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テクノ人間至上主義とデータ教──『ホモ・デウス』を読む(6) [本]

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 今回は最終回。人類の未来予測図がえがかれる。
 これからは新しいテクノ宗教の時代がやってくる、と著者はまず断言する。宗教がテクノ化するわけではない。テクノロジー信仰がますます強まるというわけだ。
 ただし、同じテクノロジー信仰でも、そこには人間至上主義とデータ至上主義のふたつの宗派があるという。
 人間至上主義について、著者はまず説明する。
 森羅万象の頂点にある人間は、テクノロジーを活用して、自分の頭脳を積極的にアップグレードして、ホモ・デウス(神の人)に進化する。こう予言するのが人間至上主義だ。
 この宗派に、著者はいささか懐疑的だ。
 人間の意識ははたしてアップグレードできるものなのだろうか。心の研究はじゅうぶん進んだとはいえない。サピエンスの心のスペクトルはごく一部しかわかっていない。精神疾患についても、まだはっきりと解明されているわけではない。宗教的神秘主義のもたらす精神世界もまだヴェールに包まれている。
 ネアンデルタール人の意識については想像することさえもむずかしい。人間以外の動物の意識について、人はほとんど知らない。コウモリやチョウやモグラやトラは、いったいどんな感じで生きているのだろうか。
 地球上の進化史には、はてしなく多様な精神状態が存在する、と著者はいう。
 心のことがよくわかっていないのに、心をアップグレードしようというのは、あまりにも大胆なこころみだ。著者はそう考えている。
 求められる感じ方は、時代によってことなる。古代人にくらべ、おそらく、現代人の嗅覚は衰えてしまっている。視力や周囲への注意力も、古代の狩猟採集民のほうが現代人より格段にすぐれていたにちがいない。現代人は夢見の能力もほとんど失ってしまった。とはいえ、現代には現代なりに必要な意識がある。
 テクノ時代の人間至上主義は、テクノロジーによって人間の心の状態を高めようとする。たとえば電極つきのヘルメットをかぶって、注意力を高めるのもその方法のひとつだ。向精神薬や抗うつ剤もそうしたテクノロジーのひとつであかもしれない。
 だが、そうしたテクノロジーは、国家や組織に都合のよい人間をつくりだすことを目的にしているのではないかと著者は疑う。
 テクノロジーは人間の内なる欲求を抑えこんで、一心に仕事ができる安定した感情を引きだしてくれる。だが、欲望や感情を制御したりデザインし直したりするだけでは、人間の能力を高めることにならないのではないか。
 著者が支持するのは、むしろデータ至上主義というもうひとつの宗派である。これはテクノロジーによって、人間の認知能力を高めるやり方といってよい。
 データ至上主義は人間に革新的なテクノロジーと、計り知れない新しい力を提供する。それは「科学のあらゆる学問領域を統一する、単一の包括的な理論」をつくりだすだろう、と著者はいう。
 現代人はもはや膨大なデータの流れに対応できなくなっている。人間の知識や知恵はあてにならない。データ処理は電子工学的なアルゴリズムにまかせるほうがよい時代がはじまっている。
 資本主義が共産主義を打ち負かしたのは、中央型の集中的データ処理をおこなうソ連型の経済が、分散型のデータ処理をおこなうアメリカ型の経済に立ち後れてしまったからだ。司令部だけしかデータ処理ができないのではなく、分散した組織が主体的にデータ処理をするほうが、能力として圧倒的にすぐれているのはいうまでもない。
 とはいえ、いまでは民主主義ですらテクノロジーに対応できなくなりつつある。「従来の民主主義政治はさまざまな出来事を制御できなくなりつつあり、将来の有意義なビジョンを私たちに示すことができないでいる」
 ポピュリストのトランプ、独裁者の金正恩やプーチンも、自国主義を声高に主張するだけで、いかなる世界ビジョンも持ちあわせているわけではない。
 だが、それはある意味ではいいことだ。「神のようなテクノロジーと誇大妄想的な政治という取り合わせは、災難の処方となる」
実際、われわれはこれまで陰惨なナチスのビジョンや、壮大な社会主義の計画に振りまわされてきた。
 かといって、著者はけっして市場万能主義者ではない。「私たちの未来を市場の力に任せるのは危険だ」と述べているからだ。やみくもな市場の力は、地球温暖化の脅威やAIの危険な潜在力を見過ごしてしまうかもしれない。
