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スターリング──スコットランドの旅(13、最終回) [旅]

2018年8月14日(火)
 私たちは今回の旅行で、エディンバラを起点に右回りにスコットランドを1周し、中部のスターリングまで戻ってきました。きょうは午前中スターリングを見学して、エディンバラ空港まで車を飛ばし、午後3時15分のライアンエアーで、イタリアのピサに向かい、シエナの自宅(長女の家)に戻る予定です。
 きのうホテルに着いたのは、夕方6時ごろでした。曇っていたとはいえ、まだ明るかったので、多少、街を散策する時間がありました。
 私たちの泊まったスターリング・ハイランド・ホテルは、昔のハイスクールを改築した建物で、場所は城のすぐ近くでした。
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 城まで歩いて行く坂道の途中で見かけたのが、アーガイルの宿。17世紀につくられ、アーガイル伯爵[ハイランドの総督]の邸宅となっていました。25年ほど前までユースホステルとして使われていたとか。
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 こんどは坂道を下りて、ダーンリーの家を訪れます。ダーンリー卿(ヘンリー・ステュアート)がスコットランド女王メアリーを訪れたときに滞在した家とのことですが、いまはコーヒーハウスとして利用されているようです。
 ちなみに、ダーンリー卿はメアリーの2番目の夫となる人物で、ジェームズ6世(イングランド王としてはジェームズ1世)の父。嫉妬からメアリーの秘書リッチョを殺害し、1567年2月にエディンバラでみずからも殺されてしまいます。犯人はどうやらメアリーの3番目の夫となるボスウェル伯のようです。
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 夕飯をとるため、町中までやってきました。スターリングは昔ながらのスコットランドのよさが残る落ち着いた街という印象を受けました。
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 さて、わたしたちはけさ8時半にホテルを出発。スコットランド旅行の最終日をのんびりとすごしました。
 最初に訪れたのがスターリング橋(オールドブリッジ)です。近くに駐車して、橋を間近に見ました。観光客は誰もいません。
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 ここは歴史的な戦いがあった場所です。
 13世紀末、イングランドのエドワード(エドゥアール)1世は全国を統一するため、スコットランドを攻め、スコットランド王バリオルを破り、スコットランドを手中にします。
 ところが、これに反抗して立ちあがったのがウィリアム・ウォレスです。1298年、ウォレスはここスターリング橋の戦いで、イングランド軍を打ち破り、スコットランド王国再建ののろしをあげます。メル・ギブソン主演の映画『ブレイブハート』は、このウォレスの生涯をえがいた作品です。
 ウォレスはけっきょくイングランド軍に敗れ1305年に処刑されますが、そのあとを次いだのがロバート・ザ・ブルース(ロベール・ド・ブルース)です。もともとはイングランドを征服したプランタジネット王家に属するフランス系貴族の末裔です。イングランド=スコットランド戦争のときはどっちつかずの姿勢を示し、ウォレスを裏切ったりもしています。しかし、最後は1314年にスターリング近郊のバノックバーンの戦いでイングランド軍を打ち砕き、スコットランド王国を再建することになります。
 このあと訪れたスターリング城の前には、ロバート・ザ・ブルースの石像が建っていました。
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 スターリング城も高台にあります。そこからの眺めを写真に収めておきました。
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 城の入り口にやってきました。
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 その内部にはいってみます。
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 建物に四方を囲まれた広場にでました。
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 建物のなかは改装されています。暖炉の上にユニコーンのタペストリーが飾られていました。
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 昔の王はこんなところで謁見していたのでしょうかね。
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 いったん建物の外にでます。外壁の彫刻におもむきがあります。
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ここは礼拝堂のようです。
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 私たちはここグレート・ホールにおかれたレプリカの玉座に座って写真を撮ったのですが、それを公開するのは、あまりにも恥ずかしいので、やめておきましょう。
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 いよいよスコットランド旅行もおしまいです。車のなかから雨にけぶるスターリング城をカメラに収めます。
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 ところで、スコットランドを訪れた日本人といえば、夏目漱石の名前が浮かびますね。ロンドン留学でノイローゼになった漱石は、日本に帰国する前、友人の勧めでスコットランドのリゾート地でひと月ほど静養します。1902(明治35)年10月のことです。そこはスコットランド中部、ハイランドのはずれにあるピトロクリー(ピトロッホリー)という町で、漱石はそこで「過去のことなどいっさい忘れ、気楽にのんきに」くらすうちに、うつ病のもやが少しはれていくような気がしたというようなことを書いています。
 スターリングからエディンバラ空港までは1時間足らずでした。10日間お世話になったレンタカー(運転は長女のつれあいにおまかせ)を返却し、食事をしてから飛行機に乗りこみます。例によって空港内は混み合っていました。
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スコットランドとイタリアの時差は1時間。イタリア時間で7時過ぎにピサ空港に到着しました。同じEU内の移動(まもなくブレグジットですが)でも、イギリスから入国する場合はパスポートチェックがあります(逆も同じ)。
 ここから車で2時間ほどかけて、シエナに。途中、トスカーナの夕焼けが広がります。向こうの空はまっくろ。まもなく雨が降ってきそうです。
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 シエナ到着は9時過ぎ。行きつけのピザ屋さんで食事。イギリスとちがい、イタリアでは遅くまで食堂があいています。

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海の城と戴冠式の宮殿──スコットランドの旅(12) [旅]

