介しているが、理解するのがむずかしい。ただ仏頂が精神の集中を説き、自然を友とすべきことを勧め、空(永遠)を観して迷いを去ることを説き、万物の背後に霊性がひそむことを教えていたことは、それとなくわかる。
 著者はいう。

〈蕉風といわれる芭蕉の手法「匂い・響き・移り・位」など、それと婉曲に暗示される象徴の世界は、数多く語りつがれているが、その根底にある「空」の思想を忘れてはなるまい。その要だからである。〉

「匂い・響き・移り・位」というのは連句の決まりごと。匂いとは情緒、響きとは気分、移りとは余情、位とは品格。前句から、それらを引き継ぐべきものとされる。だが、そうした手法を別にして、空の思想をとらえねばならないと著者はいう。
 空の思想というのは、ぼくなどには、実際のところ、よくわからない。おいおい、わかってくることを期待しよう。
 芭蕉が臨川庵に通いはじめたころにつくった作品が残されている。

  枯枝に烏(からす)のとまりたるや秋の暮

 古来の画題「寒鴉枯木(かんあこぼく)」を俳諧にしたものといわれる。
 この句はのちに元禄2年(1689)の『曠野(あらの)』では、次のように改作される。

  枯枝に烏のとまりける秋の暮

 前者が絵をみての印象であるのにたいし、後者は脳裏に浮かぶ一幅である。それだけに思い入れが深く、強い意志のようなものを感じる。

枯木寒鴉図.jpg
[河鍋暁斎「枯木寒鴉図」]

 カラスは高貴な鳥とはいえない。俗世間にまみれた鳥である。それでも枯れ枝にとまって、世間の移り変わりをじっと見つめている。そこには人の世の永遠の相をみようとする張りつめた緊張感のようなものがただよっている。その一瞬がたぶん空なのである。芭蕉はその孤独なカラスに、みずからを重ねている。

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限界効用と消費者余剰──マーシャル『経済学原理』を読む(7) [経済学]

 需要についての考察が進んでいる。
 マーシャルは「需要の弾力性」という考え方をもちだしている。
 価格の変化が購入量に大きな変化をもたらす場合は、需要の弾力性は高く、逆にちいさな変化しかもたらさない場合は、需要の弾力性は低い。
 需要に所得階層があることもマーシャルは認めている。富裕な人びとは何本でも高級ワインを買えるが、貧しい人びとは安い焼酎しか買えない。
 しかし、一般的傾向として、「とにかく財がひろく一般に使用されるようになれば、その価格が相当低落すればその需要の大幅な増加がまもなくおこってくる」といえるだろう。
 とはいえ、価格が最低限にまで下落していくと、需要の弾力性も低くなっていく。つまり、需要が飽和状態に達してしまうのだ。その度合いは財によっても所得階層によってもことなる。
 マーシャルは当時のイギリス社会に即して、需要の弾力性を分析しているが、社会的地位を誇示するための上流階級の消費は、量的にはかぎられているものの、見境がないとしている。これにたいし、庶民にとっても、塩や砂糖はすでに需要の弾力性が低くなっているとしている。
 食肉やミルク、バター、羊毛、タバコなどは、値段を安くすればまだ需要がある。上等の果物、上質の魚などは、労働者には手が届かないが、中流階級にとってはまだ需要が見込めるなどとも述べている。
 小麦などの必需品は例外で、需要の弾力性は低い。もともと安い食料だが、多少値段が上がっても必需品は購入せざるをえないし、逆に値段が下がっても余分に購入しようとは思わないからである。
 いっぽう、魚や野菜などは値段の変動が激しくても、耐久性がないため、需要は非弾力的である。住宅については、必要性だけではなく社会的地位とも関係しているので、需要がなくなることはない。ごく日常的な衣服は需要に飽和点があり、価格を安くしても、需要が増えない、などとも述べている。
 水や塩にはじまって、必需品、住宅、医師や弁護士のサービス、高級品、高級肉、音楽会にいたるまで、商品にはことごとく需要があり、また需要の弾力性の大小をともなう、というのがマーシャルの見方である。
 マーシャルはエンゲルが分析した年収別の家計支出についても紹介している。
 それによれば所得の低い階層ほど、食料に支出する割合(いわゆるエンゲル係数)が高く、教育や保健衛生、娯楽にかける割合が低いというものだ。逆に所得の高い階層は、エンゲル係数が低く、教育や保健衛生、娯楽にかける割合が高い。
 経済学者はこれまで生産や企業に重点を置き、消費や家計の分析をおこたってきた。マーシャルの研究は、需要、とりわけ消費者需要の重要性を指摘したものである。
 いっぽう、マーシャルは消費研究の困難さは時間にあるとも論じている。その理由は、第1に時代によって貨幣の購買力が変動するからである。第2に景気変動によって消費行動が変化することも挙げられる。第3に人口と富の成長が消費行動に変化をもたらす。第4に新商品の登場も消費に大きな変化をもたらす。

〈ある財の価格の上昇が消費に与える影響があらわれつくすには時間がかかる。消費者がその財の代わりに代替品をつかいなれるにも、生産者が代替品を十分多量に生産しつづけるようになるにも時間がかかる。新しい財をつかう習慣が形成されるにも、それらを経済的に使用する方法を発見するにもまた時間がかかる。〉

 にもかかわらず、経済学者は消費の世界でおこりつづけている変化を注意深く見極めねばならない、とマーシャルはいうのである。

 商品世界においては、欲望は欲望そのものとしてはあらわれない。貨幣にもとづく需要のかたちをとってあらわれる。貨幣を使うにあたっては、諸商品の効用がはかられ、どの商品にどれだけ支出をすれば、効用の減少を防ぎ、全体としての効用を最大化することができるかが判断されることになる。
 購入される商品は、消費財とはかぎらない。長期にわたって利用される財やサービスもあるだろう。そこには不確実性の問題や、現在から将来にわたって、いかに価値を配分するかといった問題も生じてくる。
 人は「一般に将来の快楽がただ確実でさえあれば、これを得るために現在の同じ大きさの快楽をすすんで犠牲にする」と、マーシャルは書いている。貯蓄や年金保険などが、これにあてはまるだろう。
 しかし、将来などほとんど考えない人もいる。かれらは「忍耐心や克己心が弱いために、すぐに手にはいらないような利便にたいしてはほとんど興味を示さない」。「いな、同じ人でもその気分がいつも同じではなく、性急に現在の享楽を求めることもあれば、将来のことを考え、そう無理なく延期できる享楽ならすべてこれを繰り延べてしまおうとすることもある」
 つまり、需要には価格弾力性だけではなく、それが促進されたり繰り延べられたりする時間的(あるいは世代的)弾力性もあるのだ。
 将来の利便性を考慮して、現在の価値を「割引く」ことは、消費行動においてよくみられる。その割引率の大きさは貯蓄性向に影響を与える。そのいっぽう、より効用のある耐久財を求めるために、現在の消費を抑制するといった消費行動も存在する。
 耐久財(たとえば土地)を求める欲望には、はかりしれないものがある。

〈これら耐久的な財に関連してこそ所有のよろこびが感ぜられるのだ。所有しているという感情だけからの狭い意味の通常の快楽よりも強い満足を味わう人々が少なくない。……所有それ自体のよろこびのほかに、その所有によって得られる見栄からくる喜びがある。〉

