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政権の崩壊に学ぶ──細川護煕『内訟録』を読む(5) [本]

 ふり返ってみると、細川政権を瓦解に追いこむきっかけになったのは、やはり1994年2月3日未明の記者会見で突然発表された感のある「国民福祉税」構想だったといえそうだ。大型の所得減税を先行させる代わり、3年後に現行3%の消費税を7%とし、その税収を年金など国民福祉にあてるというものだ。
 細川があせっていたのは、2月10日からワシントンで日米包括会議がおこなわれ、細川─クリントンの日米首脳会議が予定されていたためだ。日本側はアメリカから規制緩和を中心に経済上の要求を突きつけられていた。それにどうこたえるかを含め、日本政府はアメリカにこれからの経済運営について説明する必要があった。そこで、大幅所得減税と抱き合わせで、その後の消費税増税の案が出てきた。
 これを根回ししたのは大蔵省だ。大蔵省サイドは、政治手腕もあり、国民に人気もある細川政権に、むずかしい財政上の帳尻合わせをゆだねたいという気持ちが強かったのだろう。
 ところが、これはみごとに失敗する。いくら福祉のためとはいえ、増税となると国民からの反発も強く、連立与党8党の足並みも乱れがちだったからである。
 第一に身内であるはずの武村官房長官から、翌日の記者会見で「過ちは改めるに如くはなし」との発言が堂々と飛びだす始末だった。それから、例によって、社会党は真っ向から反対を唱えた。
 のちに当時社会党委員長の村山富市はこう語っている。
「国民福祉税なんて全然相談もなしにね、夜、会合やってだね、消費税を廃止して国民福祉税を創設すると。税率は3%から7%に引き上げるという話でしょ。そんな話を突然、出されてね、賛成してくれって言われたって賛成できるわけがないじゃないか」
 細川自身も翌日の日記にこう書いている。
〈なによりもコメと政治改革に忙殺されて、私自身が本問題につきてとりまとめる余裕をもたず、党に丸投げしおりしこと(即ち大蔵の意向が通りやすき状況)がかかる結果を招きたる原因なり〉
 要するに準備不足だったのだ。こうして減税も消費税も白紙撤回とあいなった。コメと政治改革のときの強行突破方式が、今回は裏目にでたのだ。これ以降、ただでさえまとまりの悪い与党8党の亀裂はますます深まっていくことになる。
 細川政権はその後、大きな成果が挙げられなかった。クリントンとの日米首脳会談は失敗に終わる。日米貿易摩擦は解決するにはほど遠かった。中国や韓国とのアジア外交は、一定の進展をみせたものの、友好関係を確認するだけで終わっている。深刻化する北朝鮮の核問題にはほとんど対応できなかった。
 国内では、越年になった予算審議がなかなか進まないまま、自民党がいわゆる佐川急便からの借入金問題をもちだして、ねちねちと細川個人を追及した。そんななかで、足元では政界再編の動きが活発になり、社会党やさきがけが自民党に接近するという驚くべき動きまではじまる。
 こうして、ニッチもサッチもいかなくなって、細川は辞任を決意するのだ。
 4月6日の日記には、こう書かれている。
〈このところまさに内憂外患……。深更ひとり書斎にありて、来し方行く末、日本国の将来につきさまざまに思いをめぐらす中で、自らの出処進退につき、このあたりが総理の職を辞すべき潮時と肚を固む。本来、本内閣の使命、役割は、コメの開放、政改法の成立をもって完了したるも同然であり、本決断はむしろ遅きに失したるものにあらずや。されど2つの課題を処理したる後も、日米首脳会談はじめ政治日程目白押しにて退くに退かれず、かかる中、佐川問題などにより国会が長期にわたり空転するに至る。本件につきては私自身全くやましきところあらざるも、資料なども、度重なる事務所移転により失われ、提出することかなわず。……長期にわたる国会空転の政治的責任を明確にする以外にとるべき道なしと思料す〉
 タナボタ政権の限界だったともいえるが、一内閣一仕事と評される政治風土のなかでは、よくがんばったのではないだろうか。国民のあいだでは、出処進退があざやかだったことで、細川内閣の評価はいまでも高い。
 それでも感じるのは、細川内閣は突進型ではあったが、本格内閣ではなかったということである。経済政策に対する明確な考えかたはなかったし、クリントンのなりふりかまわぬアメリカ経済再建への意欲に対しては防戦一方だった。
 官僚政治からの脱却というスローガンは聞き飽きるほど聞いている。しかし、それができるのは、官僚を引っ張っていくだけの、歴史観に裏づけられた見識を政治家自身がもっていてこそである。そうでなければ、いくら政治主導といっても、現在の民主党がそうであるように、現場の官僚から「あいつらはガキ」となめられるのが落ちである。
 日本でほんとうの政治家が育つのはむずかしい。数の計算が得意な政治屋ばかり多くなって、現実に裏打ちされた政治ヴィジョンを語れる人は少ないような気がする。
 細川政権は一発勝負を余儀なくされた。だが、本格政権になるには、力が足りなかったのである。あの細川さんですらそうだったとすれば、この10年の首相の顔ぶれをふりかえると、だれしもが慄然たる思いをいだくのではないだろうか。

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