8月13日(月)
 朝9時、北海油田の拠点アバディーンのメルキュール・ホテルを出発。南に30分ほど車を飛ばして、ダノッター[ダンノッターとも]城にやってきました。
 北海に面した海の城です。
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 すでに廃墟になっていますが、いかにも難攻不落の構え。
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 その城まで歩いて行きます。絵になる城ですね。ディズニー・アニメのモデルになったのもわかるような気がします。雨がしとしと降りつづいていました。
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 この城にもさまざまな歴史がからんでいます。
 古くは1297年にスコットランドの英雄ウィリアム・ウォレス(1272-1305)が、当時スコットランドを支配していたイングランド軍からこの城を奪ったことが知られています。
 有名なのは、オリヴァー・クロムウェルの清教徒革命(1642-49)の時代に、スコットランドの三種の神器(王冠、剣、笏)がここダノッター城に移されたことですね。スコットランドに攻め込んできたクロムウェルに奪われないようにするためだったといいます。
 18世紀のジャコバイトの乱でも、この城をめぐって国王軍とジャコバイト軍が攻防戦をくり広げました。その後、城は取り壊され、廃墟となりました。
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 なにやら紋章らしきものが残っています。
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 貯水池と城壁。
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 向こうには入り江と岬が広がります。
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 廃墟とはいえ、絵になる城です。ふり返って、思わずもう1枚写真を撮りました。
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 そのあと、スコットランドほぼ中央の都市パースに近いスクーン宮殿にやってきました。
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 ここはケネス1世(ケネス・マカルピン)からジェイムズ6世(イングランド王としてはジェイムズ1世)まで、約750年にわたり、スコットランド国王の戴冠式がおこなわれた宮殿です。
 まもなく退位する天皇と皇后も、皇太子時代にここを訪れたといいます。現在はマンスフィールド伯の邸宅で、宮殿内はよく整備されています。
 内部は撮影禁止なので、ガイドブックから部屋の様子をうかがわせる写真を2枚載せておきましょう。ここは応接室ですね。
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 これは書斎。みごとな陶磁器が飾られていました。そのほか、いくつもの豪華な部屋に圧倒されます。
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 宮殿を出ると、クジャクの親子が雨に濡れそぼっていました。
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 長老派教会の前には、歴代の国王が戴冠式で座ったという石がさりげなく置かれていました。これはもちろんレプリカ。ほんものは1296年にエドワード1世がウェストミンスター寺院に持ち去り、エディンバラ城に戻されたのは1996年のことです。
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 もう少し近づいてみましょう。
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 どうみても変哲もない石ですが、代々の国王が座ることで、伝説は膨らむわけです。
 そろそろスコットランドの旅も終わりです。きょうの宿泊地はスターリング。高校を改装したホテルに泊まることにしました。
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 夜は街のパブで食事。普通のレストランよりずっと安く、ボリュームもたっぷりでした。

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マクベスの城にマクベスはいなかった──スコットランドの旅(11) [旅]

8月12日(日)
 午前10時15分、カロデンを出発します。気温はおそらく15度くらい。薄いジャケットだと寒いくらいです。10時40分コーダー城へ。この城は1930年代まで使われていたとか。城にはちがいありませんが、貴族の館といったほうが正確かもしれません。
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 この城が有名なのは、シェイクスピアの戯曲『マクベス』で、マクベスの居城がコーダー城と書かれているからです。しかし、あくまでもフィクションで、実際にここにマクベスがいたわけではありません。マクベスの子孫がこの城に住んでいたこともありませんでした。
 コーダー城がつくられたのは14世紀になってからで、スコットランド王マクベス(1005-57、在位1040-57)が、この城でダンカン1世を殺害することなどありえないのです。実際には、マクベスはインヴァネスの東40キロ、ここコーダー城からは東に25キロほどのピットガヴェニーでダンカン1世と戦い、破っています。重傷を負ったダンカン1世はそこからほど近いエルギン城で亡くなりました。野望による暗殺ではなかったようです。
 ほんとうのマクベスはなかなかの名君だったようです。しかし、のちの歴史家がマクベスを悪者に仕立てあげ、その居城をコーダー城とし、シェイクスピアもそれを踏襲したことから、マクベスがコーダー城にいたということになってしまったのです。
 でも、われわれ観光客はどうしてもマクベスの城と聞いて、ここにやってきますよね。
 実際のコーダー城は、陰惨さとはまったく無縁の、こぢんまりしたきれいな城でした。跳ね橋がかかった入り口には、冠と鹿の彫り物が飾られ、「心に留めよ」との標語がかかげられています。
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 そして、これがコーダー家の紋章です。
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 1930年ごろまで使われていたという城の内部を見学します。快適な貴族の館といった風情です。
大きなタペストリーのかけられた部屋。
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 女性用のベッドルームがあったり。
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 居間があったり。
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 地下の台所があったり。
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 城の横手には小さな庭園が広がっています。
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 よく手入れされていますね。
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 刈り込みのあいだから、城の写真をとってみました。
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 われわれは、ここでランチをとり、午後2時過ぎ、キースの蒸留所へと向かいます。
 キースの町はずれにあるストラスアイスラ蒸留所です。
 ここは現存するスコットランド最古の蒸留所のひとつとされ、いまはシーバス・リーガルの基本モルトをつくっているとか。スコッチの好きな人には聖地ですね。
 15ポンドの入場料を払えば、なかを2時間見学できるのですが、どうやらその時間はなさそうです。ウィスキーのミニボトルだけ買い、受付のお姉さんに記念写真を撮ってもらって、すぐに出発します。
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 アバディーンに向かう幹線道路の途中、インヴァルリーという町から少しはいったところにストーンサークルがあるというので、寄ってみました。ストーンサークルは南のほうだけかと思ったら、こんな北にまで広がっているのは、ちょっと意外でした。
 案内板にはローンヘッドのストーンサークルと書いてありました。
 それによると、このストーンサークルは直径20.5メートルで、10個の立石でつくられています。まず目にはいってくるのは、南側の立石と横石の組み合わせからなる大きな石です。
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 その全体を写真に収めておきます(端にもう1個石があります)。向こうにぼさっと立っているのがぼくです。
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 10個の石は窪みの上に立てられており、そこには人が埋葬されているようです。真ん中のリングには、ケルン状に小石が積まれています。
 こうした横石のあるストーンサークルは、スコットランド特有のもので、ここアバディーン州だけでも70以上確認されているとか。ストーンサークルがつくられたのは先史時代で、紀元前3000年から1000年にかけてで、だいたいが南に面した高台に立っているといいます。実際、このストーンサークルからも小麦畑を見渡すことができました。
 ストーンサークルは何のためにつくられたのでしょう。太陽や月、星の運行と関係がありそうです。ここで何らかの祭祀がおこなわれていたのもまちがいないでしょう。ケルト人以前の世界です。
 そこから1時間足らずで、きょうの宿泊地アバディーンに到着。ホテルに着いたときは夕方5時近くになっていました。窓からはユニオンテラス公園の向こうに、こんな風景が広がっています。
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 雨のなか、港を通り、街のショッピングセンターを一回り。
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 ユニオン・ストリートを戻って、夕飯はホテルに近いインド料理屋にしました。
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 北海油田の拠点でもあるアバディーンはにぎやかな都会でした。