 世界の現在のシステムはあまりにも複雑になっている。ところが、政治家や実業家は狭い視野しかもたず、ひたすら自国や自社の利益を追求するばかりだ。
そこに著者は危惧をおぼえている。これからの人類のシステムを構築し、制御するには、政治家や官僚に頼らず、何か別のものを考えなければならないという。
 データ至上主義の視点に立つと、人類という種は「単一のデータ処理システム」であって、一人ひとりの人間は「そのシステムのチップ」の役割を果たしているにすぎない。すると、問題はこのデータ処理システムをいかに高度化していくかである。その前提としては、自由な情報ネットワークを拡大していくことが必要になる。
 人類の目標は「全世界を網羅するような単一のネットワーク」をつくりあげていくことだ。
 現在、こころみられているのは「さらに効率的なデータ処理システムの創造」だである。それができあがれば、ホモ・サピエンスは消滅し、ホモ・デウスが誕生する、と著者は予言する。より効率的なデータ処理システムは、情動に左右され、限定された知的能力しかもたない人間よりもはるかにすぐれている。
 すべてのものをデータ化し、インターネットにつなぐこと。自由で制限のない情報とものの流れをつくること。それによって、人びとの生活ははるかに効率的になる。
たとえばスマート・カープール・システムを考えてみよう。いまは、ほとんどの自動車が、だいたいの時間、駐車場に停まっている。ところが、スマホによって、いつでも必要なときに車が利用できるようになればどうなるだろう。
 10億台の自家用車はいらなくなり、5000万台の共同利用型自動運転車があれば用を足せるようになるのではないか。そうなると、道路やトンネル、駐車場もはるかに少なくてすむ(このアイデアはすばらしい)。それは人びとにより快適な空間をもたらすはずである。
 個人を神聖視する人間至上主義はもう時代遅れになりつつある。「個人は、誰にもわからない巨大なシステムの中で、小さなチップになってきている」。私はすでに容赦ないデータの流れのなかにいる、と著者もいう。
 人はデータフローと一体化する。それを見守るのはコンピューターのアルゴリズムだ。昔はどこに行ってもカメラをぶら下げている日本人旅行客はばかにされたものだが、いまではだれもがスマートフォンを取りだし、写真をとってはフェイスブックに投稿し、どれだけ「いいね!」をもらえるかを気にする時代になった、という指摘もおもしろい。
 しかし、ホモ・サピエンスのアルゴリズムは、21世紀のデータフローに対処できなくなりつつある。人間がそれ自体神聖だという主張も、データ至上主義革命のあとでは、むなしいものになっていくだろう。もはや人間の心や感情はすぐれたアルゴリズムではない。
 巨大なデータベースから生まれるアルゴリズムに耳を傾けるべきだ、と著者はいう。自分自身を知るにはDNA配列を調べたり、自分のデータをチェックしたりするほうが、山に登ったり、瞑想したりするよりもずっといい。いまやコンピューターのアルゴリズムのほうが、人間よりはるかにすぐれたものになっている。
 データ至上主義革命の勢いはとまらない。人間はデータの奔流にのみこまれ、溶けて消えようとしているようにもみえる。
 AIとバイオテクノロジーは世界を確実に変容させる。世界はかつてないほど急速に変化しており、人の手に負えないほどのデータやアイデアが押し寄せている。
 そこで、著者は最後にこう問う。

〈意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?〉

 AIとバイオテクノロジーが、政治や経済、社会、文化を大きく変えようとしていることは事実である。それに応じて、人はホモ・サピエンス(賢い人)からホモ・デウス(神の人)に進化しようとしているというのが著者の主張だ。
 しかし、ひそかに思うに、ホモ・サピエンスが自称であるように、ホモ・デウスもまたキャッチフレーズにすぎないのではないだろうか。いくら文明が発展しても、人が愚かで時に悪魔になりうる存在であることは変わらない。
 たしかにコンピューターのアルゴリズムを駆使してものごとの判断を下す人のほうが、一時の興奮に駆られ、狭い了見から取り返しのつかない決定をしてしまう人よりましかもしれない。しかし、コンピューターのアルゴリズムが、人類の滅亡を招く事態も考えられないわけではない。
 神をめざす西洋の知は、無を根柢とする東洋の知によって相対化されないかぎり暴走を招くと感じるのは、ぼくだけだろうか。

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