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ホモ・サピエンスがつくる世界──『ホモ・デウス』を読む(3) [本]

 なかなか先に進まないのですが、きょうはようやく上巻から下巻にはいります。
 ひま老人の特権で、のんびり読んではいるのですが、とかく挫折しそうになります。ともかく読書メモだけでもまとめておきましょう。そうしないと、すぐに忘れてしまうので。
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 サピエンスは神や国家、貨幣や企業を生みだし、取り入れたり排除したりして自然を改造し、さまざまな構築物や文化、製品を生みだしてきた。こうして、歴史は「虚構の物語のウェブを中心にして展開し」、人類は、いまや石器時代からシリコン時代にいたった、と著者はいう。
 7万年前、サピエンスは想像力をもつようになった。いわゆる認知革命だ。そして、「虚構のウェブ」のもとで協力しあう関係をつくりあげた。
 農業革命は神々の物語を生みだした。初期の都市では、神殿が信仰の中心であるだけでなく、政治や経済の中心ともなった。
 人間の協力関係を拡大したのは、書字と貨幣である。エジプトでは生き神であるファラオのもと、官僚たちが文字と貨幣を活用して国を支配した。
 ファラオはいわば国のブランドだった。生き神ファラオのもと、官僚たちが文書にのっとって、手順(アルゴリズム)どおり、国を動かしていく。
 エジプト人は鉄器や車輪もない時代に、石や木の道具だけを使って、ナイル川の水量を調整するファイユームの湖とピラミッドをつくった。それはエジプトに卓越した組織力があったからである。ここに国家という虚構のはじまりをみることができる、と著者はいう。
 重要だったのは文字の発明である。官僚たちは文書を通して、国の現実をとらえるようになった。文字は現実を作り替える強力な手段となった。だが、それはときに官僚たちによる虚偽や災厄をもたらす原因ともなった。
(どうやら、ものごとをポジティブ、ネガティブの両面でとらえ、そのあいだを行ったり来たりするところに、著者の思考の特徴があるようだ。)
 とりわけ文字が力をもつにいたったのは、聖典の完成によってである。聖典は社会の秩序をつくりだす。「自己陶酔的な妄想」こそが聖典の本質だ、と著者は断じてはばからない。
権力は虚構の上に成り立っている。政府が印刷した紙切れが紙幣として通用するのは、それが価値をもつという虚構が信じられているからだ。
 だが、虚構には代償がともなう。問題はその虚構がどれだけ正しい物差しなのかということだ。現実は常に虚構を見据えている。
たとえば「ファラオ統治下のエジプトは当時最強の王国だったが、ただの農民にとっては、王国の力は医療機関や社会福祉事業ではなく税と強制労働を意味するだけだった」。
それはエジプトにかぎらず、その後の世界の帝国でも似たり寄ったりだった。幸せという点では、人間は狩猟採集時代のほうがずっと幸せだった、と著者はいう。
 虚構は人間の協力ネットワークをつくりだす。
 しかし、最後は現実をみるべきだ、と著者はいう。国家や企業の物語ではなく、喜びや苦しみの現実を。

〈歴史は単一の物語ではなく、無数の異なる物語なのだ。そのうちの一つを選んで語るときには、残りをすべて沈黙させることを選んでいるわけである。……
虚構は悪くない。不可欠だ。……だが、物語は道具にすぎない。だから、物語を目標や基準にするべきではない。私たちは物語がただの虚構であることを忘れたら、現実を見失ってしまう。〉

