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自由主義の崩壊──『ホモ・デウス』を読む(5) [本]

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 本を読むのが、ほんとうに遅い。
 しかも、最近はなかなか頭にはいってこない。それに、すぐ忘れてしまう。
 脳天気なのは、そのためかもしれない。
 きょうも『ホモ・デウス』のつづきを読んでいる。
 21世紀の科学は、自由主義の土台を崩しつつある、と著者は書いている。
 自由主義者は人間には自由意志があると信じている。だが、最新の生命科学は、人間というブラックボックスには魂も自由意志も自己もないことを証明したという。
 生命科学によると、人間の行動は、遺伝的素質にもとづく脳内の電気化学プロセスの結果にすぎない。そこには自由意志の入りこむ余地はない。
 動物はすべて遺伝子コードにもとづいて行動する。人は脳内の生化学的プロセスの生みだした欲望にしたがって行動しているにすぎないという。したがって、「現実には意識の流れがあるだけで、さまざまな欲望がこの流れの中で生じては消え去るが、その欲望を支配している永続的な自己は存在しない」。
 欲望や感情は薬物や遺伝子工学や脳への刺激によってコントロールできる、と著者はいう。実際、心的外傷後ストレス障害に悩む兵士の脳にコンピューターチップを埋め込む実験もおこなわれている。
感情をコントロールするには、ヘルメット状の電極付き「頭蓋刺激装置」をつけてもよい。このヘルメットをつけると、人はおだやかな気持ちになり、ほかのものに気を取られず、勉強や仕事に集中できるらしい。
 著者によれば、本物の自己が実在するというのも、ただの神話だという。人間は寄せ集めの分割可能な装置からできている。
 脳の右半球と左半球は、それぞれ体の反対側を制御し、それぞれが異なった認知活動にかかわっている。脳の研究は現在かなり進んでいる。脳がまことしやかな物語をつくりだすこともわかっている。
 私たちにはほんとうの自己があるのか、と著者は問う。そして、こんな例を挙げる。

〈たとえば私は、新年を迎えて、これからダイエットを始めて毎日スポーツジムに通うと決意したとしよう。……だが翌週、ジムに行く時間が来ると……私はジムに行く気になれず、ピザを注文してソファに腰を下ろし、テレビをつける。〉

 ここにはふたつの自己がせめぎあっている。人間には、物語をつくりだす自己と、経験にひきずられる自己があって、どちらがほんとうの自己かは決定しがたい。だから、人間には明確で一貫した自由意志があるという考え方は、そもそも疑わしいというのだ。
 物語は一人歩きする。とくに国家にまつわる物語は、じっさいの経験を超えて、共同幻想として祭りあげられることが多い。そして、国のためにという共同幻想が大衆にファシズムやポピュリズムを選択させる。
 都合のいい物語は国家だけにあてはまるわけではない。企業でも同じだし、結婚だってそうかもしれない。そもそも人は自分はこういう人間だという幻想の物語をつくって生きているのだ。

〈ところが生命科学は自由主義を切り崩し、自由な個人というのは生化学的アルゴリズムの集合によってでっち上げられた虚構の物語にすぎないと主張する。脳の生化学的なメカニズムは刻々と瞬間的な経験を創り出すが、それはたちまち消えてなくなる。……物語る自己は、[テレビや映画や小説、その他のメッセージを混ぜ合わせて]はてしない物語を紡ぐことによって、この混乱状態に秩序をもたらそうとする。その物語の中では、そうした経験は一つ残らず占めるべき場所を与えられ、その結果、どの経験も何らかの永続的な意味を持つ。だが、どれほど説得力があって魅力的だとしても、この物語は虚構だ。〉

