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狂った夏の終わりに [雑記]

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この夏の暑さは異様ですね。
そちらも暑いと思いますが、あまり無理をしないでくださいね。
それでも窓を開けると、朝夕はときどき涼しい風が吹きこんでくるのは、やはり秋が忍びよっているからでしょうか。
いつもは申し訳程度にしか咲かないサルスベリの花が、ことしはどういうわけか満開です。それでも近所の花より、ずっと遅く咲いたのですが……。
母さんと話して、台所を改造しようかと思っています。最初はレンジとグリルだけ替えようかと思ったのですが、この際、思い切って全面改造しようということになりそうです。
あと10年くらい生きられるとすれば、台所をきれいにしたほうが気持ちいいかなと考えはじめています。ふたりだけの生活ですから、最近はたいしたものもつくらないし、イトーヨーカドーで買ってきたありあわせや、レンジでチンも増えているのですが、それでも台所はきれいなほうがいいでしょう。
この際、食洗機も入れたいしね。洗い物がだんだんおっくうになっているので、食洗機があれば夜のうちにきれいにしてくれるでしょう。
駅前のときわ書房で、DVDのレンタルが100円になっていたので、ゴダールの『勝手にしやがれ』を借りて、iMacで見ました。この映画、ヌーベルバーグ(新しい波)の代表作といわれますが、1959年の作品で、できてからもう50年もたつのですね。
昔、学生時代に見たような気がしたのですが、よく考えると、見たのは『気狂いピエロ』のほうで、これははじめて見たのかもしれません。いずれにせよ、記憶は茫洋としています。
それにしても主演のジャンポール・ベルモンド、それに何といっても相手役のジーン・セバーグがかっこいいですね。50年前のパリの街も、いまとほとんど変わらないし、車や洋服も60年代をほうふつとさせて、何やらなつかしいものがあります。
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自由をめぐる葛藤がこの映画のテーマです。ベルモンドの演じるミシェルは、チンピラの自動車泥棒で、女たちのあいだを転々とする自由きままな生活を送っています。このハチャメチャぶりがかっこいいと思うのが、どうも困ったものです。
ところがマルセイユで自動車を盗んで、パリに戻ろうとする途中で、ミシェルは警官に追いかけられ、たまたま車のボックスにはいっていたピストルで警官を射殺してしまいます。たぶん盗んだ車がギャングのものだったのでしょうね。
この映画では偶然ピストルが2回でてきて、それがどちらも運命的な役割をはたします。その意味では、自由と偶然というのが、この映画のもうひとつのテーマになっているのかもしれません。
パリに舞い戻ったミシェルは、以前から知り合いのアメリカ人留学生パトリシア(ジーン・セバーグ)に言い寄り、一緒にイタリアに行こうと誘います。ふたりは愛しあうようになるのですが、ミシェルには警察の手がまぢかに迫っていました。
最後にミシェルの所在を警察に密告するのはパトリシアです。その理由はよくわかります。ミシェルとの逃亡生活は刺激的かもしれませんが、先は不安に満ちています。彼女はアメリカからパリに来て、あこがれのパリを経験して作家になるのが夢なのです。それが彼女の自由でした。
ところが、その自由を、これも自由きままなミシェルが、奈落へと引っ張っていこうとします。ミシェルが逃亡先としてイタリアをめざそうとするのに対して、パトリシアは好きなのはパリで、ローマなどへは行きたくなかったのかもしれません。
車に乗って、カネをもってきた泥棒仲間が、ミシェルにイタリアへ逃げようとさそいます。ところがミシェルはその車に乗りません。パトリシアに、さっき警察に電話したから、早く逃げてと言われたからです。これは別れようというのと同じです。
そして、ミシェルは仲間から無理やり渡されたピストルをもって、街角にぼうぜんと立っているところを警官に見つかり、撃たれて死ぬのです。
駆け寄る警官とパトリシアに、ミシェルは「最低だ」とつぶやいて、最後の息を引き取ります。「何て言ったの」とパトリシア。すると警官は「あんたは最低だと言ったんだ」と答えます。「何のことかわからない」というパトリシアのせりふと、パトリシアが生前のミシェルの癖を自分でしてみせるところで、映画は終わります。
このラストシーンをどう解釈するかはむずかしいところです。日本語のニュアンスではよくわからないので、フランス人に聞いてみたいとも思うのですが、ぼくは、警官の解釈とは裏腹に、ミシェルが「おれは最低の男だね」というのに対して、パトリシアが「あんたは最高だったよ」と内心でつぶやいたのだと、勝手に解釈しています。
新聞記事風にいえば、警官殺しをした自動車泥棒が、女に裏切られ、逃亡しようとしたところ、警官に射殺された、で終わってしまう話です。それなのに、ジャンポール・ベルモンドもジーン・セバーグもかっこいいと思うのは、どうしてでしょうね。
自由の爽快さと残酷さ、これが青春だという感じですかね。自由というのは、すべて何かからの自由です。だれもがみんな何かにしばられて生きていますから、人はすべて自由を求めているといっても過言ではありません。
そう考えると、何だか昔のことを思いだしました。
この前の金曜日、「ぴったんこカンカン」を見ていたら、40歳でレオタード姿を披露する、いとうあさこという芸人さんが登場して、その経歴が紹介されていました。何でも彼女の実家は渋谷に豪邸を構える東大一家、お父さんは都市銀行の頭取をつとめ、彼女自身も小学校から高校まで雙葉に通っていたといいます。
その彼女が19歳のときに家出をして、それから女優をめざしたがうまくいかず、最近になってお笑い芸人としてブレークしたわけです。この人の芸は被虐的な笑いを誘うところがありますが、それでもどこか人に勇気を与えるところが悪くないですね。
やっぱり人は自由がいいです。それはしばしば残酷ですが、それでも人は自由を求めて、外へ飛び出していきます。自由はことごとく厳しいけれども(そして結果責任がともなうけれども)、人はみんなそうやって生きてきたのだと思います。
こんどまた帰ってくるときを楽しみにしています。
父より。

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