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悲劇の舞台──スコットランドの旅(10) [旅]

8月12日(日)
 ネス湖のほとりドロムナドロキットでは、近くに朝食をとれるカフェがなかったため、8時に宿を出発しました。
 ネス湖左岸を北上、ハイランドの中心都市インヴァネスを通過します。
 ネス川沿いの高台に立つインヴァネス城が見えました。この城は1836年につくられたものですが、ここには11世紀から城が立っていたとか。築いたのはスコットランド王のマルカム3世(1031〜93)です。
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 マルカム3世はダンカン1世の長男です。しかし、すんなりと王位を継承したわけではありません。父親のダンカン1世は1040年にいとこのマクベス(1005〜57)に暗殺されました。そのマクベスを破って、マルカム3世が王位を回復するわけですね。
 シェイクスピアは、このスコットランドの王位争いをドラマにして名作『マクベス』を書きます。
 そこには、こんな名せりふがあります。

  消えろ、消えろ、つかの間の燈(とも)し火!
  人の生涯は動き回る影にすぎぬ。
  あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、
  舞台の上で、みえを切ったり、喚(わめ)いたり、
  そしてとどのつまりは消えてなくなる。
  白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、
  すさまじいばかり、何の取りとめもありはせぬ。(福田恆存訳)

 うまいものですね。
 しかし、マクベスを破ったマルカム3世も、1071年にイングランド王ウィリアム1世に敗れ、その後スコットランドの政治情勢は混沌たる状況がつづきます。
 スコットランドの歴史に触れはじめるときりがありませんから、このあたりにしておきましょう。
 カロデンムアに到着したのは8時45分。ムアとはゲール語で湿原のことですから、ここはカロデン湿原というわけです。
 観光センターのカフェで朝食をとりました。
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 湿原というより荒野という感じです。ここも大きな歴史の舞台です。
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 カロデンムアでは1746年にジャコバイト軍と国王軍が衝突し、ジャコバイトが惨敗し、多くのハイランダー(スコットランド高地人)が虐殺されました。そのなかを少し散策します。
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 当時の家らしきものも復元されています。
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 ここで戦死したハイランダーの墓標があちこちに立てられていました。
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 いまは茫々とした荒野が広がるばかりです。
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 ややこしくなるので、できるだけ歴史に触れるのは避けたいのですが、カロデンムアの戦いには100年以上にわたる歴史の因縁があります。
 イギリスではエリザベス女王の死後、1603年にスコットランド国王のジェイムズ6世がイングランド国王も兼ね、ジェイムズ1世として即位し、スコットランドとイングランドの同君連合王国ができます。しかし、まだスコットランドとイングランドは統合されたわけではありません。つまり、ふたつの王国のまま、同じ君主(ジェイムズ6世兼1世)をいだく体制がつくられたわけです。これが連合王国としてのステュアート朝のはじまりです。
 その後、チャールズ1世の時代に内乱がはじまり、1649年にチャールズ1世が処刑され、クロムウェルが護国卿に就任、イギリスは一時共和国になりました(いわゆるピューリタン革命)。
 共和国は長くつづかず、1660年にチャールズ2世が即位し、王政復古が実現します。しかし、その息子ジェイムズ2世はカトリックを堅持していたため、議会によって追放され、その代わりにジェイムズ2世の娘メアリーと結婚していたオランダ総督ウィレム3世がイングランドに迎えられるわけです。
 ウィレム3世はオランダからイングランドに上陸し、ロンドンに入城、1689年にメアリー(2世)とともにウィリアム3世としてイングランド王に即位します(いわゆる名誉革命)。その後、メアリーは亡くなり、単独のイングランド王となったウィリアム3世はスコットランドも掌握します。
 1702年にウィリアム3世が死去すると、その後を継いだのは、メアリーの妹のアンでした。そして、1707年にスコットランドとイングランドとの連合法が成立したことにより、アン女王は、グレートブリテン王国(イギリス)国王となります。
 しかし、アン女王には成人した子どもがいなかったため、ステュアート王朝は1714年に断絶します。すると今度は、プロテスタントでアン女王の遠縁にあたるハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒが王としてイギリスに迎えられます。これがジョージ1世で、ここからハノーヴァー朝がはじまるわけです。
 ところが、この一連の王位継承の流れ反発したのが、ジャコバイトと呼ばれる人びとでした。ジャコバイトとはジェイムズ派を意味するラテン語で、かれらはフランスに亡命したステュアート家のジェイムズ2世とその子孫(ジェイムズ8世兼3世ならびにチャールズ3世)を支持していました。
 ジャコバイトはジェイムズ2世の追放を認めなかったのですから、名誉革命などとんでもないという立場です。かれらにとっては、これほど不名誉な革命はありません。まして、フランスに後継者の残っているステュアート家を無視して、ドイツから新しい王を迎えるなど、許されるわけがないのです。
 そこで、ジャコバイトはハノーヴァー朝成立後、2度にわたり反乱をくわだてました。1度目は1715年で、ジェイムズ7世兼2世の息子、老僭王ジェイムズ8世兼3世をフランスから迎えて、ハイランダー(高地人)とともにスコットランドで反乱を起こします。しかし、反乱は広がらず、国王軍にあっけなく敗れてしまいます。
 そして2度目が1745年です。このときはジェイムズ8世兼3世の長男、若僭王チャールズ3世(チャールズ・エドワード・ステュアート、通称いとしのチャーリー王子)をいただいたジャコバイトが、ハイランドのマクドナルド一族を中心に立ちあがり、一時はイングランドまで進軍します。しかし、けっきょくは1746年4月16日のカロデンムアの戦いで敗れ去ります。このとき、「いとしのチャーリー王子」は女装して、スカイ島にたどり着き、さらにフランスへと逃げ帰ります。これによってジャコバイトの火は完全に消え去り、グレートブリテン王国の王位は盤石のものとなりました。
 カロデンムアの戦いは悲惨でした。棍棒や剣しかもたないハイランドの勇士たちは、身を切るような寒風のなか、ときの声を上げ、大砲と銃、銃剣をもつ国王軍に向かって突撃していったといいます。戦いはすぐに終わり、負傷して動けなくなっていた多くのハイランダーが虐殺されました。
 いまもカロデンムアには多くの人が訪れています。われわれ一家は荒野を散歩するといった感じですが、ここに立つ多くの人にとっては、ハイランドの勇士たちの雄叫びが聞こえてくるのかもしれません。カロデンムアはいまもスコットランド独立の聖地のひとつでありつづけているようです。
 思わずややこしい歴史の流れに踏みこんでしまいました。頭がくらくらしてきたので、きょうはこのくらいにしておきましょう。