 ほんとうは自由な個人などいない、と著者はいう。いまあるのは「はなはだ有用な装置や道具や構造の洪水」だけだ。
 もはや人間は重要性を失いつつある。ハイテク技術があれば、戦場でも工場でも、みごとに成果を挙げることができるのだ。「今では、そのような仕事を人間よりもはるかにうまくこなす、意識を持たない新しい種類の知能が開発されている」
 現在求められているのは知能であって意識ではない、と著者はいう。
車が自動運転になり、コンピューター・アルゴリズムによって制御されれば、自動車事故は大幅になくなるだろう。手作業の労働者はすでにロボットや3Dプリンターに取って代わられようとしている。銀行や証券会社、旅行業の仕事もいまやコンピューターが管理してくれる。教育もその人の学習段階に応じて、デジタル教師が対応したほうが、よほど効果が得られるようになっている。医者が患者を診断し、適切な治療法をほどこすときも、たよりにするのはコンピューターだ。
 AIは疲れたり、おなかをすかせたり、病気になったりしない。いつでも問題を発見し、対応してくれる。
 知能が高くて、意識をもたないアルゴリズム(コンピューターによる計算と判断)が普及したら、人間の仕事はなくなってしまうだろう。昔ながらの仕事が時代遅れになるのはまちがいない。
顔認証も機械で簡単にできる時代だ。チェスや囲碁もコンピューターのほうがすでに強い。人間の認識をコンピューター・アルゴリズムに置き換えるのはますます容易になっている。
 いまではバッハ風であれ、モーツァルト風であれ、あるいはロックであれ、コンピューターに頼めば、きわめて短時間に、さまざまな楽曲をつくってくれる。しかも、その曲を聞いた人びとは感動するのだ。
 21世紀には労働者階級ならぬ無用者階級が誕生するだろう、と著者はいう。保険業者、銀行の窓口係、スポーツ審判員、レジ係、レストラン調理師、パン職人、ウェイター、ツアーガイド、運転手、建設作業員、弁護士アシスタント、警備員、船員、公文書保管員などの仕事はAIに取って代わられる。
 そうなると、無用者階級はどのようにして毎日をすごすのだろうか。おそらく食べものや支援には事欠かない。すると、薬物とコンピューターゲームが一つの答えかもしれない、と著者はいう。ぞっとする世界だ。
 もはや人間は自律的なシステムではない。人びとは「自分のことを、電子的なアルゴリズムのネットワークに絶えずモニターされ、導かれている生化学的メカニズムの集まりと考えるのが当たり前になるだろう」。
 人は自分よりもミスを犯さないアルゴリズムに自分の人生の選択をまかせるようになる。コンピューターは人になすべきことをアドバイスする。アンジェリーナ・ジョリーは、遺伝子検査にもとづいて、がんになることを避けるために、療法の乳房を切除する手術を受けた。DNA検査市場は急激に発展している。
コンピューターによって集められたビッグデータは、さまざまな情報を提供する。たとえばいまインフルエンザがどれくらい流行しているか、人びとがどんな食べ物を好んでいるか、何を望んでいるか、どんなことに悩んでいるか、どんな不満を持っているか、などなど。実際、グーグルはこうしたツールを開発しようとしている。
 将来、人は自分の選択をコンピューターにゆだねるようになる、いやすでにそうなっていると著者はいう。実際、自分自身よりもコンピューターのほうが自分のことをわかっているのだ。そうなると人間は「個」ではなくなり、「巨大なグローバルネットワークの不可分の構成要素となる」。
 民主主義の危うさは、選挙が近づくと政党や候補者が耳に心地よい政策を次々と打ちだして、ほんとうの論点を隠してしまうことに象徴されている。その結果、社会の破滅をまねきかねない人物が、社会の代表として選ばれることになりかねない。
 そんなことなら、グーグルやフェイスブックに投票権をゆだねたほうが、データにもとづいた判断ができるはずだ、と著者はいう。人間はいっときの雰囲気に流されやすいからだ。もはやグーグルやフェイスブックのほうが客観的な政治データを蓄積している。だから、選挙よりもグーグルやフェイスブックのほうが正しい答えを出すのではないか、と著者は皮肉る。
 グーグルやフェイスブックのコンピューター・アルゴリズムは、いまや巫女のような存在になっている。実際、人は車の運転をするときも、すでにナビに従っているのだ。マイクロソフトのコルタナやグーグル・ナウ、アップルのシリも、利用者の好みを知り、次にどうしたらいいかを教える装置になろうとしている。

〈やがて、私たちはこの全知のネットワークからたとえ一瞬でも切り離されてはいられなくなる日が来るかもしれない。……21世紀の新しいテクノロジーは、人間至上主義の革命を逆転させ、人間から権威を剥ぎ取り、その代わり、人間ではないアルゴリズムに権限を与えるかもしれない。〉

 無数の人がすでにそうした状況を受け入れている。存在するのはアルゴリズムのメッシュであって、個人という中枢はなくなりつつあるのだ、と著者はいう。
もはや自由主義と大衆の時代は終わりつつある。テクノロジーの発展は「大量の無用な人間と少数のアップグレードされた超人エリート層」を生みだそうとしている。
 少数の特権的エリート階級は常に一般大衆の先を行く。かれらはアップグレードされた超人をめざしているのだ。
 そうなれば、人類はいったいどこに向かうのかというのが、著者の最後の問いである。

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