 人間には所有の欲求とよろこびがある。それを無理やりに抑えつけることには無理がある、とマーシャルは考えている。
 将来の利便と現在の価値を比較することは不可能である。とはいえ、貨幣によって、将来の利便にたいする割引率を測定することはできる。たとえば100万円の貯蓄(投資)が、20年後に122万円になるとすれば、そのさいの利率(割引率)は年1%と想定されていることになる。
 また耐久財の価値は、1回の使用で消耗してしまうわけではなく、将来にかけ多くの効用を生みだすことになるから、その価値は長期の使用による効用の総計にほかならない、とマーシャルは述べている。
 ここで、マーシャルは価格(価値)と効用の関係を取りあげる。
 消費者はじゅうぶんな効用が得られると考えて、ある価格の商品を購入する。価格にくらべて得られる効用が低いと思われたら、その商品は購入されないだろう。したがって、商品が購入されるさいには、だいたいにおいて、得られる効用が失う貨幣(価格)より大きいと考えられる。これをマーシャルは「消費者余剰」と呼んでいる。
 前に挙げた例でいうと、ある消費者が3000円なら1袋しか買わないコーヒー粉が、2600円なら2袋買うとすれば、そこに消費者余剰を認めているということになる。ほんらい6000円するものが5200円で買えるのだ。2200円なら3袋なのに1400円なら5袋という場合も同じだ。ほんらい1万1000円のものを7000円で買うことができたのだ。
 これはまるでトリックのようにみえるけれども、その関係は一個人の場合よりも、市場全体にあてはめたほうが、より納得のいく説明となるだろう。
 ある財の限界効用は全体効用を示すものではない。たとえば水や塩は人間にとってなくてはならないものであり、その全体効用は茶やコーヒーより高い。しかし、水や塩は茶やコーヒーより豊富にあって、(ブランドの塩や水は別として)その限界効用は低く、価格も安い。価格に作用するのは、全体効用ではなく、あくまでも限界効用なのである。
 マーシャルは、同じ1万円のもたらす満足が、貧乏な人と富裕な人とでは異なることも指摘している。たとえば年金額が1万円減ったとしても、貧乏な人と富裕な人とでは、その受け止め方はずいぶん異なる。
 またパンの価格が上昇すると、貧しい労働者の家計は苦しくなり、それでも食肉や嗜好品への消費を切り詰めて、よけいにパンを買うといった特殊な反応も出現する。
 しかし、マーシャルは経済学が扱うのは、あくまでも一般的傾向だと論ずる。「消費者余剰論を適用しようとするのは[すなわち需要曲線の分析は]主として、とりあげている財の価格が慣行的な価格の近傍において変動したのにともなって起こる変化に関することがらである」
 マーシャルは消費論において、価格と需要の関係を論じ、そのさい限界効用や消費者余剰という概念にもとづいて、需要曲線の法則を導きだした。これはかれの大きな功績である。
 消費論を終えるにあたって、マーシャルは、いかにも賢者らしく、富と幸福との関係について論じているので、それを紹介しておくことにしよう。
 こんなことを書いている。

〈人の幸福はその外部的な条件よりも、かれ自身の肉体的・知性的かつ道徳的な健康によって左右される……[さらに忘れられがちなものが]自然の天与の贈り物である。〉

 健康と自然の恵みは、物質的な富からだけでは得られない。
 とはいえ、「ある人の富のたくわえは、その使用などがあってはじめて幸福をもたらす手段となるのである」。
 人は生存を維持できる所得を得ることではじめて満足し、その所得が増加するにつれて、その満足度を増していく。逆に所得が減るにつれて、満足度は減っていく。これをマーシャルはベルヌーイの説だとしている。
 しかし、人はしばらくたつと新しい富によろこびを感じなくなってしまう。逆に、富を失うと、大きな苦痛を感じる。
 富はやっかいだ。ありすぎると、かえって肉体的な力が衰え、神経の疲れが増し、感受性が失われることもある。
 文明国では、人生の理想は欲望や欲求にながされて物質的な富を求めるのではなく、静穏な心の落ち着きを得ることだという仏教的な考え方をする人もいる。だが、いっぽうで、新しい欲望と欲求があってこそ、人は努力するのだと考える人もいる。
 マーシャルはこの両方の考え方を批判する。前者のような仏教的な考え方は、努力の放棄につながる。しかし、ひたすら貨幣を求めて働く後者のような考え方は、まるで「人生のために働くのではなく、働くために生きる」ようなものだと述べている。
 マーシャルの人生哲学は次のような箇所に言いあらわされる。

〈真理はむしろ、人間性にはなんらかのつらい仕事をやり、なんらかの困難にうちかつことがないと、急速に退化していく傾向があり、肉体的にも道徳的にも健康であるためには、なんらかの苦しい努力を傾けることが必要であるというところにあるであろう。人生の充実のためには、できるだけ多くの資質をできるだけ高く展開させ活動させることがたいせつである。それが実業上の成功であれ、また芸術と科学の発達であれ、あるいは同胞の生活の向上であれ、とにかくなんらかの目標を熱意をもって追求することのうちに深いよろこびがあるのだ。〉

 マーシャルは人に見せびらかすための誇示的な消費を批判する。むしろ「労働者階級の富が増大すれば、それは主として真の欠乏をみたすためにつかわれるであろうから、人間生活の充実と品位を高めることになる」と述べている。
 富の追求に意味があるとすれば、それは贅沢ぶりをひけらかすためではない。すべての家族に生活と教養のための必需品が行き渡り、公共的な建造物や公園、美術館、図書館、競技場などが充実し、それらをだれもが利用できるようにするためだ、とも述べている。
 さらに、将来の消費のかたちとして、すべての人が安い粗悪品をやみくもに選択するのではなく、高賃金労働でつくった美しく機能的な優良品を適量購入するようになれば、世の中はもっとよくなる、とも考えていた。
 このあたりは、マーシャルがまさに「冷静な頭脳と温かい心」の持ち主だったことを示している。

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ケネス・ルオフ先生の講演 [雑記]

[2017年7月8日に宮崎公立大学で開かれた、日本国際文化学会でのルオフ先生の講演です。拙訳をもとにした日本語による講演でしたが、学会講演のため、あまり目にふれる機会がないと思います。意義深い内容を含んでいますので、あえて本ブログで紹介する次第です。]


 ケネス・ルオフ「宮崎、日本、アジア大陸──1940年と2020年」

 日本国際文化学会、とりわけ倉真一先生のお招きにより、この全国大会でお話しできることを喜んでおります。おかげで、宮崎にまたやってくることができました。私が宮崎を最初に訪れたのは2005年で、現地調査をするためでした。はたして、うまくみなさんの興味を引く話ができるかどうかわかりませんが、近代性と観光の関連について論じてみることにします。
 1945年8月の日本敗戦後、アメリカ占領軍によって始められた改革の多くは、日本から「封建的」側面を根絶するために必要だとして正当化されました。しかし、私は主張したいのですが、たとえば1940年の日本は、世界でも、もっとも近代的な国家のひとつだったのです。
 近代性の明確な定義については、歴史家のあいだでも、そのほかの社会科学者のあいだでも、意見が割れています。そこで、ここでは私なりの定義を示しておくことにしましょう。近代性には6つの側面が含まれると考えます。それは、産業化、国家意識、高度な集権国家、政治参加の広がり、大衆社会形態の広がり、それにグローバルな統合です。1940年前後についてみれば、近代性の定義として、ひょっとして、これに帝国主義を加えてもよいかもしれません。すると、近代性には7つの側面があるということになります。
 きょうの話は、ふたつの部分に分かれます。最初に1940年の宮崎に焦点を合わせましょう。近代性の定義については、しばしばふり返って、ふれることになります。