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あこがれのネス湖はひょうしぬけ──スコットランドの旅(9) [旅]

8月11日(土)
 少し旅の疲れが出ているので、朝はゆっくりします。
 宿からネス湖は見えません。
 でも、ここドロムナドロキットがネス湖に近いのは、きのう飲んだビールの図柄にもネッシーがえがかれていることを見てもわかります。
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 日が差し、暖かそうなので、みんなでぶらぶらネッシーランドまで歩いていきました。
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 その脇のみやげもの屋で朝食をとったあと、ネス湖のエキシビションセンターを見学し、ネス湖の成り立ちと伝説、1933年以降に撮られたネッシーの写真などをみました。しかし、それらは偽物であることが判明。水中の調査でも、200メートル水深のあるネス湖に魚はあまりおらず、巨大生物の住める環境ではない、と科学的な説明がされていました。ミステリーハンターには少しがっかりの説明かもしれません。
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 そのあと、12時の船を予約して、いよいよネス湖にくりだしました。残念ながら天気は下り坂。
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 ネス湖はスコットランドの巨大断層にできた淡水湖で、幅は2キロですが、長さは35キロもあります。ほんの1時間足らずのツアーでみられる場所はかぎられています。
湖面にせりだすようにたたずむアーカート城がみえてきました。
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 船は城に接近します。
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 本日ネッシーは発見できず。
 印象的だったのは、ネス湖が広大であること、それにその水の色が、墨汁を流したように真っ黒なことです。
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 船はまたアーカート城をかすめて、元の場所に引き返します。
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 ネス湖を遊覧する船はいくつも出ているようです。われわれが船を下りるときも観光客が似たような船から下船していました。無理な注文かもしれませんが、ネッシーがでてくれないと、いささか退屈なツアーかもしれません。
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 このあと、われわれはいったん宿に戻り、前の野外レストランで食事してから、車でさっきみたアーカート城に向かいました。
 ジャコバイトの乱のとき、ジャコバイト側に占領されるのを恐れて、みずから破壊したため、いまでは壊れた城跡が残るのみです。ユウキが壊れた城なのに入場料をとるのは変だといったが、まさにそのとおりかもしれません。
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 それでも2時間ほど城内を散歩しました。
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 日本人の観光客はあまりいません。会ったのは、ほとんどが中国の人でした。日本人はもはやいささか退屈なネス湖観光に飽きてしまったのでしょうか。それでも古城と湖の組み合わせは悪くありません。
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 夕方5時ごろ、宿に戻ってから、6時半に向かいのレストランに行き、食事。その時間しか予約がとれませんでした。
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 さすがのマテオもお腹がすいていないようです。

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スカイ島からネス湖へ(オールドマンがオールドマンに会う)──スコットランドの旅(8) [旅]

8月10日(金)
 われわれが泊まった宿はスカイ島、ブロードフォードから南にはいった入り江のコテージ。にわかづくりの建物でしたが、ベッドルームが2つとバス、台所がついていて、家族5人が気楽に過ごせました。
値段もそう高くありません。Airbnbで見つけ、予約しておいたのです。ちょうど夏のバカンスなので、宿がなかなかとれず、スカイ島では最後の1軒でした。
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 朝8時すぎ、村のはずれにある宿を出発。われわれ夫婦は宿で用意してあったオートミールと牛乳で朝食をすませたのですが、娘のつれあいのマテオはレストランでないと食べた気がしないらしく、30分ほどスリガハンまで車を飛ばし、そこのホテルで食事をとるといいます。
 その途中、入り江と山、滝などの光景を堪能しました。
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ところどころ山肌が赤くなっているのは、エリカの花が咲いているからです。
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娘一家がホテルで朝食をとっているあいだ、われわれはスリガハンの橋のまわりを散策します。河原に降りると、小さなアブが群がってきて、あちこち刺されました。
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 川の水量は豊かで、まわりには緑が広がっています。ここから山にハイキングに行く人もいるようです。
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 河原にはエリカの花も咲いています。しかし、周囲はアブだらけ。羊や牛の放牧がおこなわれているためでしょう。
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 9時40分、スリガハンを出発し、ポートリーを経由し、10時にオールドマン・オブ・ストールに到着しました。さっきまで晴れていたのに、また雨が降りはじめます。
 山はその全容をあらわしません。それでも山道を登ります。オールドマン・オブ・ストールが中央に姿をみせました。
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 霧に見え隠れするその姿が幻想的です。
 オールドマン・オブ・ストールというのは、ストール山のじいさまという意味で、ストール山の中腹に尖塔のようにそびえたっています。昔はこの巨岩が船乗りの目印になったといいます。晴れた日もいいでしょうが、きょうのような小雨の日も悪くありません。
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 とつぜん霧がはれて、その姿がくっきりと浮かび上がります。りっぱです。貫禄があります。それを眺めるこちらは、しょぼいじいさんですが、ここまで登ってきたかいはありました。
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 われわれ夫婦は途中の広場までしか行きませんでしたが、娘一家はその先を一周したようです。あとで、その写真をみせてもらいました。下に見えているのは、ふもとのストール湖です。
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 岩のあいだから見える湖も風情があります。ことばはいらないですね。
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 車に戻ったときは、ちょうどお昼になっていました。もう一カ所予定していたキルトロックには行けそうもありません。こういうときは、あきらめが肝心です。
 12時半、スカイ島でいちばん大きな町ポートリーにつきました。
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 ホテルのレストランで簡単な食事をとります。セルフのプレートでじゅうぶん。
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 1時すぎ、ポートリーを出発、スカイブリッジを渡って、あっというまにブリテン本島に戻ります。こういう橋ができたら、たしかにマレイグからフェリーを利用する人は少なくなるでしょうね。1995年にできたこの橋の通行料は、いまでは無料になっています。
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 午後2時すぎ、アイリーンドナン城に到着。小さな城ですが、まるで海に浮かんだようで、絵になります。
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 その橋を渡って、城の内部に。
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 スコットランドの正装、タータンのキルトをつけたガイドさんが、あちこちに立っていました。この城がマッケンジー一族(とマクレー一族)の砦としてつくられたのは13世紀。しかし、18世紀のジャコバイトの乱にマッケンジー一族が加わったことにより、敗戦後、政府軍によって破壊され、長いあいだ放置されていました。
 その後、一族の末裔が1920年ごろ、荒れ果てた城を修復したようです。現在のような石の橋はもともとかかっていなかったとか。
 アイリーンはケルト語で島のこと。ですからアイリーンドナン城は、ドナン島の城という意味です。
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 この置物ほしいです。
 のんびり2時間ほどいて、城を見学しました。マテオとユウキは向こう側まで歩いていって、反対側からも写真を撮りました。
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 ネス湖にほど近いドロムナドロキットの宿に到着したのは夕方6時ごろです。
 ネス湖は小さな湖だと思っていたのに、そうではなかったので、びっくりしました。
 幅が2キロ、長さが35キロもあります。細長い地峡に水がたまったイギリス最大の淡水湖だといいます。車からはその姿を断続的にとらえることができました。
 宿のすぐ前のレストランは予約で満席でした。仕方なく、すいている別のレストランに飛びこみます。本日のスープを頼んだつれあいは、ジンジャーたっぷりのスープがでてきたので、もてあましていました。ぼくは豚肉のステーキ。肉が硬くて、これもうまいとはいえない代物でした。帰り際、宿の前のレストランに翌日夕方の予約を入れておくことにしました。
 明日はいよいよネス湖観光です。