 歴史には表通りと裏通りがある。
 近代の科学も新種の神話だ、と著者はいう。それは神を信じるのと変わらない。いまやコンピューターと生物工学のおかげで、虚構と現実の境すらあいまいになりつつある。
 宗教はいまも生きている。共産主義や自由主義もひとつの宗教である。それは自分の考え方だけが正しいと信じる信仰にほかならない。「宗教とは社会秩序を維持して大規模な協力体制を組織するための手段である」と、著者は断言する。
 宗教には神の名を借りた倫理や権力が隠されている。
 これにたいし、科学は事実にもとづくと主張する。聖書やキリスト教の文書が、倫理や法の正統性を主張するのは、何の科学的根拠もない、と著者はいう。
 実際には、倫理的判断と科学的判断を区別するのはむずかしい。人びとに幸福をもたらすと称して下される科学的判断がいつも正しいともかぎらない。
科学的判断だけでは、社会の秩序を維持できない。そこで、国家や宗教の導きが必要になってくる、と著者はいったん突き放した国家や宗教に戻ってくる。
「科学と宗教は集団的な組織としては、真理よりも秩序と力を優先する。したがって、両者は相性が良い」と、著者は意外なことを書いている。
 とはいえ、テクノロジーと経済の進歩を止めることはできない。
 現代を揺り動かしてきたのは、科学の進歩と経済成長である。近代以前は科学も経済成長も眼中になかった。
 近代にはいると、信用にもとづく経済活動が活発になり、次々と新規事業が生まれるようになった。
 現代は経済成長があってあたりまえの時代となった。生産が増えれば消費が増え、それによって人びとがより幸せになると、だれもが信じるようになった。
人口が増えれば、現状を維持するだけでも経済成長が必要になる。だが、それ以上に、人びとはより多くのもの、より便利なもの、より幸せになるものを求めはじめる。
こうして、経済成長こそが人生の目標を実現する鍵と考えられるようになり、政府自身もGDPを国家指標とするようになった。いまや経済成長の信奉は宗教の域に達している、と著者はいう。
 しかし、「より多くのもの」を求める価値観は、環境破壊や社会的不平等、伝統の破壊をもたらした。忙しい経済生活を優先するために、家族の絆もしばしば無視されている。
 著者は資本主義は現代の宗教と呼ばれてもおかしくないという。
だが、「天上の理想の世界を約束する他の宗教とは違い、資本主義はこの地上での奇跡を約束し、そのうえそれを実現させることさえある」。
飢餓と疫病が克服され、暴力を減らし寛容さをもたらしたのも、資本主義のおかげである。
著者は資本主義は宗教だといいながら、こんどは資本主義の擁護に転じる。
 資本主義の第一の戒律は投資せよである。投資こそが経済の拡大をもたらす。資本主義のサイクルはけっして止まらない。資本主義はけっして歩みをとめない。勝つためには投資をつづけ、成長を求めなければならない。
 だが、経済ははたして永遠に成長することができるのだろうか。経済の拡大を支えるのはエネルギーと資源、科学技術である。
科学技術の発展は、新エネルギー源や新原材料の開発、よりすぐれた機械の発明と結びついて、経済の成長を促してきた。
いまの人類は「これまでよりもはるかに多くのエネルギーと原材料を思いのままにしており、生産は急激に増えている」。そして、これからはナノテクや遺伝子工学、AIが生産に大革命をおこしていくだろう、と著者はいう。
 だが、そのいっぽうで、資本主義経済がこのまま発展していけば、その先はどうなるだろうかという不安も著者はかかえている。「現代の経済にとっての真の強敵は、生態環境の崩壊だ」
生態環境のメルトダウンが、人間の文明の存続を脅かしかねない。
「裕福なアメリカ人と同じ生活水準を世界中の人々全員に提供するためには、地球があといくつか必要になるが、私たちにはこの一個しかない」
いま成長のレースはますます激しくなっている。そして、ほとんどの人が、「未来の科学者たちが今はまだ知られていない地球の救出法を発見するだろう」という奇跡を信じている、と著者はいう。だが、はたして、そううまくいくだろうか。
資本主義がほんとうに人類に幸福をもたらしたかも疑問である。
 何世紀にもおよぶ経済成長と科学革命は、人びとを豊かにした。しかし、人びとのくらしは、けっして穏やかで安らかなものになっていない。激しい生存競争のもとで、私たちは「なおさら多くのことをしたり、多くのものを生み出したりするようにというプレッシャを絶え間なく感じている」。
 人びとは常に前に進むよう求められる。「私たちは絶えず収入を増やし、生活水準を高めるよう仕向けられる」。こうした緊張と混沌の世界で、生きつづけるのは、とてもたいへんなことだ。
 にもかかわらず、ほとんどの人が自由市場資本主義を信じている。飢餓や疫病や戦争をいまのところ抑え込んでいるのは、やはり自由市場資本主義のおかげだ。
「これまでのところ、資本主義は驚異的な成功を収めてきた、と著者はいう。「人類は今日、かつてないほど強力であるだけでなく、以前よりもはるかに平和で協力的だ」
 しかし、資本主義だけでは、世の中はぎくしゃくしてしまう。人はカネの世界でのみ生きているわけではない。「人類を救出したのは需要と供給の法則ではなく、革命的な新宗教、すなわち人間至上主義の台頭だった」
 著者の思考は一筋縄ではない。ブランコのように揺れる。
 次に論じられるのが、国家であることは予想されるのだが、ぼくのような年寄りはこのあたりで船酔いしてしまう。でも、なんとかがんばって、向こう岸までたどりつきたい。

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