 1940年に日本は紀元二千六百年記念式典に合わせて、オリンピックを主催することになっていました。歴史を知らない人は、どうしてと思うかもしれませんが、当時、日本が「西洋以外」でオリンピックを主催する最初の国になるというのはたいへん大きな出来事でした。歴史的にみると、当時の日本は、いわゆる非西洋諸国で、唯一近代化された国でした。そして、日本の近代化は、人種、文化、宗教からみて、近代性は欧米だけのものという考え方に疑問を投げかけました。いまでは、われわれは近代性が世界のどこでもあてはまることを知っています。しかし、1940年には、いまのように、それがはっきりとはしていなかったのです。
 ご存じのように、日本はいわゆる「支那問題」によって、1940年のオリンピックを断念することになりました。日本は今日、別の「中国問題」に直面していますが、この話題については、のちほど立ち戻ることにしましょう。
 近代日本が1940年において実際どんなふうだったかを知るひとつの手立ては、観光について見てみることです。観光は昔もいまも、近代性のさまざまな側面と関連しています。不思議なことに、1940年に帝国日本は観光のピークを迎えました。1940年といえば、戦時です。しかし、この年に観光が盛んだったということは、はたしてどの程度、日本人が「暗い谷間」を経験していたかという疑問を提起します。
 1940年にいたるまで、宮崎県は何年にもわたって、官民一体で県を「日本発祥の地」、すなわち天孫降臨の場所として印象づけようと努力してきました。このブランド戦略のもうひとつは、神武天皇が紀元前666年に東征に出発した場所がまさに宮崎だったと主張することでした。そして、その6年後に、天皇による統治がはじまったとされることになります。ここで、神武天皇の東征ルートを示す、いかにももっともらしい「地図」を示しておくことにしましょう。この地図は1940年の旅行ガイドに掲載されていました。
[神武東征図]
 地元の商人のなかには、皇室の神話を全面活用して、稼ぐ者もいました。ここでご覧いただくのは、美々津の[本店は宮崎]松月庵菓子舗の団子を勧める広告ですが、1939年12月号の旅行雑誌『霧島』に掲載されたものです。この菓子屋は、団子のつくりかたは神武天皇の時代と変わらないと説明していました。
[松月庵の広告]
 美々津という海辺の村は、ここがまさに神武天皇が東征に出発した場所だと印象づけていました。実際、1940年以前から、美々津にある立磐(たていわ)神社は、神社の境内にある特別の岩こそが聖なる岩だと言い切っていたのです。それは神武天皇が差し迫る遠征に備え、一服して腰を下ろした「御腰掛け岩」と呼ばれていました。1939年に多くの読者をもつ女性雑誌『婦人倶楽部』は、人気のある詩人で歌人でもある西条八十(さいじょう・やそ)に依頼して、「肇国(ちょうこく)の聖地巡礼」という紀行を書いてもらっています。その紀行の二回目には、5枚の写真が掲載されていますが、その1枚には、西条が立磐神社の岩に参拝する様子が写っています。
 すでに1920年代には、日本での観光を促進するために、さまざまな形態の大衆文化を動員することが盛んになっていました。日本の大衆文化の多様な広がりを追求するには、観光は絶好の手がかりなのです。もちろん、観光それ自体も、大衆文化であります。
 しかし、ここで強調しておきたいのは、宮崎が重要な「国の史跡」の本拠地だと主張するようになったのは、近代になってからだということです。もし国民国家が、たいていの学者が主張するように最近の産物だとするなら、「国の史跡」という概念も、国民国家と同様、近代の産物なのにちがいありません。明治時代に国家宗教となった万世一系イデオロギーは、文書化され、しばしば皇室ゆかりの地という国家的地勢をつくりだしました。したがって、宮崎が、みずからを日本発祥の地として印象づけようとしたことは、近代的な国家意識をつくりあげる、より大きなプロセスの一環だったのです。
 天皇家のはじまりを祝う紀元二千六百年に、日本発祥の地と称する宮崎は、旅行客を引きつけるうえで、かなり有利な立場にありました。宮崎はわりあい遠い場所にあるため、1940年には、たとえば奈良県のようなほかの地域ほど、多くの旅行客を引き寄せることはできませんでした。これにたいし、奈良県などが人を引き寄せたのは、神武天皇や歴代皇室との密接なつながりを強調しただけではなく、実際に人口密集地に近かったからです。
 しかし、「遠さ」というのは相対的なものです。1920年代には、宮崎はすでに鉄道で九州のほかの地域と結ばれ、フェリーや汽船で帝国全域とつながっていました。近代性、この場合は産業化が進展したおかげで、宮崎は以前ほど遠い場所ではなくなりました。そして、1940年に宮崎市にやってきた旅行客は、簡単に地元のバス観光を利用することもできたのです。大日本帝国の全域では、内地、外地を問わず、たいていの都市で、主な場所に行くバス観光を利用することが可能になっていました。
 1940年に高千穂奉祝会が発行した絵葉書セットでは、宮崎は「日本民族のふるさと」であり、「日本精神の発祥地」であるとうたわれています。この絵葉書セットはさらに「日本人ならば一生に一度は必ずこの聖地を訪れて肇国の大精神を体得すべきではあるまいか」とも述べています。
 一見すれば、観光は政治とは無縁な活動と思えるかもしれません。しかし、ある種の観光は密接に政治と関係しているのです。私にいわせれば、国の史跡観光は、政治参加を拡張したものにほかなりません。1940年には、多くの評論家が、神武天皇ゆかりの地を訪れるのは「国民的行事」だと述べていました。
 私は「自主的な国民養成」という言い方をしていますが、これはじつに多くの人びとが、日本だけではなく、世界のあちこちまで、自主的に国の史跡がある場所を訪れる事実を指したものです。
 1940年の宮崎の主な観光資源といえば、天皇神話をもとに発展した史跡と、おそらく青島で味わうことのできる亜熱帯気候、それに砂浜から霧島国立公園を含む山岳地帯へと広がるさまざまな風景でした。1940年には、しかし、宮崎で、現在、不思議なことに「平和の塔」という名前で知られる、新たな施設がすでにつくられていました。1940年に、この塔は公式には「八紘之基柱(あめつちのもとばしら)」と名づけられ、一般には「八紘一宇(はっこういちう)の塔」と呼ばれていました。
[雑誌『霧島』から塔のイラスト]
 最初に平和の塔の内部を見学したとき、私は、この塔は、万世一系のイデオロギーをもとに、軍事的手段による拡張を正当化するためにつくられた大建造物のひとつだと思いました。
 地元の市民団体によると、「平和の塔」建設にあたって持ちこまれた石のひとつは、中国の万里の長城のものだったといいます。中国に駐在していた帝国軍人が宮崎に送ったようです。ですから、日本全体と同じように、1940年の宮崎が当時の帝国主義と関連していたことに、ほとんど疑問の余地はありません。