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スカイ島──スコットランドの旅(7) [旅]

8月9日(木)
 朝7時、朝食を取らず、そのままマレイグの港へ向かい、7時40分発のフェリーに乗りこみました。
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 乗船した車は50台ほどでしょうか。夏は何便も出ているという情報があったのですが、日本から予約しておいて正解でした(ネット時代のありがたさです)。臨時便はなさそうで、これを逃すと、2時間は待たなければならなかったでしょう。
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 いまいるのはスコットランド北西部。ウエストハイランド鉄道の終点、マレイグの港から海峡を渡って、スカイ島に向かっています。
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 船は右に左にと揺れながら、南北につらなる狭い海峡を横断します。海峡は奥に行くほど狭まっていて、なんだか神秘的です。
 しばらくするとスカイ島が見えてきました。ヘブリディーズ諸島に位置し、面積は1700平方キロ。スコットランドで2番目に大きな島です。
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 40分ほどで、スカイ島のアーマデールに到着。下りたところにある小屋で軽く朝食をすませます。われわれ夫婦はスープとパンでじゅうぶんです。
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 それからおもむろにスカイ島をドライブ。入り江に沿って進みます。幸いなことに、きょうはAirbnbで宿を確保できたので、島でのんびりできます。ちなみに、夏のスカイ島で宿を確保するのは至難の業で、われわれもようやくキャンセルを見つけて、すべりこみました。
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 きょうも晴れたかと思うと雨が降るスコットランド特有の天気です。島には小高い山もあって、その景観はきのう通ったハイランドと似ています(もっともここもハイランドに属していますが)。ちがうのは海に囲まれていることです。島だからあたりまえか。
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 鹿が道に飛び出します。羊の群れ、牛もみかけます。ここは放牧の島です。ここにも「ハイランド放逐」の歴史がありました。1800年以降、ハイランドでは羊を放牧するため、住民が一斉に土地を退去させられたのです。そのため、ここスカイ島でも2万人以上あった人口が1万人に減少し、いまもほぼ同じです。
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 スリガハンという景勝地を左折し、ダンベガン城に到着しました。時刻は10時半、今日の最高気温は14度と予測されています。
 この地を治めていたハイランドの族長、マクラウド家の居城です。1745年のジャコバイトの反乱では、マクラウド家はジャコバイト側を支持せず、政府側についています。マクラウド家については、帰国してから詳しく調べるつもりでいましたが、いまだに果たせず。すっかり根気を失ってしまいました。
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 城には居間や食卓、書斎、寝室などが残され、台所や地下牢などもありました。海に続くその庭園は広大です。
 その海ぎわで長女の美輪がすべって尻餅をつき、尾てい骨を強く打ってしまいました。座ると痛いらしく、心配しましたが、なんとか旅行をつづけられそうです。でも、このあともしばらく痛がっていました。
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 ここからアザラシ・ウオッチングのボートも出ているようですが、われわれはパス。
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 お昼は城をでて、近くの旧小学校跡の食道で。われわれ夫婦はスープとパン。マテオと孫のユウキはフィッシュ&チップスを頼んでいました。
 そのあと西のはてに向かいます。車がすれちがえない道を通って、ネストポイントという崖に行き着きます。向こうから車がくると、退避場所にとまり、行き過ごさなければなりません。逆に向こうが待ってくれる場合もあります。
 駐車できる道路の両側は車があふれかえっていました。ぼくの運転技術ではとても無理。みんなうまく停めるものだと関心します。
 着いたときは雨が降っていましたが、途中からからりと晴れてきました。スコットランドの天気はほんとうに変わりやすい。
 歩きはじめると、羊がぬっと顔を出すので、びっくり。牛の放牧もおこなわれています。
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 左手にも入り江をへだてて、小高い丘が見えます。
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 ネストポイントと呼ばれる絶壁まで歩いていきました。
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 それはこの世のものとは思えぬほどの美しい絶壁でした。
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 その頂上に立ちます。のぼりきる最後のところで、ぼくはからだのバランスを崩し、転倒してしまいます。まわりの人が親切に腕を支え助けてくれました。
頂上にのぼって気がついたのですが、岬はまだ先にあって、そこには美しい灯台が立っていました。
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 われわれはそこまでは行かず、途中で引き返しましたが、娘の一家は突端まで歩いたようです。
あとで、マテオが別の場所から撮ったネストポイントの全景写真を見せてくれました。高所恐怖症のぼくが、よくこの崖の上までのぼったものです。とはいえ、ここはたしかにスカイ島の絶景のひとつでした。
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 午後4時ごろまでここにいて、ブロードフォードの宿に向かいました。村の角を曲がり、ヒースのなかの細い道を20分ほど延々と行くので不安になりましたが、入り江に面した村のいちばん海に近い場所に、きょうの宿を見つけたときはほっとしました。
 一見、臨時宿泊所のようですが、なかは清潔で設備も整っています。オーナーの家は隣にあり、われわれが着くと、人の良さそうな奥さんが鍵のことや、設備のことなど、いろいろと説明してくれました。
 食事はブロードフォードの村まで7キロほど戻り、村で2軒ほどしかないレストランで、シーフードをいただきました。混みあっていて順番待ちでしたが、待ったかいはありました。