■日本と2020年の宮崎
 2020年に日本は4回目のオリンピック(夏季大会と冬季大会がそれぞれふたつ)を開催することになっています。その聖火リレーは、東京に向かう途中、とくに「日本発祥の地」宮崎を通過する予定になっているのでしょうか。もちろん、1940年以降は大きな変化がありました。とはいえ、そこにはある種の持続性もあります。
 倉先生が送ってくださった現在の観光案内資料と、この問題について先生が発表した論文によると、宮崎が観光客へ売り込んでいる材料には、戦前戦後を通じて、多くの面で持続性があります。現在の旅行案内の説明では、天皇伝説にちなむ場所を宣伝するさいに、「神話」という用語が強調される傾向があります。1940年には、こうした天皇伝説はしばしば事実として描かれていました。しかし、現在も天皇伝説は自然環境と合わせて大いに紹介されています。ここで、現在の観光用ポスターと絵葉書をお見せしておきましょう。
[写真]
 宮崎市の観光案内のスローガンが「自然と神話と食の宝庫」となっていることもつけ加えておきましょう。
 こうしたつながりを、はたして1940年からつづく持続性とみるか、それとも非持続性ととらえるべきかは、何ともいえません。しかし、この80年来、近代化は世界じゅうで、絶え間なく進展しました。中国は近代化されました。何千万、いやおそらく何億もの中国人が、いまでは少なくとも年に一度、余暇旅行ができるだけの収入を得るようになっています。これは1940年までに日本人の多くが達成していたことでした。1940年には、驚くほどの数の日本人が、アジア大陸を訪れ、たとえば旅順などの場所を楽しんでいたものです。
 中国では2017年にいたるまで、猛烈な勢いで、国の史跡景観がおびただしく開発されています。その史跡景観で強調されるのは、長期にわたる中国の栄光だけではなく、「屈辱の世紀」のあいだ中国が堪え忍んできたトラウマについてでもあります。現代中国の旅行部門は、1940年まで日本の旅行部門が経験した近代化の局面を同じように横断しています。
 中国を統治する政権は、革命的社会主義をとりやめ、次第にナショナリズムを持ちだして、自己を正統化するようになっています。そのため、中国では国の史跡の場所でくり広げられる語り口は、実質的に中央政府によって統制されているといってよいでしょう。踏み越えてはならない境界や、口にしてはならない話題があるわけです。おおざっぱにいうと、これは1940年の日本の史跡景観でも同じでした。とりわけ天皇がらみの場合は、決まり切った言い方しか許されていませんでした。国の史跡景観を統制する政府の役割を、どう比較すればよいかは、私の定義する近代性のもうひとつの側面、すなわち強力な中央集権政府のあり方とかかわってきます。
 21世紀の宮崎は、積極的に韓国人や中国人の観光客を迎え入れています。そのことは、宮崎が多くの言語のなかでも、韓国語や中国語の案内パンフレットを発行していることをみてもわかります。
[写真]
 中国人旅行客は、きれいな空気と概して快適な自然環境を求めて、宮崎にやってきます。それは何十年間も、日本人を引きつけてきたのと同じ要因です。私は、自分の大学の中国人大学院生に頼んで、中国のウェブサイトで、宮崎が中国の旅行客にどのように宣伝されているかを調べてもらいました。またかつて宮崎を訪れた中国人旅行客がネットにどのような旅行記録を書き込んでいるかも分析してもらいました。
 その結果はきわめて暫定的なものでしたが、私が感じたのは、宮崎の観光産業とつながりのある人物なら、その調査をみてほっとするのではないかということでした。その調査では、中国の旅行客は、たとえば「平和の塔」が平和的な歴史にはほど遠いつながりをもっていることなどに、まったく無頓着でした。……したがって、私の知るかぎり、宮崎自体は、まったく「中国問題」をかかえていないことになります。
 しかし、日本は全体として、台頭する中国と向き合わねばなりません。中国と日本の関係は、中国側のいう「屈辱の世紀」によって、いまも形づくられています。中国が自由民主主義国でないことは明らかです。ですから、日本人が暗い歴史の側面についても、自由に論じることができるのに、中国人は中国共産党がもたらした暗黒の断面を含め、自国の歴史をありのままに表現することが許されないのです。みなさんが次のことをご存じかどうかわかりませんが、私を含め日本史の国外専門家は、中国のマスメディアから日本史の暗い側面について聞かれても、それについて意見を述べようとしなくなっています。その理由は単純です。そのあと、われわれのコメントがプロパガンダ目的に利用されることが目に見えているからです。中国は異質な政治システムをもっているため、公平な立場で中国側と歴史について論じることはきわめて困難です。
 にもかかわらず、日本人は誤った側面を含め、みずからの近代史に誠実であるべきだと思います。そして、それは何よりも自身のためでもあります。私はそれがアメリカ人の場合でも、またアメリカの歴史にたいしても、同じ必要性を感じます。日本人のなかには「謝罪はもうたくさんだ」という人がいるかもしれませんが、私は日本人にとってもっとも正しいのは、帝国日本の行動が中国や朝鮮などの場所で人びとにどのような影響をおよぼしたかを理解するよう努めることだと思います。
 そこで、歴史家としての私からみれば、たとえば宮崎県は「平和の塔」を次のような史跡に転換するのがよいと考えます。その施設では、悪意に満ちた国家イデオロギーが支持されることで、歴史がねじ曲げられ、悪用されるならば、史跡が嫌悪すべき危険な手段となることが、はっきりと強調されねばなりません。率直にいって、この塔を安直に「平和の塔」と改称したことには、少なからぬ問題があります。この塔は、次世代の日本人のために、自国優先で対外強硬的なイデオロギーがいかに危険かを示す教育の場に変えていくべきだと思います。しかし、はたして宮崎県当局者は、私の提案を聞き入れてくれるでしょうか。残念ながら、そうは思いません。おそらく私の提案は日本の尊厳の守護者を自任する右派の人びとを憤激させることになるでしょう。
 現在、日本が直面する「中国問題」はじつにやっかいなものです。残念ながら、中国が何を意図しているかをはっきりと推し測る手段はないといってよいでしょう。願わくは、中国の意図が平和的なものでありつづければよいのですが、残念ながら、それが確かかどうかを明確に知る手段はないのです。
 それゆえ、講演を聴いておられるリベラル左派の方々は困惑するかもしれないのですが、私は率直に申し上げて、日本は中国にたいしてだけではなく、全般的に「反省しつつ、けっして弱腰ではない」政策をとるべきではないかと思うのです。「反省しつつ、けっして弱腰ではない」というのは、日本がいっぽうで帝国主義的な過去を反省しつつ、中国ならびにその他近隣諸国による脅威を抑止しうるに足る、じゅうぶんな自衛力をしっかりと築くべきだということです。
 とはいえ、日本はソフトな言い方のアプローチをとりつづけることが、だいじなのではないでしょうか。それは、たとえばこのような言い方です。「われわれ日本人は過去に近隣諸国の人びとに損害を与えたことをじゅうぶんに自覚しています。しかし、それでも、われわれは現在みずからを守る権利を有しており、日本が『再軍備』しているなどと、安直に非難するのはまちがっています」。そんな言い方です。私自身はおおむねリベラル左派の側に属していると思っておりますが、日本のリベラル左派の友人たちにはたいてい同調できません。というのも、彼らは近隣諸国の脅威に対処するために日本の防衛力を強化するのはいけないことだと考えているからです。
 さて、2020年のオリンピックが近づくにつれて、日本は世界にみずからの姿を示す時期になってきますが、私は日本の方向性として「反省しつつ、けっして弱腰ではない」という考え方を提示してみました。
[ご静聴ありがとうございました。]



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戦争をしてはいけない──丹羽宇一郎『戦争の大問題』をめぐって(4) [本]

 著者は安全保障と軍備はことなるという。
 軍備拡張が即安全保障ではないのだ。
 安全保障の基本は「敵対しそうな国は懐柔に努め、中立的な国はなるべく好意的中立に、味方はしっかり引きつける」ことである。
 とりわけ、東アジアでは「いかにして中国と敵対せず、友好な関係を築き、味方に引き入れるか」が課題になってくるという。
 中国と政治的、経済的、文化的交流を深め、軍事的緊張関係をときほぐすことがだいじになってくる。
 北朝鮮の脅威を下げるのはむずかしい。それでも日本はアメリカとの同盟関係を維持しながら、中国、韓国、ロシアと友好的な関係を築き、それにもとづいて、北朝鮮の脅威に対応するなら、その危険度は薄まるはずだ、と著者はいう。
 かといって、自衛隊は弱くてもいいというわけではない。むしろ強くあってこそ、相手につけいる隙を与えないのだ。
「相手に効果的に力を誇示してこそ、抑止力は効果を発揮する」のであって、「自衛隊が本当に強ければ日本に攻め込もうとする国はなくなる」と、著者はいう。
 だが、抑止力、防衛力は次善の策であって、「最も大事なことは、敵をつくらない安全保障政策だ」。
 防衛予算は企業会計にたとえればリスクマネジメントのコストであって、むやみに増やす必要はない。軍関連に予算を集中しすぎて、産業力が衰退し、結果として軍も敗れたというのが、戦時中の苦い経験だ。だいじなのはバランスだ、と著者はいう。
 日本の自衛隊はけっして弱体ではない。海上自衛隊の潜水艦能力と対潜能力、ミサイル防衛能力は米海軍に匹敵する。
 航空自衛隊の戦闘機の性能とパイロットの技倆は中国空軍と同レベル、空中早期警戒機と電子戦の装備では、日本のほうがややすぐれている。
 さらに日本は最後の防衛戦を担う陸上部隊として、かなり優秀な陸上自衛隊をもっている。
 最近はサイバーアタックやIT兵器が戦争の形態を変えようとしているといわれる。そのいっぽうで、ふつうの市民がテロリストになり、自爆テロを敢行する時代になっている。兵器の優位は、かならずしも人びとの安全を保証するわけではない。新たな対応が必要だろう。
 日本を守るのは自衛隊である。アメリカが日本を守るというのは幻想であり、アメリカ軍が日本に駐留していることの言い訳にすぎない、と著者はいう。
 たとえば、日米安保条約第6条にはこう明記されている。

〈日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。〉

 米軍が日本に駐留するのは、日本を守るためだけではないことがわかる。むしろ日本の防衛は自衛隊にまかせて、「極東における国際の平和及び安全」を維持することが、米軍の主力目的といえるだろう。
 米軍に日本防衛の義務はない。
「もともとはアメリカ軍が日本で自由に基地を置けることを目的とした条約が、一足飛びにアメリカ軍に日本の防衛義務を負わせる条約へ改定されると考えるのは楽観的に過ぎるのではないか」と、著者はいう。
 アメリカでは米軍が日本に駐留するのは、日本の軍国主義化(と核武装)を防ぐためで、安保条約は一種の「ビンのふた」だという意見もあるくらいだ。
 また在日米軍は自衛隊に守られているから安全だというアメリカの軍人もいる。これはブラックジョークみたいなものだが、加えて、日本は在日米軍の駐留経費を7割以上負担している。
「駐留米軍は日本を守るためよりも、アメリカにとっての極東アジアの戦略上、とくに西太平洋の制海権を確保するために不可欠の基地として日本を見ている」と、著者はいう。
 安保条約がなければ、日本は中国に侵略されるというような議論は、浅はかでばかげている。
 著者にみるところ、むしろ実態はこうだ。

〈もし日本が尖閣を巡って中国と戦火を交えるようなことになったら、ほとんどのアメリカ人はなぜ日本の無人島の領有争いで起きた戦争のために、アメリカ軍が中国と戦わなくてはならないのかと考えるだろう。日本人も他国の領土争いには無関心だ。アメリカ人が尖閣問題に興味を持つことは期待し難い。〉

 だから、日本は日本なりの安全保障政策を考えなくてはならない。
 現時点で、日本の安全保障のヘッドクォーターは国家安全保障会議(日本版NSC)のようにみえる。
 安全保障政策は、一義的には総理の判断にかかっている。問題は、安全保障政策を担う総理に「戦争をしてはならない」という、戦後歴代の内閣が引き継いできた戒めが受け継がれているかどうかだ、と著者は考えている。
 戦争は割に合わない。唯一、戦争に正当性があるとすれば、他国から不当に攻撃を受けた場合の正当防衛だ。そうなる可能性は低いのに、いたずらに緊張を高める方策をとるべきではない、と著者はいう。Jアラートなどは、その最たるものだろう。
 日本はいつまでも領土にこだわって中国や韓国との関係を不安定にしておくべきではない、と著者はいう。領土は領土として、両国と積極的に交流を重ね、国と国の友好関係を強固にすべきだなのだ。
 また北朝鮮に対しても、中国、ロシア、韓国、アメリカと共同歩調をとり、北朝鮮と話しあい、北朝鮮が自暴自棄にならぬようにしなければならない。
 南シナ海問題についても、日本はアメリカと中国、双方の動きを冷静に見るべきだ、と著者はいう。

〈南シナ海問題を中国が力を背景に理不尽に海洋に進出し、アメリカがアジア諸国の「航行の自由」を守るために立ち上がったという、単純な善悪の図式にしてはいけない。〉

 一方に肩入れするのではなく、両者の立場を考慮する柔軟な判断力が必要だ、と著者は論じる。
 いま求められるのは、何よりも戦争を回避することだ。

〈グローバル経済の進んだ先進国では、戦争は何ら国益とはならないのだ。……戦争には与える力もつくる力もない。あるのは破壊だけである。〉

 著者は現代史を学ぶことの重要性を強調する。日本が過去アジアを侵略したことや、戦前の日本の指導者に戦争責任があったことも知らねばならない。それはけっして自虐史観ではない。
 戦争の実態を教えるべきだ。
 戦争は国民を犠牲にする。日本は二度と戦争をしてはいけない。

〈戦争をしてはいけない。これを日本のみならず、世界各国の共通の歴史認識としていくことが、我々が現代史を学ぶ意味とすべきだ。〉

 著者は民主主義の重要性を強調する。民主主義のレベルが政治家のレベルを決める。
「極論すれば、戦争を起こさないための最も重要な『抑止力』とは政治家の質だ」という。
 人は往々にして、正しいことを言う人にではなく、強気で勇ましいことを言う人についていく。そのため、民意は時に誤りを犯す。
 日本には大衆を扇動して権力を保持するポリティシャンはいらない。哲学や信念、高い倫理観、道徳心を備えたステーツマンが必要なのだ。
 そのステーツマンは、日本における最大の国益が、国民を戦禍に巻き込まないことだということを自覚していなければならない。
 このあたり、安倍政権にとっては、痛烈な批判だろう。
 国の力はトップの器で決まる。エリートなき国は滅びる、と著者はいう。
「国民から選ばれ、国の舵取りをする政治家は、ステーツマンであるとともにエリートでなければならない」
 エリートとは特権意識をもつ鼻持ちならない輩をいうのではなく、人びとの尊敬と信頼を集める人間性をもつ人のことだ。
「人としての心を磨くことはエリート教育の基本である」
 そのエリートは一夜にして誕生するわけではない。海外生活を含むさまざまな経験と勉強、心の鍛錬によって、はじめてつくられるのだ。
 こうしたエリートを育てることこそ教育の大きな役割だ、と著者はいう。
 これからの日本に求められるのは、日本が中国や韓国をはじめとするアジア各国と交流を深め、協調関係を築くことによって、世界に模範を示すことだという。相手が北朝鮮であっても、力と力ではなく、話し合いの道筋をつけていかねばならない。

〈日本がアジアで成功してこそ、世界は日本を注目し、尊敬し信頼する。/これが21世紀の日本が採るべき唯一の選択肢である。〉

 戦争をしてはいけない。
 時代が戦争に流れていこうとするなか、この忠告をわれわれの基本としなければならない。

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丹羽宇一郎『戦争の大問題』をめぐって(3) [本]

 著者は日本を取り巻く脅威の実態を分析する。
 戦後日本にとって長らく脅威となっていたのはソ連である。
 1964年に中国は初の核実験をおこなったものの、さほど脅威とはみなされていなかった。
 ベトナム戦争が泥沼化するにつれて、アメリカは中国をソ連の対抗軸として位置づけるようになり、1972年にニクソン米大統領の訪中が実現する。
 1970年代後半にアメリカは中国に兵器や軍事技術を提供し、中国軍の近代化に協力するようになった。
 つまり、対ソ戦略では中国とアメリカは「暗黙の同盟国」だった、と著者は書いている。
 だが、ソ連が崩壊し、米ソ冷戦が終わると事態は変わり、1990年代からアメリカは中国を仮想敵国とみなすようになった。そのいっぽうで、中国は「世界の工場」へと発展し、経済面ではアメリカの重要なパートナーになっていく。
「アメリカと中国の間には、軍事的には脅威でありながら、経済的には重要なパートナーという複雑な関係が生まれた」と、著者はいう。
 日本にとっても、その関係は同じである。
 だが、日本人はアメリカ以上の中国に脅威を感じているようにみえる。とりわけ日本人が敏感になっているのが、尖閣問題である。
 しかし、「尖閣で日本と中国の衝突が起きれば、日本にとって勝てる戦いとはならない」と、著者は断言する。
 海軍力ではいまのところ日本が優位だが、航空力ではすでに中国のほうが優位になっている。もし、中国が制空権を握れば、いくら海軍力で島を保持していても、日本は敗北必至となる。
 それでも、日米安保条約があるからだいじょうぶだと考えるかもしれないが、「日中が尖閣で衝突したら、自動的にアメリカが出てくるという議論は幻想に近い」と、著者は断言する。
 アメリカは中国との直接対決を避けようとするにちがいないからだ。
 尖閣では、日本が実効支配をつづけながら、武力衝突を避けることがだいじなのだ。
 中国の国防費は膨張しつづけ、現在、アメリカに次いで世界第2位となっている。
 日本の軍事支出は、中国の5分の1ほどだ。だとすれば、日本は中国に対抗するために大幅な軍備増強に走るべきなのだろうか。
 著者はいう。

〈日本が選ぶべき道は中国との軍拡競争ではない。/中国は核保有国であるうえ、もはや軽視できないほどの近代的通常戦力を有する国である。その中国を我が国の脅威としないためには、防衛力の増強は有効な手段とは言えない。現在、疎遠になっているように見える両国の関係をより深める努力を一層深化させることが、真の我が国の安全保障である。〉

 日本では中国の海洋進出を国際ルールの強引な変更とみる向きが強い。だが、中国側から言わせれば、中国はかつての栄光を取り戻そうとしているだけだということになる。
 南シナ海の現状は、警戒感をもって見つめるべきだが、かといって、いたずらに恐怖をあおりたてるのは慎むべきである。最近の報道はまるで南シナ海の全島を中国が占領して軍事基地化しているかのようにみえるが、中国が保持している島と環礁はごくわずかにすぎない。

〈中国を強引で傲慢で非常識な国と、ただ眉をひそめているだけでは見誤ることになる。日本が強硬に出れば中国が折れるなどと考えるのは、極めて危険なことなのである。〉

 日本人の中国嫌いは、最近ますます強まっているが、アメリカと中国はすでに「新型大国関係」にはいろうとしている。
 アメリカは中国の大国化に懸念をいだいていないわけではない。だが、両国は軍事面でも経済面でも思いのほか密接な関係にある、と著者はいう。
「アメリカと中国が、完全にケンカ別れするという事態はまずないといえる」

〈アメリカ頼みの日本人は、アメリカと中国が対立していると考えているが、むしろアメリカの本音は日本が中国との関係を悪化させてアジアの火種となることやアメリカが巻き添えを食うことを案じているのだということに気づくべきである。〉

 日本でも、中国との偶発的な衝突が発生しないようにするため、日中間のミリタリーどうしの交流と意思疎通が欠かせない、と著者はいう。

 現在、日本にとって、北朝鮮の核とミサイルが大きな脅威となっている。
 すでに北朝鮮は、ミサイルに搭載可能な小型核爆弾をもっているとみてよいだろう。
 日本にとって心配なのは長距離のテポドンよりも、比較的短距離のノドンやスカッドである。

〈いまのところ、もし北朝鮮が日本を狙ってミサイルを発射しようと思えば、軍事的にそれを確実に阻止する手段はない。また、核攻撃に対する被害を最小に抑えるための避難体制もできていない。〉