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ハイランドに立つ──スコットランドの旅(6) [旅]

 8月8日(水)
 朝9時ごろ、レンタカーでグラスゴーの宿を出発し、北上します。
 天気は曇りで、時折小雨。
 40分ほどでローモンド湖へ。湖の奥に大きな山があります。これが標高974メートルのローモンド山でしょうか。
 ローモンド湖は幅8キロ長さ39キロで、幅2キロ長さ35キロのネス湖よりも大きく、スコットランド最大の湖です。琵琶湖よりはずっと小さいですね。
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 湖では水泳のヨーロッパ大会が開かれていました。双眼鏡でのぞくと、選手がトビウオのように湖を泳ぐのがよく見えました。この日の外気温は15度くらい。水泳には少し寒そう。
 何百メーターかの競泳でイタリアの女性がドイツをおさえて優勝したらしく、マテオが喜びます。
水族館のショップにあるエレベーターで展望台に上り、コーヒーを飲みました。11時ごろ、ここを出発。ツアーだと、こうのんびりはできないですね。
 ローモンド湖に沿って1時間ほど北上、いよいよハイランド(高地地方)にはいってきました。
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 スコットランドは大きく南東部のローランド(低地地方)と北西部のハイランド(高地地方)に分かれます。ハイランドは高地といっても最高峰は1344メートルのベン・ネヴィス山で、全体的には小高い丘陵がつづきます。
 車は谷に沿って進みます。次々とあらわれる緑なす山々の織りなす風景に圧倒されます。
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 何台も車が止まっているところに、われわれも停車。あたりを散策してみました。夏だというのに肌寒いくらい。
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 その美しさに息をのみます。
 3つの山が重なるスリーシスターズと呼ばれるのは、このあたりのことでしょうか。
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 圧倒的な大自然のもとでも、悲しい歴史は流れていました。このあたりでも氏族間のすざまじい抗争(グレンコーの虐殺)がありましたし、ハイランド全体で18世紀から19世紀にかけ、住民の放逐がおきています。ジャコバイトの反乱についても、論じなければいけないとことです。しかし、きょうはその歴史にふれるのはやめておきましょう。
 そろそろお昼です。脇道をはいったところにあるレストランで食事をとりました。
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 そのあと本道に戻って、グレンコーのビジターセンターに立ち寄ります。雨が降ったりやんだりの天気です。スコットランドの夏の天気は、だいたい曇りがちで、時々雨が降ったかと思うと、晴れ間がのぞいたりするのが特徴です。
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 グレンコーをでたあと、フォートウィリアムからウエストハイランド鉄道に沿って西へ。
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 この鉄道は、映画ハリー・ポッターの撮影に使われたことで知られます。途中、景色の良い場所で駐車しようとしたのですが、観光シーズンとあって、車が多く、停まれなかったのがつくづく残念です。
海がみえたところで、ようやく休憩。向こうに見える島はエッグ島、あるいはラム島でしょうか。
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 夕方、港町マレイグに到着します。
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 マレイグはウエストハイランド鉄道の終点でもあります。
 駅には列車が停まっています。
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車両の上にウミネコが羽を休めているあたりが、いかにも港町らしいところですね。
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 鉄道オタクではないのですが、ついつい蒸気機関車の写真を撮ってしまいます。蒸気機関車には、なぜかわくわくさせるものがあります。
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 夜はホテルのレストランで食事。混んでいるというので、到着時に予約しました。
 テラスを予約したと思いこみ、さっさと座り込んだら、なんとちがっていました。注文したビールが売り切れになっていて、いろいろ言われたけれども、よくわからず、とんちんかんに答えているうちに、本来の客がやってきて、テラス席からホール席に移動と相なった次第です。
 テラス席ははやくからの予約があって、われわれの席はホールのなかなのでした。このあたり英語力の不足を痛感します。
 海の幸の盛り合わせは絶品。
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 ここまできたかいがあったと、わがつれあいの陽子さんも喜びます。
 最後にデザートまで食べたので、また血糖値が上がったかもしれないと思ったものの、これは後の祭りです。

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グラスゴーにやってきた──スコットランドの旅(5) [旅]