 北朝鮮にとってみれば、朝鮮戦争はまだ終わっていない。休戦状態にあるだけだ。韓国、アメリカとは依然として平和条約が結ばれていない。
 加えて、1990年から92年にかけ、ソ連(ロシア)と中国が韓国に接近し、国交を樹立したことから、北朝鮮の孤立が深まった。
 そこで、北朝鮮は「中ソの後ろ盾がない以上、自分たちの体制が生き残るためには核しかないと、なけなしの予算を核開発とミサイル開発に投入してきたのだ」と、著者はいう。
 現在の最大の危機は、北朝鮮が自暴自棄になることだ。体制崩壊の危機に瀕したとき、独裁者は何をするかわからない。
 もし米軍が原子炉のみをねらった先制攻撃をおこなっても、朝鮮半島での全面戦争が再開され、ソウルが「火の海」になることは避けられない。
 2002年9月に小泉首相と金正日委員長のあいだで取り交わされた「日朝平壌宣言」では、北朝鮮が核開発をやめる見返りに、日本は北朝鮮と国交を樹立し、経済協力をおこなうことで合意していた。しかし、拉致問題のからみで、国交樹立、経済協力どころではなくなった。
 その後、北朝鮮はますます核とミサイルの開発にのめり込む。
 中国と韓国は、北朝鮮が突然崩壊して、大量の難民が押し寄せることを心配している。
 さらに心配なのは──

〈日本にとっても周辺諸国にとっても、最悪のシナリオは北朝鮮で急激な変動が起きて体制が存続の危機に陥り、独裁者が死なばもろともと常軌を逸し、核ミサイルの発射命令を出すことだ。〉

「北朝鮮は核ミサイルを発射した瞬間に国として終わる」と著者はいう。
 だが、その発射は周辺諸国だけでなく世界に甚大な被害をもたらすだろう。
 核戦争だけは避けねばならない。
 そのためには、どのような安全保障政策を築くべきか。
 著者は次にそのことを論じる。

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丹羽宇一郎『戦争の大問題』をめぐって(2) [本]

 本書がユニークなのは、著者が企業経営の経験に即して、国家運営のあり方を論じていることだ。

マーケット・リサーチの甘さ、経営者の判断の誤りが、見込み違いを招くことはビジネスではよくある。それでもリサーチの結果が、まったく収支の見込みが立たないものと結論付けられたビジネスに飛び込んでいくことはあり得ない。/ところが戦前の日本は、このあり得ない決断をした。〉

 日本はアメリカに勝てないという予測は、開戦前からでていた。日本の政治指導者もそのことを知っていた。しかし、やってみなければわからないという無責任な精神主義と妄想的な見通しで戦争に突入する。どこで戦争を終わりにするかすら考えられていなかった。
 マスメディアの責任も大きい。戦前のメディアは敵愾心や戦意をあおるばかりで、国民に冷静な判断や批判的な検証を示すことはなかった。その傾向はいまもある、と著者はいう。

〈戦前のメディアはまさに墓穴を掘り続けた。その後の軍部の独走や統制に手を貸し、自ら報道の自由を危機に陥れていたのだ。そしていま再び同じことを繰り返そうとしている。〉

 一面の情報のみを真実と思いこむのは危険だ。
「好まない相手のことでも知ることが大事なのであり、好まない情報であっても真摯に受け入れる姿勢が求められる」

〈判断を間違えるのは、相手を知らないからだ。危険なのは、知ることができることを知ろうとしない傲慢さであり、自分の好みの情報にしかアクセスしない自己欺瞞である。〉

 近代の歴史をふり返ると、戦争は新興国と覇権国とのあいだで発生する可能性が高い。
 現代の新興国は中国であり、覇権国はアメリカである。現状では米中戦争がおこるとは考えづらい。しかし、「アメリカと中国双方に譲歩するという先進国らしい理性的な判断と行動がなければ、現代でも戦争はあり得ないことではない」と、著者は警告する。
 近年のアメリカは世界のどこかで常に戦争をしているが、1962年のキューバ危機にさいしては、ソ連との戦争を回避する理性を持ちあわせていた。
 また1991年の第1次湾岸戦争では、父ブッシュ大統領がイラクからクウェートを奪還したところで、主力部隊を引き上げるという好判断を示している。
 だが、その後、息子のブッシュ大統領はイラクに侵攻し、多くの混乱を引き起こしたすえ、ISという新たな火種さえ生むことになった。

〈政治家は目先の戦闘に勝てるかということだけではなく、長期的なリスクとゲインのバランスを見通す力がなくてはいけない。そうすれば自ずと戦争という選択肢は消えるはずだ。〉

 著者はアメリカのイラク侵攻は失敗だったと考えている。

 戦争は何のためにするのだろうか。
 領土や権益を拡大するためだ。それが答えのようにみえる。
 しかし、必ずしも戦争は実際の利益につながらない、と著者はいう。「具体的な実利があるかというと、むしろ重荷になることが多い」
 そのことは日本の満州進出をみてもわかる。
 石橋湛山は戦前「小日本主義」を唱え、日本は満州、朝鮮、台湾などの支配地域を放棄せよと主張し、「満州は日本の生命線」という当時の支配的な考え方に疑問を呈した。
 いかに広大な土地を有しても、資本がともなわなければ、ほとんど何の役にもたたない、というのが石橋の考え方だった。
 実際、戦後、80パーセントの領土を失った日本が、かえって急成長し、1968年に世界第2の経済大国になったことをみても、領土拡張主義的な考え方がいかにまちがっていたかがわかる。
 お荷物になるような領土、権益なら放棄したほうがましだ、と著者はいう。
 しかし、こと領土問題に関しては、国民のあいだで合理的な思考が止まり、領土自身が目的化してしまう。領土を守るためには、戦争も辞さないという風潮が高まるのは、とても危険なことだ。
 尖閣問題について、著者はこういう。

〈領土問題で戦争をして、果たしてどれだけの利益を得ることができるのか。我々は尖閣諸島の主権問題にあえて白黒をつけずに棚上げとしたまま、平和友好条約を結んだ日中の先輩たちの智慧に学ぶべきだ。〉

 国の力は、けっきょくのところ領土や資源より人だ、と著者は断言する。

〈その国民を戦争の犠牲にして、益のない領土を守ったり、無理に他国から資源を奪うことにどれだけ合理性があるだろうか。これもまた本末転倒である。〉

 勝てる見込みのないまま「目的なき戦争」に突っ込んでいった日本の旧軍部のご都合主義にはあきれるし、戦意高揚をあおったマスコミの責任も大きいと著者はいう。
 相手を知らないことは、むやみな恐怖と過剰反応を呼び起こす。さらに、怒りや蔑み、差別、優越感、劣等感などが加わると、理性よりも感情が先に立ってしまう。
 人間はいつもそんな弱さをもっている。だからこそ冷静さが必要なのだ。
 相手を知ることが、だいじになってくる。
 戦争の脅威はないといえば、うそになる。
 現在、戦争の可能性はあるのだろうか。
「日本が戦争をするとすれば、他国から侵略されたときか、アメリカが極東で戦争を始めたときにその戦争に巻き込まれるかだ」と著者は書いている。
 注意は必要だ。
 じっさいには、日本の周辺で戦争がおこる可能性は低い。
 米中戦争が勃発するとは、ほとんどだれも考えていない。
 ただ、気をつけねばならないのは、小競り合いが全面戦争にいたる危険性である。
 たとえば、尖閣に日本が自衛隊をだせば、中国も海軍や空軍をだしてくるだろう。そうした事態は避けねばならない。
 また北朝鮮がこのまま核とミサイルの開発をつづけ、これにたいしアメリカが北朝鮮に先制攻撃をおこなうなら、第2次朝鮮戦争が勃発することになる。
 そのさいは、韓国も大きな被害を受ける。日本も北朝鮮の標的となる。
 韓国軍や自衛隊は米軍と協力して、北朝鮮を攻撃する態勢をとるだろう。
 だが、そんな戦争に何のメリットがあるのだろう。
 こうした事態を避けるには、どうすればよいか。
「戦争を知らず、知ろうともせず、安易に戦争を口にすることは無責任であり、結局、国家、国民、そして自らをも害することになる」
 この忠告は重い。

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丹羽宇一郎『戦争の大問題』をめぐって(1) [本]