8月7日(火)
 朝9時半、エディンバラのアパートを出発し、レンタカーで西のグラスゴーに向かいます。所要時間は約1時間。あっという間でした。
 エディンバラがスコットランドの政治の中心地だとすれば、グラスゴーは経済の中心地です。人口は60万人ほど(船橋と同じ)ですから、われわれの基準でみれば、けっして大都市ではありません。それでも人口ではスコットランド最大の都市です。
 グラスゴーとエディンバラには共通の特徴があります。それはどちらも港湾都市だということです。ただし、エディンバラがフォース湾を経て、北海につながるのにたいし、グラスゴーはクライド川、クライド湾を経て、大西洋につながります。
 エディンバラが北海でロンドンやヨーロッパ各地と結びついていたとすれば、グラスゴーはアメリカとの窓口でした。16世紀になるとアメリカからタバコがはいってくるようになり、その後、砂糖や綿がつづきます。
 19世紀に産業革命が本格化すると、町の周辺ーでは綿工業や造船業が盛んになり、アイルランドからの移民も増えて、人口は100万を超え、イギリス第2の都市として発展することになります(いまは第4位)。
 1812年にクライド川に就航した蒸気船コメット号は、ヨーロッパ初の商業蒸気船でした。しかし、産業革命は公害をも生みだします。19世紀半ば、グラスゴーには世界最大の化学工場がつくられ、もくもくと黒い煙を吐きだしていました。
 20世紀半ばをすぎると、産業構造の変化によって、グラスゴーは万年不況に見舞われ、治安もだいぶ悪化したようです。いまは金融業と文化産業によって、だいぶ持ち直してきたようです。もはやグラスゴーにはかつての工業都市のイメージはありません。
 われわれは町の東部にあるグラスゴー大聖堂に到着。近くの駐車場に車を停めて、教会を見学することにしました。
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 教会は12世紀にスコットランド王デイヴィッド1世(1080頃〜1153、在位1124〜1153)によって建てられたといいます。もちろん宗教改革の前ですね。
 デイヴィッド1世はスコットランドをノルマン風に改革し、王権を強化し、カトリックの普及に努めたとされます。教会はその後、増築を重ね、15世紀にいまのかたちになったようです。
 大聖堂は石造りの立派なファサードをもっていますが、全体が黒ずんでいるのは、たぶん煙害の影響ではないでしょうか。イタリアほど華麗ではないので、ちょっと地味な感じです。
 なかにはいってみます。おごそかな雰囲気です。木の天井が素朴さとなごやかさをかもしだしています。いいですね。
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 16世紀、イギリスでは宗教改革の嵐が吹き荒れ、多くの教会が破壊されました。しかし、グラスゴー大聖堂は奇跡的に破壊を免れたといいます。
 地下には聖マンゴーの墓と地下礼拝堂がありました。聖マンゴーは6世紀後半、グラスゴーにキリスト教を広めた修道士です。
 厳粛な教会なのに、申し訳ないことながら、このときぼくはトイレに行きたくなりました。教会のなかを探しましたが、それらしい場所は見つかりません。仕方なく外に出て、トイレのありそう建物に飛びこみます。あやうくセーフでした。
 ほっと胸をなでおろし、ところで、この建物は何かとあらためて見渡してみると、聖マンゴー宗教博物館と書いてあります。聖マンゴーには、心から感謝です。
 せめて、なかを見学しなければ、ばちがあたります。ちいさな博物館ですが、2階、3階と回って、驚きました。
 何とここでは、キリスト教だけではなく、仏教、イスラム教、ヒンズー教、ユダヤ教をはじめ、世界じゅうの宗教が結集しています。メキシコの「死者の日」の骸骨像やヒンズー教の「踊るシヴァ神」は見応えがあります。
 日本語の案内パンフもあり、そこにはこう書かれていました。

〈中世の司教館跡地に建てられた当博物館は、異なる宗教を信仰する人々や、また無宗教の人々のあいだの相互理解を推進することを目的に1993年4月にオープンしました。〉

 おすすめの博物館です。
 さまざまな信仰、もしくは無信仰は、人の考え方や生き方を判断する基準となり、時に大きな誤解や偏見をもたらしがちです。しかし、争いを防ぐ第一歩は、宗教、思想、信条のちがいを認めつつ、たがいに心を開き、相互理解を深めることです。そのことを、この博物館は訴えているように感じます。
 大聖堂の隣にはネクロポリスと呼ばれる丘があります。そこから教会と街を一望してみました。
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 ここからの大聖堂は迫力があって、みるからに重厚です。
 ネクロポリスというのは、要するに墓地なのですが、その頂上にはジョン・ノックス(1505〜72)のモニュメントが立てられていました。
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 エディンバラの聖ジャイルズ大聖堂でもおなじみのノックスですね。プロテスタントでも過激なカルヴァン派の宗教指導者で、鋭い舌鋒でカトリックを排撃しました。女王メアリーがスコットランドを逃げだしたのも、ノックスのせいだったかも。そのノックスの像がネクロポリスの丘の頂上にあるのは、何やら意味ありげです。
 このあと、われわれは丘を下り、道路を渡って、プロヴァンド領主館を訪れました。
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 大聖堂は別として、グラスゴーに現存する最古の建物だとのこと。1471年に建てられ、教会の牧師が住んでいたようです。その後、プロヴァンド卿の邸宅となったため、この名前がつけられました。内部はよく保存されていて、当時の様子をうかがうことができます。
 お昼近くになったので、歩いても行ける町の中心に行ってもよかったのですが、そうするとほかを回る気がしなくなってしまうので、西にあるサイエンスセンター(科学博物館)に向かうことにしました。
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 食事は館内のビュッフェで済ませました。ぼくと陽子さんはサンドイッチとスープをとりましたが、意外と美味でした。昼はこれくらいがちょうどいいと思った次第です。
 娘一家はなかを見学。そのかん、われわれ老夫婦は周囲を散策することにしました。
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 クライド川が流れています。向こうにみえるのは、おそらくグラスゴー大学の尖塔です。
 アダム・スミスはグラスゴー大学を卒業し、その後各地を回ってから、この大学で10年間ほど道徳哲学や法学を教えていました。そして故郷に近いエディンバラでなくなります。
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 帆船が係留されているあたりには、海洋博物館があるようです。右の建物がそうですね。
 サイエンスセンターの周辺には、かつて巨大なドックがありました。
 いまは造船所もなくなり、ユリカモメがのんびり日を浴びています。
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 宿にはいるまで、もう少し時間があります。そこでグラスゴー大学の脇にあるケルヴィングローヴ美術・博物館に行くことにしました。
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 じつはあまり期待していなかったのですが、ここでぼくはダリのキリスト像に出会い、心震えました。十字架のキリストは天空に向かってはばたいているようにもみえます。こういうキリスト像は見たことがありません。
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 この美術・博物館にはターナーやマネの絵も収蔵されています。ほかにマッキントッシュの工芸品も見ることができ大満足でした。
 チャールズ・マッキントッシュ(1868〜1928)はグラスゴーの建築家、デザイナーで、斬新な建物や工芸品、インテリアを生みだしました。
 いろいろなデザインの椅子をつくり、晩年には水彩画もかいています。日本でももっと紹介されていい人だと思います。
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 宿に着いたのは夕方5時半ごろ。地図ではよくわからなかったのですが、急坂を上って右折した狭い通りにありました。
 場所はマッキントッシュの設計したグラスゴー美術学校のすぐ近く。しかし、工事中で学校の建物が見られなかったのは残念。
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 ホテルの料金は先払いで、びっくりしたのはエレベーターがなく、4階(表示としては3階)までバッグを運ばなければなりませんでした。その体力が残っていたことに感謝。
 屋根裏部屋からは町がよくみえます。
一休みして、みんなでにぎやかなブキャナン通りまで歩きました。
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 そのあと、宿の近くまで戻り、インド料理店で食事。これが値段も手ごろで、なかなかうまいのに驚きます。ただしアルコールは出してくれません。これがほんとうのインド料理店です。店内にはインド映画を紹介するコーナーもつくられていました。
 アルコールが飲めなかった代わりに、たっぷり甘いものをいただきました。血糖値がだいぶ上がったかもしれません。
 明日は、いよいよハイランド(高地地方)へ。