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 戦争について考えなければならない。
 できることなら考えたくはないテーマだ。しかし、連日のように北朝鮮のミサイル脅威や中国の海洋進出が報じられ、これにたいして集団的自衛権や共謀罪、憲法改正が話題になっているとすれば、その行き着く先の最悪の事態、すなわち戦争の悪夢が頭をよぎるのは、いたしかたないことだ。
 本書は不安や恐怖、怒りといった感情をひとまずおいて、戦争という大問題を冷静に考えようとする。
「戦争を知らずに戦争して他国を懲らしめよという意見はまったく尊重に値しない」と著者の丹羽宇一郎はいう。
 著者は名うてのビジネスマンとして伊藤忠商事を率い、2010年から12年まで中国大使を務めた人物である。
 丹羽は日本の平和と防衛に、いま大きな危惧をいだいている。だが、この困難な状況のなかで、けっして絶望や妄想におちいらず、静かに、力強くひと筋の進路を見いだそうとしている。本書では、その思索の跡が、広範な取材をともないながら、説得力をもってつづられている。
 いまこそ読まれるべき本といえるだろう。

 冒頭にこんなエピグラフが置かれている。

〈戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。/平和について議論する必要もない。/だが、戦争を知らない世代が政治の中枢になったときはとても危ない。〉

 こう発言したのは、だれあろう田中角栄である。
 この元首相も満州での軍隊生活を経験している。
 著者が冒頭に田中の発言を引用したのは、日本政治の方向性に危惧をいだいているからである。
 本書の構成は以下のとおり。

  序 章 それでも戦争を選ぶのか
  第1章 戦場の真実
  第2章 戦争勃発の真実
  第3章 日本を取り巻く脅威の真実
  第4章 安全保障と防衛力の真相
  第5章 日本は特別な国であれ

 例によって、少しずつ読んでみたい。
 著者によれば、近年の日本人の中国嫌いは世界からみても異常だという。

〈世界の中で、抜きん出て中国が嫌いという日本を中国もまた嫌う。まして日本はかつて大陸に軍を進めたという事実がある。過去に迷惑をかけた相手とは、一言、詫びを入れてから話を始めるのが普通のことだ。……お互いの国民が嫌悪し合うような関係は、経済的にマイナスであるばかりでなく、政治的にも危険な事態を招きかねない。戦争はささいなことがきっかけでも起こり得る。〉

 近代以降、日本人は中国人を下に見る意識が強かった。ところが、その中国がいまでは日本を追い抜いてしまったことへの反感が、日本人の中国憎しの思いを強めているのはないか、と著者はいう。
 心配なのは「いまの反中感情がエスカレートして、戦前の侮華思想へまで深刻化することだ」。そうなれば、日中両国は極めて危険な状態に陥る、と著者は危惧する。
 それは中国にたいしてだけではなく、韓国にたいしても同じだ。
「グローバル化、ダイバーシティと言っていながら、中国や韓国のことはお互いの違いを認めず感情的な決め付けで臨むのでは、到底、国際社会でもやっていけないだろう」
 日本は先の大戦で明らかに勝てない戦争を始め、戦争をやめるタイミングを誤り、被害を拡大させた、と著者はみる。
 そのきっかけとなったのは、中国との戦争だった。
 中国と戦争をしたのは満州を守るためだった。
 しかし、ほんとうは満州もやめておけばよかったのだ、と著者はいう。

〈満州の権益に固執することで、中国との戦争、さらに第2次大戦と戦禍を広げていった日本政府の行動は、企業経営でいえば不採算事業に多額の投資をし、その事業を延命させるために企業本体の経営を危うくしていった状態といえる。〉

 こういうとらえ方はいかにも企業経営者らしくて、妙に納得させられる。
 国家経営は企業経営と似たところがある。
 日本の軍部は、やっかいな金食い虫で、暴走をくり返した。
 企業では事業に失敗したら、担当者が責任をとらなければならない。無謀な事業からは早々に手を引くのが常識である。ところが、経営危機を迎えると、実際には冷静な判断ができなくなることが多い。無理やり突っ走ろうとする。
 それは国家でも同じだという。

〈国を無謀な戦争へ突入させた国の経営者が、やめどきを見極められず徒(いたずら)に被害を大きくさせる。現代の日本であっても、こうしたとんでもないリスクは消滅していないのだ。〉

 戦争を知るには、戦争の現場を見極めなければならない。
 そこでは何がおこっていたのか。
 著者は、実際に戦場を経験した人と直接会って、話を聞いている。
 最初の問いは、はたして人は人を殺せるのだろうかということだ。
 殺せるというのが答えだ。
 抵抗感なく人が人を殺せるようにするのが、軍事訓練の役割だともいえる。訓練で最初に教えられるのは、敵は人間ではないということ。躊躇なく始末しなければならない。
 兵士は命令にしたがって人を撃つ。

〈1人を撃てば2人以降は抵抗なく引き金を引けるようになる。それは同時に善良なる市民の感覚を奪う。殺人は日常となり、抵抗感がなくなる。戦争という狂気と自分が一体化してしまうのだ。軍隊は虐殺マシンとなってしまい、兵士もその一部となる。〉

 だれもが同じなのだ。
 著者はいう。「何より同じような状況に置かれれば、自分もまた狂気に走り、虐殺、略奪、強姦、放火を繰り返したに違いないと思う」
 著者は戦場体験者から話を聞く。
 戦争末期、フィリピンのルソン島で日本兵は逃げ回るのが精一杯だった。
 フィリピンに投入された日本軍の兵力は約63万人。その79%の約50万人が戦死した。
「死因はアメリカ軍の迫撃砲による戦死、飢餓、病気による死亡、手榴弾による自決だった」
 南京大虐殺やマニラ大虐殺だけではない。「日本軍による現地人の虐殺、暴行、略奪、強姦はアジア各国であった」という。日本軍を素直に受け入れる現地人など、どこにもいなかった。
「現地の中国人にとって日本軍は殺人集団であり、略奪集団であった」と、著者は指摘する。
 中国の日本軍は、生きた捕虜を標的とする、初年兵の銃剣訓練をひんぱんにおこなっていた。
 1932年に関東軍は、ゲリラによる撫順炭鉱襲撃を事前に通報しなかったとして、平頂山集落の村民を虐殺している。これはあまり知られていない事件だ。
 フィリピンやシベリアでは、人肉食も目撃されている。

〈戦争は人を狂わせる。……日本国内にいたときは、ほとんどの兵士は善良な市民である。善良な市民も戦場では鬼畜・悪鬼の振る舞いができるのである。〉

「天皇陛下万歳と叫んで死んだ兵はわずか」しかいないという。ほとんどの人は父母、妻、子どもたちへのことばを残して、死んでいった。
 自分の命を捨てることに唯一見合う理由は「自分が死ぬことで大切な人の命が守れるなら」ということしかない、と著者は書いている。
 戦場で生き残れるかどうかは運次第でしかなかった。生き残った人も極限の状況を体験している。唯一、「生きて帰らなければ」という強い意志が、冷静な知恵と判断をもたらし、運をひろうことを可能にしたのだ。
 終戦後の収容所生活も明暗をわけた。
 シベリア抑留は苛酷だった。シベリアでは抑留1年目に3割が栄養失調で死んだ。
 フィリピンの米軍捕虜収容所は、逃げ回っていた山中生活にくらべると極楽だった。
 異色だったのは中国軍の捕虜収容所である。蒋介石の指示により、日本人兵士は収容所で十分な食事と休息を与えられ、日本に戻ることができた。
 これはシベリアで5年間抑留されたあと、中国の撫順に送られた日本人「戦犯」についても同じである。周恩来はかれらを手厚く扱い、十分な食事を与えるよう指示をだした。シベリアとはちがい、強制労働もなく、有罪を宣告されたのはごくわずかだった。
 先の大戦における日本人戦没者の数は300万人(310万人とも350万人ともいわれる)を越える。そのうち100万人前後が民間人の犠牲者だ。
 海外での軍人戦死者は212万人。死因の6割が餓死、病死、自殺だったとされる。民間人を合わせると、240万人が海外で亡くなっている。そのうち遺骨が収容できたのは127万柱で、113万人の遺骨は未収容、ないし収容困難だ。戦後はまだ終わっていない、と著者はいう。
 中国に残した負の課題もある。日本軍が中国各地に残した毒ガス兵器の回収・処理も終わっていない。「日本が中国に対して十分やるべきことをやったかというとかならずしもそうとはいえない」
 戦争はロマンではない。戦場の真実を知ることなしに、戦争を語ることはできない。
 さらに読み進めることにしよう。

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消費の問題──マーシャル『経済学原理』を読む(6) [経済学]

 商品とは貨幣によって購入することのできるモノやサービス、情報、コトをさしている。
 商品世界では、そうしたモノやサービス、情報、コトが限りなく拡張していく。そのかんに、古い商品が新しい商品に取って代わられることもあるし、長いあいだ昔ながらの商品がそのまま珍重されることもある。
 激しく変遷する商品の歴史はそのまま人びとの生活史とつながっている。その背後にはどのような力がはたらいているのだろうか。
 商品世界は貨幣とともにはじまる。だが、こうした商品世界が本格的にはじまるのは、せいぜい16世紀からで、それが全面的に開花するのは19世紀になってからだといってよい。とりわけ20世紀にはいってからの進展ぶりはめざましかった。
 商品世界とそれ以前の世界とを比較対照することは重要である。そのことによって、商品世界のもつ意味や問題もあきらかになってくるだろう。さらに、商品世界が今後どうなっていくかを想像することもできる。
 ところで、このブログではマーシャルの『経済学原理』を読もうとしている。
 いまは予備的な考察や基本的概念の整理を終えて、第3編「欲望とその充足」にはいるところである。
 商品世界は生産だけで成り立っているわけではない。消費がなされなければ、その世界は回っていかない。
 商品世界を生みだす最大の要因は資本である。だが、その資本も、資本がつくりだす商品が流通し、販売され、購入されなければ、資本として維持できない。
 生産、すなわち供給の側だけで、商品世界がつくられているわけではない。消費、すなわち需要の側の動きがあって、はじめて商品世界は成り立つのである。
 マーシャルは、そのことを強く認識していた。そして、そのうえで、消費・生産・分配からなる商品世界の構造をさぐろうとしていたのだといってよい。
 とりわけ、かれが意識したのが、消費と生産、すなわち需要と供給のぶつかる場である市場の問題だった。
 しかし、その前提として、消費、すなわち需要の問題が検討されなければならない。
『経済学原理』第3編の「欲望とその充足」は、需要がどのように成り立っているかを考察しようとしたものである。
 ここで、若干われわれの問題意識をつけ加えておくと、近代において、消費・生産・分配からなる経済の循環構造、いいかえれば分離と結合からなる経済の仕組みが生まれるのは、貨幣と商品によって生活世界が形成される商品世界が社会の基本となることによってである。
 商品世界の実体は商品と貨幣からなり、それを支えているのが消費・生産・分配からなる経済構造だといってよい。商品と貨幣には、いわば消費・生産・分配の構造が隠されており、商品と貨幣は対になって商品世界を動かしている。そのことをまず踏まえておいてもよいだろう。
 それはさておいて、最初にマーシャルは「最近にいたるまで需要すなわち消費の問題はいささかなおざりにされてきた」と論じている。
 その原因は、第1にリカードが生産費に力点をおいて交換価値を規定してきたこと、第2に最近は数理的な思考が進んできて、需要についての綿密な分析が必要になってきたこと、第3に人びとの幸福や福祉と消費がどのように関係しているかを吟味しなければならなくなったためだとしている。
 とはいえ、消費、すなわち欲望とその充足は、人間の経済生活の一面であって、それだけを取りあげてすませるわけにもいかないと強調することも忘れてはいない。
 未開人にくらべ、現代人の欲求は多種多様、かつ大量に事物を求めるようになり、事物の品質の向上や、事物の選択の範囲の拡大をも望むようになった、とマーシャルは論じている。
 最初の重要な一歩は、火の発見だった。火によって、多様な食料を調理することを学び、それによって食品の種類も量も次第に増えていった。
 衣服にたいする欲求は、自然の欲求にとどまらず、風習や地位、それに自分をよりよく見せようとする欲望に支えられている、とマーシャルはいう。
 住宅は雨露をしのぐだけが目的ではない。人びとはより快適な住宅、「多くの高次な社会的活動をおこなうための要件」としての住宅の拡充を求めつづける。
 さらに、人間の欲求は衣食住にかぎられるわけではない。文学や芸術、音楽、娯楽、旅行、運動なども欲求の大きな要素である。
 また人間には優越性への欲求もある。「[よりよいものを求めるという]この種の欲求こそ最高の資質、最大の発見を生みだすのに大きな貢献をするのであるが、またそれらにたいする需要の側面においても少なからぬ役割をはたすのだ」と、マーシャルはいう。

〈おおざっぱに言えば、人間の発展の初期の段階ではその欲望が活動をひき起こしたのであるが、その後の進歩の一歩ごとに、新しい欲望が新しい活動を起こしというより、むしろ新しい活動の展開が新しい欲望を呼び起こしてきたとみてさしつかえないようである。〉

 原則的に、マーシャルは、欲望は「努力と活動」から導きだされたもので、重要なのはむしろ「努力と活動」のほうであり、欲望の充足はその結果、あるいは補完物だととらえている。このあたりはいかにもマーシャルらしい。
 次にマーシャルは消費者需要について取りあげる。流通業者や製造業者が生産目的で、何かを購入したとしても、それは最終的には消費者需要によって規制されている。「したがって、すべての需要の究極の規制要因は消費者需要にある」
 効用と欲求は相関しているが、欲求は測定できない。「その測定はある人がその欲求の実現ないし充足のために支払おうとする価格を介しておこなわれる」
 ここで、マーシャルは個々人の欲望の法則、ないし欲求を満たす効用の法則について論じる。
 ここで持ちだされるのが欲望飽和の法則、すなわち「効用逓減の法則」である。
「ある人にたいするある財の全部効用はかれのその保有量の増加につれて増大していくが、保有量の増加と同じ速度で増大していくわけではない」
 そこには限界効用(marginal utility)が発生する。誤解されやすいが、ここでいう限界とはあくまでも(最終的な)追加という意味である。つまりある財にたいする追加購入によって生じる効用が限界効用である。
 ある財の消費にあたっては、限界効用逓減の法則が成立する。
「ある人にたいするある財の限界(追加)効用はかれがすでに保有するその量が増大するにつれて逓減していく」
 追加の効用が逓減するというのは、たとえばビールは2杯目より、最初の1杯がうまいという意味である。
 人間の消費行動が、はたして限界効用逓減の法則によってのみ説明できるのかどうかは疑問の余地がある。それは仮説にとどまっているとみるべきだろう。
 だが、ここで限界効用逓減の法則がもちだされるのは、欲求は測定できず、それは価格によってしか表せないという次の展開を導くためなのである。
 効用の大きさは具体的な数字で表せるわけではない。それが数量で表せるとしたら、経済においては価格によらざるをえないということになる。
 いま、たとえばある銘柄のコーヒーの粉1袋が3000円だとする。ある人は1年のうちにこれを1袋しか買わない。かれがこれを2袋買わないのは、追加の1袋の効用が3000円の価値があると認めていないからである。
 この3000円の価格を、マーシャルは「限界需要価格」と名づけている。
 ところが、いまコーヒーが何らかの理由で値下がりして、1袋3000円ではなく2600円になったとしよう。すると、ある人は1年にコーヒーを1袋ではなく、もう1袋買うようになるかもしれない。そこでは、ある人にとって、新たな「限界需要価格」が逓減する限界効用を満たすものとなっているからである。
 限界効用が逓減すると仮定すれば、価格と需要について、たとえば次のような関係が成り立つ。

   値段   コーヒー
  3000円    1袋
  2600円    2袋
  2200円    3袋
  1800円    4袋
  1400円    5袋

 縦軸に価格をとり、横軸に数量をとって、これをグラフに表せば、右下がりの需要曲線がえがけるだろう。
 マーシャルはこれをひとりの需要にかぎらず、市場全体の一般市場についても拡張できるとする。
 それは日々の消費財だけではなく、耐久財についてもあてはまる。耐久財はいったん購入すれば、一定の時間がたたなければ、次の追加購入はなされないものである。ところが、その値段が下がれば、それまで耐久財の購入をためらっていた人が、それを購入しようと決断し、それによって需要が高まる。
 こうして、一般的には次のようにいうことができる。

〈大きな市場──そこでは富裕なものも貧しいものも、年とったものも若いものも、男も女も多種多様な嗜好・気性および職業をもった人々もたがいに混じりあっている──においては、個々人の欲望の特殊性はたがいに相殺しあって総需要の比較的規則的な階差を生みだしていくであろう。一般的に使用されている財の価格がたとえわずかでも低落すると、他の事情に変わりがなければ、その総売上高を増加させる。〉

 ここから、マーシャルは一般的な需要法則を導きだす。

〈売却しようとする量が大であればあるだけ、購入者を見いだそうとするには供給しようとする価格を低くしなくてはならない。あるいはいいかたを換えると、需要される量は価格の低落によって増大し、価格の上昇によって縮小するのだ。〉

 マーシャルは、この一般的な需要法則を、(競合商品の発達を含め)商品世界全体の広がりのなかで、さらに考察していくことになる。

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