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エディンバラ王立植物園──スコットランドの旅(4) [旅]

 年の暮れだというのに、いまごろになって夏のスコットランド家族旅行についてまとめています。みんな忙しいので、ひまなぼくが記録係を担当をおおせつかっているわけですが、なまけものなので、ついついまとめが遅れてしまいます。それも仕方ありません。のんびり旅行の記録です。
 8月6日(月)午後
 午前中にホリールード宮殿を見学したわれわれは、6番のバスで昼すぎにエディンバラのセンター、ハノーヴァー・ストリートまで戻ってきました。
 おなかもすいたので、まずはお昼ということで、ちょっと脇道にはいり、よさそうなレストランに飛びこみました。
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 マテオ君と孫のユウキは豪快にステーキを注文。ぼくはビール付きで、フィッシュ&チップス、つれあいはワイン付きでハギスを頼みます。これぞ旅行の楽しみ。しかし、どうみても食べ過ぎで、午後の見学はおざなりになってしまいます。
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 食事を終えてバス通りに戻り、王立エディンバラ植物園に行くことにしました。そのバスに乗るため、元の通りに戻ると、ハノーヴァー・ストリートとジョージ・ストリートの交差点に銅像が立っています。
 ジョージ4世の銅像です。
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 ジョージ4世(1762〜1830、在位1830〜40)はハノーヴァー朝(1714〜1901)の国王で、病気の父親を代行した摂政(リージェント)時代が長く、ナポレオン戦争中も贅沢三昧をつづけてきたことで、どちらかというと評判の悪い王様です。
 その王様の銅像がなぜエディンバラに立っているかというと、話せば長いことながら、ここにはイングランドとスコットランドのこじれた歴史の因縁があるのです。
 われわれはイギリスは昔から統一されていると思いがちですが、イングランドとスコットランドが正式に統合されるのは(征服と戦いの時代もありました)、何と1703年になってからのことです(そして、そのあとに、さらにジャコバイトの反乱がおきます)。
 イングランドとスコットランドとの統合後、イギリス国王がスコットランドを初めて訪問するまで100年以上の月日が流れました。それが1822年のジョージ4世だったというわけです。
 ジョージ4世の訪問は、イングランド・スコットランド統合の象徴だっただけではありません。
 このときの訪問で、国王にタータン柄の衣装を身につけるよう提案した人物がいます。それが小説家のウォルター・スコットです。ぼくは読んだことはありませんが、『ウェイヴァリー』や『アイヴァンホー』が代表作ですね。
 じつはスコットランドには高地人と低地人の根深い対立がありました。タータンチェック柄はほんらい高地人の出自をあらわす衣装です。スコットの提案で、それを国王が身につけたことによって、ジョージ4世は、スコットランド低地人とゲール語を話す高地人との融合をうながす役割を果たすことにもなったわけです。
 ほんらい、ハギスとキルトはまったく別系統の文化でした。それがスコットランドを代表する料理と服装とみられるようになったのは、元をたどればスコットの演出以来かもしれません。
 さて、植物園に向かう27番のバスはまっすぐ海に向かってくだっていきます。エディンバラが海に面した坂の町であることを実感します。こういうところは、実際にやってこないとわかりませんね。
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 植物園に着きました。東ゲートからはいって、案内所に。
入園は無料。王立とあって、さすが太っ腹です。
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 ところが、いかんせん、ぼくは食べ過ぎ飲み過ぎで、胃のあたりがむかつき、歩くのも苦しい。
内部は広大で28ヘクタールもあります(ちなみに日比谷公園や小石川植物園の約1.8倍)。このあたり、少し誤算でした。
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 池の脇を通り、見たこともないかたちをした木々(たぶんチリマツ)を見ながら進んでいきます。
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 するとヴィクトリア様式の温室につきあたりました。時間の関係もあって、残念ながら、中にははいりませんでした。
 案内によると、この温室がつくられたのは1858年で、なかには熱帯の高木や直径2メートル以上の巨大ハス、ランやソテツ、シダ、サボテン、それに世界最大の花として知られるショクダイオオコンニャクなども集められているとか。
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 温室の先には、アルプスの花を集めたコーナーもありました。
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 われわれはともかく園内を一周します。
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 ショップのある建物でひと休み。その前の池には黄色いアサザの花が咲いていました。
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 この植物園がつくられたのは1820年ごろだといいます。その前にも、午前中に訪れたホリールード宮殿の近辺に薬草園のようなものはあったようですが、できるだけ多くの植物を収集するという発想のもとで、この植物園がつくられ、植物の分類と総合、展示がこころられたわけです。植物園もまた、近代の知の産物といえるのかもしれませんね。
 公園でもあるこの植物園には、現在、全世界から1万3500種、12万8000以上の植物が集められているといいます。かつての大英帝国の力を感じさせますね。
 われわれは夕方5時ごろまでここにいて、バスでふたたび中心街に戻ってきました。
街は昨日に続き、フェスティバルにわき、あちこち大道芸もみられ、思わず迷子になりそうでした。
 グラスマーケットを散策します。このあたりには、かつて処刑場があったそうです。殺人犯もうろうろ。そう聞くと、ちょっとこわいですね。
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 建物が切れたあいだから顔を出す城は荘厳でもあり、威圧的でもあります。エディンバラの天気は、晴れていたかと思えば雨が降り、また晴れるといったようにめまぐるしく変わります。
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 そろそろこの町ともお別れ。
 われわれはまた例によって、夕食を求めて方々を歩き回り、ようやくぱっとしない中華料理店にはいりました。
 帰りのバスは2番ですが、20分くらい待ったので、みんなの機嫌がだんだん悪くなります。焦っても仕方ないのにね。
 旅はまだはじまったばかり。明日はグラスゴーへ。まあのんびり旅を楽しみましょう。

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